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哀別の悲鳴


愛していても、さようなら。






愛とはなんだ?

そんな疑問はばかばかしいと、あたしは思う。

愛とはまず、親からもらうはず。

だけど、一体、どれが親の愛情だったんだろう。

当たり前にしてくれたこと?それはなに?何だったの?

あたしにはわからない。

片親には捨てられたから。

愛されて祝福されて産まれてこれなかったから。

あたしには愛がわからない。

本当に愛を与えられたのかさえ、あたしは疑問に思うくらい。

その答えを教えてくれたのは彼女だった。

皮肉なことに。

あたしは血塗れになってから、愛を知った。

愛を視て、愛に触れた。

心地よくて歯痒くて微笑ましいもの。

それを───────奪われた。

 ザアアァアアアアアアアアッ。


雨が降り注ぐ墓場。

幸樹さんは一つの墓の前に立っていた。泣く訳じゃなく、ただその墓を見つめている。

傘も差さずに、ただ見つめていた。


「……なんで…」


あたしは、口を開く。

幸樹さんはあたしを見なかった。


「指鼠の復讐です。私にも由亜の携帯電話で告げられました。爆死させたと、ね。私が駆け付けた時にはもう…」

「そうじゃなくって…」

「由亜の家族には事故死と伝えておきました。それが彼女の遺言ですから」

「そうじゃなくって…」

「由亜の家族には上手く話しておいたので大丈夫です」

「そうじゃない!!」


あたしは声を上げる。

漸く幸樹さんがあたしを振り返った。

傘を差してくれる白瑠さんも藍さんもラトアさんも何も言わない。


「なんで!なんで由亜さんなの!?アイツは!指鼠は!?アイツは何処よ!?」

「───地獄。彼の言う地獄がこれなんですよ、椿。相棒を殺した復讐に、私の恋人を殺した。それだけのことです」


幸樹さんは淡々と答える。

怒りなんて微塵も見せず事実をありのまま受け入れた様子に愕然としてしまう。


「それで………指鼠は?」

「……きっと仕返しをするのを待っているでしょうが、私達は手を引きましょう。これはただの挑発です。彼の思うつぼですから」

「…ただの、挑発?」


どくどくと心臓が脈打つ。速く速く脈を打つ。

あたしは白瑠さんの差す傘から出て二歩、幸樹さんに歩み寄った。


「由亜さんが殺されたのに、ただの挑発ですって!?アイツを、アイツを野放しにするのか!?」

「ええ、そうです。これ以上は無意味です、椿も忘れるべきですよ」

「……っ」


完全に意気消沈している。復讐の意志なんて彼にはない。それも、指鼠の存在さえも忘れようとしている。

なんで。なんで。なんで。

どうして。


「あたしが殺しに行く!」

「椿…」

「元はあたしの獲物だ!アイツはあたしが殺す!あたしが片をつける!!」


踵を返して白瑠さんの横を通り過ぎようとしたら腕を掴まれた。

白瑠さんだ。

笑顔なんてない。


「だめだよ、椿」

「っ放してください!」

「師匠命令だ、椿。指鼠から手を引くんだ。幸樹が行かないなら、俺達も行かない」

「由亜は幸樹の恋人だ。アイツが行かないならオレ達が行く意味はない」


白瑠さんとラトアさんが、あたしに言う。そして藍さんも。


「お嬢、わかるだろ?復讐の意味を、幸樹は知ってるんだ」


復讐の───意味。

あたしは白瑠さんに腕を掴まれたまま幸樹さんを振り返った。

妹を殺された。その復讐をした幸樹さん。

そして恋人を殺された。

わかってる。

わかってるよ。

妹を殺された復讐をしても、幸樹さんは幸せにならなかった。

 だけど。

 だからこそ。

だからこそ、引き下がれない。


「復讐じゃない!あたしは後始末をするだけだ!放して!あたし一人で行く!!」

「椿…」

「お嬢…」

「椿、行かないでください」


もがいたが白瑠さんは腕を放してくれなかった。

幸樹さんも止める。

あたしを引き止める。


「貴女まで、失くしたくない」


ズキンときた。

胸が、痛い。心臓が、痛む。


「アイツを殺すっ!!邪魔をしないでっ!!」


あたしは腕を引っ張った。

しかし白瑠さんは放さず、捻り上げる。痛い。


「白瑠さんっ…」

「駄目だって言ってるだろ、椿。腕をへし折るよ」

「師匠命令なんかっ聞けるか!」


もう一度引っ張ったら、激痛が走った。

「ああぁっ!」とあたしは腕を押さえてその場に崩れる。

へし折られた。右手首をへし折られた。


「椿さん…!白瑠、何もそこまでやらなくても…」

「こうでもしなきゃ椿はとことんやる。わかってるだろ?偽者の件だって怒り任せで突っ走る。突っ走んないようにへし折らないと…本当に椿を失くす」


