第26話 秘密(10) バ ア ス デ イ(上)
少年のもとに、二人の子どもたちがやってくる。
少年にとって、それは心の安寧をもたらすはずーーだった
少年は外の様子が気になっていた。
彼が見るのは無機質な蛍光灯と灰色の壁、そしていくつかの医療機器となんのために用意されたか分からない巨大な鏡だけだった。斗真以外の白衣の男たちは最低限の時以外彼の部屋には足を運ばなかったし、来たとしてもほとんど会話らしい言葉を交わすことはなかった。
少年がいるのは軍の地下施設ということであったが、そこがどんなところなのか少年には全く見当もつかなかった。斗真との会話は悪くはなかったが、少年はそれでも外への関心が薄れることはなかった。
(既に病院に来てから一か月近くたっているはずだ。そろそろ学校に行かないと、智也や華子に心配される。)
少年はそう思い、いつここから出られるのかと聞いたが、白衣の男たちは何も答えなかった。それどころか、話しかけてくるなと言わんばかりの形相で少年を睨み付けたため、少年は口を紡ぐしかなかった。
そんなときだった。少年のもとにある男が入ってきた。見慣れた顔を二人、引き連れて。
「勝輝!」
少年に1人の男の子が駆け寄った。その男の子はベッドの手すりに摑まると、くりりとした目を見開いて少年の顔に近づける。
「大丈夫なのか!?ケガしてないのか!?」
そのひどく心配したような顔を見て、少年は少し顔を赤らめる。
「う、うん。随分よくなったよ、智也。」
「勝くんほんとに?どこもいたくないの?」
「うん。痛くはないよ。」
少年は目に涙を浮かべる女の子に、小さく微笑んで見せる。彼女はピンクの服の袖で涙をぬぐう。
「よかった……お父さんとお母さん死んじゃったって聞いて、勝くんも死んじゃってたらどうしようって……」
「おい、華子!勝輝の前で両親のこと――」
智也と呼ばれた茶髪の子は、ちらりと少年を見る。少年は小さく苦笑いして返答した。悲しみをこらえた瞳を見て、智也はうつむきながら謝罪した。
「すまない。華子、ずっと心配してたんだ。お前が死んじゃうんじゃないかって。」
「そうなんだ……」
少年は華子を見る。目を真っ赤にした少女が、少年の前に立っていた。
「――ありがとう。心配してくれて。智也も、心配してくれて――ありがとう。」
「あ、あったりまえだ!俺たち、親友だろ?」
少年も智也も、今にも泣きそうな顔をしていた。
智也と華子は毎日病院に面会を求めていたが、その都度門前払いされていた。それが、やっとのことで許可が下り、ようやく少年の元にたどり着いたのである。生きているとは話に聞いていたが、会えないということは何かひどいけがを負ったに違いない、そう彼らは考えていた。だから、いつもと変わらない様子を見せる少年に、彼らは心から安堵した。
少年にとっても、やっと見知った顔を見ることが出来たのは幸いだった。自分の知らない場所にいるという状況は、それだけで心を委縮させてしまうものである。それゆえ、少年の心はいつも張りつめていた。
(いつもの、顔だ。
自分の知っている、友人がそこにいる。)
やっと少年は、心の底から自分は生きていると実感できた。
自分がいるのは、死後の怪しげな四角い箱の中ではなく、自分が生きていた世界なのだと実感した。
少年はその緊張の糸がほぐれたからか、涙を流した。
友とともに、その頬を濡らした。華子は少年の右手に触れ、生きていることを確かめるように強く握った。
「ああ、本当によがっだ!」
智也はそういって、むせびなく少年の体を強く抱きしめた。
と、その時だった。
小さく、「あっ」と少年が声を発した。智也は彼の体を傷つけてしまったと思ったのだろう。慌てて少年から離れ、謝罪した。
「すまん!勝輝!大丈夫か!?痛くな――」
智也の声が固まった。少年の顔を見て、智也は動けなくなった。
少年の顔に、さっきまであったはずの右眼がない。
「あ、いや、これは。」
少年は慌てて落ちた右眼をひろい上げる。そして硬直する智也に、少年は半ばおびえるように言った。
「そ、その、なんだっけ。ダイバーズがかかる病気で、エーテル喪失症っていうらしいんだ。その一種?――だったかな?あの爆発で、体がちょっとおかしくなってるみたいなんだ。」
少年の言葉に、智也は口を開く。
「そ、そうなんだ……たいへんだな。ぎ、義眼なのか――?」
智也は少年の暗い右眼を見る。そこは深い虚。どこまでも暗い闇が、そこにはあった。
「だ、大丈夫なのか、義眼、落として……」
「ああ、うん、その。お医者さんが言うには――」
