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秘密、弐



 頭から唇からポタポタと赤い雫が掌に落ちていく。

あたしは、眼を閉じた。

 お迎えは早かった。

もう夕方で太陽が沈みかけているからだろう。電話で起こされて不機嫌に文句を並べながら、来たラトアさんに多分抱えられてその場をあとにした。

覚えていない。記憶はもう朧で夢でも見ているようだったから。

 夢ならいいのに。


「………え…?」


目が覚めたら、真っ白な────病室だった。

見覚えのある病室。

起き上がると、壁際にパイプ椅子に座っているクセがついた黒い髪に草臥れたコートの───篠塚さん。

 な、なんで?どうして?

首には、包帯。

あとの怪我がない。

眠っているらしい篠塚さんを起こさないように、ベッドから降りようとした。

あたしの指が自分の影に触れた途端。

影は真っ黒に染まり、白い床を塗り潰すようにそれが広がった。

驚いてベッドに倒れる。その音に起きたかもしれないと篠塚さんを見た。けれど篠塚さんはそこにはいない。何処にもいなかった。そこにいた形跡がまるでない。

 篠塚さんがいない。

 息が、乱れる。

黒はどんどんと白を呑み込んでいく。

それはあたしの乗っているベッドまで黒色にした。

 触れても、何ともない。

だがら床に足をつけてこの病室から逃げようとした。

だけど、扉はおろか窓すらない白い壁。逃げ道が、どこにもない。

黒は床を一色に染めるだけでは飽きたらず壁をも黒くする。

混ざって灰色になるんじゃなくて、白が黒を呑み込む。

部屋中の白が、消えていく。

首の包帯さえも、真っ黒。

 黒。真っ黒。闇。暗闇。

 息が出来ない。

 呼吸が苦しい。

 痛い。苦しい。

 白が、消える。

 首が、痛い。

 肩が、誰かに、掴まれた。


「おい、起きろ!」

「っ!?」


荒い呼吸。過呼吸になりそうなほど小刻みに震える。喉が、痛かった。渇いてる。

夢、だった。ラトアさんに起こされた。

暗くても黒い部屋ではない。蝋燭が照らされる灰色の部屋はコンクリート。

あたしはソファに横たわっていた。


「魘されてたぞ」

「………すみ…ません、うっ痛い」


身体中が痛い。特に胸部と腹部。


「内臓は無事だが痣が酷いだろう。肋骨が折れてるがお前が気を失っている間に固定しておいたから寝返りしても平気だ。肩は外れていたから戻したぞ」

「はぁ……どうやってとは訊きませんが、何故先程からクチャクチャと貴方はあたしの手を舐めているんですか」


平然と報告しながらあたしの手を平然と舐めているラトアさんにツッコミを入れるのは間違ってるかもしれないが訊いてみた。


「ん、ああすまん。お前だって空腹を感じてたらステーキをつまみ食いするだろう?」

「血を流すあたしはステーキですか。美味しいですかぁ?」

「ん、美味だ」


軽い調子で言ったのに、真面目に答えられた。

美味しいだって。

喜んでいいのかな。

てか昨日食事済ませたよね。


「頭の傷は血が止まってる、手当てをするが……お前の携帯電話が鳴っていたぞ」

「え?今、何時ですか?」

「九時だ」


うげっ…。渡された携帯電話を開けば、十三という不吉な数字の数の不在着信があった。

一番上に白瑠さん。次に幸樹さん。そのあとに競うかのように交互に蓮真君と登録していない番号が表示されていた。

どうせ秀介なんだろう。

蓮真君には帰っていいとメールを送ったはずなのに。

蓮真君の登録名は“末っ子”だ。

二人は後回しにして、あたしは白瑠さんに電話をすることにした。


「えーと、二人には連絡してません、よね?」

「一緒にいると連絡しておいた。ハウンと一緒に遊んでるからあとで電話させると」

「ハウン君?」

「ここはハウンの家だ」


あーなるほど。通りで生活感のない部屋だと思った。これは藍さん並だ。あの人生活感ない。

逆に吸血鬼はその方がいいのだろう。

そうなると口実が簡単に考えられた。コール前に深呼吸。

コールしたら予想通り即座に電話に出た。


「つぅばぁきーちゃん」


暢気な声で明るく呼んでくる声。


「白瑠さん」

「なぁんでこんなに遅いのぉ?ご飯、冷めちゃうよ」


ご飯。夕飯。夕飯前ならセーフだったのに。


「すみません、連絡し忘れちゃって。昨日ラトアさんに紹介してもらったハウン君と遊んでて」

「ん、聞いた。それよりいつ帰ってくるの?」

「あー、それなんですけど。ハウン君の家に泊まっちゃ、だめですか?」


電話口から沈黙が返ってきた。ちょっと、怖い。


「もっと遊んでいたいんですよ。ねっいいでしょう?夜中遊ぶだろうから、ラトアさんとは吸血鬼物のDVD観るから。…ねぇ、お願いしますぅ」


あたしは猫なで声で頼み込む。今楽しいと弾んだ声はきっと伝わっただろう。

沈黙のあとに「ふふふふ」と不適な笑いが聴こえてきた。


「うひゃっ、ひゃひゃ。仕方なぁいなぁーあ。もう、ほぉんとぉ吸血鬼だぁい好きだねえー椿ちゃん。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ────ラトア殺す。代わって」

