第14話 合宿の始まり(3)
「伝承――召喚?」
「『伝承召喚』っていうのはね、陽子。古来より伝わる物語や伝承に存在する生物を、“そのままに”創造し、操る能力のことを言うの。これが武器や物になると『伝承創造』って言ったりするけれど、最近じゃまとめて『伝承召喚』って言うわ。」
「ふうん?」
首を傾げる足立に、山田が目を輝かせながら説明する。
「すごいのはその伝承通りの性質を持ったまま創造される、という点よ。例えば、ヒュドラであればその毒を、ユニコーンだったら傷を癒す力がある、なんて言われてるのよ。」
「ううんと、よくわからんが……ゲームやアニメのモンスターなんかを召喚体で創ったら、アニメの設定のまま現実世界に持ってこれる、って感じか?」
「まあ、アニメキャラを現実世界にそのまま作り出せるって話は聞いたことがないけれど、方向性は勇人の言っていることであっているわ。」
「ええ!スゴイ!じゃあ、和田先輩はどこかの神話の生物をここに作り出しているってことですか!?」
足立が和田の体に巻き付く青い竜を見つめる
「あははは。そう言われると確かにすごそうな気がするけれど、俺自身はよくわからんくてな。なんせ、何もモデルなんて見たことないのに、コイツだけが召喚できるからな。」
「え?モデルがないんですか?」
高木が首を傾げると、大原がその疑問に答える。
「『伝承召喚』は、そのほとんどが突発的なのだそうよ。中には意識して出せるダイバーズもいるって聞いたことがあるけれど、ほとんどは意識することなく、ある日突然できるようになっている――のだそうよ。」
「しかも、前触れも何もないし、出来る人に何か特徴があるわけでもないんだって。ダイバーズのランクにも関係ないし、国や地域によって偏っている訳でもない……だから世界でも千人程度しか確認されていないの。まあ、やろうと思ってもどうすればやれるのか分からないものだから、当然少なくなると言えば少なくなるわ。」
肩を竦める山田に、高木は再び驚愕する。
「千人に1人?いや、ちょっとまて。確かダイバーズは今32億人程度だから……30万人に1人!?そんなに珍しい能力なのか!?特秘能力者レベルだろ、それ!?」
「いやあ、特秘能力者はもっと次元が違うらしいからね。もしかしたら実際に『伝承召喚』が出来るダイバーズが存在するのかもしれないけれど、それだけでは登録されないと思うよ。」
和田は肩を竦め、そしてため息まじりに言う。
「まあ、それでも珍しい能力であったことは確かだからね。おかげで扱い方も何も全く分からなくて、最初は苦労したよ。」
竜の額を撫でながら、和田は懐かしそうに語り始める。
「俺がこいつを最初に召喚したときは小学校の時でな。プール開きの初日。ギラギラ輝く太陽が映ったプールから、突然こいつが顔を出したんだ。
まあー大変だったぞ。まるでホオジロザメの狩のように、僕めがけて飛んできてね。危うく人生最後のプールになるところだった。」
「そ、それは大変ですね。」
「で、しかもこいつは、口から毒を吐く。」
「え!?」
高木と足立が思わず一歩のけ反った。すると小さく小平は笑って言った。
「大丈夫、大丈夫。今はそんなことしないから。龍也がさっき言っていたでしょ、引っ越しが多いのはこいつのせいだって」
「俺も大人もこいつが何なのか分からなかったからな。コントロールしたり、調べたりするのに、いろいろな研究所に行かされたよ。京都に北海道、それと富士山の麓にも、一回だけ行ったような気がするな。」
「それで引っ越しを――大変ですね。」
足立が小さな竜に触れる。
竜は小さくイルカのような鳴き声を上げると、瞳を閉じて額を差し出した。
「はは、今じゃ他人に触れられても暴れないが、最初はもう暴れ馬かよってくらい暴れまくっていたんだ。ここまでコントロールするようになるまで随分と時間がかかった。
それでも俺はまだこいつ――『ミズチ』を完全には扱いきれていないらしい。上位の『伝承召喚』能力者には、意識を飛ばして召喚体が見たモノ、聴いたもの――つまり“感覚”を共有することができる者もいるらしいんだが、まだそこまでできていないんだよ。」
