第38話 二人のこれまで
「……というわけ。だから俺と桜彩は付き合っているとかじゃなくて、友人で隣人というか……」
「は、はい、その通りです。怜さんは私の為に色々と教えて下さってくれているんです……」
ひとまず事実をありのままに説明する二人。
目の前の三人はそれを黙って聞いていた。
「……なるほどね」
先ほど怜が焼いたパウンドケーキを食べながら美玖が頷く。
表情から美味しいと思ってくれているようで何よりだ。
「まあひとまず事情は分かったわ」
「そうね」
納得したのかうんうんと頷く二人。
「…………姉さん、信じてくれるの?」
意外そうな顔をして怜が尋ねる。
正直なところ、傍から聞けば信じられないような話なのでそんなに簡単に信じてもらえるとは思えなかった。
その怜の言葉に美玖は呆れたような顔をして
「はあ……。何年あなたの姉をやってると思ってるの。あなたはこう言ったことについて嘘を吐くような弟じゃないわよ」
とこともなげに口にする。
「あの、葉月……」
「私も同じよ。まさかあなたが他人を信用するなんてね。それも男の子を」
おずおずと問いかける桜彩に葉月は少しばかり苦笑して言葉を返す。
それぞれの姉の反応に怜と桜彩はひとまず安堵の息を吐く。
ちなみに守仁の方はうんうんと穏やかに頷いていた。
ひとまずすぐに納得してくれたので助かった。
そんなことを思っていると、葉月が怜の方を向く。
「とりあえず姉としてお礼を言わせて。ありがとう、怜。桜彩を助けてくれて」
「い、いえ……」
そう頭を下げた葉月が再び顔を上げて怜を見る。
だがその視線は先ほどとは違って怜に対して何か含むところがありそうな気がする。
「あの、何か……?」
葉月の醸し出す雰囲気を感じ取った怜が若干恐る恐るといった感じで問いかける。
「怜、一つ聞かせて貰えるかしら? あなたと共に生活するようになってから、桜彩はどうしているの?」
「どうしてる、とは?」
質問の内容が漠然とし過ぎていて葉月が何を問いたいのか分からない。
すると葉月は怜ではなく隣の桜彩へと視線を向ける。
「桜彩、あなたは怜に生活の手助けをしてもらっていると言っていたわよね」
「う、うん……」
葉月の問いにぎこちなく答える桜彩。
その返事を聞いて葉月は再び怜へと視線を戻す。
「あなたに家事を押し付けるようなことになっていない? あなたに負担が増えているんじゃない?」
「大丈夫ですよ。正直に言えば確かに桜彩は一人暮らしの初心者ですが、それでも頑張って料理を覚えようとしています。それに対して負担が増えていないと言えば嘘になりますが、大切な友人の頑張りは俺としても応援したいと思っています。それにこの調子でいけばすぐに桜彩も人並み程度の腕まで上達すると思いますし」
そう答えた怜だが、頭の中に疑問が浮かぶ。
確かに今の葉月の質問は、言葉の内容だけを考えてみれば妹が怜に迷惑を掛けることを気にしている。
しかし今、目の前にいる葉月の雰囲気はとてもそうは思えない。
怜に申し訳なく思っているというよりも、何か怜に疑いを持っているような感じだ。
「そう。桜彩、あなたはどうなの? 怜に色々と押し付けるようなことになっていない?」
「え、うん……。あ、た、確かに私はまだ料理に慣れてないし、怜さんの負担になっているかもしれないけど……」
そこに関しては自覚があるのか少々申し訳なさそうに桜彩が俯いてしまう。
「葉月さん。少し待ってもらえますか?」
そんな桜彩を見て口を挟む怜。
確かに現状料理に慣れていない桜彩は怜に負担をかけているかもしれない。
しかし決して桜彩はそれを良しとしていない。
将来的に自分が成長出来るように努力をしている最中だ。
一度席を外してノートを持って来る。
数日前から桜彩が作っている料理ノートだ。
「葉月さん。これを見て下さい」
「……これは?」
怜から渡されたノートを不思議そうにしながら受け取る葉月。
