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黒の貴公子  作者: 健康
9/22

9話 聖痕騎士団アンセム


「見事だ、黒の貴公子よ」


 血と硝煙の匂いが立ち込める死闘の跡地に、その声は場違いなほど低く、そして恐ろしく澄み渡って響いた。

 振り返ると、そこには一人の男が立っていた。

 血の穢れを知らぬ純白の鎧。皓々とした月の残骸の明かりを浴びて鈍く輝くその姿は、この世の者とは思えぬほど神聖であり、同時に異質だった。フードの奥で、揺らめく炎のような双眸が俺を射貫いている。


 ――この魔力の質、魔察眼と掌握察が告げる。

 奴の周囲に展開する光属性の魔力は、パイロン家や血屠人のそれとは次元が違う。

 肌を刺すような聖なる圧力。俺の魂が根源から拒絶する、狂信の歪み。

 

 より純粋で、より深く、そして何より――正気を逸したような歪みを孕んでいる。血屠人が口にしていた通り、白いローブを着た教皇庁の連中が呼んでいたアンセム、その人だろう……。


 その男が、


「……我が同胞、〝聖痕持ち血屠人〟がこうも容易く屠られるとは思わなかった。奴は確かに下品で粗野な男だったが、その牙は我ら【聖痕騎士団スティグマ・ナイツ】の中でも随一だった。それを一人で討ち滅ぼすとは……やはり噂は真実だったようだな」


 聖痕騎士団。それが、こいつらの組織の名前か。

 その一歩一歩に合わせて、地面から光の槍が音もなく次々と突き出し、鋭い穂先が俺を取り囲むように光の檻を形成していく。


「噂?」

「いかにも、アンデッド村の討伐など、表向きの任務に過ぎん」

「狩魔の王ボーフーンの勢力の打倒のためか」

「ハッ、聖戦を起こしている根元の連中か、忌々しいが、魔族殲滅機関(ディスオルテ)たちが総出でかかれない以上は〝傷場〟の確保……その神の御業には、千年単位の忍耐が求められる。我らに残された時間は、悲しいかな、それほど長くはないのだ」

「他にも、目的があるような言い方だな」

「無論だ、我が聖痕騎士団の〝探知石〟が反応したのだ。この近辺に、失われた聖痕の残滓を持つ者がいる、と」


 聖痕だと?


「……ほぉ……聖痕を持つ者か、そんな奴がいるのか」

「…………そうだ、〝肝血脈力〟と共に失われた、あの〝失敗作〟の聖痕騎士の反応が。そして、その反応とは別に、お前という存在そのものが罪深い」

「罪深い? ハッ、では、高尚な神父様、俺の罪をお金で贖い、浄化してくれますか?」


 皮肉を込めた言葉に、アンセムは、立ち止まる。

 頬を少し引き攣らせ、カッと双眸が見開く瞳の奥で凍てつくような怒りの炎が燃え上がり、両腕を天に掲げた。


「――汝の罪は、血屠人を倒したことではない! 『存在』そのものが、罪なのだ! 吸血神ルグナドの高祖吸血鬼、お前たちの血は穢れている!」


 奴の声が、もはや人のものではなく、神託を告げる厳かな詠唱へと変わる。


「――主よ、我が心は炎と化し、我が血は雷鳴と化す。悪しき者の前に立つ時、汝の光、我を包めり」


 夜氣が震え、アンセムの体から溢れ出す光が、夜の闇を白昼のように照らし出す。

 その光に照らされて、亡霊のように新たな人影が次々と姿を現した。


 白いローブを纏い、顔に奇怪な刺青や焼印を施した者たち――二十、いや三十は下らない。

 全員が同じように顔に「聖痕」を刻んでいるのか。


「「「主の御名において、倒れし兄弟の仇を」」」


 ――騎士たちの唱和が響く。

 血屠人の死を悼むというより、むしろ新たな生贄を前にした歓喜しているような狂氣じみた声色だ。


 ズキリ、と白剣の傷が疼く。血屠人の聖なる呪詛が骨の髄まで焼き付き、高祖吸血鬼の回復力をもってしても、なかなか塞がらない。――逃げるか、戦うか。

 いや、選択肢などない。この包囲網を突破するには、また<影刻加速>を使うしかないが、体が持つかどうか――。

 〝夜帯華紐〟を意識した、アレを戦闘に使うようにはしておこうか。


「さあ、始めようか。汝の魂の浄化を」

 