雨が降り注ぐ。それに打たれてあたしは震えた。

痛みじゃなくて、冷たさに震える。


「椿、指鼠のことは忘れるんだ。罠を仕掛けて捕まるのを待ってるんだよ。餌に食い付くんじゃない」

「…でも」

「でもじゃない。まだ食い付くつもりなら───もうあの家には帰って来れないと思え」


衝撃を喰らった。

白瑠さんにしては、あまりにも冷たく突き放す言葉。

いや、今までが優しすぎたんだ。

あたしは優しくされすぎた。

あたしは、何も言えず、ただ震える。

冷たい。冷たい。寒い。


「……椿さん。手当てをしましょう」

「ラトア、椿を運んで」


冷たい冷たい冷たい冷たい。

寒い。寒いよ寒い。

 あたしは部屋に閉じ込められた。手当てをされて、一人ベッドの上に紅色のコートを羽織ったまま膝を抱える。

暗い。本当に暗い。


「………死んだ…」


あたしは呟く。

人が死ぬって、こんな感じなのか。

散々殺してきたが、今まで殺した人間には用はなかったから何とも思わなかった。

だけと由亜さんは。

由亜さんには話すことがあった。

愛を教えてくれた彼女に、相談したいことがあったんだ。

ほら、旅行する約束だってした。お土産も少ないけど、ちゃんと。ちゃんと買ってきたんだ。

オススメの場所に行こうって話したじゃないか。

まだ姉妹みたいに夜通し話がしたかった。


「……あたしのせい…」


全ては実現しない。

あの時、しっかり逃さず殺していれば、由亜さんが死ぬことなんてなかった。

あたしのせいだ。

あたしのせいでも、彼らは責め立てない。

寧ろあたしを守るために腕をへし折って閉じ込めた。

なんで。

あたしなんかより、由亜さんの為にアイツを殺さないんだ。

あの消沈した幸樹さんの様子。

雨に打たれながら墓を見つめた幸樹さんの姿。

初めて由亜さんに会った日。由亜さんを紹介されたリビング。一緒に食事をしたテーブル。一緒に料理を作ったキッチン。団欒したソファ。飲みあかして寝込んだあたしの部屋。

長い日々に感じる。

なのに由亜さんと会って、まだ。

まだ一ヶ月も経っていなかった。

全部、全部。全部、全部。

あの男が、ぶち壊した。

嗚呼、殺したい。

嗚呼、殺したい。

殺し損ねたあの男。

あたしが殺していれば。

あたしが殺していれば。

あたしが殺していれば。

あたしが殺していれば。

コゴエズニスンダノニ。


───クククッ、殺しちまえよ。


静かに目を開いて部屋を視た。視てもそこには誰もいない。


「殺しちまえよ」


今度ははっきりと聴こえた。

頭の中に響く声。

今か(、、)。今が沈黙を破る時なのか。


「煩い、ずっと沈黙してろ」

「殺しちまえよ、邪魔な奴なんて。片っ端からぶっ殺しちまえ」

「…うるせぇ」

「何をじっと座ってんだ?師匠命令だからか?んなもんくそ食らえ。あの白野郎の命令を聞く筋合いはねぇだろ」

「黙れ、悪魔」


黙らせたくとも頭の中にいては手も足もでない。

悪魔の囁きは続く。


「いいのか?あの溝鼠を見逃しても。よくねぇだろ。あのムカつく鼠にやられっぱなしだぜ。ボコボコにされ、仕事で負けて、電流流され、頭撃ち抜かれかけて、挙げ句にはお姉ちゃん(、、、、、)を殺された」


ギリッと歯を噛み締める。

悪魔には、筒抜けだった。

頭の中の住み着いた悪魔には、あたしが視たもの、思ったもの、考えていることも、晒されてる。


「いいのかよ…?お前を突き落としやがったアイツをこのままにして。あの姉ちゃんを殺されて、何もしないでいられるのか?アイツが何を奪ったか、本当にわかっているのかよ?ドクターの恋人を奪った。それだけじゃない。お前のこれから始まるはずだった幸せな日常(、、、、、)を奪った。お前のあたたかい場所を、奪ったんだぜ…!?」


悪魔の囁き。

誰かが肩に触れた感触がしてあたしは左手で振った。

しかし、誰もいない。


「うるせぇ…。てめぇの言葉に惑わされない。てめえと契約する気はない、余所に行きやがれっ!」


あたしははっきり言い退けた。

だけど、悪魔は笑う。


「クックックッ…!契約ぅだぁ?──んなもんするつもりはねぇよ」


笑い退けた。

は?

じゃあお前は何の為にあたしの中に留まる?

何の為に殺さないでいるんだ?


「おい……椿」


甘く悪魔は囁いて呼ぶ。

まるで後ろから抱き締められ、耳元に囁かれているようだ。


「どうするんだ?あの鼠を、殺すのか?殺さないのか?」

「……殺せないのよ」

「殺せない?そりゃあ一体どうしてだ?殺戮者のお前が“殺せない”なんて可笑しいだろう。師匠に武器を没収されたから?おいおい、ナイフがあれば殺せるだろう。お前は最初カッターで殺したんだぞ?」


