18:停滞の終わりと、祝祭の火蓋
「互いに開始位置について…… 始めっ!」
訓練という名の戦いは、千歳ちゃんの号令とともに、ぬるっと始まった。
姫岸側は、暁灯くん、真白さん、それに私の三人チームだ。
対する陰陽寮は烏丸局長と【猿の手の手以外】、それに戦闘部隊から一人と、数は同数。
短時間の訓練という体のため、回復やリソース補充は禁止だ。うちのパーティの回復役や他の陰陽寮の人たちには、結界の維持や怪我人が出た場合の対応を頼んである。
ちなみに、千歳ちゃんは号令兼見学だ。
半年分の魔石を飲み込んで尚、大規模な禹歩と【猿の手の手以外】に人間態を与えたことは結構消耗したらしく、今も横になって戦いを見ている。ゆっくりしていってほしい。
……打ち合わせの最中、スマホから、聞き覚えのあるレベルアップ音声が流れてきたのは、聞かなかったことにしておいてあげようと思う。「あっやばっ」とか言ってたし、うちの弓兵は「気持ちは分かる」とか言ってたし。
「……それでは、私から」
睨み合いの膠着状態を壊したのは、やはりというべきか、【猿の手の手以外】だった。
淡々とした声。
両腕のない少女——【猿の手の手以外】が、半歩だけ前に出る。
『止まれ』
【猿の手の手以外】は、ただそう言った。
それだけで、空気が震えた。踏み出そうとした足が目的地を見失い、その場で足踏みをする。
右手に構えた特殊警棒の向け先が、分からなくなる。
これを喰らうのは、本日二度目だ。当然、忘れるわけもない。
停滞の権能。
だが。
「ほう、これは凄いな」
烏丸局長が、手に持った古びた鈴を振るう。
事前のミーティングで聞いていた、悪霊呼びの鈴だ。持ち主の霊力を吸い取り、悪霊の形にして打ち出す呪物。
隣の陰陽師も、札を掲げて式神を召喚する。
明確な攻撃行為であるそれは、【猿の手の手以外】の停滞などないかのように結像し、飛来する。
一方、私たちの方は、何も変わらない。
暁灯くんが投擲しようと振りかぶったクナイが、その場に落ちる。
からん、と乾いた音が響いた。
「【猿の手の手以外】だが、どうやら人格を得たことで、停滞を意図した相手にのみ与えられるようになったみたいだな」
「ま、マジで!? それってヤバくない?」
飛んできた悪霊や術を大盾と聖盾で必死に跳ね返しながら、絶望する。
相手は一方的に攻撃できて、私たちは防戦一方。完全なワンサイドゲームになってしまうんじゃ……。
「いや、多分だが、そうでもないぞ」
「え?」
暁灯くんの声。それと同時に目に入ってきた光景に、私は目を疑った。
敵の背後に、暁灯くんがいたのだ。
彼はこっそりと忍び足で敵陣に近付き、最後の一歩を大きく跳んで【猿の手の手以外】に肉薄した。
「当て身」
「きゅう……」
あっさりとした攻防だった。
一方的な攻撃に意識を向け過ぎていたのか、護りのなかった【猿の手の手以外】の首筋を、暁灯くんが手刀で一閃。
不意を突かれた【猿の手の手以外】は目を回したようにふらりと揺れ、そのまま崩れ落ちた。
「停滞対象を決められるってことは、逆に言うと決めなければ停滞できないってことでもある。意識外からの攻撃には、無防備だな」
奇襲を受けたことに気付いた陰陽寮チームが、暁灯くんに反撃を仕掛ける。
だが、暁灯くんは禹歩を使い、サクッと自陣まで帰ってきた。
……やっぱり移動スキルってえげつないね。
「というか、暁灯くんが二人いるのは……」
「当然、片方は幻術だねえ」
自陣にいた方の暁灯くんが似合わぬ笑みを晒しつつ、色を失って消える。
後にあったのは、銀色のもふもふ。つまり、真白さんの尻尾だった。
からん、と落ちたはずのクナイまで、銀色の光になってほどけた。
「実は狐らしく、相手を化かすのも得意なのよね」
帰還した暁灯くんと真白さんがハイタッチで戦果を祝う。すごく「してやったり」という感じの顔だ。
「……ってか、【猿の手の手以外】はこれで終わりなの!?」
「今回のルールだとそうだねえ」
真白さんが、肩へ担いでいた長巻を構える。
その切っ先は、過たず烏丸局長の方を向いていた。
【猿の手の手以外】の停滞の影響は、もうなくなったようだ。
「非殺傷。回復なし。戦闘不能判定あり。今の当て身で、あの子は退場扱いだな」
「戦いを求めた人が、一番初めに落ちちゃった……」
なんというか、諸行無常である。
けれど、そう呟いた私の視線の先で、烏丸局長が倒れた【猿の手の手以外】を抱き上げていた。
そのまま勝敗など忘れたように医療班を呼びながら走る彼の姿は、運動会で慌てる父兄を思わせて、まあ良かったんじゃないかと思えたのでした。
「まず、一番厄介な相手を落とせたな」
「開幕奇襲は正義だねえ。戦いの始まる前から幻術だったとは思うまい」
私の後ろで、暁灯くんと真白さんが悪い顔で頷き合っていた。うーん、さっきまでいい話っぽかったのになあ!
