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黒の貴公子  作者: 健康
15/22

15話 黒豹と仲間たちの生存確認

 激戦の余韻は、まだ体に残るが<影刻加速>を使い、加速、速度を上昇させて駆けた――坂の下、崖と崖が連なる洞窟、地上――古代狼族の狼将ドルセルの追跡を振り切り、樹海の奥深くへと移動した。

 

 あの槍使いの一団、特にエヴァと名乗った女は手強かった。そして、魔界騎士、デルハウトだったか。更に神界戦士まで現れるとはな……。

 ここは長居できる場所ではないが、サルジンとスゥンを探すまではここで過ごす。

 ドルセルは執念深いだろうが、あの槍使いの一団がいる限り、すぐには深追いできまい。互いに警戒し合うはずだ。

 その隙に体勢を立て直す。そして、ベンラック村に戻る選択肢はない。

 今はただ、この樹海で息を潜め、ミレイの情報を信じサルジンとスゥンたちがいるところを探す。その想いで、<血道・隠身>で氣配を殺し、数日をかけて樹海を探索した。

 先程の戦いの場に少し戻ったが、構わない、徒歩ペースのまま川沿いを歩いて、鳥とモンスターの気配を感じながら、ようやく息をつける場所を見つけた。

 樹海の静寂が対照的に感じられた。比較的安全な洞窟を見つけ出した。


 〝血魂の琵琶〟を鳴らすのはまだ早い。

 下手に動けば、狼か、あるいは槍使いを呼び寄せるだけだ。

休息に集中し数時間が過ぎた頃、不意に近くの洞窟から苦しげな呻きと、微かだが強い魔力の残滓が届いた。

 警戒しながら覗き込むと……そこにいたのは――やはり、あの魔界騎士デルハウトだった。

 乱戦で深手を負ったらしい。壁に寄りかかり、足に傷を、回復も遅いのか、荒い息をついている。

 鎧の一部は破損し、血のようなものが滲んでいた……追撃するか?

 やめておこう。奴もまた神界戦士や古代狼族と敵対していた。

 先程は、命のやりとりをしたが、恨みはない。

 あいつも死ぬなら、武人として戦って死にたいだろうからな。

 古代狼族の注意を引きつけてくれる可能性すらある。悪いな、魔界騎士。生きていたらまた戦場、樹海で会うかもな。

 音もなくデルハウトがいた洞窟から離れた――。

 今は生き延び、力を蓄え、サルジンとスゥンとミレイを探し出す。


 ……ミレイと俺が襲撃を受けた地下道は、あの後、何度も探したんだが、あそこから一体どこにミレイは移動したんだろうか。

 傷を癒やすため地上に出た可能性もあるだろう。と、考えても、今は樹海のどこかにいるサルジンやスゥンと会うことが先。


 サルジンとスゥンは墓掘り人という名の組織に所属しているとミレイは語っていたが、生きているなら見るだけで安心できる。


 ハルゼルマ家の<筆頭従者>としての責任だ。


 ――深い樹海の中を進んでいく。

 樹海の地からバルドーク山の近くへと移動したか。

 ベンラック村にもヒノ村にもサルジンたちの痕跡はなく、再び深い樹海へと戻った。


 樹海の山のような崖と背の高い樹の枝から枝へと飛び移る。次は隘路を下り、坂道を上がる。崖岩を蹴り上昇し、また崖岩を蹴り上昇を繰り返し崖を越えて谷間を降下――樹海を駆けた。


