門出のダンジョン 8
荘厳な
そんな表現のしっくりくる、重厚な図書館の一室。
圧倒的な書架の壁に支えられた天井には、星座が瞬いているわ。よく見ると惑星まであるわね。
クランの名前やらシンボルやらとそれなりに煮詰まってきたワタシは、長椅子にだらしなく寝そべっていた。
ローテーブルに雑に投げ出された資料やらスケッチブックやらを見た暗褐色の髪の少年が、困ったような顔をしてこちらを見ている。
「行儀が悪いですよ、ユーリ」
「そうね、ごめんなさい」
部屋のはしっこの方のテーブルのはしっこの方にひっそりと座っている彼は、ネムスの王太子のウィレオだ。
艷やかなストレートの髪を肩口で切り揃えた、儚げな美少女じみた外見そのままに、引っ込み思案でおとなしい少年。
切れ長の藤色の瞳が長い前髪で隠れているのが少しだけ残念ね。
貴公子然として物静かに読書するその佇まいが、何故か猫背でうつむいている雰囲気を感じさせる。そんなあのこの様子を見るたびに、もやもやとしたやるせなさを感じるの。
中等部の卒業式を終えた翌日に、ひとり手荷物ひとつ持ってラピスへ留学してきたのだ、このネムスの王太子殿下は……。
まあ、いくら悪夢の被害が大きかったとはいえ、一国の王太子の留学にしてはちょっとアレよね。そしてそれは、お母様がラピスの王妃の仮面を投げ捨てて世話焼きな親戚のおばちゃんにジョブチェンジするには十分すぎる出来事だった。
ただ、思春期のおとこのこにとってあれやこれやと世話を焼かれるのは気恥ずかしかったみたいね。ちらりと助けを求めるような視線を送られてしまっては、兄貴分としては一肌脱がずにはいられない。
ということで、急遽、クランの懇親会を海底の図書館で開くことにしたの。
朝焼けの空のような海底を見上げ、
静かな輝きを放つ湖に目を眇め、
重厚な佇まいの図書館を見つめ、
威厳ある書架を見渡したウィレオはとても静かだった。
ネムスの森のダンジョンを単独で探索する彼は、すでに斥候としての所作が身についているのでしょう。
冷静に観察する様はとても静かだ。
少し前まで中等部の生徒だったなんて思えない落ち着きよ!
それに比べて現高等部の生徒とその卒業生たちときたら……。
「相変わらず凄い迫力ですね」
「ああ」
「魔法の源がこれだけ近くにあると、妙に落ち着かないな」
「幼い光を通じてやって来た夢を本の姿に変えるプロセスは(以下略)」
貴方たち、少しは落ち着きなさいよ!
そんな対称的なワタシたちを保護者……もとい後見人のカートさんが温かく見守ってくださっているわ。
急に賑やかになった図書館に狂喜したフックンがお昼ご飯を作ってくれている。
何故ご飯の支度を手伝わないのかという指摘はもっともなのだけれども、フックンの料理を手伝うにはワタシの実力が不足しているのよ。
私の世界で離婚を言い渡されるダメ亭主みたいな言い訳で申し訳ないのだけれども、手伝う隙が見つけられないの!
宙を舞う食材たちが瞬く間に下処理を施されていく。
混ぜ合わされ捏ねられ形作られていく生地。時間がかかるであろう発酵のプロセスをどうやってスキップしたのかさえ、ワタシには分からないの。
今のワタシは完全に戦力外だわ。
悔しいけれど、フックンの料理の腕前はノエルお兄様よりも上みたいね。
その証拠に、リオンとクラウスが手に汗握りながら食い入るように見学しているもの。
いつもの幼馴染のツッコミがなかったことに一抹の寂しさを感じながら振り返ると、赤い髪の兄弟が呆れた顔を向けてきた。
「別にノエル殿下は、そこまで料理の腕前にこだわっておられないと思うぞ」
「えぇと、一体どこを目指してるんですか?ユーリ」
…………。
……。
いえ、ツッコミが欲しかったわけでは無いのだけれども……。
それとアルフレッド、今のちょっとだけ似ていたわよ。
そんなやりとりをしているうちに、食欲を刺激する匂いが漂ってきたわね。この速さ、流石はフックンだわ。
「この香りはマルゲリータですね」
いつの間にか隣にやってきていた隣国の王太子がチロリと舌を出す。
まさか匂いだけで……。
ウィレオ、なんて末恐ろしいこなのかしら!