「ラトアさんごめんなさい、代わってください」

「何故謝る?」


あたしは直ぐ様ラトアさんにパスをした。怖い。めちゃ怖かった。

受け取ったラトアさんは電話越しで怒り出す。

お泊まりの許可は貰った、よね?仕方ないな、と言ったし。

なんで白瑠さんはラトアさんと仲良しなのが気に入らないんだろう。そういえば最初から吸血鬼好きと言ったら不機嫌だったような…?

黒の殺戮者が吸血鬼だからか?

ソファ越しではラトアさんは見えない。離れて口論していく。迷惑かけちゃったな。

疲れが酷すぎてあたしはまた眠ろうとした。

 少しして、額をざらついた舌に舐められ起こされる。

血を舐めとったのだろう。ラトアさんかと思ったが、目の前にいたのはハウン君。

白銀の吸血鬼少年。


「おはよう、つばき」


覚束無いような口調で、白銀の少年は挨拶した。驚いた。初めて、ハウン君が口をきいてくれた。


「おはよう、ハウン君」


あたしは微笑み返して言う。

ちょっとだけ、ハウン君は微笑み返した。


「今晩は泊まる許可が出たが……少なくともあと二日は顔の怪我は癒えないぞ」


ラトアさんは電話を終えたのか戻ってきて携帯電話を返してくれた。

顔?ああ、唇切ったんだ。あとの怪我は服で誤魔化せる。なんとか顔の傷だけでも治ってもらわなくちゃ。

口実を考えてあと二日は顔を合わせないようにしよう。

仕事はともかく、ボコボコにされた事実は知られたくない。知られたらまじ監禁されかねない。

満面の黒い笑顔の幸樹さんが脳裏に浮かんで寒気を感じる。

死ぬ気で三日間会わないようにしよう。なんならラトアさんに文字通り身体を張ってもらえばいい。うん。そうしよう。


「誰にボコられたんだ?」

「え、あれ、言ってなかったっけ?鼠を見つけたんです。指鼠」

「指鼠?殺し屋のか?」


……知ってた。

あたしは指切り魔が指鼠だと話して、殺し損ねたがブツは手にいれた、と報告。


「ふん。オレがブツを届けに行ってやろうか?」

「いえ、あたしが自分で行きます。殺せなかったので、失敗です」


殺し屋の仕事は殺し。殺せなかった。だから失敗。

失敗だ。

初めての失敗だ。


「ふん、失敗…か。自分で行くなら好きにしろ」


他にも何か言いたいことがなりそうだがラトアさんは口を閉じる。

あたしは瑠璃色の携帯電話を取り出して多無橋さんに電話をした。

が、留守電だった。

…………いいよ。三日後に連絡してやる。ふんだ。

と投げ出した矢先に電話がかかってきた。


「あーごめんごめん。取り込み中だったんだ」


その言葉は嘘じゃないらしい。繋がった途端に銃声が聞こえた。こわ。


「なんだい?黒猫ちゃん」

「お会いしたいんです。直接お話ししたいことがあります」


間をいれず雑談をさせる前に簡潔に用件を入れた。


「ふむ…きっと喜ばしい話を持って会いに来てくれるんだろうね?黒猫ちゃん」


わざとムカつく言葉を言っているならばあたしは一度この人を刺さなきゃいけないと思う。


「今から、はどうだい?」

「………すみません、明日はどうですか?」


流石に今から向かえば倒れかねない。腕から点滴の管が延びているところをみると血が足りないのかも。

もしかしたら寝ている間に吸われてたりして。骨を治されても起きなかったのならばあり得る。


「わかった。君の為に一日空けていこう」

「一時間もいりません。直ぐにすませますから」


要らねーよ。一日アンタと居るなんてどんな厄日だ。

残念がる声から待ち合わせ場所を聞いてさっさと電話を切った。


「ラトアさん、明日暇ですか?車動かしてもらえませんか」

「ふん、たまたま空いているから引き受けてやろう」


ラトアさんはどうしてこう可愛いんだろう。多無橋さんと違って。


「よし、DVD観賞しましょう」

「それは本気だったのか。お前怪我してるんだから寝ていろ」

「やだな、夜は長いだろう同志。日が昇るまで観ようぜ」

「はぁ…お前は吸血鬼に成るべきだったな…」


溜め息を吐かれた。ラトアさんは苦労人だ。貴方なしではこの物語は始まらなかっただろう。戯言です。


「藍乃介のところに戻る、DVDがそこにあるからな。ついでに服を借りてきてやる」

「え…ささやかな苛めですか?」


ついでに苛めを告白されてしまった。藍さんは恐らく自分の服よりコスプレ服を持っているだろう。それをあたしの為に持ってくるとほざくのか。

なら貴方はあたしの敵だ!!