 アンセムが右手を掲げると、その掌から白熱の光が収束し、夜氣を切り裂くように輝く光の剣と化した。


「我はアンセム。光神ルロディスの御名において、汝に問う」

 奴の瞳が、狂氣の炎を宿しながら俺を射抜く。


「なぜ生きている? なぜ人の血を啜る? なぜ闇に潜み、光から逃げる?」


 問いかけながら、一歩、また一歩と間合いを詰めてくる。足元の光の茨が俺の退路を完全に塞いだ。


「答えは簡単だ。汝らは世界の『間違い』、神が創りしこの美しき世界の『歪み』だからだ」


 アンセムの背後で、騎士たちが武器を構える。

 槍、剣、弓――すべてが俺という存在を否定する浄化の光を帯びている。


 俺の血に応え覇王のシックルが共鳴するように脈打った。

 父の言葉が脳裏をよぎる――『力は道具であって、目的ではない』。

 だが、今この瞬間、生き延びるためには――この覇王のシックルと魔刀鬼丸を全力で使い、アレも使うしかないだろう。


「……黒の貴公子よ、最後に一つ教えてやろう」


 アンセムが剣を構えた。神剣か、聖剣だろうな。


「汝の血には、我々が知る吸血鬼とは異なる深き罪が刻まれている。それが何なのか、知りたくはないか?」

「深き罪だと?」


 思わず声が漏れた。奴の言葉が、胸の奥に突き刺さる。

 ソレグレン派の血脈のことか。それとも、母の研究の結果か。

 確かに、普通の高祖吸血鬼とは違う、ソレグレン派の血脈が流れているが、その反応をあいつらの魔道具か何かで察したのか?


 俺の表情を見たアンセムの唇が歪んだ笑みを作る。


「興味があるようだな。だが――」


 と、聖剣を振るう。

 光の斬撃が空を裂き、俺の頬を掠め、血が散った。

 アンセムは続けて、聖剣を突き出し、


「――その答えは、地獄で聞くがいい」


 その突きを避け、逆袈裟の斬撃も見るように、紙一重で避けた。

 聖剣の波紋には光の魔法文字が刻まれている。神聖書の祝福に関する文言だろう、教皇庁側の噂は独立都市ヘルキオスの酒場で幾つか聞いた。連続した攻撃を避けると、アンセムは追撃をせず、俺を凝視し、


「……なるほど、噂通りのS級か――高祖の血め」


 聖剣を振るって、足下の草を斬る。覇王のシックルを構え直した。

 体中の傷が叫びを上げるが、意識を研ぎ澄ます。

 すると、


「「「神聖書聖戦篇を諳んじよ――『戦いの角笛が響く時』」」」


 騎士たちが一斉に詠唱を始めた。


「「「『正義の戦士たちは雄叫びを上げん』」」」


 騎士たちの詠唱に呼応し、聖剣などの武器類が、より一層輝きを増す。

 その光は俺の<血魔力>を直接焼き、激痛の波となって全身を駆け巡る。


「聖痕騎士団よ、光神の御名において殲滅せよ!」

「「「光神ルロディスの御名において――聖戦開始ィィ!」」」


 狂乱の雄叫びと共に、騎士たちが一斉に襲いかかってきた。

 前方から三人、左右から各五人――光の槍が複雑な軌道で急所を狙う。体を捻るが、脇腹を焼けるような痛みが貫く。

 覇王のシックルで一人の首を刎ねるが、その隙に別の剣が、斧が、俺の体に次々と新たな傷を刻んでいく。

 ――これは厄介だ。


 横に跳び、斬撃を避けるが、完全には避けきれない。次の槍の穂先が脇腹を掠めた、痛みが走る。

 次の槍の穂先を覇王のシックルを振るい弾き、魔刀鬼丸で突き、複数の剣を弾く、一斉に突き出された剣を覇王のシックルの湾曲した刃に引っ掛け、払い流しながら、一人の騎士の脇腹を魔刀鬼丸の<血剣・一穿>で貫き、蹴り跳ばし、反動で背後に跳躍し、複数の攻撃を避ける。そして、反転から前に出て槍と剣の攻撃を避けがら、騎士の首を魔刀鬼丸で狙うが――奴は身を低くして回避――。