「……三対一か」
「久我先輩……」
最後に残った陰陽師の人が、懐から何枚ものお札を取り出しながら、言う。
「暁灯ォ。はっきり言って、お前に勝てる気はしない。ましてや、真白さんや姫岸の嬢ちゃんまでいるんだ。必敗だろう」
久我先輩の歳の頃は、暁灯くんより一回りほど上だろう。彼は、陰陽寮の若手ホープだという。
それ故に、暁灯くんとたまに組んで任務に出ることもあったらしい。
「だから、倒れる前に言っておく。……千歳のことは、すまなかった」
久我先輩は暁灯くんをまっすぐ見て、それから深く頭を下げた。
暁灯くんの表情が、ほんの少しだけ硬くなる。
「日本の呪的防衛は、あいつなしには成立していなかった。だから必要だった。……でも、必要だったから正しかったとは言えねえ」
頭を上げた久我先輩が、苦い顔で続ける。
「偉そうなことを言う資格はない。頼られても、力になれた気はしないし、今でも正解はわからねえ」
正直な言葉だった。綺麗ごとではない、一回り年下の暁灯くんに、胸襟を開く言葉。
「それでもなあ、せめて、せめてだ。何か相談してくれよ。一緒に戦ったこともある、仲間じゃないか」
暁灯くんは、黙って久我先輩の言葉を聞いていた。
いつもの、表情の薄い顔。
けれど、目元だけが少し硬い。
「……確かに、全部一人で決める前に、何か話してみても、よかったかもしれません」
「そうだぞ、暁灯。報連相は社会人の基本だ。まあ、お前はまだ学生だが、覚えておいて損はあるまいよ」
「そうですね…… では、報告します」
「おう」
「……実は、会話中に、久我先輩の足元へ陣を敷いてました」
「暁灯くん!?」
「お前なあ!?」
「い、いや、一応違うんですよ、一応」
珍しく、慌てた感じの暁灯くんが釈明する。
「仕掛けたのは、【猿の手の手以外】に攻撃する前でした。隠蔽した状態で、こっそりと組み上がっていく時限式の陣です」
隠蔽の術を解いたのか、久我先輩の足元に蒼い光を放つ陣が現れた。
「後々布石にもなれば程度の考えでとりあえず置いてみたら……」
「その上で、俺が悠長に話し出した、と」
「はい」
久我先輩は数秒逡巡し、どかっとその場に腰をおろした。
「俺も男だ! 掛かってしまった策略を無碍にはでき「あ、時限式なのでもう発動します」
暁灯くんと久我先輩の台詞は、陣から吹き上がった炎でかき消された。
「だ、大丈夫なのこれ!?」
「……た、多分」
燃え盛る炎は、数秒で消えた。……恐ろしく長い数秒だった。
煤けて黒っぽくなった久我先輩が、どうと倒れ込む。
「だ、誰かお医者さん呼んでー!」
医療班は、私が呼び掛ける前から既に動いていた。
久我先輩を担架に乗せ、回復スキルや祝詞が飛び交う。
「暁灯ォ! 今回はちょっと遅かったが、報告できたのは偉かったぞー!」
医務室へとドナドナされていく久我先輩が、声を張り上げて言う。
「……暁灯くん、もしかして陰陽寮の中でも結構甘やかされていたんですか?」
囁き声で、真白さんに問いかける。
私のその疑問に、真白さんは苦笑いで答えを返すのであった。




