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衝突

「そんな恰好でどこへ行く?」

「アールとお散歩です」

「ああ、なるほど」


 侯爵の強面の眉間に縦皺が刻まれた。


「王立公園で男と会うのか?」


 な、なんですって?


 どうしてそういう解釈になるの?


「ど、どういう意味でしょうか?」


 喋りかけてきたと思いきや、その内容が尋常ではなかったから動揺してしまった。


「そのままの意味だが? 真昼間からどこぞのいい男と親密にしているらしいではないか? 見かけた者がいて、噂している。たしかに好きにしていいとは言ったが、まがりなりにもダウリング侯爵夫人だし、レディとしての嗜みというものがある。昼日中に、男と目を覆いたくなるような過度なスキンシップをとるのは止めた方がいい」


 ノーマンとのことね。ジョギングをしたりマッサージをしてもらっているところをだれかに見られ、侯爵の耳に入ったわけね。


 後ろ暗いことなど一つもしていない。だけど、たしかに軽率な行動ではある。


 第三者から見れば、とくにマッサージは「過度なスキンシップ」に見えてしまう。


「申し訳ありません。今後、気をつけます。ですが、そういう関係ではありません。トレーナーの方にマッサージをしてもらっていたのです。最近、アールと走ることが楽しくって、ついつい足や腰に負担をかけてしまっています。肉離れや筋肉痛などにならないよう、体を揉んでもらっているのです」

「夫でもない男に体を触らせていることにかわりはない。それがはしたないというのだ。それに、『走ることが楽しい』? 女のくせに、慣れぬ運動などしてどうするというのだ?」


 ショックだった。それこそ、嫁いですぐに「おたがいに干渉せず、好きなようにすごすことにしよう」、と宣言されたときよりずっとずっとショックを受けた。


 ショックは、あっという間に怒りにかわった。


「たしかに、マッサージとはいえ夫でもない男性に体を触れさせたのはわたしの落ち度です。はしたないというのもおっしゃる通りです。ですが、走ることは関係ありません。健康の為、体力をつける為、走っているのです。それが『女のくせに』というわけですか? 昨今、レディだって運動をします。いいえ。昨今でなくても、乗馬や球技は貴族のレディの嗜みですし、実際にそれらを趣味にしていらっしゃる方もいらっしゃいます。王立公園には、階級を問わずに多くのレディが好きな運動をして汗を流したりストレスを解消しています。軍にだってレディはいらっしゃいますよね? 大昔は男性ばかりだった軍も、いまは多くのレディがこの国を守っていらっしゃいます。彼女たちは、男性同様厳しい訓練を行っているのではないですか?」


 息継ぎをするのも忘れ、小さくて若いわたしが大きくてずっと年長の彼に詰めよっていた。


 しかも、半狂乱状態で。


 叫びながら、自分で驚いた。


 このわたしが、こんなにだれかに叫んだり責めたり出来るんだ、と。


「はしたないとおっしゃるのでしたら、侯爵閣下、あなたはどうなのです? 一日たりとも屋敷にいらっしゃらず、日がな一日どこかのレディとすごしていらっしゃるのでしょう? だれかに見られさえしなければ、なにをやってもいいとおっしゃるのですか?」


 わたし、どうしたの?


 叫び続けながら、さらに驚いた。


「いくら政略結婚でわたしのことが嫌いだからといって、ここまで貶められるとは思いもしませんでした。そんなに嫌いなのでしたら、さっさと放り出されたらいいのです。その方が、おたがいのためです」


 わたし、やめなさい。


 ほんとうに放り出されたらどうするの?


 それに、彼だけが悪いのではない。


 わたしも彼を避けているし、逃げている。


 そんなわたしが彼だけを責めるのはお門違いだわ。


 気がついたら、叫びすぎて肩で息をしていた。


「クーン」


 甘えたような、それでいて悲しそうな鳴き声にハッとした。


 階段をのぼりきったところに、アールがいるのが侯爵越しに見える。アールだけではない。執事のバートやメイドのケイシーと他のメイドたち、それから馭者のブルーノも立っている。


 みんな、一様に驚いた表情でこちらを見ている。


 わたしの叫び声は、屋敷中に響き渡ったに違いない。それで、驚いてやって来たのね。


 恥ずかしいったらもう。


「アール、ごめんなさいね」


 侯爵越しにアールに声をかけると、彼は大きくてモフモフの尻尾を振りつつ駆けて来た。


 両膝を折ってから、彼の大きな狼面を抱きしめた。


「犬を屋敷にいれるな」


 どうやら、わたしの叫びは侯爵には響かなかったらしい。


 どうでもいいことを嫌味ったらしく言ってきた。


「アールは、わたしを心配してくれているのです」

「そうだろうとも。きみは、男性にモテるからな。それと、政略結婚というのは、きみの言うように簡単に事が運ばないものだ。簡単にいくのなら、とっくの昔にそうしていた……」

「旦那様っ!」


 侯爵の憎まれ口の最後の方は、バートたちが彼を呼ぶ声でかき消されてしまった。


「そうですか。わかりました。それでしたら、わたしが出て行きます。短い間でしたがお世話になりました。アール、行きましょう」


 わたしーーーーーっ、売り言葉に買い言葉的行動はやめなさい。


 心の中で自分自身を諫めたけれど、すでに侯爵の横をすり抜け、引き留めようとするバートたちをかわし、階段をおり始めていた。


 アールは、素直についてきている。


「旦那様っ。はやく奥様を、奥様をとめてください」

「旦那様っ!」

「旦那様、なにをなさっているのです」


 階上から、バートたちの狼狽えた叫び声はきこえてくる。


 だけど、エントランスから外に出るときも、侯爵の声はきこえてこなかった。


 彼は、いかなるアクションも起こさなかったのだ。


 ドタバタしていたというのに、ちゃんとアールのリードを装着した自分を褒めたい。


 やみくもに歩きながら、自分自身を褒め称えてしまった。そうしてから、すぐに情けなくなった。


 王宮にいたとき、一度たりともだれかに対して感情的に発言したことがなかった。それどころか、なにも言えなかった。どうせきいてもらえないし、二倍にも三倍にも四倍になって返ってくることがわかっていたから。


 正直なところ、それが鬱陶しかった。


 だから、どんなことをされても言われたりしても、きこえないふりをしたり気づいていないふりをしていた。


 その結果、「ソッポ王女」と呼ばれるようになった。いずれにせよ、どんな態度をとろうと同じだったわけ。


 それはともかく、大人げなくもダウリング侯爵邸を飛び出してしまった。


 後悔? そうかもしれない。反省? そうかもしれない。


 気がつくと、ポツリポツリと頭上のどんよりした雲から雨粒が落ち始めていた。




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