二十話:筋肉
春が終わり、雨量が増えてきた。空には四六時中と言えるほど厚い雲が掛かり、高くなった気温と合わせて不快指数も上がっている。今日もしとしとと降り頻る雨水を幹や根に蓄えていく。
「筋トレ日和……かなぁ」
俺の幹に寄り添って雨宿りをするジムシが、ソワソワと落ち着きなく呟く。頭に村から盗って来た外套を被り、恨めしそうに空を睨み付けている。
『流石に筋トレ日和ではないだろ。凄い大雨だぞ』
野外活動が主な部活なら、雨天時は屋内で筋トレだけどな。ここには体育館はないから大人しくするしかない。
「体動かしたいなぁ。筋肉が乳酸を欲してる……」
雨の森を背景に溜め息を吐く憂鬱な姿は僅かに色気が滲み出ているのだが、言葉の内容が残念過ぎる。何かの漫画にこんな台詞を吐く筋肉じいさんがいた気がする。もっと熱血だった気もする。
『腕立てくらいなら出来るだろ。吐くほどやればいいじゃないか』
「私は逆立ちで歩き回りたいの。まぁ、乳酸が生成されればいいかな……」
段々とジムシから可愛げが薄らいでいる気がするのだが、気のせいだろうか。三ヶ月前は強くなるのを目的に鍛えていたのに、今は鍛えるのを目的に鍛えている。っていうか、乳酸目当てだろうか。
因みにジムシは両腕が解放されてからというもの、両腕逆立ちでの森の散策がお気に入りになっている。両腕が使えるようになって行動力が跳ね上がったのだ。
『ジムシは文字通りに脳筋だな』
「頭蓋骨の中って筋トレ出来るの?方法が思い付かないけど」
『お前は一体何になりたいんだ。筋肉か?ボディービルダーか?』
「わ、私は……その、カイを護れたら、いいかなぁ」
一体いつの間にイベントが発生していたのか知らないが、何故かジムシが俺にデレる。普段は筋肉なのにふとした時にデレるから、たぶん属性は筋デレだ。新しい。
ただ、照れ隠しに幹を叩くのは止めて欲しい。一撃一撃が豪腕を唸らせる必殺の平手みたいだから。体がミシミシと軋む。
『ジムシは可愛いなぁ……』
と、つい口から漏れた風に言ってみる。予想通り、顔を綻ばせて抱き付いてきた。
可笑しい。俺は一体どこでフラグを立てたのか。記憶に無い。そもそも、何時からデレ始めたんだったか。
思い出せる限りで最初にデレたのは、右目の穴を布で隠すようになった日だ。俺の体によじ登って枝の上に横になり「カイ……可愛い」とか言ったのだ。俺にすら状況が理解出来なかった。
「カイは私が護ってあげるから、ここから動かなくていいから。そのために鍛えてるんだし」
『言われなくても動けないから。俺にはもうジムシだけが頼りなんだ』
「私が頼り?仕方がないなぁ、カイは。だったら私が護ってあげないといけないなぁ」
『頼むよ。敵なんて、いない方がいいけどな』
「筋トレしなきゃなぁ」
うーん。やっぱりジムシは脳筋だ。すぐに思考が筋肉に陥る。………すごい表現だな。筋肉に陥る。言い得て妙というか。
思考が筋肉に陥ったジムシは実に楽しそうに筋トレを始め、あっという間に汗だくになった。汗と雨、どっちで濡れたのかわからないほどだ。
「雨の中筋トレやると、体が、結構冷える、ね。ギアが入り難い、わ」
ギアってなんだ。一体どんな境地に至ったら筋トレでギアの話が出るようになるんだ。少なくとも俺は初めて聞いた。
『筋トレを止めろとは言わないけど、風邪はひかないでくれよ。ここに病院は無いんだから』
「気をつける。カイに心配掛けられないからね」
こういうところが本当に可愛らしい。ほとんどが筋肉で構成されているからか、ジムシは素直な奴だ。女の子らしい。
顎から滴る水は汗か雨か、或いは両方か。ジムシの努力する姿は美しい。筋肉を追い込むなんて、どこの体育会系だ。
3セットほどしたところで逆立ち腕立て伏せを止め、俺に凭れ掛かってきたジムシは、息を切らして服を脱ぐ。服を搾れば汗と雨の混じった液体が大量に垂れる。
「カイ、見て見て」
ジムシが肘を曲げて肘を掲げ、脇を見せるようにする。いい加減、凄い筋肉だ。
「上腕三頭筋……痙攣してる」
ドン引きである。ほぼ毎日痙攣するほど鍛えていたのは知っているが、見せつけられるのは初めてだ。しかも上腕三頭筋。
しかし、ジムシは何やら期待の眼を向けてくる。筋肉をピクピクさせて。
『あぁ……凄いな、ジムシは。本当に頼り甲斐がある筋肉だ』
「本当に!?私、頼りになる?」
『あぁ。ジムシは良い筋肉だな』
本格的に照れてしまって何やら小さな声でぶつぶつ呟くだけになってしまったが、俺がジムシを筋肉呼ばわりしたことへのツッコミは無いのだろうか。まぁ、それ以前に気付いてなさそうだけど。
「マッスルプレスー」
ムギュとジムシが抱き締めてくる。きっと普通の人間なら「背骨が……」的な大惨事になっているであろう力で。技名にマッスルと付くだけのことはある。
「カイは本当に良い匂いがするね。眠くなる」
『ジムシは体洗った方がいいな。汗臭いぞ』
「え?カイって匂い判るの?鼻もないのに」
『今更だな。ついでに言えば触られる感覚もあるし、物も見えるぞ。もちろんジムシの可愛い顔もな』
「もう、何言ってんのよー」
可笑しいなぁ。なんで唯の木であるはずの俺が、異形とはいえ人間の女の子といちゃらぶしているのだろうか。前世でだってしたことないのに。
どうして人間時は生粋の非リア充だった俺が、木に転生して女を作ってるんだ。そんなに前世の俺は顔が悪かったか。自覚はあったけどさぁ。
「カイ……」
『おい。そんな格好で寝たら風邪ひくぞ。ちゃんと体拭いて、服を着込んでから寝ろ』
「……ん。わかってる」
村から盗って来た木箱から布を出し、水気を取っていく。その姿は筋肉なことを差し引いても艶かしく映る。
水気を絞ったタオルを俺の枝に掛け、雨避けにすると、その下で服を着込んでいく。雨で体温が下がると体力を消耗して体調を崩しやすいのだ。いくら筋肉なジムシでも、用心しなければならない。
地面に木の板と布を敷き、ジムシはその上で横になる。俺の根が枕代わりだ。
「今日はこうしていようね」
『……そうだな』
転生五年目の梅雨。どういう原理か、俺は可愛らしい筋肉女といちゃらぶしている。