クスクスと笑って悪魔は囁き続けた。

念のためとあたしの愛用の武器は没収されたんだ。カルドもパグ・ナウも短剣もとられた。

愛用じゃなければしっくりくこない武器ならば平気とばかり思っているんだ。

残されたのはプレゼントにもらった剣と購入したきり使っていないナイフ。

殺しには十分だが、やはりカルドは欲しい。


「腕が折れてるから?おいおい、折れてないぜ」


それを聞いて腕を視た。

手当てされ固定された包帯を抜き取る。手首は、折れていない。痛みもない。

悪魔が治した。


「どうするんだ?椿」


悪魔はもう一度問う。


「あの溝鼠を、殺さないのか?殺すのか?」


悪魔の囁き。


「いいのかよ、凍えたままになる。アイツの血を浴びろ。アイツを切り裂け」

「………」


毒のように染み込む。


「アイツを苦しめて殺せ。鼠が猫をいたぶる?そんなこと許すな。お前は紅色の黒猫。鼠をいたぶれ、黒猫」


──────────…。


「────鼠をぶっ殺す」


あたしはベッドから立ち上がった。




「椿さん………?」


 幸樹さんが様子を見に来た時にはあたしはいない。

窓から風が入り部屋を冷やす。

ベッドの上には武器を詰めていたトランクが空っぽのまま置かれていた。

棚の引き出しは開きっぱなし。名刺やら写真がしまわれた引き出しだ。それも空っぽ。

顔を歪ませた幸樹さんはそれを見て、小さく息をついた。


「帰ってきてください……椿」







「兎無さん。至急武器をください。カルド、それにパグ・ナウ。銃に手榴弾もください」


先ずは松平の修理工にあたしは向かった。

そして奥の部屋に通されるなり、あたしはテーブルに二つのアタッシュケースを置く。


「…え?至急って。…どうしたの、キャット?カルドもパグ・ナウも買ったばっかでしょう。一ヶ月も経ってないじゃない」

「……ええ、一ヶ月も…経ってない。だけど必要なんです。お金なら、これを全額払いますよ」


あたしはアタッシュケースを二つ開けた。二つの箱にある大金に兎無さんは眉を潜める。

覗きにきた兎無さんの父親は仰天。


「おい!なにしているっ!兎無!急いで用意しろ!」

「え、でも…。キャット、なにかあった?」


父親に急かされながらも、兎無さんは問う。

あたしは何も答えずに武器を待った。

それが答えだ。

兎無さんはそれ以上問うことはなかった。

武器は揃った。カルドもパグ・ナウも、流石は優秀の武器職人、しっくりとくる。

兎無さんは余分に貰えないと言ったがあたしは持っていても邪魔だからと金は全部支払ってそこを後にした。


「お、お嬢!?」


次は藍さんの家。


「え?ど、どどどうやって?どうやって…システムは反応しなかったのに…え、つか…なんで、外出許可がよく…」

「由亜さんの携帯電話。何処にあるかを調べてください」


あたしの言葉を聞いて、抜け出してきたと理解した藍さんはあたしの後ろに目を向けた。


「お嬢、帰るんだ」


ガッ、と背後からあたしの右手をラトアさんが握る。それだけでよかったはずだった。

あたしの手首が折れていれば。

折れてないとラトアさんは直ぐに気付く。動揺した。

だから振り上げたパグ・ナウは、安易にラトアさんを引き裂けた。


「っ!ちょ、ラトア!お嬢…っ!?」


ラトアさんが崩れ落ちる。あたしは次に藍さんに爪を向けた。


「アイツは由亜さんの携帯電話を持ってる、それは何処なんです?」

「……お嬢。駄目だって言われただろ」

「っ貴様!!」


傷が塞がったラトアさんが今度はあたしに飛び掛かる。吸血鬼に捩じ伏せられた。


「……!?」


だが、こっちには吸血鬼の天敵がいる。


「…退いてください、ラトアさん」

「椿っ、おまっ……うぐ!!」

「なっ、ラトア!?」


眼が合うなり、ラトアさんは耳を塞いだ。隙が出来たなら刺すだけ。短剣二つを身体を貫かせ、床に食い込ませた。床に磔。

ナイフを出して、藍さんの首に突き付けた。


「早く…今すぐに…溝鼠を見付けろっ!!!」

「う゛ぁあっ!」


怒鳴りつければ、ラトアさんが痛みに悲鳴を上げる。あたし達には聴こえない悪魔の攻撃を受けてるようだ。


「お嬢っ、こんなこと駄目だ。お嬢、駄目だよ。幸樹達が心配する、帰らないと」

「藍さん……さっさとやってください」

「っ…。お嬢!帰れなくなるんだよ!?」

「さっさと見付けないとお前を殺すぞ」


脅しを吐き捨てる。

強張った藍さんは戸惑いながらもキーボードに手を伸ばした。カチャカチャとGPSで由亜さんの携帯電話の位置を調べる。


「椿!そそのかされるな!声をっ…くそっ!」


磔になりながらもラトアさんが叫んだ。


「何を言われたかは知らんが出鱈目だ!信用するんじゃない!…ぐぁあっ!」

「ラトア!?」


また悪魔が攻撃をしたのか苦しみ出すラトアさん。全く現状がわからない藍さんは手を止めた。画面には地図が示してあり、赤い点滅がある。見付けたようだ。


「ありがとうございました、藍さん。それとラトアさん、すみません。言っておきますがあたしはあなた方(、、、、)の敵にはなりません、ジェスタとそうゆう約束ですから」


あたしはキーボードを押して画面を変えながらラトアさんに言っておく。例え悪魔が吸血鬼に復讐を企んでも、吸血鬼の脅威にならないようにする。


「それでは────藍さん、ラトアさん」


あたしは後ろから藍さんを抱き締めた。キュッと首を抱き締めて、矯める。数秒。数秒矯めてから、告げた。


「さようなら」


 藍さんを気絶させ、あたしは赤い点滅の場所に向かう。ラトアさんの呼び掛けには答えず、去った。

 バイクを盗んで辿り着いたのは、廃虚の建物。或いは建設を断念した建物。

窓ガラスは疎らに貼られていて階は七つ。区切られた空間に聳え立つそれは、罠には最適な舞台だ。

 そこに指鼠が待ち構えている。

 最後の決着をつけるためにだ。

クルリとカルドを回して握りを確かめてから、パグ・ナウの爪を出して、歩み出す。


「クククッ、鼠をいたぶる時間だ」


悪魔が楽しげに笑ったが無視をした。

アイツを殺す。

それだけだ。

 一階から探した。あの鼠を。一階にはいない。

二階に登る。二階にもいなかった。

 お嬢、わかるだろ?復讐の意味を、幸樹は知ってるんだ。

わかってる。わかってるんだ

これは、あたしの復讐。

復讐だ。コレを称するのは復讐だけ。

空虚な眼で墓石を見つめていた幸樹さん。

わかってる。わかってるよ。わかってます。わかっててやってるんだ。

アイツを殺せないならあたしは百の人間を殺す。それでも何も感じないだろう。気がすまない。

もう一度あの幸樹さんを思い出す。テーブルで目を覚まして初めて他人に振る舞った料理を誉めてくれた朝。初仕事のお祝いに連れ回された日。お兄ちゃんと呼んだあの時。愛しそうに由亜さんを見つめた眼差し。優しげな微笑。そしてまた、空虚な横顔。

