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眠れぬ死神と眠らせの調香師 ――不眠症の辺境伯に拾われた私の甘く危険な夜と、愚者たちに贈る破滅の香り  作者: セキド烏雲


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外伝7 ノクタリアの幸せな未来

 かつて「死神の領地」と恐れられたノクタリアは、今や春の柔らかな光と、色とりどりの魔香の花々が咲き乱れる平和の象徴となっていた。


「最近、めっきり魔物を見なくなったねぇ」

「ああ。街の外の畑も荒らされないし、子供たちが夜に歩いても安心だ」

「これも全て、ヴェスペル様とザークレシア様……それに、あの『鬼教官』のおかげだね」


 街の広場。領民たちが穏やかな昼下がりを謳歌していた、その時だった。


「に、逃げろ!マンドラゴラが脱走したぞーッ!!」


 行商人の悲鳴と共に、ひっくり返った荷馬車から飛び出したマンドラゴラが、鼓膜を突き刺すような叫び声を上げた。

 その狂乱の波動に当てられ、興行団の見世物用だった巨大な魔獣が目を血走らせ、暴走を始める。


「グルアァァァッ!!」


 逃げ惑う領民。騎士たちの到着はまだ遠い。

 絶体絶命かと思われたその瞬間、空を割って二つの小さな影が舞い降りた。


「――お前、隙だらけ」


 黒い閃光。


 ヴェスペルを彷彿とさせる、緩やかなウェーブのかかった艶やかな黒髪をなびかせ、一人の少年が巨躯の魔獣の前に立ちはだかった。


 ヴォルフラム。


 母譲りの鋭くも美しい琥珀色の瞳に冷静な光を宿し、子供の背丈ほどもある大剣を、羽毛のように軽々と振り抜く。


「逃がさないわ。……燃えなさい」


 続いて、凛とした少女の声。


 ロザリンド。


 深い紅の髪をミドル丈に整え、父を思わせる灰色の瞳で空間を見据える彼女が、指先から音速を超える火球を放った。


 ずうぅん……ッ!!


 魔獣の頭部を正確に貫き、巨体が石畳に沈む。


「……ふぅ。教科書通りに動けば、こんなものね」

「そんな魔法……教科書には載ってなかっただろ?」


「ヴォルフラム坊ちゃん!ロザリンド嬢ちゃん!」


 領民たちが歓喜の声を上げる中、その後ろからトテトテと可愛らしい、けれど物騒な影が追いかけてきた。


「おまえら、ヒキョウ!はやすぎる、ですっ!!」


 短い足を一生懸命動かし、短剣を両手で振り回しながら現れたのは、グリゼルダ。

 ルズガーナの生き写しのような蒼い影が、ぷくぷくの頬を膨らませて地団駄を踏む。


「グリちゃん!あんたはまだ早いの!待ちなさいってば!!」


 背後から、赤子を抱えながら猛烈な勢いで駆けてきたのは、ルズガーナだった。


 彼女は、かつての尖った美しさに「母としての包容力」という最強のバフが加わり、今や領地で最上級に美しい――そして最上級に恐ろしい女性へと進化していた。


 激しい動きでも崩れない、美しく艶やかなアクアマリンのポニーテール。産後とは思えないほど引き締まったしなやかな肢体は、身体のラインが出る服を凛々しく着こなしている。


 そこへ、ようやく息を切らした騎士たちが到着する。


「暴走した魔物はどこだ!?」

「どこだ、じゃなぁいッ!!」


 ルズガーナの雷が落ちた。


「あんたたち、子供に先を越されてどうするの!?遅すぎる!!全員、外周三周走ってきなさい!今すぐに!!」

「ひ、ひぃぃぃ!!なんでこんな所に鬼教官がぁーッ!?」

「産休明けたら、もっと厳しくしてあげるから覚えときなさい!!」


「まぁまぁ、ルズ。彼らも一生懸命やってるんだから……」


 爽やかな風を纏い、騎士の指揮官の姿をしたエミルが現れた。


 かつての「男の娘」のあどけなさは卒業し、精悍な顔立ちの青年へと成長した彼。


 スッと通った鼻筋、知性を感じさせる穏やかな微笑み。騎士団の制服を完璧に着こなすその姿は、都の令嬢たちが見れば悲鳴を上げるほどの「正統派美男子」だ。


 どっかーん!!


 だが、その爽やかな笑顔は、ルズガーナの愛(鉄拳)によって空に舞った。


「あんたはアイツらよりもさらに遅いじゃない!!なに爽やかに現れてるのよ!?娘のグリゼルダの方がよっぽど速かったわよ!」


「ぐふっ……。いや、僕は……君と子供たちが心配で、わざと殿を……」


 かつての「男の娘」の面影はどこへやら。


 彼が男として完成されたことで、ルズガーナの百合フィルターは再形成され、かつての甘い感情は、日々のドタバタもありすべて粉砕されたらしい。


「しっかりしてよね、あんたも父親なんだから!」


 ……とはいえ、吹っ飛んだエミルに差し出した彼女の手つきには、異なる趣の愛情も滲んでいたが。


「あらあら、またやってるのね」


 広場に、鈴を転がすような、慈愛に満ちた声が響く。


「おぉ、ヴェスペル様!ザークレシア様!!」


 領民たちが道を開け、最敬礼で二人を迎える。


 ヴェスペル。


 若かりし頃の「死神」の鋭さが程よく収まり、代わりに重厚な威厳と、大人の色気が増していた彼。漆黒の髪には大人の余裕を感じさせる落ち着いた艶を湛え、灰色の瞳は、愛する妻を見守る時だけ、全てを溶かすほど甘く、情愛で蕩けるような熱を帯びる。


 その隣に寄り添う、ザークレシア。


 彼女は、今や「ノクタリアの賢妃」として慕われ、その佇まいは凛として神々しく、知性に溢れた眼差しは領民たちの心を一瞬で惹きつけて離さない。

 その肌からは、彼女自身が調合した、最高級の安眠と幸福を運ぶ花の香りが漂っていた。


「ルズ、またイライラして。寝れてないんでしょ?はい、これ」


 ザークレシアは、ルズガーナ用に特別に調合した魔香の瓶をそっと手渡した。


「やっぱりシアだけ……っ!!私を分かってくれるのは世界で貴女だけよ!!」

「まったく、めちゃくちゃな奴だ。私の妻を見習って、もう少し淑やかになれ」

「うるさい!!この変態、獣、死神!!シアが聖母すぎて、閣下のドス黒い独占欲が浮いてますよ!!」


 ヴェスペルとルズガーナの、いつもの言い合い。


 それを笑って見守るザークレシアと、ルズガーナから我が子を預かるエミル。

 そして、その足元では、小さな守護者たちが次の獲物を探して目を光らせている。


「次は、お父様よりも大きな獲物を倒すんだ」

「私は、お母さまよりも素敵な魔香を作るわ」

「てき、たおす、です!!」


 ノクタリアは、愛と、笑いと、少しの破壊音に満ちた、賑やかで平和な場所になっていた。


 かつて孤独だった死神の家は、今、月光よりも温かな家族の光で満たされている。

 最後までお読みいただきありがとうございます。

 これで、正真正銘、この物語は完結となります。


 フロースフォンス大公と大公妃の座が約束された二人の幸せを願っていただきつつ、★を入れて応援していただけると、今後の執筆の大きな励みになります!

 作品フォロー(ブックマーク)もよろしくお願いいたします!


 また、同じ世界観におけるほかの物語も展開しておりますので、そちらも合わせてご覧いただけましたら幸いです。


 二人の物語にお付き合いいただき本当にありがとうございました。

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