「落ち着け、違う…お前に奇怪な服を着せる趣味はオレにはない。お前に着せるために普通らしい服がいくつも在った。それのどれかを持ってくる」


ゴスロリが奇怪なのか。いや、ゴスロリは奇怪なんかじゃない。あたしは好きだよ。吸血鬼の女の子に着せたいよ。甘ロリの方かな。

 そのままラトアさんは出掛けた。あたしとハウン君だけが残る。


「ここにずっと住んでるの?」


コーヒーテーブルに腰掛けたハウン君に訊けば、小首を傾げられた。その表情は無表情だが仕草が可愛い。

いやもう全体的に可愛い。


「あーえっと、いつからここに住んでるの?」


質問を変えてみた。日本語が弱いのかな、理解ができていないようだ。

そしたら「おぼえてない」と短く答えられた。覚えていないほどここに住んでいるのか、或いは全く覚えていないのか。


「喉が渇いたから、飲み物を持ってきてくれないかな?」


そう頼んだら、ハウン君はきょとんとした。

それから自分の首に爪を立ててむしるように掻いたのだ。血は吹き出して白い手は真っ赤になり、その手をハウン君は差し出した。


「いや……あたし、仮にも人間だから」


あたしが悪かったのだろう。喉が渇いたと言ったのだから。

それは冗句だったらしくにぱっとハウン君は笑った。

吸血鬼の血を飲んでもあたしは美味しいと感じないだろう。そして吸血鬼の血を飲んでも吸血鬼にはならない。

ハウン君の首はもう治っていた。片手の血を舐めとりながらもう片方の手でハウンはあたしの額に触れる。

額というより頭。ラトアさんが手当てし忘れた頭部にゆっくりと触れる。

痛みが走る。そりゃあそうだ。

しかし次第に痛みがなくなる。まるで治ったかのように。

ハウン君は唇に触れてからその手を舐めて血を拭き取った。

触れて確認してみれば、傷が。何処にもなかった。痛みも傷跡も、ない。


「え?治……したの?」


ハウン君はコクリと頷いた。

 吸血鬼の血にそんな能力があるのか?聞いていない。いや、でも怪我を治せないとは言っていない。

吸血鬼に噛まれても血を注入しても吸血鬼になれないことだけは聞いていた。

そもそも生誕だって知らないのだから、何か特別な能力があっても可笑しくはないだろう。

 んー。すごく興味深い。

礼を言えばハウン君は視界からいなくなった。

あの子に訊いても答えてはくれなさそうだ。多弁じゃないし。

ラトアさんに聞こう。

それにしても、ふう。ポケットから指輪を取り出して見る。

指鼠はこの価値を知らなかったみたいだが、一体何のプログラムの入ったメモリーなんだろう。

取り出し方はわからないし、触らぬ神に祟りなしだ。疑問に思うだけでポケットに戻した。

不意に物音も気配もなくハウン君が目の前に立っていることに気付く。手には缶ジュース。要望通り飲み物を持ってきてくれたようだ。

何故トマトジュースなんだ。そこは突っ込まないでおこう。

 飲もうと起き上がれば、ラトアさんも戻ってきた。早。


「服が血塗れだ、好きなものに着替えろ。それから、どれから観る?」


藍さんのとこから持ってきたであろう服をあたしの隣に置いてDVDを選ばせる。

白黒のドラキュラまである。すげえ。

「これから観たい」とあたしは女吸血鬼が映ったものを選んだ。

ラトアさんがセット中にあたしは服を見る。案外まともだったのが心底驚きだ。


黒のボーダーワンピに決めた。ラトアさんが着せたのかYシャツを着ていたのでそれを脱いで上からワンピースを着る。

そこで誰の溜め息が落ちた。

ハウン君だったら面白かったが当然ラトアさんだ。


「吸血鬼を男として見ていないだろうが男だぞ。それなのに目の前で着替えるとは…ハウンに押し倒されても知らんからな」

「やだなぁ、吸血鬼だって男としてみてますって。てか、ハウン君が押し倒すわけないじゃないですかぁ、ねえ?」

「うん」


吸血鬼の二人の前だからこそ着替えたわけじゃないけど。ソファから動けそうになかっただけだ。キャミソールは着ていたので異性の前で裸になったわけじゃない。

ハウン君に振れば頷いてくれる。

そうすれば、ラトアさんはぎょっとした。


「……ハウンが喋った」

「そりゃあ喋るでしょう」

「十年ぶりに聴いたぞ」

「大袈裟な」


クラ○が立った?

