第36話 ブラコンの襲来
二人でお茶を飲んでいると、怜の耳が異音を捉えた。
「ん……?」
「怜さん?」
怜は自らの唇に人差し指を当てて静かにするよう桜彩に指示を出す。
(今の音は玄関か……? 鍵の掛け忘れ……?)
自分しか住んでいない家に無断で入り込んでくる相手だ。
桜彩にキッチンの方へ隠れているように手振りだけで指示を出し、怜はリビングにある木刀を持って内扉の方へと向かう。
姉に『一人暮らしなんだからちゃんと用心しなさい』と送られた木刀は玄関だけではなくいざという時の為に各部屋の場所に置いてあるのだが、まさか役に立つとは思わなかった。
侵入者の心当たりとして真っ先に思いつくのは怜の親友である陸翔と蕾華の二人だが、あの二人は家主に無断で入ってくるということはまずしない。
瑠華ならば入った瞬間からうるさくしてくる為にこんな静かということはあり得ない。
(もし本当に不審者が相手なら、先手必勝か……)
何よりこの部屋には桜彩がいる。
この大切な友人に万一のことがあってはならない。
そう考えた怜は相手が内扉に近づいたところでこちらから扉を開ける。
「きゃっ……!」
「動くな!」
そのまま相手の喉元へと木刀を突き付けて内扉を閉める。
だが不審者を確認しようと顔へ視線を向けると、そこには怜の良く知った、ここにはいるはずのない、しかしいてもおかしくない相手が立っていた。
相手を認識した直後、怜の顔が驚きで染まる。
そしてその相手は突き付けられた木刀に一瞬驚いたものの、すぐにそれを片手でどかして怜のことを非難するように睨んでくる。
「ちょっと怜! いったい誰に対してこんな物を向けているの!?」
そう不満げに怒鳴ってくる相手の女性。
整った顔立ちは可愛いというよりは綺麗系であり、桜彩よりもより大人びている。
というか、実際に学年で考えると三学年上である。
「姉さん!?」
そこに立っていたのは怜の実の姉、今は大学に通う為に遠方で二人暮らしをしている光瀬美玖その人であった。
「なんでここに!?」
いるはずのない相手を目の前にして、本気で狼狽える怜。
「とりあえずあんたはそれをどけなさい」
「ああ、ごめん」
侵入者が美玖であれば、この木刀は不要だ。
怜は木刀を床に置き、その背後へと視線を動かした。
するとそこには美玖がいた時点で予想した通りの人物が立っていた。
「守ちゃんも来たんだ」
瀬名守仁。
怜の実家の隣に住んでいた三学年年上の幼馴染みであり、今は美玖の恋人で同じ大学に通い同棲生活をしている相手。
怜が本気で敬愛している兄同然の存在だ。
「よう怜。久しぶりだな」
片手を上げながら親し気に語りかけてくる守仁。
そしてその傍らの美玖に少し非難するような視線を向ける。
「なんだ。連絡してなかったのか?」
「新学期が始まってだらけてるかもしれなかったからね。だから抜き打ちで確認に来たのよ」
どうやら二人は怜がちゃんと生活出来ているか抜き打ちで視察に来たということだろう。
これまでにも何度か二人は怜の生活の様子を見に来ることがあった。
しかしこれまでは毎回事前に連絡を入れていたのだが。
普段であれば、たとえ抜き打ちで確認に来られたとて見られて困ることなどない。
しかし今は桜彩が中にいる。
別にやましい関係ではないのだが、とはいえ説明が面倒だ。
下手をすれば誤解される可能性もある。
「うん。とりあえずこの辺りはちゃんと綺麗にしてるわね」
「そりゃあねえ。そもそも中学までだってちゃんとやってたでしょ?」
「ええ。まあ多分大丈夫だとは思ってたけど」
納得するように頷く美玖。
そもそも付き合いの長い関係上、怜がだらけると本気で思っているわけではないだろう。
