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黒の貴公子  作者: 健康


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10/22

10話 バルムスの大街衝と黒の貴公子

 

 休みを重ね、獣を狩り、<吸魂>で血を啜る。

 そうすれば、回復は速い。エイハブラ平原を西北へ、旅は続く。


 この平原を歩くのは久しぶりだった。

 エレイザを救ったあの夜のことを思い出しながら、足を進める。

 あの小さな命を守った時、自ら「黒の貴公子」という名を名乗った。

 今ではその名が、各地で語り継がれる異名となっている。


 平原の風は乾ききり、まるで亡者の吐息のように赤茶けた大地に砂埃を舞い上げていく。遠くには古戦場の痕跡が痛々しく残り、朽ちた武器や白骨が無数の物語を語るように点在していた。戦死者の怨念がシャプシーとして夜な夜な彷徨うという噂もあるが、俺のような吸血鬼には、むしろ心地よい土地だった。


 時折、俺たちが通る大通りを、【ドンレッド蛮王国】の軍隊が南下していくのが見えた。その規模は相当なもので、重装歩兵が整然と隊列を組んでいる。

 兵士たちの装備を見ると、聖水の小瓶や銀製の武器を携行している者が多い。明らかにアンデッドや魔族を相手取る戦いを想定している。


 四日前に死闘を繰り広げた教会連中、死賢の勢力か、狩魔の王ボーフーンの軍か、あるいは黒き環(ザララープ)からの地底神勢力か……何に対する備えなのか、彼らの顔は一様に険しい。


 軍隊の先頭を行く旗手が掲げる軍旗には、【ドンレッド蛮王国】の紋章が描かれている。三つの赤い爪が交差するデザインで、古くからこの国の象徴とされてきた。


「また戦か……」


 呟きながら道端の岩陰に身を潜めた。

 軍隊が通り過ぎるのを待ちながら、兵士たちの会話に耳を澄ませる。


「北方で不穏な動きがあるらしいな」

「あぁ、地下から這い出てきた化け物どもが暴れ回ってるという話だ」

「聖騎士様方も出動されるのか?」

「そうらしい。大規模な討伐作戦になるかもしれん」


 断片的な情報だったが、情勢の悪化を物語っている。ヒミィレイス家の滅亡、エイジハル血印への襲撃……既に知っている戦況を思い返すと、この軍の動きも理解できる。


 軍隊が完全に視界から消えてから、俺は再び旅路についた。


 四日目の夕刻、コドラド川の流れが見えてきた。この大河は【ドンレッド蛮王国】の生命線とも言える重要な水路で、国境の役割も果たしている。川幅は二百メートルほどあり、濁った茶色の水が勢いよく流れている。


 川沿いには関所が設けられ、【ドンレッド蛮王国】の国境警備隊が厳重な警戒に当たっていた。石造りの検問所には、武装した兵士たちが詰めている。彼らの装備は精鋭部隊のものだった。


「通行証と身分証明書を」


 警備兵の一人が無愛想に手を差し出す。


「はい」


 準備していた偽造書類を差し出した。

 独立都市ヘルキオスで調達した一級品で、【真偽判定】の魔術にも耐える仕様になっている。警備兵は書類を詳しく調べ、俺の顔と照らし合わせた。『黒の貴公子』の名が知れ渡った今、一度でも正体がバレれば、即座に包囲されることになるだろう。


「目的地は?」

「【バルムスの大街衝】です。商用で」

「商用? 何の商売だ?」

「傭兵の仲介業です。最近は需要が高いものですから」


 警備兵は俺を上から下まで見回した。

 黒い外套に隠された武器、腰に下げた薬草袋。そして、首にかけ、胸元にぶら下げている商人ギルドの証明書を確認している。カードを見やすいように、紐で括られたカードケースを持ち上げた。目付きの悪い警備員は、証明書を見てから、俺を見て、


「……通れ。だが、街で騒ぎを起こすなよ」

「承知しております」


 そうして、コドラド川を越え、モドレラの丘を超えると、その国の【バルムスの大街衝】という名の四方を壁に囲まれた巨大な都市が見えてきた。整えられた街道が巨大な蛇のように、その街にまで続いているのが見えた。


 城壁の高さは五十メートルはあろうかという壮大なもので、表面には無数の【防魔結界】が刻まれている。要所要所に設置された魔導砲台が、巨大な眼光を放つかのように訪れる者を威圧するように光っていた。


 街道には、多数の商人や冒険者に行き交う。

 

 人族、エルフ、獣人、ドワーフが多い。商隊の馬車が列をなし、徒歩の旅人たちも絶え間なく続いている。エルフの魔術師が杖を手に優雅に歩き、筋骨隆々とした獣人の戦士たちが武器を担いで闊歩している。ドワーフの鍛冶師たちは自作の武具を背負い、ノームの錬金術師たちは怪しげな薬品を入れた瓶を大切そうに抱えていた。


 街道の両脇には宿屋や商店が立ち並び、活気に満ちている。

 食べ物の匂い、香辛料の香り、そして様々な種族の声が混じり合って、独特の雰囲気を作り出していた。


 その列に混じるように街道を進む、巨大な正門前に到着。


 分厚い正門は開かれた状態、門の左右には【ドンレッド蛮王国】の衛兵隊の屯所が建つ。


 正門は厚さ五メートルはある鉄製の扉で、常に開かれた状態。

 門の装飾は見事なもので古代の英雄たちの戦いを描いたレリーフが刻まれている。

 門の左右には精鋭衛兵が配置されており、鋭い目つきで通行者を監視していた。


 さて、ここは生まれて初めてだ。


 独立都市ヘルキオスで得た紹介状と、分泌吸の匂手(フェロモンズタッチ)を使用した吸血鬼同士の暗号文も教わっている。ドムラピエトー家のだれかが、俺の存在に氣付くだろう。分泌吸の匂手(フェロモンズタッチ)は縄張り宣言の意味もあるが、ま、大丈夫だろう。まずは、酒場と宿屋に移動だ。


