09:サンドイッチと、聖騎士の本音
「咲希ちゃんは、暁灯をどうするつもり?」
きゅうりとハムのサンドイッチを食べながらの言葉だ。
真白さんの声は、今までと同じように軽かった。
だが、そこに何が込められているかは、考えるまでもなかった。
ゆっくりと、予め準備してきた言葉を口にする。
「……大前提として、暁灯くんに接触し、このダンジョンまで連れてきたのは、私だけの意思ではありません」
「いきなりそこまで認めるのは驚いたけど、まあそうでしょうねえ」
私の言葉に、真白さんが頷く。当然といった面持ちだ。
「提案と立案は私がしました。極秘扱いではありますが、社内のリスク審査も、役員会の承認も通っています。——つまり、これは通常の『業務』です」
「わお。そこまで真正面から言うんだ」
真白さんが、珍しく感心したような声を漏らした。
その反応に少しだけ嬉しくなるのは、彼女の裏をかけたからか。それとも、隠していた前提を打ち明けることができて、わずかに気が楽になったからか。
「……そこは、誤魔化しても意味がないと思ったので」
「まあね。私、そういうの嫌いだし」
私もです、と同調しかけて、口を噤む。今の自分が言えたことではなかった。
「私たち姫岸財閥は、国からダンジョンの管理と調査を請け負っています。それ自体は幸運もあって、他国と比べると順調に進んでおります」
けれど、その言い方がもう正しくないことを、私は知ってる。
「……いえ、順調に進んでおりました」
「アビス・ストーカー、ね」
「はい……」
その名前を耳にするだけで、指先が少し冷たくなる。
崩れる足場。
暗闇へ落ちていく浮遊感。
仲間たちの呻き声。
ミノタウロスの咆哮。
そして、そのすべてを嘲笑うように揺れていた、黒い影。
忘れたくても、忘れられない。
忘れさせられそうになっても、忘れられなかった光景だ。
「私たちは、あれに何もできませんでした。国内最上位の探索者パーティが、遭遇しただけで壊滅したんです。あれ以降、社内では第七東京ダンジョンのリスク評価が見直されました」
探索者の練度、装備、救護体制、脱出手段。
どれも不足していたわけではない。
不足していたのは、想定そのものだった。
「アビス・ストーカーのような個体に遭遇した場合、現行の探索者運用では対処不能。少なくとも、我々はそういった結論を出しております」
「で、その例外に対抗できたのが、暁灯だったわけだ」
「はい」
私は頷いた。
「だから、姫岸財閥は暁灯くんの力を検証したい。可能であれば、協力関係を結びたい。これは、姫岸としての総意です」
「姫岸としての、ねえ」
真白さんが、紙パックの紅茶にストローを刺した。
ちゅう、と音を立てて一口飲む。
「じゃあ、咲希ちゃんは?」
姫岸財閥としての判断なら、もう話した。
だから、この問いも予想通りのものだった。
暁灯くんの力が必要です。
千歳ちゃんを助けるためにも、第七東京ダンジョンの攻略のためにも、彼の協力は不可欠です。
ただし、彼を姫岸財閥の所有物のように扱うつもりはありません。
協力関係は、あくまで対等に。
彼の意思を尊重し、必要な休息を取り、無理のない範囲で——。
そんな、正しくて、無難で、暁灯くんや真白さんに聞かせるために整えた言葉を、私は用意していた。
「——私は、暁灯くんが欲しいんです」
だが、口から漏れた言葉は、自分でも予想していないものだった。
「……んん?」
真白さんが、紙パックの紅茶を咥えたまま首を傾げた。
「えっと」
私は、自分が何を言ったのかを一拍遅れて理解する。
欲しい。
人に対して使うには、あまりにも傲慢な言葉だった。
けれど、咄嗟に口から出たその言葉は、ひどくしっくりきた。
「そう、私は暁灯くんが欲しい。現状の彼は、勿体ない…… そうです、勿体ないんです」
「勿体ない?」
真白さんが、ようやくストローから口を離した。
「はい。暁灯くんは、千歳ちゃんのために戦っています。そこは疑いようがありません。けれど今の彼は、必要な情報も、設備も、正規の権限も、十分な休息もないまま、真白さんと二人きりで戦っている」
言葉にすると、胸の奥が少し熱くなる。
「それは、あまりにも勿体ないです」
暁灯くんは強い。
それはもう、嫌というほど知っている。
けれど、その強さは今、あまりにも狭い状況に押し込められている。
千歳ちゃんを守るために。古巣から逃げるために。
必要な霊石をかき集めるために。
まるで、刃こぼれした名刀を、鞘にも入れず、手入れもなく振り回しているみたいに。
「あなたたちの力は、もっと大きな場所で使えるはずです。千歳ちゃんを助けるためにも、ダンジョンを攻略するためにも、そして、アビス・ストーカーみたいな例外に対抗するためにも」
「だから、姫岸が使う、と?」
「……はい」
私は頷いた。
「それは、陰陽寮が私や暁灯、そして千歳を使っていたのと、どう違うの?」
