4.愚かな道化師 王太子視点
最終話。王太子視点です。
残酷な描写有。
自身の成婚を祝う華やかな夜会の最中だというのに、他人事のように感じていた。
さすがにもう、隣にいるのがリリーだったならばなどと、愚かなことは思わない。
問題なくリリーと添い遂げたいのなら、側妃にするべきだった。
婚約解消を言い渡した日、アリーティアに進言されたように。
愛ゆえに盲目になっていた私は、アリーティアの言葉を曲解してしまった。
彼女は、私がリリーを望んだからこそ、側妃にと言ってくれたのに。
リリーだからではなく、子爵家の令嬢だから正妃は務まらないのだと、今の私ならばわかる。
アリーティアとリリーでは受けてきた教育が違い過ぎるし、それに、子爵家では正妃として最低限必要な支度を整えることすらできない。
格の足りない調度や衣装しか整えられないまま王族に嫁げば、それで辛い思いをするのはリリーだ。
あの時、アリーティアはそういった意味も含めて『正妃は務まらない』と忠告してくれた。
それなのに私は、アリーティアが正妃の座に固執しているのだと思い込んで、酷い言葉を投げてしまった。
久しぶりに見たアリーティアは、とても美しくなっていた。
輝くような美貌は健在で、妻となったことでそれに艶も加わったようだ。
あまりの美しさに、魂を抜かれたように見惚れている男は数えきれずいたが、すぐに隣にいる辺境伯の鋭い眼差しに射貫かれるのか、顔を青ざめさせていた。
噂通り、アリーティアは辺境伯に溺愛されているようだ。
挨拶にきてくれた時に、少しは話せるかと思っていたが、周囲の視線が煩わしくて型通りの挨拶しかできなかった。
長年婚約者として私を支えてくれていた彼女に対して、酷い仕打ちをしたことを謝りたい気持ちがあった。
けれど、この場で謝罪などしたら、アリーティアを困らせるだけだ。
私にできるのは、辺境伯と仲睦まじく過ごす姿を見つめることだけだった。
「成婚当日に、私が言うのもなんですけれど、殿下はアリーティア様とご結婚なさった方が、幸せになれたと思いますわ。あの方ならば、躾の行き届いていない令嬢でも側妃として受け入れ、愛されることがなくても王太子妃としての務めをしっかり果たしていたと思いますもの」
私の目が誰を見ているのかに気づいたのか、今日、私の妃となったクラウディアが、私にしか届かないよう、呟くような声で言葉にする。
クラウディアの言う通り、彼女と結婚していた方が私は幸せになれただろう。
「だが、そこにアリーティアの幸せはない。彼女は王太子妃の座など、望んでいなかったのだから。だから、私は君が妃でよかったと思うよ。リリーを排除したのが、君の一族の者だったとしてもね」
嫌味を言ったつもりではないのだが、クラウディアは息をのみ、申し訳なさそうに目を伏せた。
どうやら彼女は、リリーがどんな目にあったのかを知っているようだ。
リリーが私のもとを去ることになった事件の首謀者を、私は知っていた。
それどころか、証拠もすべて抑えてあった。
王宮に滞在しながら妃教育を受け始めたリリーには、当然のことながら敵しかいなかった。
何をしてもアリーティアと比べられ、正妃に相応しい公爵家の令嬢を追いやったと、冷遇されていた。
教師たちは、アリーティアの時にも増して厳しかったと思う。
アリーティアの時もそうだったが、厳しすぎる妃教育で音を上げて逃げ出してくれればという重臣たちの思惑があるのか、半ば苛めに近かった。
あまりにも酷いときには咎めるようにしたけれど、父上の執務を手伝っている私がリリーと過ごせる時間は少ない。
私の目の届かないところで、リリーはとても辛い思いをしていた。
それでも、アリーティアを押しのけてまで婚約者になったのだからと、必死に頑張っていた。
リリーの周りは敵だらけで、そんな中、唯一、最初から親身になってくれていた侍女がいた。
けれどその侍女も、思惑があって優しくしていただけだった。
味方だと思っていた侍女に騙されて、リリーは誘き出され、王宮の一室に監禁された。
私が公務で、一週間ほど城を離れている間の出来事だった。
城の一室に監禁されたリリーは、数日の間、暴力を振るわれ凌辱され続け、私が見つけた時には酷い状態だった。
ろくに食事も水分も与えられていなかったのか、衰弱しきっていて、殴られただけでなく、甚振るのが目的だとわかるほどに薄く刃物で切られたような傷まであった。
信頼できる側近を使って、安全な場所にリリーを匿い、王宮とは無縁の医師に診せた。
身も心もぼろぼろになっていたリリーは、私にすら怯えるようになり、衰弱しきって死んでしまうのではないかと思った。
そんな状態のリリーを救ったのは、リリーの腹に宿った命だった。