 鬱蒼と茂る古木の枝葉や断崖絶壁が天蓋のように陽光を遮り、樹海全体は深い薄闇に沈み込んで見えた。


 かすかな光すら届かぬその闇は、生ける森の墓標のようだ。


 足元に広がる湿った腐葉土は、踏みしめるたびに「じゅ、じゅっ」と鈍い音を立てる。

 湿った腐葉土の匂いに、名も知らぬ花々の甘く重い香りが混じり合う。その濃密な芳香は肺腑にまとわりつき、この森の底知れぬ深さを否応なく思い知らせた。


 風の音さえも吸い込まれるような深閑とした静寂が支配し、足音だけが虚しく響く。


 何度も、湿った腐葉土を踏みしめて進む。


 昼でも薄暗い樹冠の下、緩やかな風の音さえ届かぬ静寂だけ……途方もない孤独感が、肺を満たす空氣のように重くのしかかり、凍てつくような寂寥感が骨の髄まで染み渡る。


 巨大な生き物のような樹海が、俺という小さな異物を飲み込もうとしている――。

 そんな圧迫感が全身を包み込む。


 孤独は物理的な重さとなって肩にのしかかり、呼吸すら困難にさせた。


 こけむした切り株の付いた微細な水滴が光を反射し、朽ちかけた巨樹の幹からは、奇妙な菌類が顔を覗かせる。花々の独特な匂いが鼻腔をくすぐる。

 どれほどの時が過ぎたか……。

 ふと、肺を満たす空氣がわずかに震え、肌を粟立たせた。

 

 前方の暗闇から尋常ならざる魔力の奔流を察知する。

 強大な生命の氣配。

 暗闇の先の葉が揺れ、木々の隙間から射す月光を反射し、二つの瞳がこちらを見つめていた。

 赤と白に、黒い瞳、掌握察での魔力の形は四肢を持つ動物、闇虎ドーレに近い。

 なんだ、この氣配、魔力は、獣のようでありながら、神聖さを感じた。樹海の主か何かか?


 月明かりの下、徐々にその姿が浮かび上がる。

 漆黒の毛並みを持つ巨大な黒豹、やはり闇虎ドーレと似ていた。


 昔、魔導貴族が支配する地下都市の地下道を進んでいる時に遠くからダークエルフの遠征部隊を偵察した際に、彼女たちが使役していた闇虎(ドーレ)を連れていた。知性があり、主には従順だった。


 しかし、この黒豹はただの獣ではない。

 その体躯から放たれるオーラ、知性を感じさせる瞳――。

 え? 黒豹は右の前足から<血魔力>を出した。ど、どういう、ことだ……。


 しかも<血魔力>には深い闇属性と光属性を有している。

 これはあの槍使いたちと同じ<血魔力>……しかも、闇は俺たちと同じで吸血鬼(ヴァンパイア)だ。


 吸血神ルグナド様と似た氣配があるような氣がする。

 俺の<血魔力>とは対極の光属性を有した<血魔力>。本能的に身構えたが、敵ではないと感じる。


 だが、念の為、覇王のシックルを握りしめた。

 光属性は吸血鬼にとって天敵だ。


 しかも、これほど強大な闇と光の氣配を持つ存在など……黒豹は威嚇するでもなく、ただ静かに俺を見つめている。


 その瞳には、敵意よりもむしろ、好奇心や、何かを探るような色が浮かんでいるように見えた。


 不意に黒豹が前足をそっと持ち上げる。

 肉球を見せてきた。


 肉球の先から俺の<血魔力>に似た<血魔力>を放出させてくる。


 え? 