 同時に別の騎士が横から斬りかかってくる。右から剣、左から斧――連携が取れている。


 覇王のシックルの柄で剣を受け流すが、斧が肩に食い込んだ。


「ぐっ――」


 血が噴き出す。すぐに回復を始めるが、光属性の呪詛が傷口を焼き続ける。

 構わず、前に出て、斧を振った騎士の首を魔刀鬼丸の刃で貫いた。

 槍の攻撃を腹に受け、ジュッと内臓が焼け焦げるが、構わず、前に出て、槍使いの腕を覇王のシックルで切断し、魔刀鬼丸で逆袈裟を繰り出し、槍使いの腹を薙ぎ、倒し、前に出て、魔刀鬼丸で一人の喉を掻き切る――

 その間に、二本の槍が脇腹を抉る。痛みで動きが鈍った一瞬に、三人目の剣が肩を砕く。連携が取れている――。

 これは単なる騎士ではない。死を恐れぬ狂信者の集団だ。


「「「主の御名において、倒れし兄弟の仇を」」」


 新たな騎士たちが、倒れた仲間の位置を埋めるように展開する。

 ――一人斬る。すぐに別の騎士が穴を埋める。

 二人目――倍の時間がかかった。三人目――

 相打ち覚悟で俺の胸を狙ってくる。辛うじて致命傷は避けたが、左腕に深い傷を負った。


「ほう」


 アンセムが満足そうに頷いた。


「やはり噂に聞くS級……。我が教皇庁暗部、聖痕騎士団が〝聖札〟の名の下に選びし【黙示の尖兵アポカリプス・ヴァンガード】を相手に、まだ立っているとは!」


 十数人目の騎士を斬り伏せた時、俺の体はもはや原型を留めていなかった。

 再生が追いつかず、全身から流れる血で地面が濡れている。

 血屠人の白剣で受けた傷に加え、騎士たちの光の武器が刻んだ無数の傷。高祖吸血鬼の回復力を持ってしても、追いつかない。

 だが、まだ二十人は残っている。そして何より――アンセムが動き始めた。


「よく戦った。その褒美に、私自らが浄化を授けよう」


 奴が一歩踏み出すと、地面が砕けた。次の瞬間、俺の眼前に現れる。

 速い――! 辛うじて覇王のシックルで受け止めるが、衝撃で両足が地面に沈む。


「これが高祖吸血鬼の力か。我が精鋭たちを、屠れるわけだ!」


 アンセムの剣が、光の軌跡を描きながら連続で振るわれる。

 一撃一撃が千斤の重みを持ち、受け止めるたびに腕が痺れ、骨が軋んだ。

 奴の剣技は、単純な力押しではない。一撃目を受け流せば、すぐに角度を変えて二撃目が来る。

 神に祈りを捧げるように流麗でありながら、一撃ごとに骨を砕く破壊の意志が込められていた。戦いそのものを愉しんでいる。避ければ追撃、受ければ体勢を崩される。

 ――くそ、動きが読めない。アンセムの剣が俺の左肩を切り裂く。すかさず覇王のシックルで反撃するが、奴は最小限の動きで回避し、返す刃で俺の脇腹を狙ってくる。

 辛うじて身を捻って避けるが、完全ではない。鎧越しに肉が裂ける感触。


「フッ、光神の御業を感じたか? 我らは、聖戦の名において、吸血鬼どもをこの世から抹殺する――」


 アンセムが歓喜の声を上げながら、光の鎖を俺に向けて放つ。

 横に跳んで避けるが、別の騎士の槍が待ち構えていた。

 腿を貫かれる。膝が折れそうになるのを、覇王のシックルの白焔が包む闇夜剣で支える。


「どうした、黒の貴公子、高祖吸血鬼なのだ、まだだ、まだ立てるだろう?」


 アンセムの挑発に、怒りが込み上げる。だが、それこそが奴の狙いか。

 覇王のシックルが白熱の光を放ち始めた。俺の怒りに呼応しているのか、それとも――。


「ほう、その武器……やはり只者ではないな」


 アンセムが一瞬、距離を取る。その隙に、残った騎士たちが詠唱を始めた。


「「「『血は流れども、それは清めの雨』」」」

「「「『炎は燃えても、それは愛の光』」」」


 詠唱に合わせて、騎士たちの武器がより強い光を放つ。包囲網が狭まってくる。

 ――このままでは。

