第16話 幻桜の並木道と、明日の約束
王都の喧騒を抜け、カイルの先導で街の外れへと向かうと、そこには息を呑むような光景が広がっていた。
視界を埋め尽くすほどの、淡い薄紅色の天蓋。
なだらかな丘に沿って植えられた無数の木々が一斉に満開を迎え、春の風が吹くたびに花吹雪が舞い散っている。
「わあ……っ」
ミアは感嘆の声を漏らし、その場に立ち尽くした。
前世で見たどの桜名所よりも見事で、幻想的な美しさだ。
「これが幻桜ですのね。王宮の庭園にも数本ありますけれど、これほど群生している場所があったなんて」
シャルロッテも扇子を下ろし、うっとりとその景色を見上げている。
「ああ。ここは騎士団の演習場へ向かう裏道だからな。貴族連中は泥濘を嫌って寄り付かないが、俺はこの時期のここが一番好きだ」
カイルが腕を組み、誇らしげに鼻を鳴らす。
ミアは足元に視線を落とした。
ふかふかの若草の上に、散ったばかりの新鮮な花びらがふわりと乗っている。
傷ひとつない、綺麗な薄紅色の花びらだ。
(これなら、色と香りをしっかり抽出できるわ)
和菓子職人としての血が、静かに、けれど確実に騒ぎ始めた。
「あの、カイル殿下、シャルロッテ様。明日、ここで『お花見』をしませんか?」
ミアは振り返り、目を輝かせて提案した。
「お花見?こうして花を愛でているではないか」
「いいえ、ただ見るだけじゃなくて……この美しい木の下に敷物を敷いて、みんなで座って、美味しいご飯やお菓子を食べるんです!」
その言葉に、カイルとシャルロッテは目を丸くした。
「地べたに座って飯を食うだと?それは野営の時の作法だぞ。高貴な身分の者がすることじゃ……」
「まあ!野外での晩餐会ということですのね!なんて斬新で素敵なのかしら!」
カイルの常識的なツッコミを、シャルロッテの熱狂が完全に上書きした。
「わたくし、すぐに王宮の侍女たちに最高の絨毯とクッションを用意させますわ!ミアが美味しいお菓子を作ってくれるのなら、そこはもう世界で一番優雅なサロンですもの!」
「おいおい、本気か……。まあ、ミアがやりたいなら、俺は護衛として付き合うが」
渋々といった態度のカイルだが、その顔にははっきりと期待の色が浮かんでいた。ミアの作るご飯とお菓子が食べられるのだから、断る理由など彼にあるはずがない。
「ありがとうございます!そうと決まったら、市場へ戻りましょう!最高のお菓子を作るために、絶対に譲れない食材があるんです!」
ミアは綺麗な花びらをハンカチに大切に包み込むと、急ぎ足で市場へと引き返した。
再び市場の雑踏に戻ったミアは、穀物を扱う大きな商店の前に立っていた。
「お嬢ちゃん、お菓子を作るならこの上等な『小麦粉』はどうだい?パンやケーキならこれが一番だぞ」
気のいい店主が白い粉の入った袋を勧めてくる。
カイルも「それでいいじゃないか。手間が省けるぞ」と頷いた。
しかし、ミアは首を横に振った。
「いいえ。小麦粉じゃなくて、お米を探しているんです。それも、一番新しくて艶のいいものを」
「お米かい?なら、こっちの『砕き米』はどうだ。スープのトロミづけや、リゾットにするならすぐに煮えて便利だぞ」
店主が指差したのは、あらかじめ粗く砕かれた米だった。
だが、ミアの瞳には一切の妥協を許さない職人の鋭い光が宿っている。
「ダメなんです。あらかじめ砕かれて時間が経つと、お米本来の甘みと香りが飛んでしまいますし、私の作りたいお菓子には細かさが足りません」
ミアは店主の奥にある、麻袋が積まれた棚をビシッと指差した。
「あそこにある、一番上質な『うるち米』を粒のままください!私が自分の手で、水に浸して極限まで細かい粉……『上新粉』を挽き出してみせます!」
「ひ、挽くって……お嬢ちゃん、わざわざ粒の米から粉を作る気かい!?」
店主が驚愕の声を上げる。この世界では、米はそのまま煮るか粗く砕くのが一般的で、お菓子用の微細な粉末にする技術も発想も存在しないのだ。
「はい!たっぷりの水に一晩浸して、完全に乾燥させてから石臼で挽けば、これ以上ない極上の粉になります!最高のお花見には、最高の弾力を持った丸いお菓子……『お団子』が必要なんです!」
「……出たな。お菓子変態モードだ」
カイルが額に手を当てて天を仰ぎ、シャルロッテは「さすがわたくしのミアですわ!」と拍手喝采を送っている。
「カイル殿下、王宮の厨房にある一番重い石臼を使いますから、明日の朝は腕の筋肉を温めておいてくださいね!」
「……やっぱり俺が回すのかよ」
呆れながらもまんざらではない様子の騎士団長と、やる気に満ち溢れたお菓子オタクのメイド。
春の嵐を巻き起こす三色団子の準備が、今、猛烈な勢いで幕を開けた。