ん。いや、事実なのかな。

ラトアさんめちゃ驚いている。そうだよね、十年ぶりに声を聴いたら吃驚だろう。


「さっきから喋ってくれてますよ、あ、怪我を治してもらいました。吸血鬼は怪我を治す能力があるんですね」


あたしは頭を指差した。

「怪我まで治したのか」と信じられないという顔をするラトアさん。


「吸血鬼全員が使える能力ではない。ハウンくらいだな」

「え、そうなんですか?」


あたしは無言で見上げてくるハウン君に眼を向けた。


「これは秘密だぞ。まあ…知ったとこで誰もハウンを捕まえやしないか」

「どうゆう意味ですか?」

「我々吸血鬼の歴史を知らんのか?」

「存在することは白瑠さんに聞いたけど、吸血鬼好きだって言ったらそれ以上教えてくれなかった」


ラトアさんは呆れた。あたしだって呆れてますとも。

肩を落としてソファの席を空けろと手を振ったが、あたしは怪我人だ!と言い張って座らせない。

横たわって観たいもん。


「じゃあ頭退けろ、膝を枕代わりすればいいだろ」


膝を犠牲にしてまでソファに座りたいらしい。

くい、とハウン君に手を引っ張られた。上目遣いで見上げてくる。

ん?なんだ?と首を傾げれば「ひざ、まくら、する」単語をただ繋げたように言った。


「んー、いいよおう」


えへっと笑って許可をする。

ということで、ハウン君の膝に頭を置いて横たわる。あたしの足元にはラトアさん。不服そうだった。足を置くのは失礼だから肘掛けに足を置く。


「吸血鬼の生誕も聞いてないんだな?」

「ええ、是非とも教えてください」


溜め息を吐いてからラトアさんは話し出した。


「大昔。とある人間が悪魔に魂を売った。その人間が初めの吸血鬼だそうだ。その吸血鬼は完全なる不死身だったらしい、噛むだけでも人間を吸血鬼にできた。“初めの吸血鬼”が吸血鬼にした吸血鬼、言わば“二世の吸血鬼”も噛むだけで人間を吸血鬼にすることができた。その二世に噛まれたのがオレ達だ、オレ達三世は人間を吸血鬼に出来ない」


悪魔に魂を売った、人間の成れの果てが吸血鬼?

話の腰を折らないようにただあたしはラトアさんの話を黙って聞いた。


「三世であるオレ達は誰も最初の吸血鬼は見たことないし、奴が悪魔とどんな契約を交わしたかも知らん。恐らく悪魔と奴しか知らなかっただろう。一世紀前のことだ。仲違いでもしたのか奴と悪魔が争った。奴は死に悪魔は二世の吸血鬼が息の根を止めた。それが始まりだ───吸血鬼と悪魔の戦争だ」


人間と人間が戦争していたように、吸血鬼も悪魔と戦争?

耐えきれずあたしは口を開く。


「悪魔ってなんです?吸血鬼に続いて悪魔までいるっていうんですか?じゃあ狼人間もいるし天使もいる?」

「狼人間にも天使にも会ったことがない。だが悪魔には会ったことがある。オレ達は生きるために戦ったからな」


狼人間と天使はいないらしい。


「数は吸血鬼の方が上回っていた。しかし次第に吸血鬼は減っていったんだ。先ず先に悪魔達は二世を狩った、戦力を増やさまいとな。一世が殺せたように悪魔達は人間を殺すように吸血鬼を殺せる。悪魔が吸血鬼の不死を与えたのだから、治癒能力は発揮できなかった。首を跳ねるだけで殺せたんだ。そして──二世は死んだ」


吸血鬼を生み出す吸血鬼は、死んで永久に吸血鬼は生まれることがなくなった。


「悪魔から身を隠して生きるしかないと三世のオレ達は考えた。そこで、とある男が提案した。人間に助けを乞う、とな」

「人間に?」

「取引をしたのだ。人間も悪魔よりは吸血鬼を選んだのだろう、共存をすることを約束して共に悪魔と戦うことになった。そして悪魔は戦争に敗けたのだ。オレ達生き残った少ない三世の吸血鬼は裏現実で生きることになった」


最後は省いたように締め括られた。


「それ、まじっすか?冗談じゃないですよね」

「ああ、勿論。真実だ」

「人間が自分を食う、ましてや不死身の吸血鬼と共存を簡単に認めるとは思えないです」

「簡単ではなかったろうな。だから“アイツ”はオレ達に言わず交渉したんだ。『自分の身体を好きなように実験していい』という条件を人間に持ち掛けた」


あたしは黙った。

ラトアさんの表情は眼は苛立ちに満ちていたのだ。ハウン君を見上げた。無表情は俯く眼は何かを込めていたようにも見える。


「“アイツ”は言わなかった。何十年も実験体にされていた、オレ達は何十年も知らずにいたんだ。知ったオレ達はやっと解放された“アイツ”に問い詰めた。“アイツ”はなんと言ったと思う?」


 ────あれ、バレた?