 覇王のシックルを両手で握り直す。体中の<血魔力>を絞り出すように集中させる。


「無駄だ」


 アンセムが再び突進してきた。今度は先程より速い。

 剣と剣がぶつかり合い、火花が散る。いや、火花ではない――魔力が衝突し、空氣が爆ぜている。

 一合、二合、三合――押し合い、弾き合い、斬り結ぶ。アンセムの剣技は正統派でありながら、どこか狂氣を孕んでいる。まるで戦いそのものを楽しんでいるような――。


「ハハハッ、素晴らしい血剣術――そして、これこそが聖戦だ!」


 アンセムが鎖を振るいながら、聖剣を突き出す。

 それを白焔が包む闇夜剣で払うが、別の騎士の聖剣が脇腹を掠めた、その聖剣を覇王のシックルの柄で下に弾き、魔刀鬼丸で<血剣・枇杷薙ぎ>を繰り出し、袈裟斬りに騎士の上半身を斬り、覇王のシックルの白焔が包む闇夜剣で、また体を支えた。


「……強い。的確な動きに反撃、不死の戦術、不死の血剣術の最たるものか……」


 アンセムの瞳が、狂氣に輝いている。奴は本氣で楽しんでいる。俺を追い詰め、苦しめることを。

 ――こいつは、血屠人とは別の意味で狂っている。


「神聖書第七十三篇――『主よ、我を狂氣と呼ぶ者もあろう。されど、汝への愛に狂うこと――これ以上の栄光なし』」


 詠唱しながら、アンセムが両手を広げる。奴の全身から、眩い光が溢れ出した。


「さあ、第二幕といこうか」


 二本の剣刃が十字を描きながら迫る。

 右を防げば左から、上を受ければ下から――まるで光の檻に閉じ込められたような錯覚に陥る。

 俺の覇王のシックルが白焔を纏いながらアンセムの右の刃と激突する。衝撃で腕が痺れる。すかさず左の刃が俺の脇腹を狙うが、身を捻って紙一重で避ける。


「逃げるな!」


 アンセムが叫びながら、十字架の構えを崩さずに前進する。奴の体から放たれる光が、俺の<血魔力>を焼くように痛みを与えてくる。

 ――この光は、ただの聖なる力じゃない。

 何か別の、もっと古い力が混じっている。奴の胸元から、わずかに異質な波動を感じる。

 光の剣が二本に分かれ、十字を描きながら迫る。右を防げば左から、上を受ければ下から――光の檻に完全に閉じ込められた。

 騎士たちが再び動き始めた。アンセムとの攻防に集中している俺の隙を狙い、光の槍が背後から迫る。振り返る余裕はない。本能的に横に跳ぶが、完全には避けきれず、右肩を貫かれた。


「ぐあっ!」


 よろめいた瞬間、アンセムの二本の剣刃が同時に俺を挟み込むように迫る。

 覇王のシックルで片方を弾くが、もう片方が太腿を切り裂く。

 膝が崩れそうになる。だが、倒れるわけにはいかない。


「まだ立つか。さすがは高祖吸血鬼」


 アンセムの声に、賞賛と狂氣が入り混じる。奴の顔に浮かぶ笑みが、一瞬歪んだ。

 まるで何かに苦しんでいるような――。


「だが、それも終わりだ。光神ルロディスの御名において、汝を浄化する!」


 アンセムが両腕を大きく振りかぶる。二本の剣刃から、眩い光が爆発的に溢れ出した。


「聖痕騎士団よ、最後の審判を!」

「「「主よ、我らの祈りを聞き給え!」」」


 騎士たちの詠唱が最高潮に達する。俺を取り囲む光の檻が、完全に退路を断った。

 脳裏に、ミレイの顔が浮かぶ。

 ――ここまでか、否、違う。破壊の王ラシーンズ・レビオダ、狂氣の王シャキダオス、地底神トロド、地底神セレデル、旧神の連中、無数の死線を越えてきた。あいつらに会うまで、死んでたまるかよォッ!


「――終わりだ、黒の貴公子!」


 アンセムの二本の剣刃が、巨大な光の十字架となって俺に迫る。

 心の叫びに呼応し、<血魔力>が沸騰する。〝夜帯華紐〟から〝血魂の琵琶〟を解き放ち、宙空に浮かせた。想いだけで『血』と『魂』と『影』の弦を掻き鳴らす――!