喉から込み上げた何かを歯を食いしばって飲み込む。

 長い廊下を歩く。

長く長い廊下にあたしの足音だけが木霊していった。

非情にあたしの腕をへし折って見下した白瑠さん。

わかるでしょ。わかってるでしょ。わかってよ。

あたしは。あたしが怒りを覚えるなんて可笑しいって言いたいんでしょ?わかってる。

白瑠さん、貴方は由亜さんの死なんて痛くも痒くもないでしょう。わかってる。

あたしは貴方と同類だ。

あたし達はいつも奪う側。

殺して殺して無情に殺して非情に殺して冷酷に弄んで無邪気に引き裂く。

吸血鬼よりも血に飢えた殺戮者。

悪魔よりも非情に冷笑する殺戮者。

それでも、白瑠さん。

あたしは、許せない。

由亜さんを、由亜さんと過ごすこれからの時間を、幸樹さんの最愛の人を、あたたかい場所を、奪った指鼠を許せない。

指鼠を殺さなかったあたしを許せない。

殺す。殺す、殺す。

殺人鬼が殺戮者がするのは、人殺し。殺すんだ。

殺すしかない。

無情に衝動的に殺すし、仕事でのターゲットも殺す。

殺したい相手ならば、尚更殺す。

この怒りは殺戮衝動は、あの溝鼠に向けさせてくれ。

 ────ピピ。

赤外線を踏みつけた。最初の罠だ。

 ピピピピピピ。

不快な音が鳴り響く。後ろにも、前にも、囲まれた。逃げられない。避けられない。


「くそっ…」


ドカドカガガガガガガッ!!

窓側に仕掛けられた爆弾が爆発する。爆風が窓側の壁を吹き飛ばした。

強烈な爆音は轟く。

その爆音のせいで鼓膜がイカれた。頭が痛い。キーィンという音にまとわりつかれて、壁が崩れる音が聴こえない。


「うっ……あ…ゴホッ!」


咄嗟に手榴弾を出して床に穴を開けて三階の爆発から逃れた。それでも手榴弾の爆風に身体はダメージを受けている。

しかし、休んでいる暇はない。

指鼠はカメラを仕掛けて確認しているはずだ。しらみ潰しに見付け出して、切り裂いて殺す。

壁にナイフを突き刺してそれを足場に三階に戻る。

鼓膜も正常に戻った。悪魔が治したのか、どっちでも構わない。

何よりも優先しないといけないのは、指鼠をいたぶることだ。

軽いストレッチに背中と腕を伸ばしたあと、身を屈めて。スタートダッシュをした。

廊下を全力で駆け出す。

 ──ピピピピピピ!

 ドカンッ!

二発目の罠も爆弾。爆風は受けたが問題ない。走り続ける。

 カチッと何かを踏みつけた。

針の天井が落ちてくる。それは前に飛び込んで避けた。


「トラップハウスかよ」


休まず、また駆け出す。

次は四階だ。

爆弾だけじゃなくトラップ作りも得意らしい。確か藍さんは多才だから気を付けろと言っていたっけ。

四階の罠は凄い。

ナイフや弓矢が飛んできた。あり得ない程の数だ。

物凄く歓迎をされている。

走りながらあたしはそれらを叩き落とした。

流石に息が切れる。五階に上る前に少し息を整えた。

五階には何がある?

 五階には───────指鼠がいた。

銃口をあたしの頭に向けて数十メートル先に立っている。

あたしは咄嗟に屈んで銃弾を避けた。その動作と同時に短パンの間に入れていた銃を抜き取って構え撃つ。

指鼠は銃口に捉えられないようにその場から離れて再び発砲。

弾丸から逃れるためにあたしは階段に戻って対抗して発砲を続ける。


「来ないかと思ったぜ!くそ猫!!」

「来てやったんだ!有り難く思え!溝鼠!!」


 銃撃戦は長くは続かない。

やがて弾がなくなり、指鼠が廊下を駆ける音だけがした。

逃がすか、あたしは直ぐに飛び出して追い掛ける。

 カキンッ!

背中に向けてナイフを投擲すれば、振り返った指鼠は叩き落とした。

ジャンッ!と番犬の剣を振って出して、斬りかかる。指鼠は短剣で受け止めた。


「正々堂々じゃなかったのか!?」

「アンフェアをやらかしたのはてめぇだろ!!」


振動で手が麻痺するほど剣をぶつけ合う。怒り任せのぶつけ合い。

ガキィンッガキィンッ!

指鼠の顔には痛々しい縫い目があった。爆発の際に受けた傷だろうか。左手の指はない。親指と人差し指しかないのは当然だ、あたしが切り落としたのだから。


「あら?子鼠ちゃん、指は何処においてきたのかしらっ?」

「けっ!どうした!?んなに鳴いて!誰かが死んだか!?ああん!?」


互いに挑発をして怒りを増幅させて剣を叩き落とす。


「ああ!由亜って女が死んだんだっけな!?」

「…ぅあああ!!」


力の限り体当たりをする勢いで叩き付ければ、指鼠が後退りをした。押した!

よろめいた指鼠の首を目掛けて剣を突き出す。

 ──────スッ。

指鼠は仰け反ってそれを避けて、指の少ない手で何かを目の前に放った。

導火線に火がついた小さなダイナマイト。

しまっ…。

 ドガーンッ!

目の前で爆発。小さくても爆弾。あたしは吹き飛ばされ廊下に叩き付けられた。

勿論、一緒にいた指鼠も同じく吹っ飛んだ。


「はははっ!!当然の報いだ!!あの男はおれの相棒を殺した!報いに恋人を殺した!どうだ!?紅色の黒猫!自分の恋人が死んだと思った時と同じくらい痛いか!?ああん!?」


指鼠は受け身がとれたのか、声を張り上げた。

頭を振って意識を繋ぎ止めて起き上がると指鼠の姿が消えている。


「逃げんのかっ!?溝鼠!」


「んなわけあるか、ぼけ!」と指鼠の声が聴こえた。

近くだ。

中央に部屋のドアノブがあった。部屋に逃げ込んだようだ。

立ち上がってそのドアの前に。

開けた瞬間に何かが飛び出るだろうから、警戒してドアノブを掴んだ。

 バチンッ!!!!