ラトアさんの言う“アイツ”はそうヘラヘラと答えたそうだ。

とても不快そうに憎たらしそうにラトアさんは歯軋りをした。


「…じゃあ、昔に実験、して…人間が不死身に成れないと解ったのは……その吸血鬼が実験体になったからですか?」

「嗚呼、実験に身を売ったのは歴史の中で“アイツ”だけだ。傑作だったぞ、アイツは全ての臓器まで提供して体内を掻き回されたんだからな」


 皮肉に嘲る。

それでもその吸血鬼はヘラヘラと笑っていたのか。何十年も、身体をいじり続けられたにも関わらず。

臓器を取り出されたなんて、生き地獄だったはず。死ねない身体だった。

それでも笑う。仲間の為に、身を売った吸血鬼。


「その……吸血鬼は……」

「……─────黒の殺戮者だ」


 やっぱり、と思った。

黒の殺戮者。そう名乗る吸血鬼が、身を売ったのか。

 ラトアさんが以前“アイツ”と呼んでいた時と口振りが同じだったからそう感じていた。

白の殺戮者と黒の殺戮者が戦争するなら、白に加担すると言ったラトアさんだったがどうにも苦渋の選択に見えたのはそのせいか。

黒の殺戮者は、吸血鬼を救ったのだから。

黙って一人だけ身を売った彼を、許さないが怒りを覚えているが、それでも救われた事実がある。複雑だろう。


「余計なことまで話してしまったな……クラッチャーはそれを話したくなかったのだろう。告げ口するなよ」


ラトアさんは一息ついて、黒の殺戮者の話を終わりにする。あまり、聞いてはいけないだろう。


「悪魔は?全員を殺したんですか?」

「ほぼ、殺した。しかし、まだ生き残りがいるだろう。いないとは断言できない。見つけ次第始末する」

「裏現実の秘密ですか?吸血鬼は存在する、悪魔は存在する」

「そうなる。まぁ、どうせ、お前が悪魔と出会すことはないだろう。出会す人間なんて、相当運の悪い奴だ」


ふん、と鼻で笑うラトアさん。

吸血鬼全員と会っても、悪魔一匹に会うことはないだろうとラトアさんは言い退けた。本当に悪魔は数少ないようだ。ほんの、ちょっと。


「それで?ハウン君の血はどうして治癒があるんですか?」

「最初の吸血鬼が二世に与えた能力だ。ハウンは二世から引き継いだ。他にも特別な能力を持つ吸血鬼がいたが、戦争の最前線に立たされたから能力持ちは一握り。ハウンがその一人」


ふーん、とあたしはハウン君の髪の毛を指で絡める。


「さて、話はこれくらいに観賞タイムとしよう」

「きゃんっ」


伸ばしていた足をパシンと叩かれた。叩くことないだろう。


「ん?なんだ、そんな声を出して。素足を晒すから恥ずかしくないのだろう?」

「ひゃ、ちょ、触っていいなんて言ってません!」


がしりと鷲掴みにされる。足首ならまだしも太ももを掴むな。

ラトアさんはニヤリと笑い、そしてはむっとあたしの太ももに噛み付いた。

牙を立てたのではなく、甘噛み。

「やめい!」あたしは額を叩いて離させる。

ダメージなんてない彼は、ふんと鼻で笑い退けた。


「こうやって遊ばれて楽しんでるのだろう?」

「楽しんでません、ただ遊ばれてるんですよ」

「遊びに飽きて食われないようにな。いつか最後までやられるだろう」


不吉なことを言いやがる。

いや、意地悪なことだが事実でもある。特にあの白瑠さんはやりかねない。

あたしはプイッとそっぽを向いた。

 宣言通りDVD観賞を日が昇るまでした。白黒のドラキュラ伯爵に吸血鬼アクション映画。他にもホラー映画を観て、そのあと吸血鬼と共に眠る。なんて可笑しい。それこそホラーだ。傑作だ傑作。


