↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/14

第六話_毒を喰らう白蛇

凛と別れた清十郎は、独り京の夕闇に溶け込んでいた。

雅やかな表通りの喧騒から一歩路地へ踏み外せば、そこには死臭にも似た澱んだ空気が流れている。

清十郎は愛刀の感触を確かめながら、どこか退屈そうに街を歩いていた。


「…さて、凛さんなら今頃、あの派手な寺で存分に踊っている頃でしょうか。」


独りごちた彼の足を止めたのは、路地裏から響く下卑た怒鳴り声と、押し殺したような啜り泣きだった。

視線の先には、数人の屈強な僧兵。

そして、毒々しい法衣を纏った僧侶が一人。

彼らに囲まれているのは、身なりの貧しい初老の男と、その傍らで震える十二歳ばかりの少女であった。

少女は幼さを残しながらも、その瞳には大人びた絶望を宿している。


「――お主らのような下民の命、慈眼の御仏に捧げられるだけでも名誉と思え。」


僧侶の放言に、男は地面に額を擦り付けて懇願していた。


「…お、お許しを。金は必ず返します。ですから、娘だけは…幸(さち)だけは連れて行かないでくだされ…!」


街ゆく人々は関わりを恐れ、目を逸らしてこの惨状を避けて通り過ぎていく。


「僧侶…。これは情報の価値がありそうですね。」


清十郎の口角が僅かに上がった。

彼は気配を瞬時に消し、どこにでもいる「お人好しの若旦那」の顔を作る。


「おや? 奇遇ですね、こんなところでお会いできるなんて。」


清十郎は、槍に手をかけた僧兵の前にひょいと現れた。

満面の笑み。

一点の曇りもないその表情に、僧兵は毒気を抜かれたように動きを止める。


「…なんだおぬしは?」


「ああ、申し訳ありません。あまりに懐かしい顔を見かけたもので。」


清十郎は僧兵を軽くかわすと、地面に伏す男――六助の元へ駆け寄る。


「父さん! 探しましたよ! まさかこんな京の片隅で借金に苦しんでいるなんて…。幸も、見ないうちにこんなに大きくなって。」


「…え? 父、さん?」


六助が呆然と顔を上げる。

幸もまた、涙に濡れた瞳で見知らぬ青年を見上げた。

清十郎は素早く六助の肩を抱き寄せ、言葉を遮るように囁いた。


「いいんですよ、何も言わなくても。さあ、このお坊様たちと何のお話をされていたんですか? 家族として、僕も力になりたいんです。」


そんな姿に、僧侶は鼻を鳴らして吐き捨てた。


「ふん、ちょうどいい。ならば貴様が払え。この六助、薬代だ何だと抜かして我が寺から多額の金を借りながら、一文も返さぬ不届き者だ。そのケジメとして、娘を女街へ売り払うことに決まっておる。」


「…なるほど。病の薬代、ですか。」


清十郎は静かに頷くと、懐から重みのある財布を取り出し、無造作に僧侶へ差し出した。


「これは僕の蓄えです。どうかこれで収めてはいただけませんか? 家族が離れ離れになるのは、忍びないですから。」


僧侶は財布を奪い取ると中身をあらため、嘲笑を浮かべる。


「…ふん、端金だな。せいぜい今月の利子分にしかならんわ。来月までに残りの元金を耳を揃えて用意しておけ。さもなくば、わかっておろうな?」


僧侶たちは六助を一度蹴り飛ばすと、勝ち誇ったように去っていった。


◇◇◇


六助に連れられた家は、湿った土の匂いが染み付いた、小さな料理屋の奥座敷だった。

そこには、骨と皮ばかりに痩せ細り、荒い息を繰り返す六助の妻が横たわっていた。


「…お母ちゃん、今、お薬を。」


幸が震える手で枕元の椀を手に取る。

そこには赤黒く濁った液体が残されていた。

清十郎はその椀を手に取り、微かに鼻を近づける。

一瞬、その瞳が氷のように冷たく細まった。


「…これを、買ったのですか?」


「ええ…。非常に高価な薬ですが、これを飲めば必ず治ると、医師の方が。」


清十郎は無言で椀を置く。


「これは薬ではなく『毒』です。病を治すどころか、苦しみを持続させ、金を絞り出すためだけに作られた粗悪な紛い物ですよ。」


「な…っ!?なんで薬師でもないあんたに分かるんだ?」


「商売柄、こういった物に触れる機会も少なくないですから。現に、これを飲んでお母さんは少しでも良くなりましたか?」


二人が絶句する中、清十郎は女性の傍らに膝をついた。

彼女は先ほどの言葉を聞いていたのか、何かを必死に訴えるような眼差しを清十郎に向ける。

喉からはヒューヒューと苦悶の音が漏れている。

清十郎は、その唇にそっと耳を近づけた。


「こ…して…さい。」


掠れた、風の音のような懇願。

清十郎は、迷いなく腰の脇差を抜いた。


「清十郎さん…何を?」


六助の言葉が終わるより早く、清十郎は女性をそっと抱き起こした。

そして、その頸椎の隙間に脇差の切っ先を正確に差し込む。

抵抗も、声もなかった。

鋭い刃が中枢を断った瞬間、苦しげな喘ぎは止まり、女性の身体から力が抜けた。


「あ、あああああ…っ!何を、何をした!!」


「お母ちゃん! お母ちゃん!!」


六助は叫び、幸は母親の亡骸に縋り付いて慟哭する。

清十郎は脇差の血を静かに拭い、鞘に納めた。


「…痛みはなかったと思いますよ。」


静かに告げる清十郎に、掴み掛かろうとした六助だったが、それを幸が制止する。


「父ちゃん…見てよ、母ちゃんの顔。」


母親の穏やかな死に顔。

震える手でその冷たい頬をなぞる幸。

六助の慟哭が、静かな嗚咽へと変わった。


「あんなに苦しそうだったのに、今は…笑っているみたい…。」


◇◇◇


一刻ほど置き、落ち着きを取り戻した二人に清十郎が話しかけた。


「命を絶ってほしいなんて、お二人には頼めなかったんでしょうね。」


淡々とした、それでいて逃げ場のないほど説得力のある言葉。

二人がゆっくりと振り返ると、そこには立ち上がる清十郎の姿があった。


「あんたは、一体…?」


「通りすがりの、あなたの息子、ですよ。」


初めて会った時と変わらない、何の曇りもない笑顔で清十郎は答えた。

問いを重ねようとする六助を遮り、彼は続ける。


「さて…六助さん。母さんの命を弄び、幸さんの未来まで奪おうとした連中が、まだ平然と笑っています。これでは目覚めが悪いですよね。」


少し芝居がかった台詞と共に、着物の裾を整える。


「あの僧侶たちの居場所は分かりますか?」


首を横に振る二人を確認し、清十郎は改めて問いかける。


「では、薬師の居場所は?」


「私、知ってます!案内させてください!」


幸が弾かれたように声を上げた。


「父ちゃんは母ちゃんをお願い。清十郎さんが薬師を懲らしめてくれるんなら、私、どうしても案内したい…!」


「幸…おめぇ…。」


「では幸さん、案内をお願いできますか?」


清十郎の微笑みは、夜の闇に浮かぶ刃のように、静かで鋭かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。