電流が流されていたのか、感電してあたしはその場に倒れて気を失った。


「…─────」


 意識はすぐに戻った。

しかし意識は虚ろで、身体が言うことを聞かない。

火傷を負った右手だけがピクピクと痙攣している。


「黒焦げにしてやるよ!猫の丸焼きを、アイツらにプレゼントしないとな!」


腹を蹴られて仰向けにされた。痛覚も回復していない為、感じない。

視点は定まらず見下す指鼠もまともに視えなかった。

────バキッ。


「うっああぁ!!」


いきなり痛覚が蘇った。指鼠があたしの右足を踏みつけてへし折ったんだ。

 ゴキッ。

続いて左手もへし折る。


「ぅ……うぅ…」


痛みで更に意識が朦朧としてきた。


「あれ、デジャヴを感じるな。前にもお前をボコったっけ?」


笑いながら指鼠はあたしの左手を踏み潰した。

初めてコイツと接触した時と、同じだ。

ボコボコに殴られた。ボコボコに蹴られた。身動きが取れなくしたら、部屋に運ばれたっけ。

あの時と同じように、ズルズルとあたしを引きづって指鼠は部屋の中へと運んだ。

一面がコンクリートの部屋にPCが置かれた机と、前回と同じ拷問か解体道具が並んである。

 意識が、また途切れる。

意識を戻した時には、磔にされていた。部屋の真ん中に十字の鉄屑に拷問具で磔。

 目の前には指鼠。ナイフを持っていると分かっても、あたしに防ぐ術なんてなかった。


「うあっ!」

「お前の素性を調べた。山本椿」


腹部にナイフが深々と突き刺さる。


「お前本当に化け猫だな。突然現れやがった殺人鬼、紅色の黒猫。頭蓋破壊屋に並ぶ存在だけあって怪物かよ、怪物カップルめ。電車内の客をぶっ殺しただけじゃなく、被害者面かよ。ははっ、殺すついでに化けの皮も剥いでやる」

「うっ…………あぁ!」


腹からナイフが一度引き抜かれたが、もう一度突き刺された。


「おい、何人殺した?」


ぐちゃ、ともう一度刺される。


「電車で五十六人、駅で五人…九月から殺しの仕事をやり続けて……一体何人を殺した?半年もしない内に百、いや二百か?それとも三百?お前は表に産まれたのは間違ってたな。産まれもっての裏現実者、殺人鬼、殺戮者。───化け物だなっ!」

「うぐぅ!!」


突き刺したナイフで抉られる。ドクドクと血が流れ落ちて足元に血溜まりができるのを虚ろな眼で視た。


「化け物のくせに、復讐か?ああ?化け猫!」


グサッ。グチュ。


「殺すしか能がねぇくせに、復讐かよ?おい、化け猫。聞いてんのか?てめえは誰だ?山本椿じゃねーよ。紅色の黒猫、殺しは肯定される裏現実の化け猫だ。んな化け猫が───一人の女殺されて鳴いてんじゃねぇよ!!」


ガンッと額に頭突きを喰らった。身体のダメージはそれくらいでは楽にならない。腹部の刺傷は熱く血が流れていくのを感じる。


「……自分を棚上げか…この…鼠野郎」


命が削れていくのを感じながらも、あたしは言い返した。

ぐいっとナイフでまた刺される。


「言っただろ、地獄をみせてやるとな。お前をこれからいたぶってやるから楽しめ。せいぜい後悔しろ、おれに喧嘩を売ったことを。おれのコレクションをぶち壊したことをな」

「あっ…うぐっ!」


グチャ、グサッ、グリグリ。

腹を掻き回される。

「ゴフッ…う…」口から血が溢れだした。


「ああ、安心しろ。お前の死体はちゃーんとクラッチャー達に送ってやるよ。皮を剥いで丸焼きにして切り刻んで包んで送ってやる。あの微笑野郎は乗ってこなかったが、クラッチャーは乗るだろうなー」

「ぐっ…二人は………関係ねぇだろ……っ!てめえとあたしの問だっ…あぐっ!!」

「は?お前だけが狙いじゃねーよ。獲物を横取りしたクラッチャーも、相棒を殺した微笑野郎も……いたぶって殺してやる。…嗚呼、あともう一人か。正体はまだわかんねぇがハッカーがいるだろ。お前と一緒に地獄に送ってやる」

「ぅ……ぅう…─────」


白瑠さんに、幸樹さんに、藍さん。それから由亜さん。

仕事仲間が家族。同居人が家族。

家族。家族愛。

クリスマスの写真。

家族みたいな温かな写真。

温かい家。温かい場所。温かい日々。一緒に食事をしたテーブル。一緒に料理を作ったキッチン。団欒したソファ。飲みあかして寝込んだあたしの部屋。

─────…あったかい家族。


「あ?…おい、くそ猫。くたばるには早いぞ。生きたまま焼いてやるから。傷口を先ず焼くか」


 意識がまた途切れた。

指鼠はナイフを引き抜き、別の道具を取りに行こうとあたしに背を向ける。

その瞬間に───フッと電気が消えた。

窓がないこの部屋は、一面真っ黒に染まる。


「ちっ!なんだ!?こんな時に!!」


暗中模索することも出来ずに指鼠は悪態をつく。

天井の電球がチカチカと光を放ったがすぐに消えた。その僅かな間に指鼠は道具を取ろうとして足を止める。


「は……?」


指鼠が視た先には────十字の鉄屑しかない。

虫の息で拘束されていたあたしは、音もなくそこから消えていた。


「誰だ!?」


チカッと電気が一瞬部屋を照らす。

指鼠は他に誰かがいると推測してナイフを構えた。

チカチカと点滅する間に部屋を視回すが、誰もいない。

この部屋には人間が二人しか(、、、、、、、)いないのだ。


「!!…お、お前っ!」


顔を上げてやっと指鼠はあたしを見付けた。

天井に貼り付くあたしを。

足をつけた天井を蹴って指鼠を白い短剣で刺して押し倒した。


「てめぇっ…!その眼はっ…!悪魔の契約者だなっ!?この前の弾丸もっ──」

「関係ねぇし、契約者でもねぇよ」

「うっぎゃああ!!」


掴まれた短剣を振り上げて吐き捨てた。振り下ろした短剣は指鼠の耳を切り落とす。

折れた腕も足も治っている。腹部の傷も塞がっていた。

人間は二人。悪魔が一匹。


「このっ、化け猫!!」

「化け猫さ、あたしは紅色の黒猫。紅色の眼を光らせる黒い化け猫だ!それがどうした!?」

「うがぁあ!!」


抵抗しようと突きだした右手にナイフを突き刺して床に磔る。左手も同じように床に磔た。


「せいぜい後悔しろ。あたしに喧嘩を売ったこと、あたしをさっさと殺さなかったことを!あたしの家族を殺したことを!!」

「うがあああぁあっ!!」


左の残りの指を切り落とす。内蔵を傷付けない程度に腹を裂く。ぐちゃぐちゃに裂いて掻いた。

指鼠は悲鳴を上げながら「殺してやる!」と叫ぶ。


「誰を殺すだって!?ああ!?貴様にあたしの家族をこれ以上傷付かせるもんか!!誰も殺させない!!白瑠さんも藍さんも幸樹さんもっ!!あたしがてめぇを殺して終わりだっ!!!!」