 あたしが目を覚ましたのはその昼過ぎだった。

そういえば、空腹だ。

吸血鬼は寝てることだし、腹を満たすために食べにいこう。そう起き上がれば腕を掴まれた。

テレビも蝋燭もついていないから誰だか見えなかったが、小さい手。

ハウン君だろう。


「おはよう、つばき」

「おはよう、ハウン君」

「たべる、か?」

「ん?」


何かをハウン君があたしの唇に押し付ける。受け取ってみれば、何か包みみたいだ。開いて匂いを嗅げば、何だかわかった。

あたしの好物チーズバーガーだ。どうやらあたしが人間だってことを忘れず買ってきてくれたよう。

 お礼を言って平らげた。

それから蝋燭をつけて今度は日が沈むまでハウン君と遊んだ。

電話が鳴った。白瑠さんかと思ったが違う。

知らない番号。しかし見覚えがあった。


「はい?」

「椿、篠塚刑事が入院した」


秀介が早口で簡潔に告げる。


「指鼠の隠れ家を見付けてそこで鉢合わせをして……撃たれたんだ。命に別状はないが、意識が戻ってない」


あたしの。

あたしのせいだ。

きっと、焦って一人で向かったんだろう。

これは間違いなく、あたしのせい。


「警察は俺が追い払うから、安心して見舞いにこい。現場の近くの病院だから」

「いかない」

「えっ?」

「行かない」

「椿?なんで」

「行かない」


あたしはそれだけを言った。

警察は指鼠を取り逃がしたらしい。それだけを聞いて電話を切った。

────指鼠は、捕まっていない。



 夜になってラトアさんに車を運転してもらい多無橋さんに会いに行った。

ホテルを用意され、そこで会うことに。多無橋さんと、そして秘書の女の人の二人だけだった。


「こんばんは、秘書さん」

「こんばんは、黒猫様」


挨拶をされて戸惑っていたが秘書さんは深々と頭を下げる。この人はあたしを怖がっているから多無橋さんの愚痴を言い合う飲み会にはきっといけないだろう。


「やぁ、黒猫ちゃん。待っていたよ、座りたまえ」


ソファに座っていた多無橋さんにそう言われたがあたしは立ったまま彼の前に指輪と瑠璃色の携帯電話を置いた。


「おや。もう手にいれたのかい、流石仕事が早いね」

「仕事は失敗しました」


笑顔でその指輪を手にする多無橋さんに正直に話す。


「殺し損ねました」


はっきりと言った。

厳密には殺せずボコボコにされたがそこまで正直になるつもりはない。


「おや……そうなのかい。それは残念だったね、初の一人仕事だったのに。でも人間そうやって生きていくから、これからも頑張ってね」


殺しは二の次。やはり気にせず多無橋さんは優しげに笑う。指輪さえ手に入ればそれでよかったようだ。


「それでは失礼します」

「ん?報酬を受け取るのを忘れているよ、黒猫ちゃん」

「失敗をしましたので受け取りません」

「律儀だねぇ。ブツを手に入れたんだ、成功でもあるさ」

「あたしは殺し屋です。殺せなかった仕事は失敗ですよ」


あたしは譲らず背を向けて帰ろうとしたが多無橋さんは笑いながら引き留めた。


「それなら、プレゼントだけ与えよう。受け取ってくれ」


そう言ってあたしに投擲した。反射でキャッチしたのは、指輪の石から取り出したメモリカードだ。


「プレゼント?必要なプログラムなのでは?」

「必要というより、貴重なプログラムだよ。元々、君にプレゼントするつもりだったんだ」


奪われたプレゼントを贈る本人に探させたのか。お前実は悪魔だろう。


「結構です、使い道はないでしょうから」

「まぁ、見てみるといい。面白いからさ」


にっこりと多無橋さんはそう言う。くれると言うならば、貰うか。身体中痛くてこれ以上立ち話をしたくはない。


「また、会おう。黒猫ちゃん」

「…………機会があれば」


その機会がないことをあたしは祈ろう。

 ラトアさんが運転する車に戻れば「電話が鳴っていたぞ」と文句を言われた。助手席に置いておいた紅色の携帯電話に不在着信がある。白瑠さんだ。


「怪我は治ったんだ、帰れ」

「えー!まだハウン君と遊びたいですよ」

「過保護な兄達が煩いだろう!帰れ!」


本気で叱られた。

とばっちりを喰らうからって叱られた。


「やぁーだぁー。あたし、黒の殺戮者の件が終わるまでハウン君とこにいるぅ」

「…聞いてないのか?」

「ん?」

「それなら、一応一件落着したんだぞ」


聞いてない。

秘密にしてるから話してくれるわけがないだろう。


「え?もう、二人がぶつかることがない、ってことですか?」

「違う。ほら、オレが仕事の話があると言っただろう?あの話は海外でな、クラッチャーに海外にいけばいいと提案したんだ。クラッチャーは乗ったぞ」


乗ったのか。そしてまたあの人は知らないとこで勝手に仕事を決めたのかよ。

サプライズが好きなのか?