 そこで、偽装冒険者として過ごしつつ、ドムラピエトー家の吸血鬼と接触だ。


 門をくぐる。ドワーフと人族たちの売り子の声が響く。

 【バルムスの大街衝】の内部は、想像以上に発達した都市だった。

 

 大通りは碁盤の目のように整備され、区画ごとに異なる特色を持っている。


 商業区では様々な店が軒を連ね、職人区では鍛冶の音が響き、住宅区では市民たちが穏やかな日常を送っている。そして中央には、巨大な【統治者の宮殿】がそびえ立っていた。

 独立都市ヘルキオスの商業区も発展していたが、ここはそれ以上の規模だろう。


 衛兵に教えられた紅い月亭を目指して歩き始めた。

 途中、様々な光景が目に飛び込んできた。街角で芸を披露する小柄獣人(ノイルランナー)、魔法の品を売るエルフの商人、そして酒場の前で大声で武勇伝を語る冒険者たち。


 この都市の活氣は本物だった。

 戦乱が続く中でも、人々は逞しく生きている。

 その姿に、俺は複雑な思いを抱いた。ハルゼルマ要塞にいた頃の平穏な日々を思い出してしまう。


 紅い月亭は石造りの三階建ての建物で、一階が酒場、二階以上が宿泊施設になっていた。看板には赤い三日月が描かれ、温かな光が窓から漏れている。


 紅い月亭に滞在してから三日目の夜、ついにその時が来た。


 部屋で休んでいると、窓の外から微かな音がした。

 分泌吸の匂手(フェロモンズタッチ)の香りだ。ドムラピエトー家の吸血鬼が近づいている証拠だった。

 窓を開けると、そこには黒いフードを被った人影がいた。


「ハルゼルマ家の生き残りの方ですね」


 低く抑えた女性の声だった。


「そうだ。君がドムラピエトー家の?」

「下級従者のセレナと申します。お待ちしておりました。<従者長>モモル殿から少しだけ話を聞いています」


 頷いた。

 そのセレナは地下通路へと案内してくれた。

 【バルムスの大街衝】の地下には、一般市民の知らない巨大な地下都市が広がっている。


 石造りの通路は複雑に入り組んでおり、迷路のようになっている。壁面には【暗視の魔石】が埋め込まれ、薄っすらとした光を放っていた。通路の要所要所には見張りが配置されており、ドムラピエトー家の厳重な警備体制が窺える。


「こちらです」


 セレナが案内した先は、地下深くにある巨大な要塞だった。

 無事に接触を果たし、地下ドムラピエトー要塞に招かれた。

 ここはドムラピエトー家の女帝バムア様が支配している。


 要塞内部は機能的に区画分けされており、居住区、訓練場、武器庫、そして神殿などが整備されている。廊下を歩く吸血鬼たちの表情は皆、引き締まっていた。


 戦時下にあることを物語っている。

 随所の仕掛けに、ハルゼルマ要塞を思い出す。


 しかし、バムア様は、闇神リヴォグラフ側の【暗夜十三の執行者】の軍と黒き環(ザララープ)からの地底神勢力との戦いで遠征中で留守だった。


 ドムラピエトー家が守っているセラ側の傷場は魔界の諸勢力が狙う。


 魔界側の傷場の防衛は吸血神ルグナド様の眷族衆が守りについているが、セラ側は、ドムラピエトー家が守りについていた。


 闇神リヴォグラフの勢力は、魔界側とセラ側の傷場に軍を差し向けることが多い。


「女帝バムア様にお会いしたいのですが」

「申し訳ございませんが、バムア様は現在遠征中でいらっしゃいません」


 セレナの説明によると、戦況は更に悪化しており、終結の目処は立っていなかった。ヒミィレイス家の滅亡以降、各地で激戦が続いているという。


「とりあえず、しばらく滞在させていただくことは可能でしょうか?」

「もちろんです。ハルゼルマ家の生き残りの方を邪険に扱うことはできません」


 こうして俺は、ドムラピエトー地下要塞での生活を始めることになった。


 要塞での生活が始まって一週間が経った頃、俺は吸血神信仰隊のアミアンと知り合った。

 アミアンに、ミレイたちのことを聞いたが、知らなかった。

 

 まぁ、そうだろうなと、ミレイは、このドムラピエトー要塞には辿り着いていなかった……ミレイ、サルジン、スゥン、ハルゼルマ家の生き残りはひょっとしたら……本当に俺だけなのか。


 アミアンは三十代半ばの男性吸血鬼。

 鋭い眼光と引き締まった体躯を持つ歴戦の戦士だった。


 彼の任務は地上の【バルムスの大街衝】に潜入している闇神リヴォグラフの眷族を密かに排除することだった。


「君も手伝ってくれないか? 人手が足りなくてな」


 アミアンからの提案だったが、彼の声には切実な響きがあった。


「実は、俺の妹が人族と恋に落ちてな。今は【バルムスの大街衝】で、正体を隠して暮らしている。だが、最近闇神の眷属が市民を襲う事件が頻発していてな……」


 彼は懐から小さな肖像画を取り出した。

 人族の青年と幸せそうに微笑む女性吸血鬼の姿。


「種族を超えた愛か」

「馬鹿げていると思うか?」

「いや……」


 俺はミレイのことを思い出していた。

 三度目の共同任務で、俺たちは偶然アミアンの妹・セリーヌと遭遇した。

 彼女は花屋を営んでおり、店が闇神の眷属に襲われていた。


「兄さん!」

「セリーヌ、なぜここに!」


 戦闘後、アミアンは妹を抱きしめた。


「ありがとう、ウタジ。君がいなければ、妹を失うところだった」


 それ以来、アミアンは俺を心から信頼してくれるようになった。

 彼との任務を通じて、人族社会に溶け込む吸血鬼たちの存在を知った。

 皆、それぞれの形で共存の道を模索していた。


 吸血神信仰隊のアミアンの仕事を助け続けた。

 【バルムスの大街衝】に潜入している闇神リヴォグラフの眷族衆を、人族たちにバレずに暗殺、倒すことにも。


 俺たちは商業区の【三日月商会】を調査した。

 情報によると、そこの番頭が怪しい行動を取っているという。


 夜闇に紛れて商会に侵入すると、地下倉庫で異様な光景を目にした。

 番頭は既に人族ではなく、【影喰いの魔】という闇神の下級眷族に成り果てていた。

 その周囲には、生気を吸い取られて干からびた商人たちの死体が転がっている。


「許せん……」


 アミアンが静かに怒りを込めて呟く。

 戦闘は一瞬で決着した。ハルゼルマ流『撞木の型』で間合いを詰めるまま、白焔が包む闇夜剣の切っ先が、影喰いの魔の心の臓を貫く。

 アミアンの魔剣の<血剣・一穿>だと思われる突きスキルが止めを刺した。

 