白い刃の短剣を高く振り上げた。

 ──────ポタッ。

いや、白い刃は真っ赤だ。

白い椿は真っ赤に染まっている。真っ赤だ。紅い紅い椿だ。凛々しく咲き誇る椿花。

 だめだよ、椿

 師匠命令だ、椿。指鼠から手を引くんだ。幸樹が行かないなら、俺達も行かない

 由亜は幸樹の恋人だ。アイツが行かないならオレ達が行く意味はない

 お嬢、わかるだろ?復讐の意味を、幸樹は知ってるんだ

 椿、行かないでください

 貴女まで、失くしたくない

 こうでもしなきゃ椿はとことんやる。わかってるだろ?偽者の件だって怒り任せで突っ走る。突っ走んないようにへし折らないと…本当に椿を失くす

 椿、指鼠のことは忘れるんだ。罠を仕掛けて捕まるのを待ってるんだよ。餌に食い付くんじゃない

 でもじゃない。まだ食い付くつもりなら───もうあの家には帰って来れないと思え


「…────」


……白瑠さん。

 俺達は違う。解るだろう?

 後悔も罪悪感も感じない。これが俺達の“普通”であり“正常”なんだ。ムカつく奴は殺したい。他人だって殺したい。誰でもいいから殺したい。他人に言わせれば“異常者”だとしても俺達はもう、人を殺さずにはいられない。殺さなくちゃ生きていけない。解るだろう?自分が変わったと。解るだろう?

 俺達は殺人鬼、殺戮衝動はいつだって襲いかかる

 つまり、貴女は、白瑠と同じで常に裏だけ

 ただの少女であり殺人鬼、それが貴女の素。つまりは表がない。白瑠も表がない。


「…─────嗚呼……」


 嫌いだったんですか?

 嫌いだったよ

彼は簡単に言い退けた。軽く他人事みたいに答えた。

 どんな家族でしたか?

 うわべだけ幸せな家族だった

彼の家族について話したのは、それっきりだ。

…嗚呼、わかってないのは、あたしだった。

白瑠さんはわかっててくれていた。だからこそ、あたしの腕をへし折って非情に見下したんだ。

わかってた。あたしと彼は似てるから。同類だから。

もうあの家には帰って来れないと思え。

そう言った白瑠さん。

いつもならあたしが「出ていく」と言っていたのに、それを言ったのはあたしの気持ちを自分のことのようにわかっていたからだ。

きっと、白瑠さんはあの家に転がった時から、幸樹さんを家族のように思っていたんだろう。

だからあたしが出ていくと言う度に態度を変えて引き留めた。

あたしをあの家に連れてきた時点で、あたしは───白瑠さんにとって家族みたいなものだ。

血の繋がった家族を、愛せない同士。殺戮衝動にかられた殺人鬼同士。イカれたのが正常な同士。

白瑠さんも、思ってたじゃないか。

あったかい家族だと。


「……っ…」


 あたしと同じくらい、コイツをぐちゃぐちゃにしたいと思ってるはずだ。

一つ崩れれば全てが狂い出す。

そんな家族を視てきた。

うわべだけ幸せな家族。

狂ったそれを視ていた白瑠さんは愛情を抱くこともなく、離れて異国の地に行った。そして殺戮を始め、狂った家族を自分の手で───。

 手を止めたあたしをわけもわからず見上げるこの男に、崩されて狂わされた。

自分で殺したいはずだ。

殺したいはずだが、手を引くと言った。あたしの腕をへし折ってまで止めた。

あたしを愛してるくせに、宝物みたいに大事に抱き締めるくせに、あたしの腕をへし折って非情に見下した。

あたしは自分を傷付ける他人は嫌いだ。自分に害をもたらす奴は嫌いだ。

あたしに嫌われてでも、白瑠さんは止めようとした。

わかってたんだ。

わかってくれてた。

彼は鏡を覗くようにあたしを理解していたから。

わかっていた。わかってたんだ。


「…………ははっ」


なのに、あたしは。

悪魔に唆されて、指鼠と殺し合い。

親に反発する餓鬼みたいに、逆らってのこのこ来てしまった。


「あははっ────はははは、くふっ、ふふふふ、あひゃひゃ、うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」


あたしの笑い声が不気味に響き渡る


「!!?」

「あはははははははっ!うひゃあははははははははははははっ!」


哄笑して、ガツンっと指鼠の頭をコンクリートに叩き付けた。


「何が化け物だ!?化け物じゃない!!人間だ!!家族を求めて、愛情を求めて、笑って怒って、生きてんだっ!!誰かを守って、誰かを愛してんだっ!!」


化け物なんかじゃない。

心を持った人間だ。人間なんだ。

あたしも、白瑠さんも。

誰かを想って守って愛して。

無情じゃなくて非情じゃなくて────────…。


「………………狂言じゃねーか………化け猫…」


指鼠は、そう言った。

狂言だと、否定された。

また、笑ってしまう。


「ふ………ふふっ………」

「ぐあっ!」


グサリと肺に短剣を振り下ろす。引き抜いてはまた突き刺した。

グチャリグサリグチャグチャ。グチャリグサリグチャグチャ。グチャリグサリグチャグチャ。グチャリグサリグチャグチャ。グチャリグサリグチャグチャ。グチャリグサリグチャグチャ。

