第17話 一晩の静寂と、職人魂の結晶
王宮の厨房に戻るなり、ミアは早速買ってきたばかりのうるち米を大きなボウルに開けた。
清らかな湧き水を注ぎ、手のひらで優しく、けれど素早く米を研いでいく。
濁った水を捨て、また新しい水を注ぐ。その動作を、水が完全に透き通るまで何度も繰り返した。
「ミア、もう十分綺麗だと思うが。なぜそこまで洗うんだ?」
護衛任務を終えて厨房を覗き込んだカイルが、不思議そうに尋ねる。
「表面の糠の匂いや汚れを完全に落とさないと、お菓子にした時に雑味が残ってしまうんです。……よし、これで完璧です!」
ミアは最後にたっぷりの水をボウルに張り、満足げに頷いた。
「お米の芯までしっかり水を吸わせるため、このまま一晩じっくり寝かせます。最高のお団子を作るには、この時間が絶対に必要なんです。ですから、お花見は明日の昼にしましょう!」
ミアが嬉々として宣言すると、ちょうど厨房に様子を見に来ていた第一王子ミハエルの足がピタリと止まった。
「……明日、だと?」
「はい!明日の昼頃には、美味しいお菓子が完成する予定です。ミハエル殿下も、ぜひご一緒に……」
「ならば、明日までに数日分の公務をすべて終わらせる必要があるな」
ミハエルの碧の瞳に、氷のような冷徹な光……いや、お菓子への並々ならぬ執念が宿った。
「カイル、シャルロッテ。私に明日昼までの間、一切の面会を取り次ぐな。食事も執務室で取る。……ミア、明日の昼、必ず私を迎えに来い。絶対にだぞ」
「は、はいっ!頑張ってください、殿下!」
ミハエルは風のような速度で踵を返し、執務室へと消えていった。
その後、王宮の文官たちが「殿下の筆の速度が常軌を逸している」「書類の山が物理法則を無視して消えていく」と悲鳴を上げることになるが、それはまた別の話である。
翌朝。
厨房に差し込む朝陽の中で、ボウルの中のうるち米はたっぷりと水を吸い、純白に白濁していた。
「おはようございます。いい具合に水を吸っていますね」
ミアは米をザルに上げ、しっかりと水気を切る。
そして、清潔な麻の布巾を広げ、その上に米を薄く平らに広げていった。
「表面の水分が飛んで、サラサラになるまで乾燥させます。風通しの良い場所に置いておきましょう」
数時間後、完全に表面が乾いた米を前に、ミアは腕まくりをした。
彼女の視線の先には、王宮の隅で眠っていた巨大で頑丈な石臼が鎮座している。
「カイル殿下!お約束通り、腕の筋肉の準備はよろしいですか!」
「……ああ。朝の剣の素振りは軽めにしておいたぜ」
渋い顔をしながらも、カイルは袖をまくり上げて巨大な石臼の前に立った。
彼ほどの腕力があれば、重い石臼も軽々と回せるはずだ。
「いきますよ。私がお米を少しずつ落としていくので、一定の速度で挽いてくださいね」
ミアが石臼の穴にパラパラと米を落とすと、カイルが剛腕を振るってゴリゴリと石臼を回し始めた。
重低音が厨房に響き、石臼の隙間から真っ白な粉が少しずつこぼれ落ちてくる。
「おい、こんなもんでいいか?」
「いえ、まだまだです!もっと均一に、そして細かく!お米の粒が完全に消えるまで、何度も何度も挽き直すんです!」
「マジかよ……これ、演習よりきついかもしれないぞ」
文句を言いながらも、カイルの手は止まらない。
彼の額に汗が滲む頃、ミアは挽き上がった粉を集め、目の細かい絹のふるいにかけた。
シャカシャカとふるいを揺らすと、雪のように真っ白でサラサラの粉がボウルに降り注いでいく。
「……すごいです。完璧な『自家製・上新粉』です!」
ミアはボウルの中の純白の粉をすくい上げ、うっとりとしたため息をついた。
それは、異世界の誰も見たことのない、お米の甘みと香りを極限まで閉じ込めた魔法の粉。
「よし。これでやっと、お団子の生地作りに入れます!」
「……やっと、だと?俺の腕はもうパンパンなんだが」
カイルの疲労に満ちた呟きを背に、ミアの職人魂はさらなる熱を帯びて燃え上がっていくのだった。











