12話 束の間の幸せと再びの別れ
ミレイが、覇王のシックルの直剣の形状を見て、
「その覇王のシックルの形状変化だけど、白雷? 淡い焔が闇夜のような剣身を覆う速度が異常に速くなっている」
頷いた。
「あぁ、覇王のシックルの刃の変化の具合は、大幅に進化したんだ。要塞を守っていた頃に比べたら雲泥の差と言える――盾、大剣、先ほどの〝血魂の琵琶〟に用いた撥への変化と同じように、簡単に変化が可能になった」
ミレイが見ている前で、雷鳴のような破裂音を響かせながら覇王のシックルの湾曲した刃の形状を何度も変えた。ミレイは覇王のシックルの刃を凝視し、
「そのようね。凄い。でも、あの襲撃からは、もう数百年は経っているはず。時間を考えたら当然の進化よね、<筆頭従者>なんだし、ウタジは更にソーニャ様から特別な魔手術による調整を何度も受けていた。お父様の血筋もある」
頷く、ミレイの扱う〝血ノ旭影〟と〝愛華〟を見て、
「あぁ、そうだな、ミレイも<筆頭従者>で、母からも特別視され、俺と同じように調整は受けていた。そして、血剣の技術は進化したのかな」
「うん、私も当然に進化した。〝血ノ旭影〟の扱い、血剣のスキルと、格闘系スキルも増えている」
「あぁ、そうだろうな」
そこから数百年の空白なんてなかったかのように夢を語り合う。 この幸せが永遠に続けばいいのにと思った。
手を握り合ったまま数年ぶりに熟睡した。
その夜明け前……魔力の気配を得た。
周囲の空氣の質が、変化するほどの魔素量、魔力が廃墟を包み込む。隣のミレイの体が強張った。
立ち上がり、得物を確認し合う。
「――囲まれている」
「あぁ、切り抜けよう」
ミレイと頷き合う。すると、右のほうから、
「――見つけた、ハルゼルマの残党ども!」
声が響く。背筋が凍りつく。
ハルゼルマの残党という言葉。
数百年を経ても、まだ俺たちを追ってくるのか。
「岩場、あの廃墟か。その奥にいる!」
「アロトシュの欠片の反応も、今まで最高。間違いないわね」
「……ふむ、仕事に掛かるとしようか」
「吸血鬼の巣窟が近いから手早くな」
「「「あぁ!」」」
甲高い女の声と重低音の男たちの声が連続的に響いた。アロトシュの欠片の反応? 何の話だ? 生命の神アロトシュ?
魔素の質は高い。相手は強力な魔術師か、魔法使いか、魔剣師か。
――轟音が鼓膜を貫いた。岩壁が内側から押し破られ、石片が顔を掠める。反射的に覇王のシックルを構えた瞬間、崩れた壁の向こうに見えたのは――数十の殺意だった。
無数の追跡者たちが見えた刹那、そこから闇を切り裂く勢いで巨大な魔腕が飛来してきた。
その軌道に合わせ、左手の魔刀鬼丸に<血魔力>を込め、袈裟懸けに振るった。
魔刀鬼丸が閃いた。漆黒の刃が魔腕の指関節から手首にかけて斜めに食い込み、肉を裂く湿った音と共に拳が二つに割れた。切断面から噴き出した黒い体液が、崩れ落ちる廃墟の石畳に飛び散る――。
間髪入れず、第二、第三の魔腕が飛来してきた。
下から返した魔刀鬼丸の刃が、魔腕を捉え両断。
飛来した第三の魔腕には、白焔が包む闇夜剣の直剣を突き出し、<血剣・叢雨>を繰り出す。
白焔が包む闇夜剣の切っ先が第三の魔腕を貫く。