刺しては引き抜いて刺す。

 狂言か。狂言かもしれない。

人だけじゃなく、自分自身を騙している芝居かもしれない。

 わかってたんだよね、白瑠さん。

愛していた人を殺されたからって怒り狂うのは可笑しいって。

殺して殺して無情に殺して非情に殺して冷酷に弄んで無邪気に引き裂く。

吸血鬼よりも血に飢えた殺戮者。

悪魔よりも非情に冷笑する殺戮者。

一体あたしは、何人誰かの愛する人を殺したんだろうか。

 わかってたんだよね。

この振り下ろす短剣は、無意味だってわかってたんだよね。

何も感じない。何も感じないんだ。

今まで殺してきたどの人間とも同じ。何も感じない。

怒りはおさまらない。気は晴れない。由亜さんが死んだことは変わらない。

その事実だけが、胸を締め付ける。痛い。痛い、痛い。痛い、痛い、痛い。

 心臓に突き刺す。何度も何度も何度も何度も何度も、突き立てた。心臓を微塵切りにするように、何度も刺していく。

何も感じない。

何も感じない。

何も変わらない。

何も終わらない。

 わかってたの?知ってたの?幸樹さん。

この復讐の末の空虚を、味わって知っていたのか。何も変わらない。咲さんは生き返らない。無念を晴らしたかどうかさえ、わからない。

何も変わらない。

何も感じない。

何も終わらない。


「ぁ────うあああぁああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああぁぁああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああぁああああああああああああああああああああああぁぁああああああああああああぁあああああああっ!!!!」


悲鳴のように声を上げた。

死体の隣に転がって、涙をボロボロ流して赤ん坊のように泣き喚く。

今更、泣いた。

由亜さんが死んだと聞いても、墓を見ても、泣かなかった。

喜怒哀楽の哀よりも怒が込み上げて、自分を責め立て殺意だけがわいた。

何も感じない。

何も変わらない。

何も終わらない。


「ああああああああああああぁあああああああああああああっ!!!」


絶叫も虚しくただ木霊していく。それでも絶叫し続ける。

悲鳴のように上げた。

戻らない。

直らない。

何も変わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。何も感じない。何も変わらない。何も終わらない。


「────ハァ…ハァ……」


由亜さん。由亜さん。

やっぱりあたしが誰かを愛するなんて、出来ないんだ。

駄目なんだよ、由亜さん。

愛せない。あたしは愛を殺す側だ。奪う側。壊す側なんだよ。

愛する資格はない。

殺すしか能がない。

真っ赤な殺戮者。紅色にまみれた殺人鬼。

流す涙まで返り血で紅い雫になって落ちていく。


「…───────」


ずるずると重い身体を起こして廊下を歩く。階段を上がって、最上階に来た。屋上には行けなかった。階段は繋がってなかったんだ。

窓ガラスのない柱だけが並んだ壁から外を見下ろした。

真下にある地上。高い。

吸い込まれるようにそれを見つめた。

吹き抜ける風が黒い髪を靡かせる。冷たい風だ。

死にたくなった。自殺志願。

ぐちゃぐちゃに跡形もなく消えてしまいたい。

あたしが殺人鬼であることも、殺戮者であることも。人を殺さずにはいられない事実も。あたしが紅色の黒猫だってことも。あたしが山本椿だってことも。愛されずに産まれた事実も。