 だが、被害者たちを救うことはできなかった。


 このような任務を、俺たちは連日こなしていった。

 時には商人に化けた【夢喰いの悪魔】、時には学者を装った【知識簒奪者】、時には神父に成りすました【堕天使の使徒】。


 闇神リヴォグラフの眷族たちは巧妙で発見するのに時間がかかることも多かった。

 だが、俺の<血ノ感応>のスキルとアミアンの豊富な経験により確実に成果を上げていく。


 吸血神信仰隊のアミアンに協力し、闇神リヴォグラフ側の眷族を数十と倒し、貢献した。


 そうして、『魔界セブドラに向かう傷場を利用させてくれないか?』と、交渉をドムラピエトー家の<従者長>トウガに持ちかけ、二ヶ月が経った頃――。

 ついに<従者長>トウガとの面会の機会を得た。


 トウガは四十代の男性吸血鬼。

 長年の戦いで刻まれた傷跡が顔に残り、左目には眼帯を装着している。

 再生能力の高い吸血鬼が、敢えてそうした装備をする場合は、必ず理由がある、詳しくは聞かずとも、彼の強さと魔察眼以上の魔眼系のスキルを有していることは理解できた。


 そして、彼の執務室は要塞の最上階にあり、地上の様子を監視できるよう設計されていた。


「ハルゼルマ家の生き残りか。話は聞いている」


 トウガの声は低く、重みがあった。


「魔界セブドラに向かう傷場を利用させていただきたく、参りました」

「魔界セブドラか、理由は分かるが敢えて聞く、何故だ」

「吸血神ルグナド様に面会し、ハルゼルマ家の復活について相談したいのです。我が家を滅ぼしたパイロン家の裏切りとケンダーヴァル。そのケンダーヴァルが所属しているだろう【魔術総武会】への対処、その真実を明らかにしたい」


 トウガは長い間沈黙していた。

 彼の視線は俺を値踏みするように観察している。


「気持ちは分からんでもない。だが、傷場の使用許可を出せるのは<筆頭従者長>バムア様か<筆頭従者>のどちらかだ」


 肝心の<筆頭従者長>バムア様と<筆頭従者>の二人は出払っていた。<筆頭従者>も、休むことなく闇神リヴォグラフと黒き環(ザララープ)からの地底神勢力との戦いで、地下大動脈層に出撃を繰り返す。俺と面会なんてできる余裕も時間もない状況が長く続く……。


 ハルゼルマ要塞では、そうだったから納得だ。

 俺の落胆を見て取ったのか、トウガは続けた。


「だが、戦いに貢献すれば話は別だ。君の実力は認めている。前線で活躍すれば、バムア様の目に留まることもあるだろう」


 黒き環(ザララープ)は地下にも幾つか存在する。

 そこから現れる様々な来訪者。

 その一つが、獄界ゴドローンの地底神勢力、魔神帝国の連中だ。地下道のいくつかはそいつらが占有しているおかげで、そいつらとも戦っているようだった。


 そうした戦いに貢献しようと<従者>に混じるように一兵卒として参加し、戦場では力を発揮した。


 こうしてドムラピエトー家の一兵卒として戦場に赴くことになった。


 戦場は地下大動脈層と呼ばれる、地下深くに広がる巨大な空洞。

 その規模は一つの国、大陸に匹敵するほどで、通路は凄まじく多く、その各所で激戦が繰り広げられていた。


 敵は主に黒き環(ザララープ)からの地底神勢力だが、ドワーフのラングール帝国のどこかの支族、ダークエルフの無数にある魔導貴族の一隊など、様々。

 

 他にも岩石巨人ゴーレム、地底ワーム、クリスタル・スパイダーなど、強力なモンスターも多数現れ、統制の取れた動きで攻撃を仕掛けてくることもあった。


 俺が配属されたのは第三戦隊で、隊長は<従者>ランクのベテラン吸血鬼ガルムだった。隊員は三十名ほどで、皆歴戦の勇士たちだった。


「新入りか。戦場は甘くないぞ」


 ガルムの言葉通り、戦いは想像以上に過酷だった。


 初陣では、地底ワームの大群と遭遇した。

 体長十メートルはある巨大な芋虫のような化け物が、地面を掘り進みながら襲いかかってくる。その牙は岩をも砕き、体液は強力な酸性を持っていた。


「左翼に回れ! 正面から挟み撃ちだ!」


 ガルムの指示に従い、俺は左側面から魔刀鬼丸と白焔が包む闇夜剣で地底ワームに斬りかかった。だが、その皮膚は思った以上に硬く、魔刀鬼丸の刃が弾かれてしまう。覇王のシックルの白焔が包む闇夜剣だけは斬り傷を与えられた。