 黒豹は、その<血魔力>を引っ込めた。

 それは、俺を驚かせないように配慮したかのように感じる。そして、「にゃおん」と、意外なほど穏やかな鳴き声を上げた。


 ゆっくりとシックルを下ろした。

 黒豹はそれを見て嬉しそうに喉を鳴らすと、おもむろに俺の方へ近づいてきた。


 足元まで来ると、その大きな頭を俺の足にすり寄せ始めた。

 ゴロゴロという音が心地よく響く。


 そのまま、大きな体をゆっくりと横たわらせ、喉をゴロゴロと鳴らし始めた。

 警戒していない。むしろ好意を示しているかのような動きだ。と、黒猫に変化した。


 左右に寝転がっては、腹を見せる。無防備な姿勢をとった。

 その姿に思わず息を呑む。

 小さい桃色の乳首が産毛の間から覗けている。

 初対面の、それも吸血鬼である俺に対して、これほど心を許すとは……。


 この小さな生き物は、俺の魂の奥底まで見抜いているとでもいうのか。


 黒猫は、寝ながらムクッと頭部だけをこちらに向けた。


 なんだ、黒猫は、俺に何をしろと……。


 地下には魔猫はいない、バビロン山近くの古都市バビロンにいた魔猫を撫でた程度の経験しかないのだ、何を望む、あ、撫でてほしいのか。

 戸惑いながらも、恐る恐る手を伸ばし、頭部を撫でてみた、黒猫は瞼を閉じて、じっと動かない。


 ――くっ、可愛い。

 なんという無垢さ……。

 こんなにも優しく生き物に触れたのはいつ以来だろう。その柔らかく、温かい毛並みの感触が指先から全身へとじんわりと広がっていく。

 ――警戒も悪意もない。

 この純粋な接触は、戦いに明け暮れた日々の中で、いつしか忘れていた感覚……いつから、こんな穏やかな気持ちを忘れていたのか。


 ――戦場では感じることのない、純粋な信頼だ。


 この小さな温もりが、凍てついた心を静かに溶かしていく。


 乾ききった魂に一滴の雫が落ちたような、あるいは、遠い昔に失われたと思っていた温かい炎が再び胸の奥に灯ったかのような、抗いがたい安堵が胸に広がる。


 吸血鬼にとって天敵である光の力を宿す存在が、俺の心を癒やしている――。


 その事実に自嘲にも似た苦笑を浮かべた。

 しかし、その温かさは本物だ。


 千の戦場を駆け抜けても得られなかった生きている確かな感触が冷え切った全身に染み渡る。


 目を開けた黒猫の目は、赤と白に黒い瞳、その虹彩は驚くほど可愛らしく、氣持ちよさそうに細められていた。


 すると、「ンン」と喉声を鳴らし、腐葉土から出た虫を見つけていた。


 瞳孔が拡がり、体勢を低くする。

 腹を地面につけ、後ろ脚を左右に揺らす――狩りの本能が目覚めた瞬間だった。


 虫へと飛びかかるも、あえなく失敗。

 落ち葉を前足で数回叩くと、こちらを見てきた。


 しばし、奇妙な静寂と、黒猫の喉を鳴らす穏やかな音だけが樹海に響いた。

 その黒猫は俺にまた近づき人差し指に頬をこすり当ててきた。


 また、その頭部を撫でる。

 このひとときだけは、追われる身であることも、背負った過去も、すべて忘れさせてくれた。

 喉も撫でていくと、指の上に頭部を乗せるように体重を掛けてきた。くっ……。

 お? 黒猫は、「ンン」と喉を鳴らし起き上がった。

 

 人形のように両後ろ脚を揃えて前脚を揃えると、俺を見つめてくる。

 敵意はない。が、紅白の虹彩と黒い瞳で視線で何かを語るか。

 何かを『促す』ような、あるいは何かを『確かめる』ような、強い光を感じた。

 警戒を解かずに黒猫に、「お前は、何を言いたい」と聞くと、黒猫は何も言わず振り向き、歩き始めた。と、足を止めて、こちらを振り向いてきた。


 そして、またトコトコと前に歩いていく、

 尻尾を真っ直ぐ上げて、尻と太股の毛を見せてくる。

 また足を止めて、「にゃ、にゃぉ~」と鳴いた。呼んでいる?