<血剣・叢雨>のスキル効果のまま腕と白焔が包む闇夜剣が前後にブレる。続けて、飛来した魔腕を、その突きの白焔が包む闇夜剣が貫いた。 そのまま無数の突きの連続が、飛来した魔腕に連続的に決まり、蜂の巣にしていく。
まだまだ魔腕が飛来してくる――。
魔刀鬼丸を横に振るい、その魔腕を真っ二つ。返す胃ように左に動かした魔刀鬼丸の刃で、飛来した魔腕を横に斬り裂く――。
ミレイにも魔腕が飛来している。そのミレイを守るように、前に出て、
「――ケンダーヴァルの部下か!」
と叫ぶ、血が沸騰しているように数百年分の怒りが、封じ込めていた堰を破って溢れ出す。
あの日の光景が――要塞が炎に包まれ、仲間たちが次々と倒れていく地獄絵図が、鮮明に蘇った。
胸元が熱く燃え上がり、心臓を打ち鳴らしていく。
歯を食いしばるほどの怒りが体の芯から溢れ出し<血魔力>が制御を失いそうになる。
「またなの!」
ミレイも〝血ノ旭影〟を振るい魔刃を叩き落としていた。
そのミレイと、数百年ぶりに背中合わせとなって、飛来してくる魔腕を斬り捨て続けた。
ミレイと共に、崩れかけた柱を蹴って跳躍し、天井から垂れ下がる鉄骨を掴んで身を翻す。
数百年前、ここは礼拝堂だった。
今は朽ち果てた聖像が、俺たちの戦いを見下ろしている――まるで、吸血鬼と人間の永遠の争いを嘲笑うかのように。
そしてハルゼルマの要塞で、ミレイたちと共に無数の戦いを繰り広げた頃を思い出した。
かつての戦友に、再び結ばれた恋人として――。
せっかく見つけた幸せをまたも奪おうというのか。
覇王のシックルを握る手に力が入る――。
今度こそ、全員殺してやる。
鉄骨から離れ、――覇王のシックルを振るい、魔刃を切断。
ミレイもまた高祖吸血鬼としての卓越した<血剣>技術系統の<血剣・愛華ノ舞>と血魔術で応戦した。
少し前に語っていたようにミレイの剣術は昔よりも洗練されていた。
だが、敵も強者か、数も多い。しかし、切り抜けられる。
「――ミレイ、合わせろ!」
「ええ!」
号令と共に、ミレイとの動きが完全にシンクロする。
<影刻加速>で敵陣に切り込む。
覇王のシックルから放たれる白雷が敵の陣形を乱すと間髪入れずにミレイが〝血ノ旭影〟を振るった。
「――げぁ」
「ちょっ」
「なっ!!」
その剣閃は鋭く、敵の鎧を容易く切り裂き、血飛沫を上げる。敵の魔術師が詠唱を開始するのを見て――牽制の<血文王電>を放つと、ミレイがその隙を突いて眷族の一体を切り伏せる。
そのミレイの横を守るように、突き出された魔剣師の魔剣を魔刀鬼丸の刃で受けた。
ミレイの〝血ノ旭影〟の軌跡が一瞬、幻影のように揺らめき、敵の目を惑わせる。俺とミレイの<血魔力>が呼応し、戦場を舞う。
数百年なんて嘘のようだ。
ミレイの呼吸、<血魔力>の流れ、体の動き――すべてが手に取るように分かる。ミレイが右から斬りかかる瞬間、本能的に左へ回り込んでいた。
〝血ノ旭影〟が描く赤い軌跡と覇王のシックルの白雷が交差し、敵を挟撃する――。
まるで一つの生き物が二つの顎で獲物を噛み砕くような、完璧な連携だった。俺たちは、やはり一心同体だった。
――言葉など不要。瞬き一つ呼吸のリズムだけで互いの動きが読める。教皇庁の実験で傷ついた彼女を母上が救い、俺たちは共に戦い続けてきた。
