第三章その4
涼は一度家に帰ると、シャワーを浴びて汗を流して私服に着替え、考え付く限りの良さそうな服を選ぶ。外に出かけて川尻駅でJRに乗り、新水前寺駅で降りて熊本市電の新水前寺駅前で高鳴る胸の鼓動を抑えながら路面電車に乗り換える。
交通局前で降りると、涼はスマホを見て時間を確認する。まだ時間はあるが多くの人は既に映画館に到着して、映画の登場人物やネタに走って劇中に登場するアイテムのコスプレをした人もいた。
予定より少し早く中に入ると、葵は黒のズボンに紺と白ボーダー柄のノースリーブニットで昼の時より大人びた感じがして、ドキドキしながら歩み寄った。
「ごめん、待たせちゃったね」
「いいのよ、あたし今日少しお化粧しちゃった」
葵はちょっと悪いことしちゃったと、言いたいかのように愛らしい子悪魔のような笑みを浮かべる。可愛らしい葵には必要ないと思うが、女の子は誰よりも綺麗になりたい願望がある、確かに頬や睫、肌が綺麗でいつもより大人びて見える。
涼は周囲を見回しながら小声で訊いた。
「だ、大丈夫? 先生にバレたりしない?」
「大丈夫大丈夫、大人っぽくして女子大生風にしたの」
葵は余裕の表情だ。女子大生にしては小柄だと思うが言わないでおこう。
もっともナチュラルメイクなのか、よく見ないと気付かず視力が悪い人だと気付かないかもしれない。傍から見れば女子大生が年下の彼氏とデートしてるようにも見えるかもしれない。
「ほらほら涼君、あれ第一作の科学者のコスプレイヤーさん! サイリウム持って来てる……なんかライブみたい」
「まあ、みんなではしゃいで見る上映会だからね……何か欲しいものある?」
時計を見るとまだ時間はあるが、入場が始まって涼は飲み物を買うことにした。
「あたしはコーラにするわ」
「うん、じゃあ僕はウーロン茶と」
飲み物を買ってスクリーンに入る、これから見るのは数年前公開されて大ヒットした怪獣映画の続編だ、今回も負けず劣らずの大評判で涼も実は二回見ている。
「草原さんはこれもう見た?」
「うん、前作はもう凄く怖かったけど感動したわ。これも一回見たけど……もうドッキドキの連続よ!」
「前作は若い怪獣の成長物語だけど、今回は怪獣のロマンスだからね」
涼は持参したパンフレットを適当に捲る。
前作は房総半島の高層ビルが立ち並ぶ架空の大都市に対して、今回は開放的な沖縄が舞台だ。前作の敵怪獣は地底怪獣だったが、今回は海棲怪獣でしかも爬虫類型とタコ怪獣が出てくる。
予告編を経て上映が始まると、一斉に拍手と歓声が上がった。
涼は上映されてる間、時折葵の横顔を覗き込んで驚いたり、笑ったり、時には怯えたり、泣いたりする表情を盗み見した。
怪獣同士のバトルシーンでは一緒に叫んだり、応援したりして、あっという間の熱い二時間だった。
スタッフロールでみんながリズムに合わせて手を叩いてる間、涼は葵の眩しい横顔を覗き見て微笑みながら手を叩いていた。スタッフロールの後、出演者の舞台挨拶を経て上映会はあっという間に終わってしまった。
葵は席を立って背伸びして体をほぐすと名残惜しそうな表情になる。
「ああ終わっちゃった……楽しかったわね涼君」
「うん、映画も面白かったね。僕は特に主人公の男の子がモノレールから落ちる女の子を助けるシーン」
「あれね、あたし見ていて凄く怖かったわ……モノレールのシーン、主人公と女の子以外みんな怪獣に食べられちゃったから」
「あれはね……前作にもあった人間は食物連鎖の頂点ではないという意味だよ」
前作に出た地底怪獣はアリクイのように細長い舌で人間を食べる怪獣だったのだ。
