第十話_武闘派集団
慈眼の五入道において、最も「実力」を重んじるのがこの怒眼寺である。
薬に溺れ、女を囲い、内側から腐り果てた他の寺とは一線を画す。
広大な練武場を兼ねた大広間には、比叡山の荒法師をも凌駕すると豪語する屈強な僧兵たちが、隙なく居並んでいた。
その中心に立つのは、怒眼法師。
岩のように隆起した筋肉を法衣に包み、身の丈ほどもある巨大な戦斧を傍らに立てかけている。
「…哀眼、喜眼の腑抜け共が、たった二人の若造に遅れをとっただと? 笑わせるな。」
怒眼法師の声は、地鳴りのように床を震わせた。
「我が怒眼寺の捜査網は、京の路地裏の鼠一匹逃しはせぬ。例の男と女…見つけ次第連れてこい。油麻呂様がお待ちだ。いいか、我らの武を示せ!」
「おおおっ!」
僧兵たちの雄叫びが天井を揺らす。
彼らの戦意は最高潮に達し、まさに街へ繰り出そうとした、その時だった。
「…賑やかでいいですね。江戸の喧騒が恋しくなっていたところだ。」
場にそぐわない、低く、しかしよく通る声が響いた。
僧兵たちの視線が、広間の片隅へと集まる。
そこには、いつから紛れ込んでいたのか、煤けたボロ布を纏った一人の男が胡坐をかいて座っていた。
「貴様、何奴だ! 迷い込んだか!」
一人の僧兵が怒鳴りつけ、男の肩を掴もうとした瞬間――男が立ち上がった。
纏っていたボロ布が、重力に従ってハラリと床に落ちる。
現れたのは、無駄のない筋肉を宿した鋼のような身体。
そして何より目を引いたのは、その左足だった。
膝から下が鈍く光る黒鋼の義足。
不気味な歯車と関節が剥き出しになったそれは、単なる補助具ではないことを無言で主張している。
「江戸からはるばる、皆さんを『掃除』しに来ましてね。伊多田鬼屋の義彦と申します。」
男――義彦は、不敵な笑みを浮かべ、指先で自身の義足を軽く叩いた。
「さて、その牙が本物かどうか試させてもららいますよ?」
「伊多田鬼屋だと…?舐めるなっ!」
最初に飛び出した僧兵の槍が、義彦の喉元を突く。
だが、義彦は動かない。
カチリ、と硬質な機械音が響き、義足のつま先から鋭利な刃が飛び出した。
彼は軸足一本で独楽のように回転すると、槍を払い除けるのと同時に、僧兵の胸元を義足の刃で一文字に切り裂いた。
「が…はっ…!?」
鮮血が舞う。
それが合図だった。
「殺せ! 包囲して叩き潰せ!」
怒号と共に十数人の僧兵が殺到する。
しかし、義彦の動きは常人の理解を超えていた。
義足の内部には、無数の暗器が仕込まれている。
踏み込むたびに踵から針が飛び出し、回し蹴りを放てば側面から鋸刃が展開する。
「おやおや、京を裏で支配する武闘派組織と聞いていましたが…この程度ですか?」
義彦は両手を広げ、挑発的に笑う。
彼の周囲には、既に物言わぬ肉塊と化した僧兵たちが積み重なっていた。
鋼の足が石床を叩くたび、火花と共に死が撒き散らされる。
恐怖が、僧兵たちの間に伝染していく。
彼らが手にする武器は、義彦という「人間を辞めた兵器」の前では、ただの玩具に等しかった。
「退け! 貴様らでは話にならん!」
重厚な圧力が場を支配した。
怒眼法師が、愛用の巨大な斧を片手で軽々と振り回し、前に出る。
「伊多田鬼屋…どこかで聞いた名だと思ったが、江戸の始末屋か。面白い…他の寺の腰抜け共とは鍛え方が違うということを、その身に刻んでやろう。」
斧が空気を引き裂き、義彦の頭上へ振り下ろされる。
義彦は義足を盾にするように掲げ、それを受け止めた。
ギィィィィィィィン!
火花が散り、広間の床に亀裂が走る。
「…ほう。ようやく楽しくなってきましたね。」
そこからは、まさに怪力と技巧の衝突だった。
怒眼法師の斧は、一撃一撃が必殺の威力を持ち、風圧だけで周囲の調度品を粉砕していく。
対する義彦は、義足のバネを活かした爆発的な跳躍と、予測不能な角度からの蹴撃で法師を追い詰める。
「死ねぃっ!」
法師が渾身の横薙ぎを放つ。
義彦はそれを敢えて受けず、空中へと逃れた。
「終わりです。」
空中で反転した義彦の義足が、法師の斧の「柄」を正確に踏み抜く。
バキリ、という不吉な音と共に、法師が誇った巨大な斧が中央から真っ二つに折れた。
「…なっ!?」
得物を失い、体勢を崩した法師の喉元に、義彦の義足から伸びた長刃が突きつけられる。
静寂が戻った。
広間には、荒い息をつく法師と、冷静にそれを見据える義彦だけが立っていた。
「…殺せ。敗北した者に、慈悲はいらぬ。」
法師は潔く目を閉じる。
だが、刃が喉を貫くことはなかった。
義彦はカチリと音を立てて刃を格納し、義足を床に下ろす。
「殺しませんよ。…腐りきった他の寺は壊滅させますが、あなた達には『力』がある。失わせるには惜しい。」
義彦は、呆然とする法師を見据え、静かに、しかし抗いようのない威厳を持って告げた。
「我が伊多田鬼屋の傘下となれ。これからは油麻呂という歪んだ主ではなく、我らが主人――半蔵様に仕えてもらう。」
「…我らに、裏切り者として生きろというのか?」
「いえ、勝ち組としてです。京の支配構造を、我々が書き換えます。」
義彦は窓の外、月明かりに照らされる京の街を見やった。
「それが、伊多田鬼屋のやり方ですから。」
怒眼法師は、折れた斧の残骸を見つめた後、ゆっくりと膝を突いた。
武闘派組織・怒眼寺。
それが「恐怖」による支配から、「利」と「力」による新たな組織へと組み込まれた瞬間であった。
義彦は満足げに頷く。
「さて…今頃兄さん(義吉)が楽眼寺を芸術品に変えている頃でしょうかね。」
「芸術?」と疑問符を浮かべる怒眼法師に対し、軽く笑みを浮かべる義彦。
「ええ、蝋で固められた醜い芸術品ですよ。」
京の闇は、江戸から来た「鬼」たちの手によって、急速に塗り替えられようとしていた。




