もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 45 北国編
景勝の居城春日山城は現在の上越市にある。
つまり、新潟市よりもずっと西。
すなわち、越中との国境からそう遠くはない。
むろん多くの城や砦があり多くの兵を配置している。
だが、ひとつの城に配置されているのは数百人規模であり、四千人近くの兵で籠った魚津城のように数か月も持ちこたえることは叶わない。
四万の兵がその気になれば一日も持たない。
このような場合、多くは城を捨て退却するわけなのだが、さすがに上杉の兵はそうはならず、どこの城も全滅まで戦う。
当然柴田軍も多くの死傷者が出る。
そして、進軍スピードも上がらない。
だが、多勢に無勢進軍そのものは止まることはない。
柴田軍の前衛、前田利家、佐々成政、佐久間盛政は争うように城を落としていく。
越中宮崎城は佐々成政、越後勝山城は前田利家が攻め落としたのに続き、遂に春日山城から三十キロほど西にある要衝不動山城も落城する。
これで数日後には柴田軍は春日山城から視界にとらえるところまでやって来るのか確実となった。
損害が出ていると言っても、後方から次々の援軍がやってくる柴田軍は四万。
上杉軍は敗残兵を含めて八千。
いかに強兵揃いといっても野戦でこれだけのさがある敵を殲滅するのは難しい。
籠城。
そして、冬を待つ。
これが上杉軍の策であった。