「なるほど、事情は理解しました。俺は元気でやってますよ、お姉様。はい、以上。それではお帰り下さい。玄関はあちらです」
そう言って美玖の肩を掴んで百八十度回して背中を押して追い返そうとする怜だが、それは悪手だった。
普段であればこのように疑われるような行動をとることはないのだが、今に限っては冷静に判断が出来ていない。
そんな不自然な対応を、この姉が見逃すことはなかった。
笑顔だった美玖の表情が、みるみるうちに不信感を携える。
「怜、何を隠してるの?」
「いや、別に隠してないよ」
「ふーん。誰かいるの? ……もしかして彼女でも連れ込んでる?」
「いや、誰もいないし。彼女とか出来てすらいないから」
言って、しまったと思った。
いっそのこと彼女がいるから帰ってくれと伝えた方が良かったかもしれない。
後で根掘り葉掘り聞かれることになるだろうが、その場合は適当にイマジナリーガールフレンドをでっち上げれば、少なくとも桜彩の存在は隠せた。
「誰もいないんなら問題ないでしょ? あ、なに、何か変な物でも隠してるの?」
「うんそう隠してる。ほら、俺も高校生の男子だし。ってわけで姉さん、ちょっと待って」
別にそのような物を隠したりはしていないのだが、背に腹は代えられない。
だが、これも更なる悪手だった。
怜の返答に美玖の目がみるみる吊り上がる。
「怜。あなたなら知っているだろうけれど、今のあなたの年齢でそういう物を持つことは出来ないのよ」
「いや、それは知ってるけどさ……、その、ほら、いわゆる暗黙の了解というかそう言う……世間一般的な……」
怜本人は持っていないが、クラスメイトでそういったものを持っている者は存在する。
というか、下手をすれば多数派かもしれない。
「怜! 例え他がどうであれ、そういった物を持つことが許されることじゃないでしょ!? お父さんもお母さんも、あなたを信じて一人暮らしさせてるのよ!?」
目を吊り上げて怒る美玖。
とはいえ美玖の言っていることは正論だ。
怜も美玖も割と自由に育てられてきたのだが、それは自分達が節度を持って生活していたから。
だからこそ両親も自分達を信じて、あまり口うるさく言ってこなかったのだ。
正論で押してくる美玖に、怜はこの場をどう乗り切ろうかと真剣に悩む。
「はあ……。まさか、信用していた弟が、親の目の届かぬ一人暮らしを良い事に、爛れた生活を送っているだなんて……」
「いや、別に爛れた生活なんて送っては……」
「もういいからどきなさい」
内扉、その奥にあるリビングの方へと視線を移す美玖。
「リビングはお姉様に用事がないと言っています。それではまた今度」
「用事がないかはあたしが直々にリビングに聞くわ。ついでにあなたの部屋にもね。さあ、そこをどきなさい」
「嫌です」
「ど・き・な・さ・い」
睨みつけながら同じ言葉を繰り返し美玖がプレッシャーを掛けてくる。
対して怜はプレッシャーに負けないように必死で無表情を作りつつ同じ言葉を繰り返す。
「怜、あなた、いったい何をそこまで隠しているの?」
「……い、いや、その…………」
「はあ、もういいわ」
額に手を当て溜息を吐く美玖。
次の瞬間、美玖が怜の手を取り、合気道の要領でそのまま位置を入れ替えた。
「え…………」
完全に油断したタイミング。
一瞬の隙を突かれて困惑する怜をよそに、美玖はリビングの扉へと手を掛け勢いよく開く。
「ちょっ……! 姉さんストップ!」
「いいわけは後で聞くわ! 見せてもらうわよ! って……え……………………?」
慌てて怜が後を追うが、もう遅い。
美玖の目は椅子からキッチンで驚いた表情をしている美少女――桜彩の姿を捉えていた。