「俺に付いて来いというのか?」


 黒猫は大きく口を開け、「にゃぉぉ~」と長く鳴いた。そして身を翻すと、数歩進んでは振り返り、また進んでは振り返る――明らかに俺を誘導している。

 では付いていくか……黒猫は「ンン」と喉音を鳴らす。

 その意味は理解できた。『ついてこい』という意味だろう。餌場でも案内するつもりか。


 俺の歩みに合わせて、頷く素振りを見せると、振り返り、先導するように駆け始めた。

 その速度に合わせ、こちらも追う。

 猫の集会、黒豹たちの住み処への案内か。と、走っていく。

 黒猫は、また足を止めてこちらを見た。

 頷くような素振りの後、黒猫はその姿を巨大な黒豹へと変えた。それは、ここから先は遊びではないという無言の通告だった。

 黒豹はしなやかに樹を駆け上がり、幹を蹴って三角跳びで着地すると、こちらを挑発するように「にゃ」と短く鳴き、前方を駆けていく。


 追う。それはもはや追跡ではなく、力量を試される挑戦だった。

 ――付いて行くと、黒豹は、また足を止め俺を待っていた。


「にゃおぉ」


 と鳴いた。意味は分かる。『ちゃんと付いてきているにゃ』というような感じだろう。

 その黒豹はまた走る。

 ついていくと、跳躍し、崖を器用に登っていく。


 また追う、それはもはや追跡ではなく、挑戦だった――。

 夜が明けても速度は落ちない。<血道第三・開門>、そして<血液加速(ブラッディアクセル)>を発動し、神技のごとき跳躍を見せる黒豹に必死で食らいつく。普通の獣でないことは、もはや疑いようもなかった。

 驚異的な機動力で山のような崖を駆け登り、谷間を跳躍で越えていく。


 黒豹と共に、着地し、進むと鬱蒼とした緑が途切れた。

 前の巨木が無残に折れ、地面に深い爪痕が刻まれた破壊の跡が広がっていた。

 巨大蜻蛉モンスターの無残な死骸が転がり、オークや、ベンラック村でも噂に聞いていた樹怪王、頭部が鹿の魔族兵士たちの夥しい屍が、そこかしこに累々と横たわっていた。


 無数の樹木は根こそぎ薙ぎ倒されている。

 血と腐肉の匂いが風に乗り、鼻を衝く。ここは激しい戦場だった場所だ。


 黒豹はその戦場跡で足を止めると、意外にも周囲の匂いを嗅ぎ始めた。そして巨木の幹を爪で引き裂き、中にいた巨大な茸と虫を器用に掻き出すと、こともなげに口から炎を吐き、それらを炙って食べ始めた。腹が減っていたのか……。


 しばらくして、黒豹は炙った茸と虫の一部を咥え、俺の足元にそっと置いた。


「俺にこれを喰えと?」

「にゃご」


 歯牙を見せながらの、有無を言わさぬ鳴き声だ。その視線と前足がかすかに動く、『食べろ』と言っているのは分かる。

 頷き、勧められるままに口にする。

 意外にも、香ばしく美味い。

 俺が食べ終えるのを見て、黒豹は満足げに「にゃ」と笑ったように見えた。その瞬間、俺たちの間にあった緊張がふっと和らぎ、奇妙な仲間意識が芽生えたのを感じた。


 黒豹は、俺の足に尻尾を当ててから「ンン」と鳴いて再び走り出した。

 その雰囲気は先ほどまでとは明らかに違う。もはや試すような素振りはなく、ただひたすらに前へ――付いていく。


 景色は地獄へと変わっていた。

 先ほどの比ではない、オークや樹怪王の兵士たちの屍が折り重なり、道を塞いでいる。殺戮の中心地だ。

 黒豹はそれらの死骸を体から触手を出して、触手から骨剣を出しては、それで、いくつか薙ぎ払っては、先を進み、土の道を作っている? 不思議な黒豹だ、開拓者でもあるのか。

 その姿に感動を覚えた、俺も応えよう。


 <影刻加速>――。

 魔刀鬼丸で、死骸を切り吹き飛ばし、樹海の開拓を手伝った。

 

 そして、このモンスターの死骸は、襲撃を撃退した後か。

 