 ベンッ、と空間そのものが悲鳴を上げるような不協和音が響き渡る。

 血のように赤い波動と影のように黒い波動が交錯し、騎士たちの魂を直接揺さぶって動きが鈍った。

 同時に左腕を振るい、魔刀鬼丸が、アンセムの光の十字架を内側から斬り裂く――。


 魔刀鬼丸が光の十字架を切断し、二つの剣刃を弾いた。


 アンセムは「なに!?」と驚き、波動の爆発で後退。

 ――同時に足下から<血魔力>放出させ、<血剣術>系統、ハルゼルマ流『化現(かが)り』の構え――。

 〝血魂の琵琶〟の低く唸るような旋律を発した<血魔力>に乗るように、白焔が包む闇夜剣を突き出し――血の軌跡が道となり、その上を滑るように駆け、白焔が包む闇夜剣と魔刀鬼丸で正面の騎士たちを貫き、薙ぎ払い、包囲網に風穴を開けた。

 

 更に、二人の騎士を白焔が包む闇夜剣と魔刀鬼丸の<血剣・双回し>で薙ぎ払い、前進――。

 

 そして、<血文王電>――。

 血が雷と化し、両手の武器を紅く染め上げた。

 体を横に捻り、双回しを繰り出した。

 二つの刃が弧を描き、雷光を纏いながら騎士たちを薙ぎ払う。

 そのまま横に回転を続け、五人の騎士を瞬時に両断した。足下から立ち上る血煙を吸収するように、回転を終え、ぴたりと両足の動きを止めて半身の構えを取る。


 アンセムが後退した地点で立ち止まり、俺を見据えた。

 奴の顔に浮かんでいた狂信の笑みが消え、代わりに真の驚愕と――僅かな畏怖が浮かんだ。


「<血魔力>を帯びた琵琶に、血雷か……そして、今の技、単なる剣術ではない」


 奴の二本の剣刃が、再び一つに結合する。だが、先程とは違う。

 剣から放たれる光が、より禍々しく、より深い色を帯び始めた。


「……その通り、〝血魂の琵琶〟は特殊。そして、最後の審判だが、聖痕の騎士たちよ、ジャッジメントを逆に浴びた氣分はどうだ……そしてアンセム、お前にも真の審判を受けてもらおうか」

「我らをここまで嘲笑するとは、舐められたものだ……」


 アンセムの瞳に、再び狂氣の炎が宿る。だが、今度は違う。より危険な、より根源的な狂氣だ。


「では、私も本氣を出させてもらおう」


 アンセムの胸元から、鎧の隙間を縫って赤黒い光が溢れ出す。

 残った騎士たちが、恐怖に震えながらも再び陣形を整えようとする。だが、その動きは明らかに鈍い。〝血魂の琵琶〟の音色が、まだ彼らの体に残響として作用している。


「聖痕騎士団よ、下がれ」


 アンセムの命令に、騎士たちが困惑の表情を浮かべる。


「しかし、アンセム様――」

「命令だ! これは最早、数の勝負ではない」


 騎士たちが渋々と後退する。戦場に、俺とアンセムだけが残された。

 月光の下、二人の戦士が対峙する。俺の覇王のシックルから滴る血と、アンセムの剣から放たれる光が、地面に奇妙な紋様を描いていく。


「さて、黒の貴公子よ。先程の言葉、取り消す氣はないか?」


 アンセムが剣を構え直す。

 今度は正眼の構え。だが、その剣から放たれる光属性の圧力は、先程の比ではない。きっと名のある聖剣か神剣だろう。


「取り消す? 何を言っている」


 俺も覇王のシックルの白焔が包む闇夜剣を構えた。

 〝血魂の琵琶〟は宙に浮かせたまま、いつでも音色を奏でられる位置に待機させる。


「貴様は言った。『ジャッジメントは俺がしてやろう』と。その傲慢、光神への冒涜だ」

「冒涜? ハッ、お前たち教皇庁の連中こそ、光神の名を騙る偽善者じゃないか、金で罪を浄化し、他の種族を率先し奴隷化している。女尊男卑のダークエルフ以上の選民国家のクズ連中だろう」


