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01:ダンジョンと、Lv1の陰陽師

 ——その日、私は負けて、守られて、そしてどうしても欲しい力に出会った。

 

 背後で瓦礫が崩れる音。

 首を断たれて事切れた、ミノタウロスの巨躯から滴る血の音。

 倒れた仲間たちの、呼吸になり損ねた呻き。

 そして、私たちを壊滅させたアビス・ストーカーの、嘲るような嗤い声。


 剣は、どこかに落としたままだ。

 疲労と負傷が身体を苛み、呼吸のたびに口の中を血の味が満たす。

 普段なら意のままに操れる合成カーボナイト製の大盾が、ひどく重い。


 しかし。

 生き残るために必要な情報を拾い集めるはずの脳が、いつの間にか別のものを探していた。

 逃げ道も、距離も、手札も。全部が霞んでいく。

 その代わりに——ひとつだけ、輪郭を持って届くものがあった。


 彼の声だ。

 それだけが、喧騒(けんそう)をまっすぐに貫いて、やけに近い。


急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう()()ぜよ」


 蒼い炎が、彼が構えた札の上で一瞬だけ瞬く。

 次の刹那、空気そのものが裏返った。


 ——————


 と、数分後のハイライトだけ切り取れば、まるで英雄譚のワンシーンだけれど。

 その少し前の私はというと、もっとみっともなく、地獄の中にいた。


 視界が、真っ逆さまに回転する。


「——っ、嘘でしょ、床が抜けるとか聞いてない……っ!」


 瓦礫と共に暗闇へ落ちていく浮遊感。

 全身を襲うのは風圧と、遅れてやってくる絶望だ。

 私の周りには、負傷したパーティメンバーたちが力なく空中に放り出されている。

 後衛の弓使いや魔法使いはもちろん、前衛の双剣士でさえ、ピクリとも動かない。さっきの『黒い影』の奇襲で、やられたのだ。


(私がやらなきゃ。私が守らないと——みんなが死んじゃう!)


 聖騎士なんてSランククラスに覚醒しておいて、誰一人守れず死にました、なんて話は許されない。

 私は唇を噛みしめ、恐怖を無理やり飲み込んでスキルを発動させる。


「《聖女の献身ラ・ピュセル・サクリファイス》ッ!」


 私の胸元から、眩い光が迸る。

 それは黄金の膜となって、仲間たち全員を包み込んだ。絶対防御と超回復を同時に行う、聖騎士の奥義。

 けれど、その代償は軽くない。


【警告:MP残量が枯渇しました。代償として生命力(HP)を徴収します】


 頭の中に響く無機質なシステム音声と共に、心臓を鷲掴みにされたような激痛が走った。

 意識がブラックアウトする。

 最後に見えたのは、どこまでも深い、ダンジョンの底の闇だった。


 ————————


 湿った土の匂いで、目が覚めた。

 重たい瞼を持ち上げると、そこは、見たこともない石造りの広間だった。

 苔や雑草が朽ちた石畳を貫き、方々にコロニーを形成している。

 燭台に灯る白色の炎が燐光を放ち、薄暗く空間を照らしている。


「うぅ……みんな、無事?」


 這うようにして周囲を確認する。黄金の膜に守られた仲間たちは、地面に横たわっているものの、息はあった。傷も塞がっている。

 よかった。守れたみたいだ。

 そう安堵して、私は身体を起こそうとし——地面に手をついて崩れ落ちた。


「っ……あ……力、が……」


 指一本動かすのも億劫だ。

 反射的に、視界の端にステータスウィンドウを呼び出す。


【姫岸 咲希/クラス:聖騎士/Lv29】

【HP:52/420 MP:0/260】


 MPは完全にゼロ。HPもレッドゾーン。今の私は、非力なただの女子高生——いや、それ以下だ。


 腹の底を揺さぶるような振動。

 重たい地響きが、広間の奥から聞こえた。

 心臓が早鐘を打つ。

 暗闇の中から現れたのは、見上げるほどの巨躯。

 牛の頭に、丸太のような筋肉の腕。手には無骨な巨大戦斧が握られている。


「ミノ……タウロス……っ!?」


 現れたモンスターは、見知った相手だった。何度か、討伐したことすらある。

 しかし、それはパーティメンバーが万全だった時の話でしかない。

 ミノタウロスの鼻息が荒くなり、血走った眼が私たちを捉えた。

 殺意。純度100%の暴力。


(動け、動け動け動けッ!)


