表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二人の間柄  作者: kuga
1/3

【1】

【1】


「お母さんのお見舞いは、もういいの?」


 そう聞かれると、彼は決まり悪そうに目を逸らした。


「ああ、いいんだ」

「どうして」

「親子関係は冷え切っていたし、いまさらね」


 深いため息をついて、彼はぐるりと病室を見まわした。どこに視線を送っても、目に入るのは白色ばかり。ここまで単調な部屋に閉じ込められたら、気が狂ってしまいそう。彼はそんなことを考えてから、再び彼女を見やる。


「君、いつからここにいるの」

「さあ、いつからかしらね」

「じゃあ、忘れてしまうぐらい、入院生活を続けているわけか」


 おどけた調子で言ってみると、彼女はゆっくりと瞼を下ろした。その様は、まるでシャッターを切るようだ。


「あなたには、きっと分からない」

「僕には、分からない? 何がさ」


 目を閉じたままでいる彼女を見ていると、彼はふと、こんなことを思った。もしかしたら、目を瞑っている今の状態のまま、二度と目覚めないのではないだろうか。


 そんな彼の心配をよそに、彼女はやはり目を閉じたまま喋っている。


「入院している時間がね、長ければ長いほど、現実から切り離されてしまうのよ」

「と、言うと?」

「この場所には、時の流れというものがない」


 言って、彼女は目を開ける。彼には視線を送らずに、窓の外へと顔を向けている。


「ここにいる人はみんな、死を受け入れる覚悟をしているのよ。明日死のうが、今日死のうが、私たちにとっては同じこと。だから、もうここは時が止まっているの」

「みんな、というと君も?」

「ええ、そうよ」


 彼は、彼女の視線の先を辿っていった。そこにあるのは、昼下がりの空に何本もの縦線が入った景色である。


「鉄格子――自殺防止、か」


 呟くように彼が言うと、クスッとした笑い声が聞こえてくる。


「こんなものなくても、死にやしないのに」

「どうだかね。人間、絶望の淵に立たされると、何をするか分からない」

「それは、絶望していたらの話でしょう」


 微笑みながらもどこか嫌味っぽいその表情に、彼は肩を竦める。


「君は、絶望していないのか」

「さあ、どうでしょうね」

「さっき君は、この場所は時間が止まっていると言っていたけれど」

「それがどうかしたの」

「いや、それって結局、止まっているんじゃなくて、止めているんじゃないかと思ってさ」

「あら、あら」


 唇を尖らせて、彼女はそっぽを向いた。それでもかまわずに、彼は言葉を紡ぐ。


「時間っていうのは、勝手に止まることはないんだよ。たとえ君が死のうとも、時は止まることなく流れ続ける。そうだろう?」


 いじけたように、彼女は頭まで布団を被った。そのまま寝返りを打って、モゴモゴとなにかを喋っている。


「聞こえないよ、それじゃあ」


 彼は、布団に手をかけてゆっくりと剥がした。


「あなた、意地悪なのね」

「さあ、どうだか」

「なによ、それ」


 顔を半分だけ出している彼女の姿は、子供のようであった。彼は静かに手を伸ばすと、彼女の頬を愛撫する。まだ乾燥するような時期ではないが、肌は潤いを失っていた。


「一つ、言ってもいいかい」

「どうぞ」

「僕はね、止まってしまったらしい君の時計を、なおしてあげようと思う」


 顔に薄らとした朱色が浮かんだ。彼女はそれを自覚したのか、両手で隠そうとする。


「ねえ、季節外れの紅葉って、どうかしら」

「さあ、どうだろうね。悪くはないと思うよ」


 そう言ってやると彼女は、両手を顔から離した。いくぶん血色が良くなっている。しかし、上気した顔を見ていると、痩せこけた頬がより目立つ。


「それで」


 と、彼女は唇をペロリと舐めてから言う。


「どうやって私の時計を、なおしてくれるのかしら」

「デジタル式のものなら、電池を換えてやればいい」

「旧式のものだったら?」

「ネジを巻き直してやればいい」


 おどけた調子で言ってやると、彼女はわずかに微笑んだ。


「それぐらいじゃ、なおらないわよ」

「でも、君の時計はとてもシンプル。だから――」


 そっと唇を重ねると、口の中に血の味が広がった。彼は唾を飲みこんで、少しだけ目を細める。しばらくの間を置いてから、彼女の胸にそっと手を添える。


「ほら、動き出した」

「そうね。今にも飛び出してしまいそうよ」


 指先を通して伝わってくる鼓動。それはとても小さいけれど、確かに彼には感じ取ることができた。


「どうやらまた、時が流れはじめたようだね。それで、これからどうするんだい」

「そんなこと、決まっているじゃない」


 そう言って彼女は、彼の手を強く握りしめる。


「また止まってしまうその時まで、あなたのことを待ち続けるわ」


 彼女の笑顔に対して、彼は微笑みで返した。


「じゃあ、止まった頃に、また来るよ」


 彼女の手を優しく解いて、彼は背を向ける。


「ねえ」

「どうしたのさ」

「次来るときは、嘘、つかないでいいわよ」


 頭を小指で掻きながら、彼は何も言わずに歩みを進める。扉に手をかけ、ゆっくり開く。大きく一歩を踏み出すと、彼は少しだけ振り返った。


「そうだね。次は、君だけで済みそうだ」


 彼は、それだけ言い残して立ち去るのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