あらゆる全てから根こそぎ逃げ出したくなって、消し去りたくなった。

こんな思考さえ、木っ端微塵に消し去って欲しい。

存在を消してほしい。消えてなくなりたい。跡形もなく消えてなくなりたい。存在さえ消えてしまいたい。

 右足を踏み出す。

消えない。存在したことさえ消し去りたい。

 何もない空中に。

消え去りたい。跡形もなく。存在したことすら。全て消えて、無くなりたい。

 踏み込んだ。


「駄目だよ、椿。死ぬなんて、許さないよぉ」


ぐいっと後ろに引っ張られて尻をつく。

そこに白瑠さんが──────いない。


「………白瑠、さん……?」


呼んだ。でも、やっぱり彼はいない。


「白瑠さん。白瑠さん。白瑠さんっ。白瑠さんっ!白瑠さんっ!!白瑠さんっ!!!」


絶叫しても、返事もあの笑い声も聴こえない。

いつも、居てくれた彼がいない。

死にかければ現れてきた彼がいない。助けを求めなくとも助けに来た彼がいない。来てくれない。

もう部屋にいないと気付いて藍さんに連絡して指鼠の元に来ても可笑しくないのに。

来ない。来てくれない。

 もうあの家には帰って来れないと思え

そう言った白瑠さんの言葉。


「……あぁ………冷たい」


コンクリートが冷たい。

冷たい冷たい冷たい。

冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。冷たい冷たい。冷たい。冷たい。

寒い寒い寒い寒い寒い。

寒い。寒い。寒い。寒い。


「あぁ………ああぁ」


涙を溢していく。

冷たい。涙が凍ってしまいそうだ。寒い。

助けて。誰か、助けて。

助けて。

助けて。

助けて。

助けて。

誰かあたしの心を救って。

泣き喚いても、誰も───────────────────────────────────────────────────誰も助けに来てはくれなかった。




 ダン、ダン、ダン。

立派な木製の門を叩いて住人を呼ぶ。へとへとで寄り掛かりながら拳で叩いた。


「…あれ───椿ちゃん」


出てきたのは、最悪なのか良かったのか。那拓神奈だった。

血塗れで寄り掛かるあたしを凝視して見つめる。


「…蓮真。蓮真を呼んで」

「……わかった」


短く言えば那拓神奈は羽織を脱いであたしにかけてから中に戻った。

…ふむ。何かされるかと思ったが空気を読んでくれたようだ。

その場に座り込んで呆然としながら待つ。


「椿っ!?」

「…蓮真ぁ」


私服の蓮真君が血相変えて飛び出してきた。


「お前、どうしたんだよ…?怪我したのか?おい、顔色が」

「蓮真ぁ……匿って」

「なっ……?」


甘えた声であたしの顔を覗く蓮真君に言う。蓮真君は戸惑ったがすぐに頷いてあたしを抱えた。

細いのによく運べるな、と思った。

 他の住人にバレないように窓から蓮真君の部屋に入る。

畳が敷き詰められた部屋。

足の短い机。学生服が壁に掛けられて、学生カバンが置かれてる。木製のタンスもあって和風の匂いが漂う部屋だった。


「えっと…怪我の手当てだ。何処を怪我したんだ?椿…意識あるか?」

「………」


壁沿いに座って部屋を見渡せば蓮真君が、あたしの顔を覗いて問う。まだ戸惑ってる様子だ。


「あれ………傷……ないな」


掌で触れて蓮真君は怪我を確認しようとしたが、腹部は服に血がついて穴が空いているだけ。


「なんだ、返り血なら返り血だって言えよ」


ほっとしたのか蓮真君は胸を撫で下ろした。壁に片手をついて片手であたしの腹を擦る。

黙っていたがハッとして蓮真君は手を放した。


「あ…えっと……やっぱり顔色が悪いな。なんかあったのか?仕事帰り?なんでまた僕の家に…」

「…迷惑だった?」

「いや、迷惑、じゃねーけど……神奈兄貴にしかバレてないから…多分大丈夫だけど…」


挙動不審なのは身内にあたしがバレることに不安を覚えているからのようだ。チラチラと襖を気にしている。

…嗚呼、そっか。彼にも家族がいるんだ。


「家族……か。いいな」

「ん?」

「この家に住みたい」

「そうか?」

「うん、結婚して」

「結婚か。…………は?」


ちっ、頷かなかったか。

口をあんぐりと開けた蓮真君があたしを見る。

「お前…………大丈夫か?」と本気で心配して顔を覗く。


「頭打った?レントゲン撮った方がいいぜ、顔色まじ悪い」

「蓮真君となら、結婚してもいい」

「………………プロポーズなのか告白なのか、わかんねーんだけど」

「言われ慣れてない?結婚してって」

「初めて言われた」


完全に困ったように顔をひきつらせた蓮真君が可哀想なのでプロポーズは断念した。


「お前、まじで大丈夫かよ?冷たいぜ、手。布団出してやるから着替えろ。暫く居るんだろう?」

「………大丈夫じゃない……」


立ち上がった蓮真君を控え目に引き留めるようにボソリと呟く。


「…今、代償をくらってて……大丈夫じゃないんだ…」

「代償?」

「あたたかい場所にいた代償」


もう一度しゃがんであたしの話を聞いてくれるが彼にはちんぷんかんぷんだろう。ずいっと鼻が触れるぐらい顔を近付けた蓮真君。いつもの癖だ。


「だから身体が冷たいって言いたいの?」

「………うん、冷たい。冷たいんだ。あったかい場所にいたら冷たい場所に突き落とされる」


強烈な痛みが、苦しみが、襲いかかってる。失ってはまた手に入れる。それは時が重なるにつれて増幅していく。

失ってはまた手に入れる。

天国から地獄への繰り返し。傷は癒えないまま瘡蓋になっては増えていく。

予想していた以上に滅茶苦茶になった。

そして思い知らされる。

あたしに居場所なんて、何処にもない。

やっぱり、冷たいままがいいんだ。


「……ねぇ、蓮真君。家族は好き?」

「なんだよ、いきなり…」


困惑を通り越して呆れた様子で蓮真君が返す。

「別に、嫌いじゃない」と答えてあたしの後ろにある押し入れから布団を取り出した。


「椿は?」

「…あたし?」


あたしは。

胸ポケットにしまっていた写真の存在を思い出した。


「愛してる」

「…へぇ、愛してる、か」


蓮真君は特に何も言わない。

愛してるなんて狂言だ、なんて言わなかった。意外だとも、らしくないとも、言わない。


「結婚して」

「またかよ!」


今度は真っ赤な顔で振り向いた。…可愛い。


「ご両親に紹介を」

「もうやめろ!そんな冗談はやめろ!タオルと着替えを持ってくる!」


逃げるように蓮真君は部屋を出ていった。結婚を迫られたら怖じ気づくタイプなのかな。


「……冗談じゃないのに…」


ポツリと呟いて懐から紅い携帯電話を出す。


「嗚呼……短剣拾うの忘れた」


白い短剣。血溜まりの部屋から回収し忘れている。

白い椿が描かれたプレゼント。

…まぁ、いいや。

猫が描かれた短剣だけでいい。どうせこれからは“紅色の黒猫”としか呼ばれないのだから。

蓮真君とお揃いのキーホルダーを詰まんで電源の切った携帯電話を垂らす。

一件も着信はなかった(、、、、、、、、、、)


「…───────」


静かに眼を閉じる。

じゃらん、とキーホルダーは掌を滑り紅い携帯電話と一緒に重力に逆らわず落ちた。

…──────ボトッ。




「やっぱり椿ちゃんは情報屋じゃないだろ、殺し屋?」

「いやっ…ちょっと…やめてくれよ…!椿はまだ本調子じゃなくって…兄貴!入るな!」


蓮真君が神奈と共に戻ってきた。だけどあたしはもうそこにはいない。


「あれ?椿ちゃん、いないじゃん」

「え…………椿?」


あたしは──────その日から姿を眩ませた。








end

『裏現実紅殺戮 愛情は狂言』

これにて完結です。

復讐をやってまた闇に堕ち、家出をして終わり。

どうやらこのシリーズにハッピーエンドは無理みたいです。

感想をくれる方々、ありがとうございます。残念ながら返事ができません、ご了承ください。しかし誠に嬉しいです。ありがとうございました。


続編の『裏現実紅殺戮 白と黒と紅』は来月にでも公開します。

家出をして一ヶ月後から物語が始まります。舞台は海外。

よろしければそちらもどうぞご覧ください。

『愛情は狂言』

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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