 私は震える足に鞭を打ち、なんとか立ち上がって仲間たちの前へ出た。

 盾を構える。いつもなら羽のように軽かった愛用の大盾が、今は鉛のように重い。


 咆哮が、空気を裂いた。

 腹の底を直接殴られるような、獣の声。

 次の瞬間には、巨体が眼前に迫っている。

 速い。

 私は歯を食いしばり、防御姿勢を取る。スキルは使えない。ただ、姿勢だけの受け。

 衝撃。腕が痺れ、膝が沈む。


「ぐ、ぅあッ……!」


 真正面から受け止めたら、この身体じゃ保たない。

 咄嗟に盾の角を傾け、戦斧(せんぷ)の刃を横へ滑らせた。

 剣技でも、スキルでもない。何十、何百と敵の攻撃を防いできたからこその、経験則だ。

 斧の重さに引きずられるまま、仲間たちから離れる方向へ半歩ずれる。

 ——狙い通り。ミノタウロスの視線が、倒れた仲間たちから私へ移った。


 だが、それが限界だった。

 横薙ぎに繰り出された二撃目を受ける余力はもう残っていない。

 身体ごと吹き飛ばされ、背中を壁に打ち付けられた。肺の中の空気を全て吐く。視界が赤と黒に明滅する。

 遠くで、ミノタウロスが再び戦斧を振り上げているのが見えた。狙いは、気絶している仲間たち。


(やめ、て……)


 声が出ない。

 間に合わない。

 誰も守れず、私はここで終わるの?


 絶望に目を閉じかけた、その時だった。


「——はいはい、どいたどいた」


 頭上から、間の抜けた軽い声が降ってきた。

 ヒュッ、と空気を裂く音。


 銀光、一閃。

 乾いた切断音が響いた。

 次の瞬間、振り上げられていたミノタウロスの剛腕が、そして牛頭が、ズレて地面に落ちた。

 血飛沫が舞う中、巨大な胴体がどうっと音を立てて倒れ伏す。


「はい……?」


 呆然とする私の視線の先に、ひとりの女性が立っていた。

 無造作に波打つ銀色の長髪を腰まで伸ばした長身の女性だ。歳の頃は20台中盤くらいだろうか。

 トレンチコートを羽織り、編み上げブーツを履いている。

 その手には、身の丈ほどもある長い刀——長巻(ながまき)が握られていた。


「硬いわねぇ、ここの牛。刃こぼれしそう」


 彼女はまるで散歩中のような気楽さで長巻を振るい、刀身についた血を払った。

 剣技スキル特有のエフェクトも、予備動作もなかった。

 ただの斬撃。それだけで、あのミノタウロスを即死させた?


「あなた……一体……?」

「ん? ああ、通りすがりの探偵よ。気にしないで」


 探偵。

 この状況で一番意味のわからない単語が返ってきた。


 だが、事態はそれで終わらなかった。

 倒れたミノタウロスの影から、ズルリと「何か」が滲み出してきたのだ。

 黒い、不定形のモヤ。

 ——さっき、私たちのパーティを壊滅させた元凶。

 ギ、ギ、と、耳障りなノイズが、影の奥で軋んでいる。何かの鳴き声というより、壊れた機械が嗤っているような音だった。

 

 影が鎌のように変形し、銀髪の女性(探偵?)へ襲いかかる。

 彼女は眉をひそめて長巻を振るったが——刃は影をすり抜ける。


「物理無効? 面倒くさい!」


 恐ろしい速度で振り回される鎌を避けつつ、女性は長巻を一度手放し、両手で印を結んだ。

 床へ落ちるはずの長巻は、なぜか空中で掻き消える。

 周囲の空気が微かに歪み、影のモヤが怯んだように揺らぐ。まるで、そこに莫大な熱量があるかのように。

 だが、彼女はすぐに息を吐き、歪みを抑え込んだ。

 彼女の視線が、ちらりと私の背後、気絶した仲間たちへ向く。


「……駄目ね。ここで焼くと、そこの子たちまで巻き込む」


 影の化物は彼女を警戒したのか、標的を変えた。

 より弱い獲物——私の方へ。


 上層で奇襲されたときは、視認することすら難しかった。

 だが今は、その姿が嫌というほどはっきり見えた。

 鑑定スキルによって、頭上にステータスが表示される。


【ワンダリングモンスター:アビス・ストーカー/Lv82】


 私と比べて、50を超えるレベル差。絶望が心臓を満たす。


 ノイズが、甲高く跳ねた。

 アビス・ストーカーの鎌が振り上げられる。

 身体が動かない。死——


「——(バク)