 アンセムの表情が、一瞬歪む。図星か。


「黙れ!」


 奴が地面を蹴った。先程より遥かに速い。

 いや、速いだけじゃない。その動きに、人間離れした何かが混じっている。剣と剣がぶつかり合う。凄まじい衝撃波が走り、足元の地面が蜘蛛の巣状に砕け散った。

 押し合う剣と剣。アンセムの剣から放たれる光が、俺の<血魔力>を侵食しようとしてくる。

 その時――。


「おやおや、アンセム。珍しいお客さんじゃないか」


 細面の美男――ダコテソームの声が響いた。奴は優雅な足取りで近づいてくる。

 返り血で染まった白いローブが、月光の下で不氣味に輝いていた。


「ダコテソーム、邪魔をするな。この魔族は私が――」

「へへへ、独り占めは良くねぇぜ、アンセム」


 リンカーセンが反対側から現れる。顔中の針が月光を反射し、金属音を立てていた。


「高祖吸血鬼か。しかも、ただの吸血鬼じゃねぇな」


 そして、音もなくフォビーヌが俺の背後に立つ。小柄な体からは想像もつかない圧迫感が漂っていた。

 ――まずい。

 ディスオルテの一桁が四人。どれも化け物じみた実力者だ。


「それより、アンセム」


 ダコテソームが血屠人が消滅した場所を見つめる。


「あの下品な男、随分と面白い死に方をしたようだね。あれは聖痕騎士団の〝改造〟の賜物かい?」


 ――そうだ、血屠人の最期。

 自傷によって四メートルもの怪物と化し、骨を刃に変え、血肉を武器にした。あれは通常の人族にできることじゃない。

 アンセムは、


「その通り、暗部に関わる」


 と応えていた。


「……だろうな、聖痕騎士団の改造の賜物か」


 リンカーセンが不快な笑みを浮かべる。


「俺たちみたいに、ちょっとばかり人族やめてるってわけだ」


 ――人族をやめている。

 その言葉が胸に突き刺さる。教皇庁は、魔族を憎むあまり、自らも人ならざる道を選んだのか


「下がれ。この者は――」


 アンセムの表情が苦悶に歪む。鎧の隙間から、まるで生きた呪いのように赤黒い茨が蠢きだした。


「ぐっ――」

 アンセムの表情が苦悶に歪む。まるで、体の内側で何かと戦っているような。


「あらあら、また『アレ』が疼いているのかい? 〝茨の王〟の暴走は、見ていて飽きないねぇ」


 ダコテソームが愉快そうに笑う。

 

「黙れ!」


 アンセムが吠えるが、胸元の赤黒い光は強まるばかりだ。そして――赤黒い茨のような影が、アンセムの体から這い出てくる。


「おいおい、ヤベェじゃねぇか。茨の王の暴走か?」

 

 リンカーセンが一歩後退り、フォビーヌも、初めて警戒の色を見せた。

 

「アンセム様、一旦退きましょう」


 騎士たちの悲痛な声が響く。

 アンセムは聖剣を消し、震えた体を己の光の魔力で押さえるように片腕で反対の腕を掴む。

 何かの内なる力と必死に戦っているような印象を覚えると、ついに踵を返した。


「……今回は、ここまでのようだな」


 ダコテソームが肩をすくめる。


「高祖吸血鬼、君も面白い武器を持っているね。今度ゆっくり『美』について語り合おう」


 リンカーセンも舌打ちしながら、


「チッ、せっかくの獲物だったのによ。まぁいい、血屠人の敵討ちは今度だ」


 フォビーヌは無言のまま、既に姿を消していた。

 アンセムは半身でこちらを見て、


「次に会う時は、完全な姿で相手をしよう。お前の血の根源――必ず暴いてやる」


 ディスオルテの面々が、それぞれに闇に消えていく。


 戦場に、俺一人が残される。

 全身が限界を告げている。だが、生き延びた。

 地面の赤黒い茨の痕跡を見つめる。

 アンセムの体に宿る、あの異質な力。血屠人の狂氣じみた異形化。それら全てが、聖痕騎士団の「改造」の果てにあるという。

 

 血屠人の最期を思い返す。

 自分の血と骨を武器に変える狂氣。それは俺の<血魔力>と似て非なるもの。俺も、あんな化け物になってしまうのだろうか。 血屠人の異形化、アンセムの狂氣――教皇庁も、結局は力に溺れている。

 

 魔族を憎むあまり、自分たちも魔族になっている。

 俺とて、父の教えを忘れ、復讐に囚われれば同じ道を歩むかもしれない。

 ――それは、ケンダーヴァルと何が違う?

 力を求めるあまり、魂を失う。その行き着く先は――同じ地獄だ。


 さて、北の大都市――俺が目指していた【バルムスの大街衝】。

 その地下に潜むドムラピエトー要塞が当面の目的地。


 だが、ふらつく足では、あまりに遠い。

 今はただ……この体を癒やさねば。夜明けは、まだ遠かった。


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