その長い年月が育んだ信頼が、この連携を可能にしている――。
「ウタジの背は私が守る」
――ミレイの言葉に心が熱くなった、俺が動けばミレイが隙を埋める。
ミレイが攻めれば、覇王のシックルを盾に変え、俺が守る――。
「ウタジ、凄い――」
「あぁ」
やはり、息は完璧に合っていた。
これが、本当の戦友――。
戦闘連携での長年の信頼、ミレイとの連携は数千年の歳月が育んだ完璧なものだった――。
ミレイが息を吸う。その一瞬の間が、次の動きを告げていた。
彼女が右上段から振り下ろす――その軌道は見えずとも分かる。千年を超える付き合いが互いの筋肉の動き一つまで記憶させている。俺は膝を落とし、低い姿勢から魔刀鬼丸を逆袈裟に振り上げた。二つの剣閃が敵を上下から挟み込む。逃げ場のない十字の死――これが、かつて『双血の処刑』と呼ばれた俺たちの必殺の型だった。
二人で語った俺たち専用の<血剣術>系統ができないかと語り合いながら『血魂励起』の〝血魂の琵琶〟の音程に合わせ、ミレイも歌ってくれたことを思い出す――。
動きを知り尽くした者だから可能な、ミレイとの共鳴剣術と呼べる、一閃、突きを繰り出していく。流麗かつ苛烈な剣舞――。
青髪の女が無数の魔刃を繰り出して対処してきた。
その魔刃を斬り捨て、青髪の女との間合いを詰め、白焔が包む闇夜剣を突き出す。
青髪の女は魔剣を盾に、白焔が包む闇夜剣の突きを防ぐ、火花が散った。
「――面倒ね。ケンダーヴァル様の命令でなければ、こんな泥臭い仕事――」
彼女は後退しながら、魔剣から魔刃を繰り出す。
それを見るように避けて、追うが、斜め後方に滑るように後退。
他の二人とは違う優雅さを持っていた。それは舞踏のステップを彷彿とする、と――リズミカルに飛来し、魔剣を振るってきた。それを白焔が包む闇夜剣で払うと、青髪の女は後退、貴族出身か、少なくとも正規の剣術教育を受けた者の動きだ。
そこに、右から、光り輝く刃が飛来。
後退し、避けたが、光属性が強すぎて目が痛む――。
近くで戦いミレイから懐かしい鈴の音が響いた。
剣戟の音が廃墟に木霊する。金属同士がぶつかり合う甲高い音、魔力が空気を裂く低い唸り、そして――ミレイの鈴の音だけが、不思議なほど澄んで聞こえた。
〝血ノ旭影〟は、振るうたびに独特の鈴の音を響かせている。
彼女が幼い頃、母から贈られた小さな鈴は今も柄頭に結ばれていた。
俺たちの絆の証し――その音が戦場に響くたび、動きは自然と彼女に合わせていく。
その光景に、俺はふと、過去の母上を思い出す。
教皇庁から〝肝血脈力〟と共にミレイを連れ帰ったあの日、母、ソーニャの瞳には、研究者の輝きが宿っていた。『計算外だったけれど、最高の収穫だった』そう呟いた日から、ミレイは俺たちの家族になった。
聖痕を失い、殺されかけていた絶望の中から救い出したのが母だったからか、俺と同格の<筆頭従者>ミレイの瞳には、常に深い敬愛の念が宿っていた。
突如、すべての攻撃が止んだ。
不自然な静寂が廃墟を包む。敵も、俺たちも、次の一手を計りかねているのか――否、違う。これは嵐の前の静けさだ。ミレイの呼吸が、背中越しに伝わってくる。彼女も気づいている。敵は、何か大きな一撃を準備している。