「しょう――く――ん」
今度は華子が震えた声で自分の名を呼ぶのを、少年は聞いた。
そして、少年は見た。華子が見たこともない真っ青な顔をして、全身を震わせているのを。
「みぎ――て――」
少年の腕は、肩から落ちていた。
一滴の血も出さず、その腕は落ちていた。そして、まだ生暖かいその腕を、華子がしっかり握っている。
彼女は少年の右眼が落ちた瞬間、あまりのことに手をひっこめた。だがその勢いのあまり、少年の腕を一緒に引っ張ってしまっていたのだ。
そして、それと同時に、少年の腕が体から離れてしまっていた。
「う――で――」
華子は、少年の腕を両手に持ったままガクガクと震えている。
自分が、もぎ取ってしまった、そう思っているように少年には見えた。
「あ――ああ、違うよ、華子!それはその――腕じゃなくて、いや腕――」
「――勝輝、お前」
今度は、智也が少年の顔を指さす。少年は何を智也が言っているのか分からなかったが、視界が広がっていることに気付いて理解した。眼が形成されるその様を、智也は見たのだと。
「いや、これは、その。」
少年が震える声で慌てて説明をしようとした。だが、その声は一人の少女の叫び声でかき消された。絶叫、そう呼ぶにふさわしい叫び声が、部屋に響く。
「ああああああああ、あたしはあたしはあたしは」
「華子、違う、君のせいじゃないよ。それは――」
少年が、少女に手を伸ばそうとした時だった、少女は少年を見て再び叫び声を上げ、後ろの機械を倒しながら飛び退いた。
少年は、自分の右腕をみた。今まさに、体から芽が出るように、腕が生えている。土を盛り上げたように、真っ赤な肉体が、筋肉が形成されていく。筋線維の一本一本が、はっきりわかる程明確に、その腕は形成されていった。二の腕が形成され、その先の細い前腕が構築されていく。赤い筋肉の上にやや白い肌が、まるで染みだすように少年の出来上がった筋肉に覆いかぶさる。
手のひらが形成され、五指がタケノコのように生えていくさまを、智也と華子は見ていた。智也は目を見開き、完全に言葉を失って直立していたが、華子は違った。
全身でその様が異常だと、訴えている。まるで妖怪やお化けを見たような顔を少年に見せ、指が爪の先まで形成されきったのを見ると、小さくいった。
「――ばけもの」
え
何かが割れた。
少年の中で、何かが割れた。そして、一瞬で、目の前が真っ白になった。そこにいるのは少年と少女、そして智也だけ。彼らの発する叫びも、声も、少年には聞こえなかった。
無音。
あの闇とは違う、もっと現実的な、地平線の彼方まで広がるような静けさが、少年の前に広がった。
「ゆ、優華!な、なんて、こと、言うんだよ。」
智也が叫ぶ。だがその智也自身も立つのがやっとのことで、口も小刻みに震え、カチカチと歯を鳴らせている。そして、ほとんど言葉にならない声で、少女は叫んだ。
「だれ、あなただれ――」
少年はようやく少女の顔を認識した。恐怖によってその顔は歪み、血の気は全くなかった。
少年も、少女と同じように震える声で、自分の名を名乗った。
「ぼ、ぼくは、吉岡――勝輝だ、よ――」
「ち、っちちちがう!しょうくんは、うううううううでなんか落ちたりしない。めなんか、おおおおちたりしない。」
「こ、これはそうじゃ――」
「どこにいったの、しょうくんは。しょうくんは、ばけものに、たべられちゃったの?」
「や、やめろ華子!」
智也が少女の前に立つ。
「そ、そんなことはない。こ、これは病気なんだ!あいつは勝輝だ!俺たちの知っている勝輝だ!だ、だろ?勝輝?」
智也が、笑って少年を見る。その目はおびえたリスのようで、視線の先は定まっていなかった。
「そ、そうだよ。ぼくだよ。ほ、ほら、川に落ちておぼれかけた時、二人とも、た、たたすけてくれたじゃないか」
「ほら、みろ、華子、やっぱり勝輝だ!」
「う、え?」
少女は少年の顔をみる。ベッドの上にいる少年は、歯をがたがたと震わせながら、いびつな笑いを見せていた。
「ほ、ほら、華子。野外実習で僕が川に落ちて流された時、智也の『眼』で見つけてくれて、それで華子が『変身』して助けてくれたじゃないか。」
「――」
智也の顔から、わずかに残った笑みが消えた。だが、少年はそれに気づくことなく話を進めた。
「ほら、ぼくさ、なんの能力か分からないけど、ダイバーズになったらしいんだ。だから、今度はぼくが二人を守ることも――」
「ちがう。」
「――え?」
少年は、智也の顔を見て言葉が出なくなった。智也の顔は、おびえたような、そして何かに怒っているような、そんな顔をしていた。