「桜彩が努力している証拠です」
「これが?」
「はい。桜彩の努力を言葉で説明するのは難しいかもしれません。ですが葉月さんと離れて生活するようになってから、桜彩がどれだけ頑張ってきたのか。その成果がこのノートの二ページ目以降に記されています。その目で確かめて下さい」
怜は自信をもって葉月に対してそう口にする。
「…………え? え?」
一方で突然の怜の提案に桜彩がポカンとして驚いてしまう。
「れ、怜さん……!?」
何を言っているのかと焦って怜の方を見る桜彩。
しかし怜はまるで心配していないと言った感じで自信をもって葉月を見返す。
「へえ、面白いじゃない。それじゃあ見せてもらいましょうか」
葉月の視線が先ほどまでの何かを疑うようなものから、興味深そうな視線へと変化する。
「え? え? ええええええええええええええええ!?」
一人だけ話に付いて行けていない桜彩が、二人に遅れて大声を上げて驚いた。
「ちょ、ちょっと待って下さい……。そ、そんな……私にはそんな自信なんてないですよ……」
「ああ、桜彩に自信がないのは当然かもしれない。だったら桜彩、俺を信じて」
「え?」
怜の言葉に桜彩が顔を上げて怜を見る。
「桜彩に自信がないのは分かる。だからさ、自分じゃなくて俺を信じてくれ。ここ数日、隣で桜彩を見ていた俺を。桜彩が一生懸命頑張っていたのは俺が良く知っている。その俺が保証する。それとも俺のことも信じられないか?」
「怜さん……」
「それと葉月さんを信じてくれ」
「……え?」
怜の言葉に桜彩が不思議そうな顔をする。
そんな桜彩に怜は優しく笑いかけて
「これまでずっと、桜彩の一番近くで桜彩のことを支えてきた葉月さんを信じてくれ。桜彩のことを本当に大切に想ってくれている葉月さんを」
「怜さん……」
「怜、あなた……」
「桜彩。俺と葉月さん、二人とも信じられないか?」
「怜さん……ううん、信じます。私のことを大切に想ってくれている二人のことを」
怜の言葉に一瞬言葉を詰まらせた桜彩だが、目を閉じてゆっくりと首を振る。
そして再び目を開いた桜彩の顔には、もう不安の色はなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方で葉月は、目の前の二人の様子を見て強く驚く。
(まさか、あの桜彩があんな表情をするなんてね)
少し前までは信じられなかったその変化に驚きと、そして嬉しさがこみあげて表情に現れる。
「ふふっ。それじゃあ見せてもらおうかしら」
「うんっ! 葉月、これを見て! これまで私が怜さんに教わってきたことが書かれているから」
「ええ、読ませてもらうわね。桜彩、あなたのこれまでの頑張りを」
そして葉月は差し出されたノートの二ページ目から眺めていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
桜彩の料理ノート。
そこに書かれた内容を葉月は一文字たりとも見逃さないようにじっくりと眺めていく。
二人が祈るように見守る中、ついに葉月はそこに書かれた内容を読み終える。
「ふふっ。凄いわね、これ」
満足そうに笑みを浮かべて頷く葉月。
そしてノートを閉じてテーブルへと置き、真剣な表情で怜を見据えた。
「怜、まずお詫びするわ」
「え、お詫び?」
「ええ。もしかしたら知っているかもしれないけど、桜彩が毎日色んな料理の写真を送って来てくれたよ」
「はい。それは知っています」
事ある毎に桜彩は料理の写真を撮り、姉である葉月に送っていた。
ちゃんとした食生活を送れていることを教え、安心してもらえるように。
「でもね、それはどう考えても桜彩一人じゃ作れないような物だった。だからこっちで桜彩の身に何が起きているのか確認しに来たのよ」
「え、ええっ!?」
葉月の告白に桜彩が驚きの声を上げる。
「そ、それじゃあ私が葉月を安心させようと思って送ってたお食事の写真は逆効果だったってこと……?」