ダイニングルームはワタシの記憶より家庭的な雰囲気に変化していた。
図書館に併設されている居住施設をそのままクランハウスにすることに決めた後、カートさんが色々手を加えてくださっていたの。
ただ、ここを拠点にするには致命的な問題もあったりするわ。
問題は山積み。
さて、まずは腹ごしらえといきましょうか。
出来立てのマルゲリータを手づかみで持ち上げると、大きく口を開けてかぶりつく。
熱々のチーズで口の中を火傷しそうだけれども、治癒師のワタシにとって何の問題にもならないわ。
完熟したトマトの風味の後からバジルの爽やかな香りが鼻に抜けていく。ああ、とっても幸せだわ。
隣の幼馴染と弟分が美しい所作でナイフとフォークを操り、上品に食事をしていることも気にならない。
ピザはこうやって食べるのが美味しいっていうのが、ワタシの極々個人的な認識なの。
ワタシのこだわりは別として、このふたりの場合、祝福の影響で食事の仕方に工夫がいるのよね。
リオンの牙もそうだけれども、ウィレオの長い舌も大変。ウィレオの祝福は先端が二股に分かれた細長い舌なの。
今でこそ難無く振る舞ってはいるのだけれども、幼い頃は喋ることに苦労していたわ。やっぱりこの形状だと発音が難しいみたいね。
こどもは時々、悪意なく残酷ないきものになるでしょう?おかげでウィレオは引っ込み思案なこになってしまったわ。
まあ、このふたりの問題は、口を開かなければ祝福を持っていないように見えることのほうが重いのだけれども……。
3枚目のマルゲリータを齧りながらふと疑問に思った。この世界のマルゲリータって誰かしら?
この世界の王族にマルゲリータはいない。
マルゲリータは私の世界の住人。
この世界でマルゲリータを考案した調理師は、何故この名前にしたのかしら?
「恋人の名前とかですかね?」
「うーん?いや、彼女の周囲にマルゲリータはいないね」
「好きな小説の登場人物などはどうだろう?」
「無くはないだろうけど……」
「偶然の一致にしては、な」
「ふぉっふぉっふぉっふぉっ。それが実装されるということだのぉ」
なんて嫌な表現だろう。まるで、ゲームの世界の住人にされてしまったかのようよ。
「えぇと、ある日突然知識を授かったとして、違和感を感じたりはしないのですか?」
「実装されるものはのぉ、前提条件を満たしたものだのぉ。違和感は無いのぉ」
なるほど。
トマトが無ければマルゲリータは作れない。
つまり、トマトのない世界でマルゲリータのレシピを思いつくことはできないということね。
「マルゲリータの食材と日常的に向き合ってきた調理師だからこそ、このレシピの知識が実装されたということか」
なるほど。
そう考えれば、なんだか、とっても、イヤな気持ちだわ。
齧りかけのマルゲリータを見つめながら、心の中に生まれたもやもやと向き合う。
「行儀が悪いぞ」
青い髪の幼馴染が頭をべしっとはたいてくる。
「まぁ確かに、努力して辿り着いた答えが実は与えられたものだというのは、正直面白くはないね」
食事中に検索していたお行儀の悪い錬金術師は、シワの寄ってしまった眉間を揉んでいる。
いけない、食事中に相応しくない空気にしてしまったわ。
何だか腑に落ちましたと納得した顔のアルフレッドと、面倒なことになるだろうなと渋面を作るアルバートに心のなかで手を合わせる。
優雅に黙々と食事を続けるウィレオは……そっとしておきましょうか。
「ええ、確かに面白くないでしょう。しかし、そもそも我々は世界に全てを与えられて存在していることを、忘れてはいけませんよ。
私達は今、王の領域にいます。
日々の生活も、ダンジョンも、全部、頂き物です」
丸眼鏡の塔の錬金術師はちらりと、窓の外を見やる。
そこには静謐に輝く湖がただあった。




