エピローグ
どこまでも澄んだ秋空を、紅葉づいた山々が囲んでいた。それは日本人作家がえてして、荒野の描写においてすら、その遠景に山の輪郭をえがいてしまいがちな、あの風景への郷愁のようなものをたたえていた。
その青空の下に、小さな駅があった。もし線路がひとつ、その茶色ばんだ軌道を残していなければ、森の廃屋かとみまがうほどの、質素なものだった。けれども、その細いコンクリート製のホームから、これまであまたの情念が旅立っていったあとが、木塀の落書きから、静かに聞こえてくるのだった。
一台の黒い蒸気機関車が、遠い遠い過去から駆け出してきたかのように、停車していた。この駅のことをよく知っている老人が、もしそばを通りかかれば、じぶんの思い出がよみがえり、ありもせぬ風景を見せているのではないかと、心乱されたかもしれない。白煙がゆっくりと立ちのぼり、雲のない空に、いちまつのアクセントを与えた。そしてその列車のそばに、三人の少女が、いろとりどの和装で立っていた。
ひとりは短髪の、やや快活そうな少女で、涼やかな青い着物をきて、車椅子にすわっていた。その椅子を押すように、おさげの少女が、年相応なそばかすのある笑みで、まっすぐに立っていた。おさげの色と重なる着物の色は、やや深みのある黄色だった。その肩に手をおいて、白杖を持って、ややうつむき加減に立っていた。その衣服は染みひとつない白で、白杖と重なる具合は、白梅に雪のかかるようなものであった。
もし老人がいれば──その歩みをとめ、じぶんもまたあのときに帰れるかのような、そんな思いが全身を通り抜けたかもしれない。その思いは、秋風に溶け込みながら、眼前の風景に目をひらき、もうひとつの人影に気づいたことだろう。ひとりの少年が、真っ白な開襟シャツを着て、黒いズボンをはき、客室車両のステップに、革靴を乗せかけていた。右手で車両のグリップをにぎり、上半身を少女たちのほうに向けていた。その顔は柱の陰になって、見えなかった。なにかに疲れたような、それでいてなにかを追い続けているような、そんな雰囲気をたもっていた。
少年は黙って、少女たちをみつめた。
風が吹き、少年の前髪をなでる。三人とひとりのあいだに、深い秋がおとずれた。
車椅子の少女が、最初に口をひらいた。
「それじゃ、元気でね」
少年は、かるくうなずいた。
おさげの少女と白杖の少女も、お元気で、と告げた。
ボーッと、汽笛が鳴る。
時計もないさびれた駅を、時間の無情な正確さがおおった。
少年はステップをのぼり、車両に乗り込んだ。
入り口のそばに立つと、少女たちに最後の会釈をしかけた。
それよりも早くに、白杖の少女がたずねた。
「村へは、いつおもどりに?」
少年は答えなかった。答えるすべを、知らないかのようであった。
おさげの少女は、
「春香さんは、わたしたちが看病します。ご安心を」
と告げた。
汽笛が鳴る。少年は会釈をした。
鋼鉄の車輪が動く。機械でありながら、なにかを想う音色で。
車椅子の少女は離れゆく列車にむかって、身をのりだした。
笑顔で、くったくなく、なにかをあきらめたかのように、声を発した。
「あなた、春香さんのこと愛してるんでしょ」
少年は、もどしかけていた背筋をとめた。
表情は定かではない。おどろいたようでも、訊き返そうとしたようでもあった。
煙がなびく。心を隠すように、少年は深々と会釈した。
少女の声は、古い映画の終わりのように舞い上がり、そして、いづこかへと消えた。
【完】