「おまえ、――誰だよ」
「え……智也?」
「おまえ、誰なんだよ!」
智也が、目に涙を蓄えながら言った。
彼は怖がっている、というよりも悲しくて怒っているようだと、少年は思った。
だから少年は、彼がなぜそんな顔をしているのか、見当もつかなかった。
「智也……?」
「だって、だって――変身できるのは、俺じゃないか。」
少年の動きが止まった。
「……なにいっているんだよ、智也。君は目がよくて――」
「ちがう。」
智也は首を横に振る。
「ちがう。『俯瞰能力』は華子のほうだ。」
「そ、そんなはずは――」
「俺が、俺が、『獣化能力』を持っているダイバーズだ。」
少年は何も言えず、ただ口を開けたまま枯れるような声で、息を吐いていた。
そんなはずはない。
少年は必死で記憶を遡りながら、自分に言い聞かせる。この記憶は、間違いではない、と。
そんな少年に、智也は生唾を飲み込むと、震える声で尋ねた。
「なぁ――俺たち、小学1年のころから、ずっと一緒だったよな。」
「え――えあ、うん。」
少年は必死であの日々を思い出そうとする。初めて出会った、あの輝かしい日々を。だが、斗真に聞かれた時のように、ぽっかりと穴をあけたようにそのことが何も思い出せない。
少年は、恐ろしくなった。だから、とにかく肯定するしかなかった。親友であるということを、証明するために。
だが、それは裏目に出ていた。
「おまえ、だれだよ……」
智也が、一歩後ろに引きさがる。
「俺は――お、俺と勝輝が出会ったのは、小学1年なんかじゃない!小学3年の時だ!」
「え――」
少年は目を見開く。
「俺は、お前を知らない。俺が助けたのは、吉岡勝輝だ。」
「ぼ、ぼくは――」
「お、俺が助けたのは――お前じゃない!」
少年の頬に、雫が落ちた。
「お前は――勝輝じゃない!!」
既に少女は泣きわめいていた。床に座り込み、灰色の天井を仰ぎ見ながら彼女は泣いていた。その前に、一人の少年が立っている。悲しみと怒りと悔しさが混じったその顔は、少年の胸を苦しませた。
少年の視界が、小さくかすむ。
「――ち、ちがうよ、ぼくは、しょうきだよ」
「違う!お前は勝輝なんかじゃない!腕が生え変わったりなんかしない!目が落ちたりなんかしない!」
「とも――」
「返せよ。どこやったんだよ。勝輝をどこへやったんだよ!」
「ぼくはここにいるよ!しょうきだよ!ともや!」
二人の少年の目には、大粒の涙があった。
心の中に、大きな杭を打ち込められたような苦しみが、二人を襲っていた。
目の前の苦しみに抗うように、二人は叫んだ。
「ぼくだよ!しんじてよ!」
「信じられない!だって勝輝は、確かに弱くてすぐに泣くけど、優しいやつだった!決して、俺たちの事忘れたりなんかしない!大切な友達だ!――だから、お前は勝輝じゃない!」
「ともや――」
「返せよ、大切な友達を!俺の、友達を!」
「ぼくだよ!ぼくが、しょうきだよ!ぼくが、ともだちだよ!」
「違う!お前と勝輝を、一緒にするな!」
彼は叫んだ。力の限り、自分の信じる友を思って。
――お前みたいな化け物、友達なんかじゃない!
読んで頂き、ありがとうございます!
いかがでしたでしょうか?
遂に、第1話で勝輝が思い出していたセリフについて触れることができました!
な、長かったぁ(^^;
一応一言いれておきますと、この少年も智也も、“『友達』というものがなにより大切”であることに注意してほしいです。
智也は、決して友達である吉岡勝輝を否定したい訳ではないのです。
そして、少年にとって『友達』とはかけがえのないものであり、
なおかつ『智也の友達』=『吉岡勝輝』=『自分』となっている点が重要です。
彼は全く自分の知らない空間で、知人もいない地下の病室に一人きり。訪ねてくる人物は斗真含め白衣の人間ばかり。そのような空間でおよそ1ヶ月をすごし、尚且つ体がボロボロ崩れる『奇病にかかっている』と思っている。それはとてつもなく心細く、少年にとって今まで生きてきた空間とは全く異なる世界です。少年は、智也と華子に出会ったことで自分がいる世界を認識し、自分という存在を再認識しているのです。
そのことを踏まえると、この先の展開がより深みを持って楽しんでもらえるかと思います。
さて、この先、少年はどうなってしまうのでしょうか?
そして、なぜ大島は少年と二人を引き合わせたのでしょうか?
次回『バアスデイ(中編)&(後編)』連続投稿します!!明日零時をお楽しみに!(*´ω`*)
遂に、勝輝の秘密が明かされるーー
ーーぼくは、人間なんだ……