 <血剣・斜鳴突>――。

 白焔が包む闇夜剣を両手剣の大きさに変化させ、<血魔力>を込めて再度攻撃した。

 皮膚を貫き、地底ワームが苦悶の声を上げた。

 しかし、それは敵の怒りを買っただけだった。


 地底ワームが振り回した尻尾を後退し、避ける。

 そして、再び前進し、袈裟掛けに<血剣・枇杷薙ぎ>で巨大な尻尾を両断――。


「ギュアァァ」

「「「おぉ」」」

「いいぞ、新入り!」


 だが、他の吸血神たちが地底ワームの突進を喰らう。

 十メートル以上吹き飛ばされていた。

 更に、足下が突如崩れて、崩落――。

 下の岩盤層に衝突し、一瞬意識を失いそうになる。


「――しっかりしろ!」


 隣にいた仲間の吸血鬼が俺を支えてくれた。

 その間に、他の隊員たちが連携攻撃で地底ワームを仕留めていた。戦いが終わると、ガルムが俺の元にやってきた。


「動きは悪くないどころか相当な経験があるようだな。だが、ここでの戦い方、経験はまだ浅いようだ。われらも今の崩落があったように多数倒れている故、偉そうなことは言えないが……もう少し、周囲との連携を意識してくれると助かる」


 その通りだった。

 俺はハルゼルマ要塞では指揮官として戦っていたため、一兵卒としての戦い方に慣れていなかった。それから数週間――必死に学んだ。

 地形を活かした隊列の維持、連携攻撃のタイミング、退却時の行動など、一兵卒として必要な技術を身につけていった。


 やがて戦場で頭角を現すようになった。

 味方の<血魔術>と<血道>系の支援と遠距離攻撃に、血剣技を組み合わせた戦法は効果的で、特に岩石巨人ゴーレムとの戦いでは大活躍した。


 ある日の戦いでは、俺一人で三体のゴーレムを倒し、隊の窮地を救った。その日から、隊員たちの俺を見る目が変わった。


「ウタジさん、凄い」

「ハルゼルマ家の実力は本物だな」


 それなりに活躍はしたと思う。

 だが、数万の軍勢がぶつかり合う大戦において、一個人の武功など些細なものだ。かつては指示を出す側だった自分が、今は名もなき兵士として消耗していく。

 指揮官の意図も分からぬまま、ただ目の前の敵を斬る日々。その繰り返しが、確実に俺の心を蝕んでいった。

 ドムラピエトー家のバムア様には、俺の存在など伝わるはずもなかった。


 ハルゼルマ家の生き残りと周囲には伝えたが、闇神リヴォグラフ側との連戦によってそれどころではない状況が続いた。


 戦場では常に死と隣り合わせだった。

 今日一緒に戦った仲間が、明日は帰らぬ人となることも珍しくない。そのたびに俺は、ハルゼルマ要塞で散った同胞たちを思い出した。


 ミレイ、サルジン、スゥン……彼らは今、どこで何をしているのだろうか。生きているのだろうか。それとも、既にこの世にはいないのだろうか。


 エレイザとの約束――「必ず会いに来てね」その言葉が、俺に希望を与えてくれる。あの小さな命を守った時の感覚を思い出すたび、俺は戦い続けられた。


 一ヶ月半で七回の戦闘に参加した。

 その中でも特に印象深かったのは、【第四次地下大動脈防衛戦】だった。


「ウタジ、お前の覇王のシックルの力を見込んで頼みがある」


 ガルムが戦闘前夜、俺を呼び出した。

 彼の左腕には、かつて地底神の眷属に喰いちぎられた跡が生々しく残っている。

 再生を拒む呪詛の傷だった。


「敵の中に呪詛王と呼ばれる地底神の上級眷属がいる。奴の呪いで、俺の弟は魂ごと喰われた。もし奴と遭遇したら……」


 ガルムの拳が震えていた。復讐に燃える彼の姿は、かつての俺と重なった。

 戦闘では、予想通り呪詛王が現れた。全身から紫の瘴気を放つ異形の化け物。ガルムは理性を失いかけながら突撃したが、呪詛の鎖に捕らわれた。


「ガルム隊長!」


 俺は<血剣・白雷遷架>で呪詛の鎖を断ち切り、ガルムを救出。

 その後、二人で連携して呪詛王を討ち取った。


「……ありがとう、ウタジ。お前のおかげで、弟の仇を討てた」


 ガルムの目に涙が浮かんでいた。

 それ以来、彼は俺を「戦友」と呼ぶようになった。

 しかし、いくら戦果を上げても、バムア様は戦場から戻らない。

 トウガとの五度目の面会で、ついに現実を突きつけられた。


「残念だが、バムア様の帰還は当分見込めない。戦況は悪化の一途だ」


 トウガの言葉に、俺は決断を下した。これ以上ここに留まっても意味がない。


 かつて数千の部下を率いた<筆頭従者>だった俺が、今は名もない一兵卒。

 落ちぶれたものだ、と自嘲が込み上げる。

 そうした戦いでの貢献が認められ、再び<従者長>トウガとの面会が叶った。要塞の最上階にある彼の執務室に入ると、トウガは不敵な笑みを浮かべて俺を迎えた。

 

「『黒の貴公子』の実力は聞いているが、直に見たい」

「それは……」

「謙遜は不要。その名声と実力、本当にその名に相応しいか、確かめさせてもらおう」


 トウガは指を鳴らした。すると、部屋の影から三人の吸血鬼が現れた。

 

 一人は細身の女性吸血鬼、腰に曲刀を佩いている。

 もう一人は巨漢の男性吸血鬼、両手に戦斧を構えていた。

 最後の一人は中肉中背だが、その瞳には冷徹な光が宿っている。

「俺の親衛隊だ。彼らを相手に、1分間持ちこたえられたら、お前の話を聞こう」

 突然の展開だったが、拒否権はなさそうだった。


「いいだろう」


 覇王のシックルを構えた瞬間、三人が同時に動いた。

 女性吸血鬼の曲刀が風を切る。横薙ぎの一閃を覇王のシックルで受け止めるが、同時に巨漢の戦斧が頭上から振り下ろされた。

 

 身を捻って避けるが、三人目の吸血鬼が死角から拳を繰り出してくる。


「ぐっ!」


 脇腹に拳を受け、体勢を崩した。だが倒れるわけにはいかない。

 <影刻加速>を発動し、三人の連携攻撃を紙一重でかわしていく。

 

 戦闘は激しかった。三人の連携は見事で、俺は防戦一方。

 