あたしを驚かせるのがそんなに好きなのか。

あー次の仕事は海外かぁ。絶対あの人当日に言うよな。


「それで昨日の朝、機嫌よかったんですか。納得です」

「アイツに会わないことが最善策だから」


くわぁと大口開けてラトアさんは欠伸をする。

黒の殺戮者と会わない方が最善策。

会わない方が白瑠さんは機嫌がいい。朝から林檎を食べるほど、機嫌がよかった。


「いいな?絶対に黒の殺戮者の話をするんじゃない。知らないフリをしろ」


隠していることを知らないことにしろ。

あたしは仕方なく「はぁーい」と唇を尖らせながら返事した。

あたしのせい、ではないのだろう。あたしは関係ない。知らなくていい。

知らないフリをしよう。


 顔の怪我は消えたので家に帰宅。クラウンがなかったので、幸樹さんがいないことはわかった。じゃあ白瑠さんしかいないのか。


「おっかぁえりーつーちゃん」


リビングには不機嫌じゃない白瑠さんが待ち構えていた。


「あれ、血のにおいがするね」

「ハウン君の食事に付き合ってたので。シャワー浴びてきます」


吸血鬼程ではなくとも鼻が敏感な白瑠さんのことだから気付くことはわかりきっていたので回答は予め用意しておいた。

さっさとシャワー室に逃げ込もうとしたら。


「それで何回ヤったの?」

「………………………。すみません、よく聞こえませんでした。え?何も言ってない?ですよねえ、幻聴ですね」


あたしは頑張って超笑顔で対抗してみた。


「うっひゃひゃーじょーだんだよじょーだん。何して遊んだのぉ?」

「DVDとかトランプとか色々ですよ」

「殺人ごっこは?」

「してません」


効果はなかった。

あたしはさっさと浴室に行った。

熱い水を流しながら、腹を見れば酷いアザだらけ。折れた肋骨を治すために切った傷は縫ってある。ここは矢が貫いた傷。

抱き着く白瑠さんと医者である幸樹さんにはバレないようにしなきゃ。

ザァと落ちる熱い水。白い箱の中。一息ついた。

 白と黒の部屋。

 篠塚さん。

 病室。

病院になんて、本当嫌いだ。


 翌朝は三人揃って朝食を摂ってだらだらと休日を過ごした。

幸樹さんに爆発事件は指鼠の仕業だと話したかったがそうなると情報源を問い詰められるのでやめておく。

海外行きとなると幸樹さんは来ないのだろうか。それは訊きたいが白瑠さんが話すまで待たなくては。

 海外行き、か。

行く前に弥太部火都に教えてもらったあそこに行く機会を見付けなくてはならない。

あたしはその為にボコボコになったのだから。楽しみだったんだから。

 そう言えばと、思い出す。

多無橋さんがプレゼントと称してくれたメモリー。面白いから見ろと言ってた。プログラムの知識なんてわからないが面白いのなら興味がないこともない。

ん、見てみよう。


「幸樹さん、パソコンお借りしてもいいですか?」

「いいですよ」


ソファから降りて許可をもらったので部屋に入ってノートパソコンを取る。自分の部屋に行こうとしたら。


「おや?私達の前では見れないものでも見るんですか?」

「おやぁおやぁ、えっちな動画でも観るのかなぁ?」

「仕方ありませんね、喘ぎ声だけは聴こえるようにあげてくださいね」

「お兄ちゃん達、いい加減にしないと非行に走るよ」


ニヤニヤと幸樹さんと白瑠さんのいつもの猥褻発言に怒鳴る気力もない。しかし、殺し屋であるあたしの非行ってどんなのだろう。疑問だ。

二人がそれ以上気にしなかったのであたしは自分の部屋に入り、ベッドの上に乗った。

ノートパソコンを起動させてからアクセサリーと一緒に置いた例のメモリーをとる。

 黒いメモリーカード。

面白いプログラムとは一体なんだろう。あたしにわかる面白さならいいが。まぁ、どうせ暇潰しだから何でもいいけど。

パソコンに入れて、直ぐにファイルを開いた。

 画面は真っ暗になる。

 ただ、一面の真っ黒。

エンターキーを押してみたが画面は変わらない。壊れてるのかな。

そう思っていたら、画面に変化が表れた。

 七色の線が走る。

画面の液晶が乱れるかのように波打つ。それから白い亀裂が、ピシピシと音を立てた。

何かの動画なのかと思った。その時だ。

 バイオリンかギターの弦を無茶苦茶に弾いたような引っ張って爪を立てて奏でたような音が部屋の中に響いた。これ以上ないくらいの大音量。慌てて音量を下げようとしたが下がらない。耳を塞いでも聴こえてくる音。脳味噌を攻撃するようだった。


「っああぁあ!!」


耐えきれず悲鳴を上げる。それでもテレビのノイズのような騒音に掻き消されてしまう。

引き裂くように響く。滅茶苦茶な曲みたいだ。


「つばちゃん?」

「どうしたんです?」


二人が駆け付けた。駆け付けるのが遅いだろう。


「音が、下がらなくって」

「音?」

「何押しても、止められないっああ!」

「椿さん!?」


あれ?可笑しい。二人は戸惑った顔をしていた。まるで音が聴こえていないみたいだ。どうして?

音が増して痛みを感じてきた。


「メモリーの、中身を見たらっ……音が……うああ!」

「椿ちゃん!」

「椿さん、私の目を見てください。その音は幻聴です、しっかりしてください」

「頭が痛いっ!!」


幻聴だって?こんなにもはっきり聴こえるのが幻聴なのか。頭が痛いほど騒音だというのに。

あれ…。でも、こんなにも煩いのに二人の声が聴こえるのは、どうしてなんだ。


「神経攻撃のウイルス?」

「恐らく」


ウイルス?