 私の隣で、短く、凛とした声が響いた。

 その瞬間、振り下ろされようとしていた鎌が、見えない鎖に絡め取られたように空中でピタリと停止した。


 嗤うようだったノイズが、初めて、音を詰まらせた。


 私の隣に、ひとりの少年がいた。

 私と同じ高校の制服。少し癖のある黒髪。

 立ち姿は妙に隙がないのに、何故か気だるげな背中。

 

「逃げてッ! 君じゃ無理だ!」


 私は反射的に叫んでいた。

 彼の上に浮かんでいるステータスが見えてしまったからだ。


 【宵町(よいまち) 暁灯(あきと)/クラス:なし/Lv1】


 高位のモンスターは、レベル差による威圧(プレッシャー)だけで人を行動不能にすることすらある。

 私は彼をかばおうと、動かない身体を無理やり引きずる。


 けれど、彼は平然としていた。威圧なんて、そよ風程度にも感じていないように。


「下がっていていいよ、聖騎士さん」


 彼は懐から一枚の紙片——お札だろうか——を取り出すと、指に挟んで構えた。

 何度も見てきた、スキルや魔法発動のエフェクトとは違う。その指先に灯ったのは、もっと静謐で、澄んだ蒼い光。


 ノイズが、怒りの形に膨れ上がった。

 束縛を振りほどいた影が、彼に飛びかかる。

 その鎌には即死級の呪詛が纏わりついている。カス当たりでもすれば、終わりだろう。


 だが、少年は臆さない。

 ただ一歩踏み込み、振り下ろされる鎌を避け、影の中心——顔とおぼしき場所へ、その札を叩きつけた。


「——急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう()()ぜよ」


 爆音。

 衝撃波が広間を揺らした。

 私の知る魔法とは違う、純粋な力の炸裂。

 黒い半身が一瞬にして弾け飛び、影は壁に激突して体勢を崩した。


 そして——嗤い声が、止んだ。

 Lv1の、取るに足らないはずの存在から、理不尽な火力を叩き込まれた。

 ずっと私たちを嘲っていたあの音が、初めて、黙ったのだ。

 ……あれは多分、恐怖だ。


「チッ、浅いか。やっぱり、ダンジョン産の奴は身体の構造が違うな」


 少年——宵町暁灯(よいまちあきと)くんは舌打ちして、二枚目の札を取り出そうとする。

 だが、ふと彼の視線が私の背後に向いた。

 そこでは、崩落に巻き込まれた私の仲間たちが、苦しそうに呻き声を上げていた。ある程度回復はしたが、まだ危険な状態だろう。


「……追撃はやめだ。怪我人の処置が遅れる」


 彼は構えを解くと、手にした札を私たちを囲うように配置した。光が、私たちの周囲に張り巡らされる。

 結界だろうか?


 その隙に半身を欠いた影は、黒い霧のように形を変えてジリジリと後退する。


暁灯(あきと)! 逃げるよ! 魔石がもったいない!」


「今は生存者優先だ、真白(ましろ)。こっちを手伝ってくれ」


 数秒の膠着の後、黒い霧は捨て台詞のようなノイズを残して、この場から消え去った。

 同じ時間だけ軽快した女性と少年が、武器をおろして私の方へと向き直る。

 

 しゃがみ込んで私の顔を覗き込む彼の瞳は、とても静かだった。


「怪我は……まあ致命傷はないみたいだな。頑丈で助かる」


「あ、あの……あなたたち、は……」


「助けてやった礼代わりに、一つ頼みがある」


 彼は私の質問を遮って、すっと手を伸ばしてきた。

 冷たい指先が、私のおでこに触れる。


「今見たことは、全部忘れてくれ」


 彼の指先から、奇妙な力が流れ込んでくるのを感じた。

 意識が急速にまどろんでいく。記憶が、水に溶けるインクのように薄れていく感覚。


(あ……れ……?)