「ミレイ、来るぞ」
「えぇ、感じる」
次の瞬間、魔刃が飛来――。
――左に跳び、無数の魔刃を避けた。
――パイロン家が使う聖なる武器に光属性が強い、ケンダーヴァルの配下の中で光を操れるのは噂に聞く『白衣の処刑人』――。
独立都市ヘルキオスの<従者長>エイサと吸血神信仰隊のリンにドワーフとノームの情報屋コンビから、教皇庁中央神聖教会の教皇庁八課魔族殲滅機関とも繋がりがあるとされる一派と聞いている。俺だけでなく、ミレイを追う理由だろう。
吸血鬼の<筆頭従者>ミレイだから、体に聖痕は在るわけがないのだが――。
『白衣の処刑人』が一歩前に出た。
白い外套の下から、何かが滴り落ちる――聖水か、それとも別の何かか。
彼が指を鳴らすと、頭上の魔刃が整然と並び直した。まるで手術器具を並べる外科医のように。
「実験体確認。高祖吸血鬼種、推定年齢千年以上。採取価値――極めて高」
その声は感情を欠いていた。俺たちを見る目は、研究対象を観察する学者のそれだった。その『白衣の処刑人』頭上には数十の細い魔刃が渦を巻き、中心に黄金の何かが光った。吸血鬼殺し、皆が恐れていた『金仮面の屠殺者』のスキルの一端か。
一度も見たことが無かったが、説明通りの魔力の渦だ――。
ミレイを守りたい。だが、彼女もまた俺を守ろうとしている。
この矛盾が、俺たちの最大の弱点だと、敵も気づいているはずだ。
互いを想うがゆえに、判断が鈍る。それでも――いや、だからこそ、俺たちは強い。
守るべきものがある者の強さを、ケンダーヴァルの配下どもは知らない。
「――ミレイ、ここは俺が引き受ける、お前は逃げろ!」
「嫌よ! 追跡されているのは同じ、まして、あなたを置いていけるわけがない!」
ミレイは俺の言葉を拒絶する。
崩れた天井の穴から月光が差し込み、戦場を不規則に照らし出す。
俺は影から影へと跳び、光の中で戦うミレイを援護した。吸血鬼にとって、この明暗のコントラストは天然の戦術的優位性だ。
敵もそれを理解しているのか、『白衣の処刑人』が何かを投げた――閃光弾のような光が廃墟全体を白く染め上げる。
「っ!」
一瞬の眩惑。その隙を突いて、敵が間合いを詰めてきた。
数合、魔剣を往なしたが、敵の猛攻は激しさを増し、呪詛の刃がミレイの脇腹を貫いた瞬間、時間が止まったような錯覚に陥った。
ミレイの血が、月光に照らされて赤く光る。
その一滴が石畳に落ちる音が、やけに大きく聞こえた。
次の瞬間――彼女の口から漏れた小さな呻きが、戦場の喧騒をかき消して俺の耳に届く。
傷口から広がる黒い紋様は毒蜘蛛の巣のように彼女の白い肌を侵食していく。
見たことがある――教皇庁が開発した対吸血鬼用の特殊呪詛だ。
傷ついたミレイを見た瞬間、理性の奥底で何かが目覚めた。
それは数百年間、必死に抑え込んできた獣性――真祖に近い高位吸血鬼が持つ、原初の破壊衝動。視界が真紅に染まり、牙が疼く。敵の血の匂いが、甘美な誘惑となって鼻腔をくすぐりながら、刹那の間に、白衣の男の一人の体を裂くように倒し、青髪の女の魔剣を腕に受けながらも白焔が包む闇夜剣を突き出し、青髪の女の肩を貫く。