 黒豹も、この樹海の奥地を開拓している勢力の一員、あの槍使いたちは、ここで暮らしていることは確定か。


 粗方片付け、樹を左右に詰めると、道が出来た。黒豹との共同作業を終えた。


 黒豹は満足そうに「にゃ~」と鳴き、俺を見てから、歩み寄り、頭部を右足に突けて甘えてくれた。


 その黒豹は振り向き直し、樹の匂いを嗅いでは、触手から骨剣を出しては、大きい葉を削る。

 その大きい葉を他の触手が掴み一つに纏めながら、口を拡げ、樹皮をモグモグと噛み始めた。


 と、樹の中にいた白い昆虫を数匹取り出しては、宙空に放り、その昆虫に向け、口から炎を吐いた。昆虫を焦がすと、触手の一つが持っていた大きい葉で昆虫を包む。


 同じ作業を数回行う黒豹は、またそれを食べては、一つを俺に寄越してくれた。


 礼のつもり、か。律儀な獣で面白い。


「ありがとう、もらう」

「にゃ」


 葉に包まれた焼かれた昆虫を葉ごと食べた。

 これがまた美味しかった。


 食べ終えた黒豹はその場で跳躍を繰り返し、


「ンン、にゃ」


 と鳴くと、拓かれた道を進み始めた。

 その黒豹と並走する。


 山のような崖を駆け、谷を越え、互いの呼吸を合わせるようにして凄惨な死の平原を突破していく。

 

 それはもはや、ただの追跡でも競争でもない。心を一つにした「共闘」だった。

 やがて、黒豹が止まった。


 巨人がここで足踏みでも行い、平原が作られたように見えた。巨大な何かに潰し尽くされた樹々も多い。


 黒豹は、迷うことなく前へと進み、一つの倒木の前で足を止めた。その横に並ぶと「にゃ」と短く鳴いた。


 倒木の先には、自然のものではない、隘路が見えた。


 黒豹は、「ンン、にゃ~」と鳴いて、『ここを行くにゃ~』と言うように、その隘路に向けて駆けだした。


 遅れながらついていくと、岩場の前で、黒豹は待っていてくれた。


 こちらを見ていた黒豹が「ンン」と喉声を響かせると、振り返り、また跳躍を行い、岩を蹴り登る。

 連続した跳躍は美しい、かなりの機動力――。

 山のような崖から谷間の先へと急降下――。

 華麗に着地をしては、また跳躍を行い、谷間を一氣に越えた。


 <影刻加速>も時折使い加速し、追いついた。


 黒豹は、俺が追いつくと、「にゃご、にゃぉ~」と、何か氣合いが入れた鳴き声を寄越す。

 まるで『なかなかやるじゃないか』と褒められたような氣がした。走りを認められたようで、思わず口の端がつり上がる。面白い――と、また森に突入した――。


 再び森へ踏み入れた瞬間、息を呑んだ。先ほどの比ではない破壊の光景が広がっていた。

 巨大蜻蛉のモンスターの死骸が増えてきた。

 ここの樹も斬り倒され平原が作られている。

 樹海の隘路の地に新しい道を作っている?

 先程よりも、巨大な生物により潰された樹も多い。

 先ほどの比ではない。オークの死体が折り重なるように散乱していた。

 樹怪王のモンスター兵士たちの死体も転がっている。

 鹿の頭部を持ち、槍を扱うモンスター兵士たちの名はベンラック村でさんざん聞いている。


 黒豹が止まった。その横に付く。


 黒豹は「にゃ」と鳴いた。

 その前方には、樹海の樹々が至る所で倒れ、お?