「そうか、そういうことだったんだね……でもあたしが一番良かったのはずっと独りぼっちだった怪獣が雌に出会えたことね。怪獣のロマンスというよりはボーイミーツガールって感じでロマンチックで……お互い嬉しそうに鳴いてた、もう一人じゃないんだって」
「一人じゃ……ないか」
葵の言葉が涼の心に妙に焼き付いた。映画館を出る間、涼は今の境遇を振り返ると、自分は今とても幸せで恵まれてるのかもしれない。
頼りなくて、弱くて、卑屈な僕のことを気にかけて叱ってくれる大地や美紀がいる。そういう友達ってなかなかいないのかも? それに今こうして僕を彼女としていてくれる葵、まだ信頼を得てないけど、花崎さんともいつか、わかり合えるような気がする。
そう考えると今の僕はとても恵まれてる、僕はみんなに感謝しなくちゃいけない。
「どうしたの涼君? 何か考えごと?」
「……ねぇ葵……前、訊いたよね? どうして僕を選んだの? って」
「うん、そしたら君はあたしのこと覚えてないって言ってたもんね。もしかして思い出したの?」
葵は期待を込めたような口調だった、でも応えることはできない。
「違うんだ。君が……僕の彼女になってくれたのは単純に嬉しかった……僕だって男だからさぁ……その、君と付き合い始めからさぁ、最初は何となくって気だったんだ。今日みたいに楽しいことがあって、そうしていくうちに……」
涼の言葉が途切れる、それでも葵は微笑みながら待ってくれてる。
「僕は君のことが……本当に好きになったんだ」
ちゃんと言ってなかった言葉だった。葵は両手を口に当てて必死に涼の言葉を受け入れようとしてる。
「あ……あたしね。本当のこと言うとね……涼君に迷惑かけてるんじゃないかって思ったの、幼い頃涼君に会って……その時好きになって、いつかまた出会えたらって……ずっとずっと信じてたの」
幼い頃、僕は葵とどんな思い出を描いたんだろう? 涼は恐る恐る昔を思い出そうとするが、やっぱり思い出せない。
「やっぱり君とは……昔会ったことが?」
涼は恐る恐る訊くと、葵は少し寂しそうな表情になる。
「うん、覚えてないよね? でも無理しなくていいよ、記憶がないってことは……きっと耐えられないほど辛いを思いをしたんだと思う……だからさぁ……忘れたことも忘れちゃって、これから沢山楽しいことを築いていこう!」
葵の寂しそうな表情が笑顔に変わった瞬間、涼はその言葉に救われた気がした。
「ありがとう葵……君のこと、好きになってよかった!」
「あたしも、涼君のこと好きになってよかった」
葵は嬉しい気持ちを包み隠さずに満面の笑みで肯いた。こうして僕たちは本当の意味で恋人同士になった。それがとても嬉しくて、誇らしげで、ちょっぴり恥かしい気分だった。
映画館を出たその帰り道、葵の家まで送って行こうと他愛ない話しをしながら歩く。
「それでさ……これは話していいかどうかわからないんだけど……いいかな?」
「うん、いいよ。あたしにだけ話したいこと?」
「というより悩みなんだ。実は大地、木崎さんのことが好きなんだけど……ほら、大地って変なところで不器用で奥手だからさ……背中を押してやりたいんだ」
「なるほど、どうりで土谷君……美紀に気があるような素振りを見せてたわね」
葵は見抜いてたようだ、それなら話しは早いと涼は提案する。
「それでさ葵、大地の背中をほんの少し……押してやりたいんだ……あいつにはさ、色々世話になったんだ。だからそろそろ借りを返してやりたい……一人じゃちょっと不安なんだ」
「いいよ、涼君も土谷君も優しいからね」