 女性の曲刀が俺の退路を塞ぎ、巨漢が正面から圧力をかけ、三人目が的確に急所を狙ってくる。個々の実力では俺が上回っているが、連携の前では苦戦を強いられた。

 だが、ハルゼルマ流の技と覇王のシックルで、なんとか1分間を凌ぎ切った。


「時間だ」


 トウガの声と共に、三人の攻撃が止まった。

 肩で息をしながらも、倒れることなく立っていた。


「ほう……やるじゃないか」


 トウガの目に、初めて認める色が宿った。

「噂は本当だったようだな。<筆頭従者>の名に恥じない」


 その後、数回の面会と地下大動脈での戦闘を経て——。

 最後の面会では、トウガは別の表情を見せた。


「お前の戦いぶりを見てきた。ガルムからも報告を受けている。確かに、ハルゼルマの名に恥じない戦士だ」

「それでも、バムア様には会えないのですね」

「組織には組織の掟がある。だが……」


 トウガは声を潜めた。


「実は、バムア様から伝言を預かっている。『その者が真にハルゼルマの血を引くなら、西の古い祭壇を訪れよ』と。場所はこの地図に記してある」


 差し出された地図には、見知らぬ場所への道筋が描かれていた。


 地図に記された場所は、ドムラピエトー要塞の西端、普段は誰も近づかない古い区画だった。

 

 薄暗い通路を進むと、やがて巨大な扉の前に出た。

 

 扉には複雑な紋様が刻まれており、吸血神ルグナド様の印が中央に輝いていた。

 扉に手を触れると、俺の<血魔力>に反応して、ゆっくりと開いていく。

 

 中は想像以上に広い空間だった。

 

 天井は高く、壁面には古代の戦いを描いたと思われる壁画が残されている。

 

 そして、祭壇の前に一人の女性が立っていた。

 飴色が混じる銀髪を背中に流し、深紅のドレスに身を包んだ美しい女性。

 

 澄んだブルーの瞳は、数千年の叡智を宿しながらも、若々しい輝きを失っていない。

 

 その美貌には永遠の若さが刻まれ、微笑めば頬に現れる笑窪が、威厳ある雰囲気に親しみやすさを添えている。

 

 だが、彼女から放たれる<血魔力>の圧力は、俺が今まで出会った吸血鬼の中でも最上位に位置するものだった。


「ハルゼルマ家のウタジね」


 振り返った女性——バムア・ラヴァレ・ドムラピエトー・ルグナドの声は、鈴を転がすような美しさと、鋼のような強さを併せ持っていた。


「初めまして、女帝バムア様」


 俺は片膝をついて礼を示した。


「堅苦しいのは不要よ。立ちなさい」


 バムアは優雅な仕草で俺を促した。その動きの一つ一つに、長い年月で磨かれた気品が宿っている。


「トウガから報告は受けているわ。あなたの実力も、目的も」


 彼女は祭壇に歩み寄りながら続けた。銀髪が揺れるたび、飴色の輝きが灯りに反射する。


「傷場を利用し魔界に行ったところで、吸血神ルグナド様と会えるは不明。また、パイロン家への対処は、闇神などとの戦いも続いている現状では、不問となるでしょう」


 冷静な分析だった。その澄んだブルーの瞳には、感情を押し殺した理性の光が宿っている。


「それでも、俺は――」

「分かっているわ。あなたの想いは」


 バムアは俺を見つめた。その瞳に、一瞬だけ同情の色が浮かんだ。


「ケンダーヴァルへの対処も、魔界なら話は別だけど、セラ側では対処は不可能に近い。【魔術総武会】の力は、私たちが考えている以上に強大よ」


 その言葉に、俺は拳を握りしめた。


「だから、諦めろと?」

「いいえ」


 バムアは微笑んだ。その笑窪が、厳しい現実を語る彼女の表情を和らげる。


「だからこそ、あなたを魔界に送ろうと思うの。吸血神ルグナド様に直接会うことができれば、状況は変わるかもしれない」


 意外な言葉だった。


「しかし、今は戦時中では……」

「そうよ。だからこそ、今がチャンスでもある」

 バムアは懐から一つの楽器を取り出した。

 

 それは見たこともない形をした笛のような楽器で、全体が黒い金属でできていた。


「これは魔界楽器ヌフセン。そして――」


 彼女は古い羊皮紙を広げた。そこには複雑な音符が記されている。


「これが魔王の楽譜第四章、この二つがあれば、傷場が開く。守護者は私たちなら平気」

「女帝様も、魔界に?」

「いいえ、私の<従者長>を同行させるわ。レイファよ、出てきなさい」


 バムアの声に応じて、祭壇の影から一人の女性が姿を現した。

 銀髪を短く切り揃えた、精悍な顔立ちの女性吸血鬼。

 

 年齢は二十代後半に見えるが、実際はもっと長く生きているだろう。


「レイファ・ドムラピエトーです。よろしく、ウタジ様」

 彼女の声は凛としていた。

「こちらこそ」


 バムアが続ける。その澄んだブルーの瞳に、決意の光が宿った。


「レイファは忠実な配下、彼女となら、魔界でも生き延びられるはず」

「感謝します、女帝様」

「ただし——」


 バムアの表情が引き締まった。笑窪が消え、数千年を生きる<筆頭従者長>としての威厳が前面に現れる。


「魔界側の傷場は今、闇神リヴォグラフ側の勢力から攻撃を受けている。特に闇毒花公ラフレシアの軍勢が激しい」


 闇毒花公ラフレシア、闇神リヴォグラフの大眷属の一人だ。


「覚悟はできています」

「そう。なら、すぐに出発しましょう。独立都市ヘルキオスへの転移陣もあるけど、今は必要ないわね」


 と歩き始める。

 傷場への道は、要塞の最深部を通る必要があった。

 バムア、レイファ、そして俺の三人は、螺旋階段を下っていく。

 

 深く、どこまでも深く。

 