嗚呼、藍さんがあたしをラチる時に使ったやつか。

あの種類のやつなのか。

白瑠さんは直ぐにパソコンの電源を切った。


「まだ、聴こえるっ!!」

「椿さん、落ち着いてください。私の目を見てください。それは幻聴ですから無視を…椿さん?椿!」

「椿!椿しっかり!」


顔を押さえ付けられ、幸樹さんの眼を見るように固定される。幸樹さんの眼を視た。

 だけど。

視ていられなくなった。視界が定まらなく、顔を下げてしまう。

白瑠さんが耳から手を剥がそうとする。身体が、震えた。びくりと痙攣を起こす。


「頭っ、痛い!痛い!音を、止めて!!」

「椿!…っ幸!なんでまだ苦しんでるの!?」

「これは………まさか……そんな…」

「いやああぁあ!!」

「白瑠!ラトアを連れてきてください!叩き起こして今すぐ連れてきてください!」

「はぁ?まさかっ…!」


悲鳴を上げて踞る。二人が声を上げるのを聴いていられなくなった。片頭痛よりも痛い頭痛が走る。

音は続く。頭の中で暴れている。痛みも騒音も。

長い爪が頭蓋骨に入って掻き乱してるようだ。

痙攣は規則正しくびくびくっと身体を震わせる。


「椿。今、ラトアを連れてきます。いいですか?何が聴こえるのかを教えてください」


幸樹さんがあたしを起き上がらせる。顔を見れない。

白瑠さんはラトアさんを迎えにいったようだ。


「騒音よっ!!」

「どんな音なのかを…詳しく答えてください。これは必要なことです」

「はっ…はっ…………バイオリンの、弦をっ、爪で、引っ掻くような…ブンと…。あとは雑音です!」

「他には?本当に雑音だけですか?」

「騒音だけだ!煩い!痛い!!頭が、頭が割れそう!痛っ!痛い痛い!」

「椿、暴れてはいけない。落ち着いて。呼吸を乱してはいけない、体力を消耗してはいけません」


幸樹さんがあたしを押さえ込む。生理的に出た涙のせいか視界が白く霞んで、興奮のせいか呼吸がしにくい。肺まで痙攣を起こしたのか。そんなの気にしない。もう頭の中だけで精一杯なんだ。

「悲鳴は?」と幸樹さんは問う。


「誰かが囁く声は聴こえますか?或いは悲鳴」

「しませ…ん、ぁああっ!!」


ズキ、と何か針が刺さったような痛みが走る。頭痛は片頭痛は、生き地獄だ。


「白瑠、さん」

「!?」

「白瑠さん、あたま、破壊して、壊して!」

「何を言ってるんですか!堪えてください、何も願ってはいけません。ラトアが来たら治まりますから!」

「いやあっ!痛い!!音を止めて!!黙らせて!!」


あたしは起き上がり、枕の下にあるカルドを掴んだ。しかし直ぐに幸樹さんに掴まれ手を捻って取り上げられた。

 またズキ、と痛みが走る。

ザクッと胸を刺された感覚がした。しかし、胸に傷なんてない。

神経が可笑しくなってやがる。まるで支配されてるようだ。ズタズタに引き裂くつもりなのか。内側から、滅茶苦茶にして、殺す気だ。

 騒音の中で笑い声が聴こえた気がする。


「頭の中にいる!!コイツを出して!!」

「誰かの声が聴こえるんですか?その声が何を言っても取引(、、)なんてしてはいけません」


取引?何のことだ。

なんで取引なんかをするんだ。

誰かが頭の中で脳内を掻き乱す。ビクリとまた震える。痙攣が震えが、肺を押し潰す。痛い。息が。


「椿!深呼吸をしてください!」

「はぁっ…だめっ…むりっ」

「椿!」


酸素が、吸えない。

呼吸ができない。

 意識が、プツリと途絶える。

それから「っかは!」と息を吹き返す。意識が戻る。また肺が機能し出した。


「椿、息を吸って、吐いて」


幸樹さんがそう言うのが聴こえる。騒音はまだ続いた。窒息しないように、なんとか頭痛に堪えて呼吸をする。


「こう…き……さん……」

「椿、私が視えますか」


視界が定まらず、顔を左右に動かしても、幸樹さんは視えない。


「白瑠が来ました。ラトアも」


やっと来たらしい。

その時だった。

猫の爪で黒板を引っ掻いたよりも酷い音が爆発するように頭の中で響いた。


「うぁあああぁあ!!」


白瑠さんがあたしの名を呼んで部屋に戻ってきた。

強烈な痛みが同時に走る。

カッターナイフの刃が脳内に散乱して暴れているみたいだ。

あたしは白瑠さんの腕を掴む。

殺して!と叫んだつもりだ。

白瑠さんは言い聞かせるように何かを言う。

 駄目なの。痛いの。

 お願いだから解放して。

あたしは必死に悲願する。

ケタケタと笑う声がした。

 笑うな出てけと怒鳴る。

白瑠さんに叫ぶ。

 お願い殺して白瑠さん。

我に乞え、と声が言う。

激痛。ハンマーで叩かれた痛みがする。また呼吸が出来なくなった。胸が苦しい。

 煩い煩い煩い。

頭の中で騒ぐソイツに怒鳴り散らす。そのせいで余計酸素がなくなって苦しくなる。

ズキ、と針が次々と突き刺さる痛みが走った。


「きゃあぁあああああぁあっ!!!」


ビクリと震える。痙攣まで激しくなっていった。ベッドの上で苦しみ悲鳴を上げる。幸樹さんと白瑠さんが何か言うが、聴こえない。


「おい、くそっ!!その悲鳴を止めさせろ!オレ達(、、、)には耐えきれない!!」


軋む頭蓋骨。詰まる喉。握り締められる心臓。

微かに耳を塞いでいるラトアさんが見えた。隣には、あの少年、ハウン君。


「気絶させるんだ!意識がない方がいい!」


ラトアさんのその声を最後に、意識が途切れた。

その意識の外れで、ソイツは笑っていた。



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