「まあ結果としてそういうことね」
「そ、そんな……」
自分がやった行為が逆に大切な姉を心配させる結果となってしまったことに肩を落とす桜彩。
葉月はそんな桜彩に苦笑しながらも慰めるように頭を撫でる。
「言っておくけど、こっちに来たらその理由が美玖の弟だって分かって一応安心はしたのよ。でも、自分の目でちゃんと確認したかったの」
怜が桜彩にとって本当に力になってくれているのか、それを知りたかったということか。
「美玖の弟なら桜彩のことを誑かしてるわけじゃあないとは思ったんだけどね。それでも試すような真似をしてごめんなさい」
「試されたなんて思っていませんよ」
怜にしてみれば葉月は桜彩の成長を確認しただけ。
別に責められたわけでもないし暴言を吐かれたわけでもない。
それに大切な妹が同年代の異性と夜遅くに同じ部屋にいたのだ。
葉月の立場からすれば不審な目を向けるのは充分に自然だ。
「それと葉月さん、ノートの一ページ目を見て下さい」
「え?」
怪訝な顔をして怜の言った通りのページを開く葉月。
そしてそこに書かれていた言葉を見てその顔が驚きに染まる。
『目標:ゴールデンウィークまでに簡単な料理を作れるようになって葉月を安心させる!』
「桜彩……」
思わず葉月の目が熱くなる。
照れる桜彩を強く抱きしめる。
「良かったわね、桜彩。こんな良い人に巡り合うことが出来て」
「うん。怜さんと出会えて本当に良かったよ」
桜彩も葉月を抱き返してそう答える。
「そしてありがとう、怜。桜彩を大切にしてくれて」
怜の方を向いた葉月がそう怜に言葉を掛ける。
美人姉妹二人の笑顔に見とれながら、怜もつられて笑顔になっていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふう……」
ようやく葉月から解放された桜彩は、一度大きく深呼吸する。
「桜彩ちゃん。あたしからもお礼を言わせてもらえる?」
「え?」
するとそれまで黙っていた美玖が口を開いた。
「お、お礼と言われても、私は怜さんにお世話になっているだけですので……」
桜彩にしてみればお礼を言うことはあってもお礼を言われることに心当たりは全くない。
出会ってから今に至るまで、桜彩は常に怜に助けられてきた。
そんな頭に疑問符を浮かべる桜彩に対して美玖はふっと笑いかける。
「今のあなた達のやり取りを見て、二人の間に信頼関係があることは良く分かったわ。怜は他人を深い所では信用しない子だから。だからありがとう。あなたが怜にとって信に足る相手であってくれて」
「い、いえ……それでしたら私の方もです……。最初に説明したように、怜さんが私のことを友人として大切にしてくれたので、私も怜さんを信じることが出来たんです」
「だからこそそこで怜を裏切らないでくれたのが嬉しいのよ」
そう言いながら笑いかける美玖。
桜彩としては前から不思議に思っていたことがある。
怜は基本的に人当たりも良く多くのクラスメイトとも交流を持っている。
しかし怜と仲良くなった今なら、怜は陸翔と蕾華以外の相手には一線を引いているのが良く分かる。
おそらくだが美玖の言葉は怜にとってその辺りの――
「……お茶を淹れ直しますね」
そんなことを桜彩が考えていると怜がそう言って立ち上がる。
「あ、私も手伝います」
慌てて桜彩も立ち上がって怜の後を付いて行く。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そんな二人の様子を美玖と葉月、そして守仁は優しく見つめる。
「本当に仲が良いな」
「ええ。良かったわ。こうして引っ越してきた部屋の隣にあなたの弟が住んでくれていて」
「それこそあたし達の方こそ。隣に桜彩ちゃんが引っ越して来てくれて本当に良かったわ」
仲良くお茶の準備をする二人の後姿。
それを三人は微笑ましく見つめていた。




