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第七話_こちら側の人間

幸の案内に従い辿り着いたのは、街外れにひっそりと佇む小綺麗な薬種問屋であった。

清十郎は、まるで行きつけの店を訪れる若旦那のような軽やかで迷いのない足取りで暖簾をくぐる。


「お邪魔しますよ。」


その穏やかな声に応じ、奥から一人の初老の男が姿を現した。

柔和な笑みを湛え、いかにも「街の良心」を体現したような、温厚そうな薬師である。


「おや、幸ちゃんじゃないか。お母さんの具合はどうだい?お薬はしっかり効いているかな?」


薬師は、慈愛に満ちた声でしれっと問いかけた。

その厚顔無恥な態度に、幸は小さく肩を震わせ、喉の奥から絞り出すような怒りをぶつけた。


「…あのお薬、毒だったんでしょ?お母ちゃんを治すどころか、ただ苦しめて殺すための…!」


薬師は一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに困り果てたような苦笑いを浮かべて首を振る。


「何を言い出すんだい、人聞きの悪い。私は六助さんの苦境を見かねて、特別に…。」


「――これのことですか?」


清十郎の手が動いた。

懐から取り出された赤黒く濁った薬の椀が、音もなくカウンターへと置かれる。


「毒ではないと仰るのなら、今ここで貴方が飲み干し、証明していただけますか?」


清十郎の向けた「一片の曇りもない笑顔」。

それに射すくめられた薬師は、本能的な恐怖を覚えたのか、蛇に睨まれた蛙のように表情を凍らせた。


「…どちら様で?」


「ああ、失礼。僕は幸ちゃんの腹違いの兄ですよ。この薬を飲ませても、一向に母さんの症状が良くならなくて。」


清十郎はそう言って、逃げ場を塞ぐように椀を薬師へ差し出した。

微笑む清十郎とは対照的に、幸は涙を浮かべて薬師を凝視している。

すると、薬師は観念したように深い溜息をつき、その貌から偽善の仮面を剥ぎ取った。


「…チッ、余計な男を連れてきおって。」


薬師は椀を乱暴に奪い取ると、そのまま地面に叩きつけた。


「病人がのたうち回り、苦しみ抜いて死んでいくように私が調合した特製の薬を、毒だなんて人聞きの悪い…。」


狂気に満ちた告白に、幸は息を呑み後ずさる。

だが、清十郎はただ退屈そうに首を傾げただけだった。


「…趣味が悪いですね。なぜ、そのような真似を?」


「絶望に満ちた哀しみこそが、魂の救いなのだよ。その至高の理がお前たちには解らんのか?ああ、お前たちの母が、最後にどんな表情で果てるのか、この目で拝みたかったものだ!」


恍惚とした表情で語る薬師。

幸が怒りに耐えかねて掴みかかろうとするが、それを清十郎が手制した。


「至高の考えとやらは理解しかねますが…そういうことでしたら、薬の代金は払わなくてもいいですよね?」


「何を言う!絶望を、最高の哀しみを与えてやったのだ!それ相応の対価は貰い受ける! 金がないと言うのなら…その良い表情で泣きそうな、お前の妹を代わりにもらおうか!」


薬師が手を叩いて合図を送ると、奥の間から屈強な僧兵が二人現れた。


「さあ、妹を置いてとっととお引き取り願おうか!」


薬師の言葉に応じ、一人の僧兵が清十郎の肩に手を伸ばす。

その刹那、清十郎の身体が独楽のように鋭く回転した。

抜刀すらしない。

鞘に収まったままの刀の柄頭つかがしらが、先行した僧兵の溝落ちを深々と抉り抜いた。


「がっ…!」


肺から空気を強制的に排出された僧兵は、悲鳴を上げることさえ許されず、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる。


「なっ、何をしている!殺せ、そいつを殺してしまえ!」


狼狽する薬師の叫びを受け、もう一人の僧兵が刀を抜き放つ。

だが、清十郎はそれを軽くいなし、相手が振り下ろした力の流れをそのまま利用して、掌底で頸椎を強く弾いた。

鈍い衝撃音が響き、二人目も呆気なく畳の上へと沈む。

その一部始終を見ていた薬師は腰を抜かして震える。


「ひ、ひぃっ…!何でもする、命だけは、命だけは助けてくれ!」


「では、お店にあるお金を、すべてここへ持ってきてくれますか?」


清十郎の静かな要求に、薬師は顔を青くして捲し立てた。


「わ、私は命令されただけなんだ!哀眼寺だ!私に薬を作らせ、売りつけるように命じたのは哀眼寺なんだよ!場所なら教える、それで勘弁してくれ!」


哀頑寺の場所を話す薬師。


「ありがとうございます。お礼を言いますよ。」


清十郎は一度だけ頷き、再び満面の笑みを向けた。


「――では、次はこのお店の蓄えをすべて持ってきてください。」


「…は?」


「全財産だけでいいですよ。お店そのものを下さいなんて、贅沢は言いません。」


「え…いや、それは…。」


「断るんですか?それは残念です…。」


清十郎の手が、吸い付くように刀の柄にかかる。

その瞬間、店内の空気が一気に凍りついた。

死の予感に支配された薬師は、悲鳴を上げながら奥へ走り、血相を変えて千両箱を抱え戻ってきた。

清十郎はその金を、そのまま幸の手に強引に押し付ける。


「こんなに貰えない……!」と拒む幸の指を、彼は優しく、しかし抗えぬ力で封じた。


「案内のお礼ですよ。それと…どんな理由があったにせよ、僕が貴方のお母さんに引導を渡した償いです。このお金を持って、他の街で六助さんとやり直してください。」


幸の瞳から涙が溢れた。

「ありがとうございます…」と、深々と頭を下げる。


「それと――」


清十郎が何かを言いかけた、その時だった。


「…そ、それで、私めは…私めは助けてくれるんですな?」


背後から届いた、卑屈な笑みを含んだ薬師の呟き。


――シュッ。


断裁するような、無慈悲な一閃。

言葉が終わるのとほぼ同時に、薬師の首が床を転がった。

壁に鮮血の帯が走り、薬師の胴体がゆっくりと倒れ伏す。


「ひ…あぁあ…っ!!」


幸は恐怖に顔を引きつらせ、腰を抜かして尻餅をつく。


「ご覧の通り、僕はあちら側の人間です。恩義を感じる必要はありませんし、今後は関わらない方がいいですよ。」


清十郎はいつもの笑顔でそう告げると、床に転がっている僧兵たちの喉笛を、まるでお決まりの作業でもするかのように、淡々と突き刺して止めを刺していく。

血の海となった店内で、震えが止まらない幸に、清十郎は突き放すような言葉を投げた。


「こんな現場を見られてしまったら、本来は貴方も始末しなくてはいけないんですが。…逃げなくていいんですか?」


その冷徹な一言に、幸は弾かれたように跳ね起き、一目散に店を飛び出していった。

その背中を静かに見送りながら、清十郎は刀の血を拭い、独り言をこぼす。


「…僕は女の人には手を出さない主義なんですけどね。」


ふと、幸の母を殺めた際の手応えが右手に蘇る。

懇願されたとはいえ、自身の主義に反する行為を強いられた事実。

その不快感が、いつもの笑顔の裏側で、どす黒い苛立ちとなって滲み出していた。


「…さて。口直しに、哀眼法師の首でも貰いに行こうかな。」


清十郎はそう呟くと、夜の帳の向こう、哀眼寺へと静かに歩を進めた。

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