表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 45 北国編

景勝の居城春日山城は現在の上越市にある。

つまり、新潟市よりもずっと西。

すなわち、越中との国境からそう遠くはない。

むろん多くの城や砦があり多くの兵を配置している。

だが、ひとつの城に配置されているのは数百人規模であり、四千人近くの兵で籠った魚津城のように数か月も持ちこたえることは叶わない。

四万の兵がその気になれば一日も持たない。

このような場合、多くは城を捨て退却するわけなのだが、さすがに上杉の兵はそうはならず、どこの城も全滅まで戦う。

当然柴田軍も多くの死傷者が出る。

そして、進軍スピードも上がらない。

だが、多勢に無勢進軍そのものは止まることはない。

柴田軍の前衛、前田利家、佐々成政、佐久間盛政は争うように城を落としていく。

越中宮崎城は佐々成政、越後勝山城は前田利家が攻め落としたのに続き、遂に春日山城から三十キロほど西にある要衝不動山城も落城する。

これで数日後には柴田軍は春日山城から視界にとらえるところまでやって来るのか確実となった。


損害が出ていると言っても、後方から次々の援軍がやってくる柴田軍は四万。

上杉軍は敗残兵を含めて八千。

いかに強兵揃いといっても野戦でこれだけのさがある敵を殲滅するのは難しい。


籠城。

そして、冬を待つ。


これが上杉軍の策であった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