「げぇ」
青髪の女は退いた。
他の魔剣師に金仮面の野郎たちが魔剣を突き出してくる。
それを魔刀鬼丸と白焔が包む闇夜剣で払う。
「殺す……全員、八つ裂きにしてやる」
自分でも驚くほど低い唸り声が、喉の奥から漏れた。
背後からミレイの呻き声が響く、すぐに半身になり後退し、
「ミレイ!!」
俺の叫びに、彼女は苦笑を返した。
「大丈夫よ……この程度」
だが、その強がりも、震える声が裏切っていた。
駆け寄ろうとするが、俺に魔刃が飛来、頬と肩と足をかすめ、体中に焼けるような痛みが走った。神聖属性の残滓が、吸血鬼の肌を侵食していく感覚――まるで聖水を浴びたような激痛だった。
そして、ミレイは苦痛に顔を歪めながらも、俺の傷を見て、青ざめる。そして、最後の力を振り絞ったように、
「大丈夫、教皇庁の暗部だろうと、今の私なら負けない、だから、ウタジ行って! 必ず生きて! サルジンたちと!」
ミレイの声が裂けそうになっている。またしても、俺を庇おうとしているのか。
血の結界が展開される。彼女の命を削って。
なぜ俺は、いつも守られるばかりなんだ。
残った力で強力な血の結界を展開し、一時的に敵の足止めをする。
ミレイの持つ〝血ノ旭影〟から血魔力が放出されていく。
空氣が裂ける音と共に、魔刃の雨が降り注ぐ。
同時にミレイから衝撃波が放出され、俺にダメージを与えるものではなく、明確にミレイと追跡者たちから引き離すためのものだった――俺は、抗う術もなくミレイと追跡者たちから遠ざけられた。
「――ミレイ、似合わないことをするな!」
「……」
ミレイは応えず、魔刃を〝血ノ旭影〟で払いつつ、追跡者の一人を仕留めていた。
そこに魔刃が飛来――。
魔察眼が捉えたのは、形や魔力の質が異なる三種類の刃だった。
『金仮面の屠殺者』と『白衣の処刑人』に青髪の女の魔刃か。
その左からの黒い魔刃は闇属性の濃度が高い――。
ハルゼルマ要塞の襲撃時に見掛けた青髪の女性が繰り出していた魔刃の波形と似ている。
にわかに<血道第三・開門>を発動した瞬間、全身の血管が燃えるように熱くなった。
心臓が通常の三倍の速さで脈打ち、視界が赤く染まる。この状態を長く維持すれば、血管が破裂するリスクがある――だが、ミレイを守るためなら、この身など惜しくはない。体の速度を上昇させながら覇王のシックルで青髪の魔刃を弾く。
硬い魔刃――パイロン家かケンダーヴァルの部下――再び、青髪の魔刃が飛来、それを覇王のシックルの刃で叩き落とす。
そして、前屈みになって白衣の者の魔刃群を魔刀鬼丸で粉砕しようとするが、予想以上の硬度に腕が震える。
「これが神性か――」
残りの魔刃の渦は完全回避は不可能と判断。
いくつかが肩を貫くのを覚悟で、前に出て、右肩が吹き飛ぶが、構わず、「――死ぬ氣かバカ野郎! その役目は俺にやらせろよ――」と叫びミレイへの最短ルートを選ぶ。
〝血ノ旭影〟を振るっていたミレイが、俺を驚愕の眼で、見ながら、微笑み、
「……もう! 素直に、ううん、最期に会えて良かった――」
と、言うと、
「ケンダーヴァルの者、わたしはここよ!!! フハハハ」
反対方向に駆けていく。あいつ、またも囮に!