真白さんの瞳が、私を見据える。
彼女が何を言いたいのかは、言うまでもなかった。
姫岸財閥は営利企業である。
国からダンジョンの管理を任されてはいるが、それだってボランティアなんかではない。
重責なのは確かだが、各所から、その投資や働きに見合うだけの対価や便益を受け取っている。その額は、素面で考えるのを諦めるほどだ。
だから、暁灯くんを手元に置こうと思えば、それは当然に姫岸という企業体に組み込むこととなる。
それは、陰陽寮が暁灯くんや千歳ちゃんを酷使していたのと、どう違うのか。
「私がいます!」
不意に沸いた激情のままに言い切る。
理屈としては、きっと足りない。
制度としても、保証としても、真白さんが求める答えにはなっていないのかもしれない。
それでも、ここだけは譲れなかった。
「姫岸財閥がどう判断しても、役員会が何を決めても、現場で暁灯くんたちと一緒にダンジョンへ入るのは私です。隊長は私です!」
胸の奥に、熱が灯る。
「だから、私が決めます。進むべき時も、休むべき時も、撤退すべき時も—— 隊長として、全部私が決めます」
「あなたたちを無為に使い潰すなんて、絶対にさせません!」
勢いのまま、胸に手を当てて言い放つ。
「そもそも、私は姫岸財閥の令嬢にして国内トップ探索チームのリーダーですよ!? 私が第一人者です。誰にも文句は言わせません」
「っ、あはははは!」
真白さんが、即座に吹き出した。
「そっかそっか。陰陽寮も姫岸もまとめて押し退けて、最後は『私が隊長だから私が決めます』なんだ」
「わ、笑うところですか!?」
「笑うところだよ。だって、すごいじゃない」
真白さんは、愉快そうにからからと笑った。
「陰陽寮と何が違うのかって聞いたら、返ってきた答えが『私』だよ。理屈としては雑も雑。けど、まあ」
真白さんが、隣部屋の扉にちらりと目をやる。
暁灯くんが寝ている寝室を。
「嫌いじゃないよ。そういう剛毅なの」
「剛毅……」
「うん。頼れる群れのリーダーって感じがする」
「……それ、褒めてます?」
「褒めてる褒めてる。半分くらい」
「半分ですか……」
「もう半分は、暁灯も大変なのに目をつけられちゃったねえ、って感想」
「えぇ……」
真白さんが、空になったサンドイッチの包装を畳みながら、改めて休息所を見回す。
軽い仕草だった。
けれどその目は、さっきまでのように私の言葉だけを測るものではなかった。
ソファ。キッチン。冷蔵庫。豊富な食料。
暁灯くんを寝かせた部屋と、私が用意した休むための場所。
それを見回す真白さんの目に、彼女なりの安堵が滲んでいる気がした。
「まあ、実際、よくしてくれてるのは分かるよ。こんないい部屋まで用意してくれたしねえ」
「……今日は急だったのでこの程度ですが、姫岸の本気は、こんなものじゃありませんよ?」
「おお?」
私の軽口に、真白さんが面白そうに眉を上げた。
「姫岸グループは、ホワイト企業ランキング八年連続ランクインの、正真正銘のホワイト企業です。医療支援、休養施設、食事補助、メンタルケア、全部あります。暁灯くんや千歳ちゃんだけじゃありません。真白さんだって、たっぷり福利厚生してさしあげますよ!」
「福利厚生」
「はい。福利厚生です」
私の回答に、真白さんが改めて吹き出す。
張り詰めていた空気が多少弛緩し、私も素直な笑みを浮かべることができた。
「さっきは群れのリーダーって言ったけど、違ったね。咲希ちゃんは、頼れる群れのボスだわ」
「……喜んでいいやつなんですよね? それ」
「いいよいいよ、大絶賛だよ」
真白さんはそう言って、畳んだ包装紙を軽く放り投げた。
その紙片は綺麗な放物線を描いて飛び、ゴミ箱の中にしっかりと着地する。
「じゃあ、認めてもらえたということでいいんでしょうか」
「んー、仮採用かな。群れのボス候補としては、だいぶ面白い。期待もしたい。でも、暁灯と千歳を預ける相手としては、まだ一日分しか見てないからね」
「厳しいですが、まあいきなり全幅の信頼を得られるわけはないですよね」
「そ。暁灯と千歳のことだからね。甘く採点する理由がない」
真白さんが微笑みながら右手を差し出す。
私も手を出し、握手に応じる。
真白さんの手は、ささくれも乾燥もない、しっとりと滑らかな手だった。
けれど、握り返された瞬間、その柔らかな感触の奥に、底の見えない圧のようなものを感じた。
「私は、千歳のためなら何でもするって言ったけど」
真白さんが、微笑んだままに言う。
「私は、暁灯のためにだって、何でもするからね」
「……肝に銘じておきます」
「最強主人公ものの宿痾たる語り部の空洞化に抗う」というのが本作の裏テーマなのですが、
それがちょうどいい感じにやれたと考えております。
俺の手続きもやってくれ! 確定申告とか!
本日は断章との二本更新です。
よろしくお願いいたします。