皮肉なことに、リリーを傷つけた男たちの内の誰かの子供が宿ったことで、リリーは生きる気力を取り戻した。
女性とは、子を産む前から立派な母なのか、腹の子を守るために食事をするようになり、腹の子が育つと同時にリリーも元気になっていった。
婚約者ではなくなったのだから、いつまでも私の世話になるわけにはいかないと、身重の体で城下の屋敷を出ていこうとしたので、話し合いをし、側近の乳母夫妻の元へ身を寄せることになった。
憎い男の子供を愛せるリリーが、私には理解できなかった。
忌まわしいだけの子供のはずなのに、その子供を守るために生きようとするリリーの心情は、今となってもわからない。
ただ、その時になって、漸く私は気づいたのだ。リリーが心底求めているものを、私は与えることができないのだと。
最初からリリーが求めているのは正妃の座ではなかった。
愛する人に愛され、夫婦となって共に生きる、そんなありふれた幸せこそが彼女の求めるものだった。
それなのに、心休まることのない世界に引きずり込んだのは私だ。
私がたった一人きりの王子でなければ、王太子の座を捨て、リリーだけを妻にすることもできたのかもしれない。
けれど私はこの国で唯一の王子で、国王となる者だった。
リリーの幸せを願うのならば、リリーを望んではいけなかったのに、若く、初めての恋に溺れていた愚かな私は、そのことに気づかなかった。
王太子として望んではいけないことを望んで無理を通した結果、ただ一人愛した人を深く傷つけた。
そして、小さな頃から共にいた、心許せる人を裏切り、遠ざけた。
婚前交渉は褒められたことではないが、きちんと結婚するのであれば問題にはならない。
だから、リリーが純潔を失ってしまっても、それだけでは、婚約者候補を辞退させる理由としては弱かった。
そんなことくらいでは私が引かないと、この件の首謀者である宰相はわかっていたのだろう。
だから、リリーが孕みやすい時期を狙って襲わせた。
さすがに他の男の子を宿したとなれば、私がどんなに頑張ったところで、リリーを妃にすることはできないのだから。
孕むかどうかは賭けであったから、子が宿らなかったとしてもリリーの心が壊れるように、残酷な方法を使って辱めたのだろう。
長年私に寄り添い、支え続けてくれたアリーティアとの婚約を解消してまで手に入れたかったリリーを、私は守ることができなかった。
その上、リリーに危害を加えた男達は処分できても、宰相を断罪することはできない。
国の要職についている宰相が、宰相職を辞すれば、国政は大混乱する。
父である国王は、どれだけ証拠を積み重ねても、リリー一人の犠牲で済むならと、宰相の罪をなかったことにするだろう。
現宰相の後任を問題なく務められるのは、アリーティアの父くらいだが、彼は決して私のためには動かない。
私の元に、共に戦ってくれたアリーティアはもういない。
そして、私の心を支えてくれたリリーもいない。
これからは一人で、すべてに立ち向かわなければならないのだ。
それが、恋に溺れ、大切な人を蔑ろにしたことの罰なのだろう。
「宰相がリリーを婚約者として認めたのは、君が成人するまでの時間稼ぎだったことも知ってる。君が成人して、リリーは用済みになったから排除されたということも」
アリーティアとの婚約を解消した当時、私の次の婚約者として推すには、クラウディアは幼過ぎた。
私もリリーも結婚するのに何の問題もない年齢だったにもかかわらず、お妃教育が終わるまで婚姻は認められないと、宰相が強硬に反対していたのは、時間稼ぎのためだった。
そんな事情を分かっていながら、私はクラウディアを選んだ。
結婚を決めたのは、宰相を抑えるためで、クラウディアに対しては愛情も好意もない。
多分、遠くない内に貴族間のバランスを取るためだけに私は側妃を娶るだろうし、そのうちの誰かが子を産むだろう。
私の子には私のような思いをさせたくないから、最低でも王子が二人産まれるまでは、側妃の元へ通うつもりだ。
これ以上宰相に力を持たせる気はないから、クラウディアとの間に子を生すつもりはない。
リリーにあれだけの仕打ちをしてまで正妃の座を手に入れたのだから、私に愛されることなどなくても、妃として働いてくれるだろう。
成婚を祝う夜会だというのに、幸せはどこにもなかった。
王太子の仮面をかぶり、祝いを述べる重臣たちに挨拶を返す、私は愚かな道化師なのかもしれない。
たくさんの評価やブックマーク、感想をありがとうございました。
この最終話のリリーに関するエピソードが残酷過ぎるかと悩んで、2年ほど眠らせていた話でしたので、たくさんの方に読んでいただけてとても嬉しかったです。