そこにミレイを追うケンダーヴァルの配下たち、更に、
「おい、あそこにも!」
「反応はあそこだ!」
俺を追うケンダーヴァルの配下たちが増えた。
魔刃が無数に飛来――覇王のシックルと魔刀鬼丸で、その魔刃を斬る。
金仮面の野郎が、魔刃は更に繰り出す。
あいつの下から漏れる呼吸音は、獣のような荒々しさを帯びていた。
その魔刃は他の追跡者とは異質で生きているかのように軌道を変え、喰らいついてくる――。
一度でも傷を負えば、その血の匂いを追ってどこまでも追跡してくるという噂を思い出した。
魔刃を斬り捨てるが、俺に迫る数が増え、ミレイから「私がウタジ! この<血魔力>を見ればわかるだろうが!」とわざと男の声を真似て、大声で――。
ミレイの膨大な<血魔力>が広がるのを見て、信じるしかない――
「あぁぁ――ミレイ! 待っていろ、必ず助けに!」
声が枯れそうになる。またも失うのか。またも守れないのか。
「私がウタジだ! お前たちの望みは俺だろう!」
ミレイの声が、完璧に俺の声を再現していた。
一瞬、俺自身も錯覚しそうになる。それほどまでに、彼女は俺を理解していた。
声だけじゃない。走り方、剣の構え、魔力の波動まで――千年かけて、彼女は完璧な俺の複製となることを学んでいた。今、そのすべてを使って、俺を生かそうとしている。
「ミレイ……」
声にならない叫びが、胸を引き裂いた。
要塞での訓練中、よく互いの真似をして笑い合った。
あの頃は、こんな形でその技術を使うことになるとは――
歯を食いしばった。彼女の瞳に映る決意を、否定することはできなかった。
あの瞳は、俺を逃がすと決めた時の、母上と同じ色をしていた。
またもか、敵が二手に分かれる。「血の幻影に騙されるな!」とどちらが本物か分からない敵の混乱。それがミレイの狙い。
数百年ぶりに取り戻した光が、再び闇に飲み込まれていく。だが、断腸の思いで、一端は退く、ミレイの覚悟を無駄にするわけにはいかない、ミレイの決死の覚悟に応えるしかなかった。
ミレイの結界が破られる寸前――<影刻加速>で実行し、身を翻し、その場を離脱した。背後から声が響く。
ミレイの笑い声が響く、敵の魔素が減った。
再び一人になった。
振り返りたい。駆け戻りたい。だが足は前に向かって動き続ける。
この音を一生忘れないだろう――。
静寂が戻ってくる。風の音、自分の足音、呼吸――それだけが世界のすべて。
慣れ親しんだはずの孤独が、一層重く肩にのし掛かってくる。
希望を知った後の絶望は何も知らない絶望より深い。
数百年ぶりの再会、希望、愛、幸福――すべてが、たった三日で消し飛んだ。
なぜ俺は、いつも失うことしかできないのか。
逃げろと理性が叫ぶ。否、戻れと感情が訴える。
ミレイの最後の願いと、彼女を救いたい衝動が、胸の中で激しくぶつかり合う。
この葛藤こそが、俺という存在の本質かもしれない――守りたいものを、いつも守れない、無力な男。ケンダーヴァル、貴様を必ず! 絶望と怒りが全身を焼き尽くす。
ミレイの最後の言葉が蘇る。
『必ず生きて! サルジンたちと!』そうだ。まだ終わっていない。サルジンとスゥンが生きている。
ミレイとの束の間の再会と、その直後の絶望的な別離――。
ミレイは自ら囮となり、ケンダーヴァルの配下たちを引きつけてくれたが、俺が囮になれば……ふつふつと怒りが湧いた。ミレイに悪いが戻ろう!
身を捻り跳ねるように地面を蹴って、反転、駆けた――。
走りながら、わざと分泌吸の匂手を実行した。
濃度を高めた<分泌吸の匂手>を実行しながら、俺は薄く笑った。
奴らは知らない。この血のスキルの本当の恐ろしさを。
単に血の匂いで誘うだけではない。この香りには、俺の怒り、憎悪、そして高祖の由縁、千年以上の執念が込められている。
それを嗅いだ者は、理性を失い、獲物に飛びかかる獣と化す。
さぁ、狩りの時間だ。今度は俺が狩る側だ。
己の血で、追跡者をおびき寄せる。敵を逆に狩る――。
だれを追跡しているのか、身を以て教えてやろう。
走りながら、ミレイの最後の笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。
なぜ笑えるんだ、ミレイ。
なぜいつも、そうやって俺を送り出すんだ。
要塞での最後の日も、そうだった。炎の中、彼女は笑顔で俺を逃がした。
「今度は違う」
呟きが、夜風に溶けた。
今度こそ、俺が君を守る番だ。夜風が頬を撫でる。
ミレイの血の匂いが、まだ鼻腔に残っている。
あと何人殺せば、彼女を取り戻せるのか。
あと何年戦えば、この地獄は終わるのか。
「全員だ」
答えは、最初から決まっていた。