 また隘路があるが、はっきりとした道が出来ていた。

 道は崖沿いから上のほうに続いて、その先に村……街があるということか。山城のような印象だが……。

 黒豹は「ンンン――」と鳴いてから跳び、岩場に着地し、また跳躍して見えなくなった。

 あの山城の先、もうこの辺りから光の氣配が強い。

 

 あの山城のような場所から、強い光の氣配を感じる。

 ――周囲には、巨大蜻蛉のモンスターの死骸に、オークの死体が大量に樹怪王のモンスター兵士たちの死体も多く転がっている。

 黒豹に別れを告げ、<血道・隠身>で氣配を殺しながら、遠望できる高台へと移動した。

 岩が突き出た天然の物見台。そこから、先ほどの隘路の先に広がる集落の全景が見えた。


 警戒を強めながら視線を走らせると、見覚えのある顔が目に飛び込んできた。

 俺と刃を交えたエヴァだ。だが、その姿に息を呑む。

 彼女は車椅子に座り、あれほど凄まじい蹴り技を繰り出した足は今は無機質な骨足に変わっていた。

 その隣で、彼女と親しげに話す影に視線が釘付けになる。

 嘘だろ……。


 ——サルジン、スゥン……!


 喉の奥で凍りついた声にならない叫び。

 ——見つけた。

 ついに、見つけたのだ。

 見間違えるはずがない。確かに二人だ。

 心臓が早鐘のように打ち始め、視界が一瞬揺らぐ。

 生きていた。ただそれだけの事実が、凍てついた魂を芯から揺さぶる。膝から力が抜け落ち、込み上げる熱いものを、必死に奥歯を噛み締めて堪えた。


 数百年という孤独な時間が、その瞬間に意味を失った。

 胸の奥で凍てついていた絶望が砕け散り、熱い安堵が全身を駆け巡る。

 ハルゼルマ家の<筆頭従者>として彼らを守れなかった自分への重圧が、ようやく肩から降りたような錯覚を覚えた。

 

 ……いつしか諦めかけていた希望が燃え上がるように蘇る。

 

 だが、その安堵の直後に、胸を突き刺すような疎外感が襲った。

 スゥンの他にも吸血鬼の氣配を持つダークエルフに黒髪の吸血鬼の女もいる。

 吸血鬼たちのメンバーが人族と暮らすとは……。

 二人は笑っていた。俺が知らない仲間たちと俺が知らない日常を築いて。

 ハルゼルマ家の血の誇りに縛られ、復讐に囚われた俺とは違う……。

 自由で、明るい世界を。

 俺がいなくても、二人は新しい絆を見つけ、生きる道を切り拓いていたのだ。

 そして、あれが墓掘り人たち。

 先ほど戦ったエヴァたちと一緒とは……。

 あの黒髪の光と闇の<血魔力>を扱う槍使いと共にいる。


 サルジンとスゥンが、光と闇を有した勢力と一緒にいるのが信じられないが、この目に映るのは本物だ。

 そして……俺を案内した黒豹が、黒髪の槍使いに飛び掛かって顔を舐めている。


 俺を案内した黒豹は、槍使いと同じ。光と闇の血魔力を扱っていたのも納得だ。

 不思議と安心した。あの槍使いはかなりの強者だ。


 ケンダーヴァルの追跡も、彼なら弾く、またケンダーヴァルも争いは避けるかもしれない。


 サルジンとスゥンが生きていたことに安堵を覚えたのも束の間、疑問が渦巻いていた。

 あの二人が、なぜ光の力を扱う槍使いの一団と共にいる?

 だが、俺と似た闇の<血魔力>もあった。

 ミレイは彼らが『墓掘り人』という組織に属していると言っていたが、まさか吸血鬼の天敵である光に、闇を併せ持つ者たちと共に行動しているとは。

 彼らは一体何者で何を目的としているのか……。

 稀に独立都市の中には、ドワーフ、ノーム、ダークエルフ、人族、エルフだけに限るが垣根が払われている地下都市がある。しかし、生粋の吸血鬼が、偽装もせずに他種族と手を組むのはかなり珍しい。吸血鬼ハーフならあり得るが……。


 ハルゼルマ家は吸血神ルグナドの眷属として、血の純粋性と血統を重んじてきた。

 俺もまた、その教えの中で育った。だからこそだが、俺の知る吸血鬼の常識とはあまりにもかけ離れている。

 

 彼らは血の属性や種族の壁を越えた、新たな秩序を築こうとしているのだろうか?