「おやすみ。起きたら、地上だ」


 優しい声と共に、私の意識は途絶えた。


 ——————


『この世界にダンジョンが生まれて二ヶ月。ダンジョンの探索と調査は今もなお、全力で進められております』


 病室のテレビが、聞き慣れたニュースキャスターの声を流している。


『ダンジョン内部で確認された「レベル」や「スキル」、「魔法」といった概念の解明は急ピッチで進んでおり、各国政府は探索者の育成と保護に関する法整備を急いでいます。一方で、ダンジョンがなぜ出現したのか、その根本的な原因については依然として不明のままです』


 画面が切り替わった。

 私だ。先週収録された、広報用のインタビュー映像。


『Sランククラス探索者として活躍する姫岸(ひめぎし)咲希(さき)さん。彼女が所属するパーティは、連日のダンジョン探索で数々の成果を上げています』


 画面の中の私が、カメラに向かって微笑んでいる。台本通りの完璧な台詞に、完璧な笑顔。

 

『ダンジョン探索事業への寄付、及びボランティアスタッフのお申し込みは、画面下部の連絡先まで——』

 

 看護師さんが気を遣うようにチャンネルを変えようとしたが、私は首を振って止めた。


 私たちがダンジョン探索に失敗したことは、極秘事項となった。

 このタイミングで危険を声高(こわだか)喧伝(けんでん)することは社会情勢上よろしくない。そういった判断だ。


 ……あの奇襲で負った骨折や裂傷は、ダンジョン産の回復薬で綺麗に完治した。難病を抱えた誰かや、事故で大怪我をした誰かの希望を、私が先に奪って、だ。


 目をそらすことは、許されなかった。


 ——————


 久々に、学校に出席した。昼休み終わり頃からの、重役出勤だ。

 私がダンジョン探索者であることは公開情報だ。好奇の視線が、身体に突き刺さる。だが、流石は進学校というべきか、不躾(ぶしつけ)に話しかけてくる人はいなかった。

 そして、退屈なショートホームルームが終われば、あとは放課後——自由な時間だ。


 私は自分の席から立ち上がり、教室の窓際、一番後ろの席へと真っ直ぐに歩いていく。

 クラスメイトたちがざわつく。


「えっ、姫岸(ひめぎし)さん?」

「聖騎士さまがあんな陰キャのとこに何の用?」


 そんな雑音は聞こえないふりをして。

 私は、窓の外をぼんやり眺めて欠伸をしている、その男子生徒の机の前に立った。


「……ん?」


 気配に気づいた彼、宵町暁灯(よいまちあきと)くんが、けだるそうに顔を上げる。


「……何か用? 姫岸(ひめぎし)さん」


 彼は完全に「ただのクラスメイト」を演じていた。

 私が何も覚えていないと思っているのだ。


 私は彼から目を逸らさず、予め用意していた書類を彼の机に置いた。

 公的機関から発行される、スキル証明書。

 そこには、私の持つ力の一端が記されていた。


聖騎士の誓いオース・オブ・ホーリーナイト:意志力を高め、自らを対象とした精神関与系スキルの成功率を著しく下げるパッシブスキル】


 それを読んだ彼の瞳が、少しだけ揺れる。


「まあ、そういうことなので」


 私はニヤリと笑ってみせた。


「この間は、助けてくれてありがと。——この後、時間ある?」


「……あります」


 観念したように、彼が小さく肩を落とす。

 その反応だけで十分だった。彼がただの一般人ではなく、あの暗闇の中で私たちを救ってくれた「本物」であるという証明には。


 教室中が「え、告白?」「嘘だろ!?」とどよめき始めるけれど、そんなのはどうでもいい。

 私は彼の腕を引いて、歩き出した。


 さあ、教えてもらおうじゃないの。

 レベル1の陰陽師と、銀髪の探偵さん。そして、この世界の裏側のことを。


はじめまして。

現代ダンジョン×陰陽師×令嬢聖騎士という、超わかりやすいエンタメ小説です。

いわゆる「放課後退魔戦記もの」


わたしはこういうのが好きです! という思いで書きました。

初回は3話+断章まで、以降完結まで毎日20時投稿予定です。


続きも楽しんでいただけましたら、ブックマーク・評価などで応援いただけると嬉しいです。

どうぞよろしくぅ!

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