「でも、あとちょっとでそのコツを掴めそうとか言ってなかったっけ?」
小平の言葉に、和田は照れくさそうに髭をポリポリと掻く。
「いや、咲、そう簡単にはいかないよ。俺にとって『ミズチ』は相棒みたいなものだからな。どうにも体の手足と同じようには思えないのさ。」
(――何が、相棒だ。)
話に花が咲く彼らの後方で、勝輝は一人、怒りと恐怖に対峙していた。
彼は召喚体を否定することで、自身が召喚体でないと証明する。
召喚体は道具であり物であり、命ではない。それに対して、自分は命であり、物ではなく道具でもない。召喚体は時間がくれば消え去る存在だが、自分は時間が経とうとも、「己」は確かに残っていると。
それなのに、今彼の目の前にいる召喚体は、あろうことか物語や伝承に存在するモノをこの世に生み出す、特異的な召喚能力による産物だ。いわば、人々の思いや記録から映し出されたコピーのような物。人類の記憶を基にして造られる、“作り物”である。
それは、脳の海馬以外が創造体でできている勝輝にとっては苦痛でしかなかった。見ただけで自分を「人」としていられなくするような、得体のしれない恐怖を与える代物にしか見えなかったのだ。
「――ッ!」
彼は召喚体を嫌悪した。彼は召喚体を、にっくき“己の仇”として、忌み嫌う。あのようなモノがあるからこそ、自分が『人間ではない』などと言われるのだと。
(徹底的にモノを否定し、己の存在が確固たるものへと還るためには、あの召喚体を――)
「おい、吉岡、お前大丈夫か?顔色悪いぞ。」
「――!い、いえ。なんでもないです。」
和田の言葉に、勝輝は我に返った。グラスをへし折りそうな手から力を抜き、鼻から息を吐き出して呼吸を整える。
召喚体からどうでもいいグラスに視線を移すと、グラスの中にいるもう一人の勝輝が、何を取り乱しているんだと睨み付けていた。
「勝輝、お前本当に大丈夫なのか?さっきも気分悪そうだったが。」
「――ああ、大丈夫だ。問題ない。」
「いや、大丈夫には見えないんだけど。なんかめっちゃ汗かいているし。」
山田が勝輝の顔を覗き込む。
(――いや、そっとしておいてくれ)
「うん。大丈夫には見えないわね。今日のトレーニングいつもよりきつかったし……龍也、ちょっと矢島先生呼んできてくれる?私、島崎先輩に医務室開けてもらいに行ってくるから。」
「おう。井上、この場を頼むわ。」
「わかった。」
「いや、僕は――大丈夫です」
先輩3人が動き出すのを見て、勝輝はそれを制止しようとする。
「だめだよー、勝輝君。陽子が見ても明らかに具合悪そうだよ?おっきな人二号君に負ぶってもらう?」
「おう、構わねえぞ。」
「それは勘弁してくれ。」
勝輝は愛想笑いを浮かべつつ、徐々に苛立ち始めた。無駄に生唾を飲み込み、グラスを持つ手に力が入る。
大原がそれに気が付いたのか、静かに尋ねた。
「……歩けるの?」
「ああ。歩ける。」
「でも、結構汗がひどいわ。シャツもびしょびしょだし……」
「いや、大丈夫だ。」
「でも――」
「大丈夫だと言っているだろう!」
会場が、静まり返った。
水を打った部屋に、後味の悪い残響が漂っている。
勝輝はぎょっとして周囲を見渡す。あらゆる人の眼が、何事かと勝輝を見ていた。
(――しまった。)
勝輝は自分が今どのような状況にあるのかを把握し、彼は本当に小さく、蚊のような音で舌打ちをした。
失敗した、と。
「――」
大原は口を紡ぎ、差し出しかけた手をそっとスカートの後ろへと戻した。それを見て、ひとりの男がこの静寂に第一声を投じた。
「お、おい、勝輝――」
「まって高木君。」
高木の動きを止めたのは、井上であった。彼は一度周囲を見渡し、静かに勝輝に言った。
「……今日は暑かったからね。熱中症、ということもあるかもしれない。熱中症は判断力を低下させる。そういう時は少し医務室で横になるといい。」