 彼らは一体、どのような歴史を辿り、どのような信条を持って成り立っているのだろうか。

 吸血鬼に人族に獣人たち関係なく、種族の垣根を越えた、独自の信念を持つ集団、あらゆる種族や属性の壁を乗り越えているように見える。


 もしそうだとすれば、それは俺の知る世界観を根底から揺るがすものだ。

 しかし、サルジンとスゥンは、実際に光と闇の吸血鬼の槍使いたちと暮らしている。

 その『異端』が示す未来に、かすかな希望を見出してしまう。否、サルジンやスゥンがそこにいる以上は希望以上だ……彼らにはただの悪党とは異なる、何か特別な理念があるに違いない。


 スゥンとサルジン……。

 話しかけたい衝動に駆られるが、『黒の貴公子』などという血塗られた異名を持つ俺が現れれば、彼らの平穏を壊してしまうだろう。

 黒豹は黒猫に戻った……。

 あの黒猫は、俺をここまで案内した、俺が<血魔力>を扱う吸血鬼だと氣付いて、仲間に誘ったのか? サルジンとスゥンから、俺を墓掘り人だと勘違いしたのか? が、礼を言っておこう。ありがとう、名の知らぬ黒猫、黒豹か……。


 立ち去ろうとした時、その黒猫がこちらを見た。

 瞬きを行った? ハッ、不思議な黒猫だ、然らば――。

 

 ――再び、樹海を駆ける。

 ――不思議な邂逅だった。


 あの黒豹は、俺が持つソレグレンの血、ハルゼルマの血、そしてルグナド様の眷属、その混淆した何かに反応したのだろう。


 束の間とはいえ、孤独な心に温かいものが灯ったような氣がした。


 ……感傷に浸っている暇はない。

 この胸に灯ったかすかな光が俺の足元を照らす道標となるだろう。


 スゥンとサルジンの無事は確認できた。それだけで十分すぎる収穫だ。

 ここは彼らが築いた新しい世界。俺のような過去に囚われた者が踏み入るべき場所ではない。

 ドルセルの脅威もいずれこの地に及ぶだろう、決意は固まった。

 残るはミレイ、ただ一人。樹海を離れるべく、古い坑口を見つけ出す。

 地上の湿った腐葉土の匂いに別れを告げ、冷たく淀んだ地下の空氣へと、再びその身を滑り込ませた。


 地下特有の冷たく淀んだ空氣が肌を撫でる。

 南マハハイム地方十二樹海の一つの地下も広大だ――。

 耳鳴りのように響く静寂、地下水の滴る音がかすかに響く――。

 再び、血と土と冷たい空氣の地下世界へ。暗い地下道の迷宮を進む、北西を目指す――。

 

 ゴルディクス大砂漠を超えた先、エイハブラ平原方面の地下のはず。

 嗅覚がいい古代狼族とて、地下を追い続けるのは難しい。

 数万キロメートル――地上を行けばまだしも、この複雑怪奇な地下世界には、旧神、地底神、オーク大帝国、ドワーフ、ノーム、ダークエルフ、様々な勢力がいるのだからな。

 

 最近、覇王のシックルに<血魔力>を注ぎミレイを想うと、かすかに覇王のシックルの湾曲した刃が揺れて白雷と焔が放出される時がある。

 その方角にミレイがいる? と、覇王のシックルが知らせているのだろうか……。


 覇王のシックルの柄も変化した、これは更なる進化の兆しか?

 白、黄、赤、と基本は白雷の液状とした刃の金属は、膨大な<血魔力>に敵の魔力を得ているからな。その進化も頷ける。同時に、白雷と焔が、俺を導く唯一の光に思えた。

 ミレイを――必ず見つけ出す。それが、この孤独な旅路の終着点になると信じて。


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