 やがて、巨大な地下空間に出た。

 そこには、空間そのものが歪んでいるような、不思議な光景が広がっていた。

 中央には直径十メートルほどの円形の台座があり、その上に赤黒い渦が浮かんでいる。


「これが傷場よ」


 バムアが説明する。


「魔界セブドラとセラを繋ぐ、次元の裂け目。でも――」


 彼女が手を向けると、傷場の周囲に複雑な魔法陣が浮かび上がった。


「守護者がいる。私の許可のない、また、資格のない者がここに来たら、魂を狙うような仕組みがここにはある」


 レイファがカタスタネットの魔界楽器ヌフセンを構えた。

 そして魔王の楽譜第四章を見ながら、ゆっくりと演奏を始める。

 不思議な音色が響いた。

 

 それは美しくも恐ろしく、心の奥底に直接響いてくるような旋律だった。

 すると、傷場の渦が拡大し、広がった。

 魔法陣から出現していた守護者の気配が和らいでいく。


「今よ」


 バムアの合図で、レイファと俺は傷場に飛び込んだ。

 次元を超える感覚は、言葉では表現できない。


 体がバラバラになり、また組み立てられるような、不思議な感覚。

 

 そして、氣がつくと、俺たちは別の場所に立っていた。

 空は血のように赤いところもあれば、魔夜世界の一部と思われる漆黒もある。大地は黒い。遠くには巨大な城塞が見え、宙空には翼を持つ魔族たちが飛び交っていた。


「魔界セブドラへようこそ」


 レイファが皮肉めいた口調で言った。

 だが、感慨に浸る暇はなかった。

 轟音と共に、遠くで爆発が起きた。

 

 見ると、俺たちがいる傷場の周辺施設が、激しい攻撃を受けている。


「やはり、激戦中――」


 吸血神ルグナド様の眷族たちを攻撃してくるのは、植物と悪魔が融合したような異形の軍勢。

 

 巨大な花の頭部を持つ化け物や、蔦で体を構成された戦士たち。

 

 その中心には、妖艶な美女の姿をした存在がいた。


「闇毒花公ラフレシア……!」


 レイファが呟いた。

 ラフレシアは、真紅の花びらのようなドレスを纏い、その手には毒々しい紫色の鞭を持っている。

 

 彼女が鞭を振るうたびに、味方の吸血鬼たちが倒れていく。


「ウタジ様、戦うしかないようですね」

「ああ」


 覇王のシックルを構えた。

 魔界での初戦闘。しかも相手は闇神リヴォグラフの上級幹部。

 だが、退く選択肢はない。


「行くぞ!」


 俺とレイファは、同時に戦場へと飛び込んだ。

 レイファの武器は細身の刺突剣。

 

 彼女の剣技は流麗で、まるで舞うように敵を切り伏せていく。

 俺も負けじと白焔が包む闇夜剣を振るい、植物の化け物たちを薙ぎ払った。

 だが、敵の数は多い。

 

 倒しても倒しても、新たな敵が現れる。


「これでは埒が明かない」


 レイファが息を切らしながら言った。

 その時、ラフレシアが俺たちに気づいた。


「あら、新しいお客様? 吸血神の犬ころがまた増えたのね」


 彼女の声は甘く、しかし致命的な毒を含んでいた。


「でも、無駄よ。この傷場は、もうすぐ我が主のものになる」


 ラフレシアが鞭を振るうと、地面から巨大な食人花が生えてきた。

 

 その花は大きな口を開け、酸の唾液を撒き散らしながら俺たちに襲いかかってくる。


「ウタジ様、私が注意を引きます。その隙に――」

「いや、一緒に戦おう」


 俺は<血文王電>を発動させた。

 血の雷が覇王のシックルを伝い、白い稲妻となって食人花を焼き払う。


「ふふ~、面白い技ね」


 ラフレシアが興味深そうに俺を見た。


「あなたの<血魔力>は<筆頭従者>クラスね、中々の得物……」


 彼女の瞳が危険な光を帯びた。


「セラから傷場を超えての任務だとすると、吸血神ルグナドの直の眷族のはずだけど、魔界では見たことがないわ」


 ラフレシアは語ると、全身から、紫色の瘴気が溢れ出した。


「ま、どちらにせよ、ここで死んでもらいましょう、朽ちなさい!」


 激しい戦闘が始まった。

 ラフレシアの毒鞭と俺の白焔が包む闇夜剣が激突し、火花を散らす。

 

 レイファも側面から援護してくれるが、ラフレシアの力は強大だった。

 戦いは一進一退。

 

 俺たちは善戦したが、徐々に押されていく。

 周囲の味方の吸血鬼たちも善戦し、血の守護騎士団の一部の急襲が始まると、ラフレシアの軍隊の動きが鈍くなる。


 その時、レイファが俺の耳元で囁いた。


「ウタジ様、状況が悪い、セラに戻りましょう」

「だが、せっかく魔界に――」

「命あっての物種です。また機会はあります」


 確かに、レイファの言う通りだった。

 ここで倒れては、すべてが無駄になる。


「分かった」


 俺たちは戦いながら、少しずつ傷場へと後退していく。

 ラフレシアは追撃してきたが、傷場の守護者の力が彼女を阻んだ。


「逃がさない――と、言いたいところだけど」


 ラフレシアは不満そうに鞭を振るい、己に飛来した血槍の幾つかを弾く。

 血槍を<投擲>したのは、吸血神ルグナド様の<筆頭従者長(選ばれし眷属)>だろうか。膨大な<血魔力>を有した存在が、「おいおい、ラフレシア、セラの眷族に手を出してんじゃねぇよ、お前の相手は俺だろうが」と、発言すると、ラフレシアの頭上に、無数の血槍が出現、それがラフレシアに降り注ぐ。