葵が肯くと、スマホを取り出した。恐らくは花崎さんからだろう、画面を見た瞬間葵は表情を一変させた。
「睦美……今水前寺を降りて家に向かってるって!」
「ええっ!? 確か今日阿蘇の実家に行くって!」
「どうしたんだろう? 睦美、何かあったのかな?」
「急ごう! こんな時間に女の子一人なんて危ないよ!」
スマホの時計を見ると夜の二三時近く、幸い葵と睦美の家はすぐそこだった。
葵と睦美の家は隣同士だ。もう到着してるのかもしれないと周囲を見回すと、暗闇の中から息を切らしながら必死で走ってくる睦美の姿が見えた。ハーフパンツにスニーカー、半袖シャツとラフな格好で汗だくで重そうなボストンバッグを肩にかけ、こちらに向かって走ってきた。
「睦美、どうしたの!? 今日から阿蘇の田舎に行くんじゃなかったの?」
「葵……米島君、私……今日家に帰って阿蘇に行って……過ごす間……ずっと……聞いてたの……そしたら、いても立ってもいられなくて……家を飛び出したの」
睦美は苦しそうに肩を上下させる、まさか一人で田舎の家を飛び出して電車に乗ってここまで来たのか? 涼は葵に言った。
「葵! すぐに家に上げて何か冷たい飲み物を!」
「うん、睦美! とりあえず上がって!」
葵が促すと睦美は無言で肯き、家に上がるが中には家族がいるという気配がない。
「葵、親御さんは?」
「今日は旅行に行って明日の夕方まで留守なの」
「そうか……今日はもう遅い、戸締りはしっかりしてね――」
僕はもう帰る、と言おうとした時、睦美は引き止めた。
「待って! 米島君にも聞いて欲しいの! エーデルワイス団が残したものを!」
聞き違い? 夏休みの終わり辺りに地球が滅ぶんじゃないのか? 涼は思わず聞き違いかと、葵に目を向ける。
「涼君、上がって一緒に話しを聞こう。遠慮せずくつろいでいいよ」
葵からOKが出ると、一先ずリビングでエアコンを点けスポーツドリンクを入れた。初めて上がる女の子の家にドキドキしながら涼はテーブルで大人しく座ることにした、下手に動けば睦美に怪しまれかねない。
三人でスポーツドリンクを飲んでようやく一段落すると葵は少し怒った口調で睦美に訊いた。
「睦美、どうして夜中に帰ってきたの? ご両親もきっと心配してるわ!」
「ごめんなさい、親には言ってるわ……いても立ってもいられなくなったから」
睦美はわかってるようで申し訳なさそうに言うと、涼は訊いた。
「でも、どうして夜中にこっちへ帰ってきたの?」
「ええ、できるんなら……美紀や土谷君にも聞いて欲しかったけど、今から流すエーデルワイス団の記録……聞いて!」
睦美の表情は真剣で、あの箱を取り出してMDプレーヤーに付属のスピーカーを装着してMDをセットした。
聞き終わったのは夜中を通り越して明け方の四時になってしまった。涼は目の下に隈が真剣に耳を傾けて聞いていたが、葵は聞き終わった途端椅子に座ったままに涎を垂らして呑気にぐーすかと寝落ちした。
女の子とは思えないほどもの凄く間抜けな顔で、睦美は葵の部屋でベッドを借りて寝てるという、聞き終わった涼は葵の肩をポンポンと叩いて起こす。
「葵、寝るんなら布団で寝ないと風邪引くよ」
「うみゅぁ……花火……が……綺麗」
「葵! しっかり!」
涼がゆすると葵は「はっ!」と目を覚ました。
「あっごめん涼君、あたしどれくらい寝てた?」
「ほんの数十秒だよ、布団で寝ないと風邪引くよ」
「うん、そこの和室で布団敷いて寝ようか」
葵は半分寝た状態で押入れから二人分布団を敷いて、頭の回らない涼は葵の隣で横になると、そのまま意識が遠のいて体がふわふわするのを感じた。