「――まあいいわ。どうせこの傷場は、もうすぐ我々のもの。その時また会いましょう、面白い吸血鬼さん」


 彼女の嘲笑を背に、俺たちは開かれたままだった傷場へと飛び込んだ。

 再びセラに戻ってきた時、バムアが待っていた。


「お帰りなさい。大変だったようね」


 彼女の表情に、心配の色が浮かんでいた。


「申し訳ありません、バムア様。成果を上げることができませんでした」


 レイファが頭を下げた。


「いいのよ。生きて帰ってきただけで十分」

 バムアは俺を見た。


「どうだった? 魔界は」

「……想像以上でした」


 正直な感想だった。

 あの激戦、そして闇神の勢力の強大さ。

 今の俺では、力不足というよりも、傷場を守る重要さを身に染みた。


 セラ側も闇神連中により、南マハハイム地方十二樹海の地下の傷場を失い、ラライセ様の妹の、ヒミィレイス家ごと古代都市エイジハルの地下のエイジハル血印ごと失っている。

 バムアは、


「……これで理解できたはず、私たちの状況を、魔界とセラを守る立場を……パイロン家の裏切りは問題ですが、そのパイロン家でさえも、セラでは重要な戦力。そして、セラの【魔術総武会】ですが、【幻瞑暗黒回廊】などを含めた場所で闇神リヴォグラフの諸勢力と戦っている。パイロン家と古代狼族を利用したケンダーヴァルだけの問題ではないのです」


 バムアの言葉は正しかった。


「はい。ただ、強くなります」

「その意気よ。傷場の利用をするなら、まずは楽器に楽譜が必須。同時に吸血神ルグナド様に貢献できる力がなければね。そして、いつか、また、このドムラピエトー要塞の傷場の利用をしたい時は、そこレイファに言いなさい」

「はい、ありがとうございます」


 こうして、俺の初めての魔界行きは、苦い結果に終わった。 

 だが、得たものもある。

 

 レイファという信頼できる仲間と、そして自分の力不足を知ったこと。

 ドムラピエトー要塞を後にし、独立都市ヘルキオスへと戻る道中、俺は決意を新たにしていた。

 

 必ずもう一度魔界へ行き、吸血神ルグナド様に会う。

 

 そのためにも、もっと強くならなければ――。


 南東の地下大動脈を移動し、独立都市ヘルキオスへと戻った。


 岩をくり抜いて作られた酒場は、エールと焼き肉の匂い、そして様々な種族の熱気で満ちていた。


 独立都市ヘルキオスに戻った俺を迎えたのは、懐かしい酒場の雰囲気だった。


 地底の酒杯亭は、天井からは【発光石】が吊され、温かな光を放っている。

 壁際のテーブルでは冒険者たちが声を潜めて何かを相談しカウンターでは商人たちが情報交換をしていた。


 その一角で酒場で知り合った吸血神ルグナド様の<従者長>エイサが片手を上げて迎えてくれた。

 

 彼の隣には、氣のいいドワーフとノームの情報屋コンビも顔を揃えている。


「おう、ウタジ! こっちだ!」


 エイサの快活な声に導かれ席に着く。

 と、ドワーフの情報屋、ボルガンが岩のような拳で俺の肩を叩いた。


「ガハハ! 無事だったか、若いの! お前さんの噂で、ここの酒場は持ちきりだぞ!」


 ボルガンは典型的なドワーフの風貌をしている。

 身長は低いが、その分横幅があり、筋骨隆々とした体格だ。

 長いあご髭を三つ編みにしており、戦斧を背負っている。


 元は【鉄槌山脈】の戦士だったが、今は情報屋として各地を回っている。


「噂?」


 眉をひそめると、ノームの情報屋、リルリが小さなグラスを傾けながら悪戯っぽく笑う。


「ええ、今や『黒の貴公子』と言えば、泣く子も黙る英雄ですから。一つ聞かせてもらえませんか? 『覇王のシックルで百の敵を一瞬で両断』したというのは本当なんですかい?」


 リルリはノーム族特有の小柄な体格だが、その瞳は知性に満ちている。彼女は【魔法学院】出身の元学者で、豊富な知識と情報網を持っている。常に小さなノートを持ち歩き、気になる情報を記録している。


「馬鹿言え、リルリ。そんな芸当ができるもんか」


 とボルガンが割り込む。


「ワシが聞いたのは、血の雷を自在に操り、一個師団を壊滅させたって話だ!」


 エイサが面白そうに俺を見ながら酒を呷る。

 俺は答えず、差し出されたエールを一口飲んだ。

 苦みが喉に沁みる。ヘルキオス名物の地底麦エールは、独特の風味があった。


「もっと突飛な噂もありますよ。教皇庁八課の」


 とリルリが声を潜めた。


「魔族殲滅機関ディスオルテの一桁との戦いで相打ちになった、とかね。つまり、『実は本人はもう死んでいて、今動いているのは血の怨念が作り出した影だ』なんて話す者までいる始末です」


 死んでいる、か。あながち間違いではないのかもしれない。

 ハルゼルマ要塞で、俺の心の一部は確かに死んだのだから。


「ハハハ、死人がこんな美味そうに酒を飲めるかよ!」


 エイサが豪快に笑い飛ばし、場の空気を和ませる。


「まあ、それだけお前の活躍が凄まじかったってことだ。だが、おかげで闇神の連中だけでなく、教皇庁もお前を血眼で探している。下手に動けんぞ」

 教皇庁の【聖痕騎士団】のアンセムに、魔族殲滅機関だな。実際に遭遇したことは言わず、

「……教皇庁が俺を?」

「ああ。『黒の貴公子』の正体を突き止めろという命令が出ているらしい。賞金首になっているのは間違いない」


 ボルガンが深刻な表情で説明する。


「どれぐらいの賞金なんです?」


 リルリが興味深そうに尋ねる。


「白金貨二十枚と聞いている」


 エイサの言葉に、俺は驚いた。

 それは一個部隊を雇えるほどの大金だった。


「それほどまでに……」

「お前が倒した闇神リヴォグラフの眷族衆に、重要な幹部がいたんだろう。あるいは、ハルゼルマ家の血筋を警戒しているか」


 確かに、俺はドムラピエトー要塞での任務中に、かなりの数の敵を倒していた。

 その中に重要人物がいた可能性は十分にある。


「でも、名前が売れるのは悪いことじゃないですよ」


 リルリが明るく言う。


「『黒の貴公子』の名前で仕事を請け負えば、高い報酬が期待できますから」

「俺は傭兵になるつもりはない」

「では、何をするおつもりで?」


 エイサが真剣な表情で尋ねる。

 少し迷ったが、彼らには正直に話すことにした。


「ミレイたちを探すことが第一だが、また機会があれば、ドムラピエトー要塞の傷場を利用したい」


 三人は顔を見合わせた。ボルガンが、


「もう一度、魔界セブドラの傷場か。闇神リヴォグラフ側の戦力だけではない戦いが続いていると聞いている。それでも、吸血神ルグナド様への謁見、パイロン家の裏切りに、ケンダーヴァルへの対処を訴えるつもりか」


 続いてエイサが、


「はい、魔界とセラ側から、その傷場を狙っている勢力は多い。その守りが厳重になるのは当然、筆頭従者長と筆頭従者も忙しいです」

「あぁ、そうだな、数百年単位の話、状況次第だ」


 と、俺が言うと、ボルガンは「ふむ」と頷いた。


「……そうですね、状況はどうであれ、吸血神ルグナド様もハルゼルマ要塞が潰れたことを苦々しく思っているはず。それに、ハルゼルマ家の<筆頭従者>として、当然の訴えかと」


 リルリが理解を示す。


「あぁ、ミレイたちを探すことを最優先として、この辺りを動くさ」


 二人は頷いた。

 こうした相談に乗ってくれる二人の存在はありがたい。他愛のない会話と、酌み交わす酒が、乾ききった心にわずかな潤いを与えてくれた。


 黒の貴公子――。

 エレイザを救った夜、俺が自ら名乗った名前。

 いつしか、俺はそう呼ばれるようになっていた。

 敵は恐れ、味方は憧れる。だが、その華々しい異名の裏で、俺はただの孤独な放浪者だ。


 かつての地位も、仲間も、故郷も失った男。

 ハルゼルマ家の復活と名誉回復という目的だけを胸に、暗い地下世界を彷徨い続ける存在。それが今の俺の正体だった。


 酒場の喧騒の中で、俺は静かに次の手を考えていた。

 魔界セブドラの傷場はいつか叶うとして、ケンダーヴァルが大本、そいつを倒すことが先決、パイロン家の裏切りの真実とハルゼルマ家の名誉はそれからでいい。

 そして、ミレイたちは生きていると信じている。

 そう考えながら、エレイザとの約束を果たすため、翌日の夕刻、旭日の孤児院を訪れた。


 石造りの建物は相変わらず温かな光に包まれており、中からは子供たちの楽しそうな声が聞こえてくる。門の前で少し躊躇したが、意を決して扉を叩いた。


「はい」


 扉を開けたのは、見覚えのあるシスターだった。

 彼女は俺の顔を見ると、驚いたような表情を浮かべた。


「あなたは確か、エレイザちゃんを連れてきてくださった」

「はい。約束通り、会いに来ました」


 シスターは安堵の表情を見せた。


「エレイザちゃんは、ずっとあなたのことを待っていました。どうぞ、中へ」


 案内された食堂でエレイザと再会した。

 あの小さな体は少し大きくなり、頬にも健康的な赤みが差している。何より、その瞳に宿る光が以前より明るくなっていた。


「ウタジお兄ちゃん!」


 エレイザが駆け寄ってきて、俺の腰に抱きついた。

 その温かさに、胸が熱くなる。


「エレイザ、元氣にしていたか?」

「うん! お友達もたくさんできたよ。それに、ここのみんなとても優しいの」


 彼女の手には、あの時俺に渡してくれた木の笛があった。

 大切に握りしめている様子を見て、胸が締め付けられる。


「笛、大事にしてくれているんだな」

「もちろん! ウタジお兄ちゃんとの約束だもん」


 俺たちは食堂の隅に座り、しばらく他愛のない話をした。

 エレイザは新しい友達のこと、シスターたちのこと、そして孤児院での生活について嬉しそうに話してくれた。


「ねえ、ウタジお兄ちゃん」


 エレイザが俯目がちに言った。


「前よりも明るくなったね。なんだか安心してる感じ」


 鋭い子だ。俺の変化を察している。


「そうか? 君のおかげかもしれない。希望を持ち続けることの大切さを教えてもらったからな」


 エレイザの顔がぱあっと明るくなった。


「希望?」

「ああ。大切な人がまだ生きているという希望を、君が思い出させてくれた」


 俺は彼女の頭を優しく撫でた。

 エレイザは嬉しそうに笑った。


「良かった! ウタジお兄ちゃんは強いし、その希望は叶うはず!」


 その純粋な喜びに心は温かく満たされた。

 ミレイとの再会で得た安心感と、エレイザの変わらない愛情が胸の奥で静かに響き合っている。


「今度は、仲間を見つけて、みんなで会いに来るつもりだ」

「仲間って、その大切な人? 後、いつもの酒場のリルリとボルガンたち?」

「ああ、そうだ」

「私もウタジお兄ちゃんの大切な人になれるかな?」


 エレイザの氣持ちは理解できた。

 だが、俺たちの時間は……。


「……あぁ、大切ではなかったら、俺はここにはいない」


 エレイザのつぶらな両目がパッと輝く。

 嬉しそうに何度も頷いた。


「うふふ、約束だよ! 絶対に来てね」

「約束だ」


 夜が更けてきたため、孤児院を後にした。

 エレイザは最後まで手を振ってくれた。

 俺が見えなくなるまで、小さな手を降り続けていた。


 星空の下を歩きながら、深く息を吸った。

 ミレイとの再会とエレイザとの約束。失ったものは多いが得た物は多い。


 そして吸血神ルグナド様に報告したところでな……。

 ケンダーヴァルへの復讐が先か。そして、ミレイをもう一度見つける。

 逃げ切ったはずだからな。希望がある。

 

 地底の酒杯亭に戻る頃には、心は穏やかな決意で満たされていた。



活動報告に、東マハハイム地方の地図と、独立都市ヘルキオス都市地図を載せてあります。興味があれば見てください。

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