王都 1
朝の柔らかな陽射しが、フィールズ子爵家の食堂を照らしていた。
いつもと変わらない朝食。
焼きたてのパンに温かなスープ。
食事を終え、それぞれ席を立ち始めた。
「お姉様」
明るい声に呼び止められ、ルナは振り返った。
そこには、ふわりと金色の髪を揺らした双子の妹、リアが立っていた。
「いよいよ今日ですね」
少しだけ緊張したように笑うリアに、ルナも自然と微笑み返す。
「そうね」
今日、二人は十五歳になると受ける属性判定を受ける。幼い頃から何度も聞かされてきた、大切な日だった。
「お姉様は緊張していますか?」
「少しだけ。でも、リアもでしょう?」
「はい。昨日はなかなか眠れませんでした」
そう言って照れくさそうに笑うリアに、ルナは思わず口元を緩める。
「私もよ」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。
「ルナ、リア」
玄関の方から父の声が響く。
「そろそろ出発するぞ」
「はい、お父様」
二人は声をそろえて返事をすると、並んで屋敷を後にした。
門の前には、フィールズ家の紋章が刻まれた馬車が待っている。父と母に続いて馬車に乗り込むと、ゆっくりと車輪が動き始めた。
窓の外には朝の王都が広がる。
開店の準備を始める店々。
行き交う人々。
今日も変わらない賑わいを見せていた。
やがて馬車は王都の中心部に向かって進んでいく。
その先にあるのは、この国で最も神聖な場所——神殿。
クリーヴランド王国では、十五歳になると神殿で属性判定を受けることが定められている。
魔法は生まれ持った属性によって大きく左右される。
火、水、風、土の四つの基本属性。
さらに氷や雷、時空といった希少な上位属性。
そして、ごく稀にしか現れない光と闇。
属性を持たない者は基本的に生活魔法しか扱えず、貴族社会では将来を大きく左右する判定でもあった。
だからこそ二人は、この日を楽しみにしながらも不安を抱えていた。
胸の奥で高鳴る鼓動を感じながら、ルナは窓の外に目を向けた。
やがて馬車がゆっくりと止まった。
「着いたぞ」
父の声に促され、ルナは馬車を降りた。
目の前には、王都でもひときわ大きな建物がそびえ立っている。白い石で造られた神殿は、朝の陽光を受けて神々しく輝いていた。
大きく開かれた扉の前では、同じように属性判定を受ける十五歳の少年少女たちが、それぞれ家族とともに中に入っていく。
「参りましょう」
母が静かに言う。
ルナたちも神殿の中に足を踏み入れた。
中は外の賑わいが嘘のように静かだった。
高い天井を支える白い柱。
色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、大理石の床を優しく照らしていた。
正面には巨大な女神像が祀られ、その前には透明な水晶玉が置かれた祭壇があった。
祭壇の周囲には数人の神官が並び、順番に判定を行っている。
「火属性です」
「風属性ですね」
時折、そんな神官の声が静かな神殿に響いていた。
やがて、フィールズ家の番が来る。
「フィールズ子爵家、ルナ様、リア様。どうぞこちらへ」
年配の神官に案内され、祭壇の前に進む。
「まずは、ルナ様からお願いいたします」
ルナは小さく息を吸い、水晶の前に立った。
「水晶に手をお乗せください」
神官の言葉に従い、ゆっくりと水晶に手を添える。
ひんやりとした感触が手のひらに伝わった。
神殿の中が静まり返る。
一秒。
二秒。
三秒——。
しかし、水晶は何の反応も示さなかった。
「……」
神官が水晶を見つめる。
もう一人の神官も首をかしげた。
「申し訳ありません。もう一度お願いいたします」
ルナは頷き、再び手を置く。
今度こそ、と祈るような気持ちで目を閉じた。
それでも——。
水晶は静かなままだった。
神官はゆっくりと目を伏せる。
「……属性反応は確認できませんでした」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「確認できない……?」
父が思わず声を上げる。
「そんなはずはない! 何かの間違いではないのか」
「申し訳ございません。しかし、水晶が反応しない以上、判定は変えられません」
神官は静かに首を横に振った。
「……そんな」
ルナは水晶から手を離し、一歩後ろに下がる。
足元がふらついた。
「ルナ!」
倒れそうになった体を、父と母が慌てて支える。
「大丈夫か」
父の声が聞こえる。
母も心配そうに顔をのぞき込んでいた。
けれど、ルナの頭の中は真っ白だった。
(属性が……ない)
その言葉だけが、何度も何度も頭の中で繰り返されていた。
祭壇の周囲に重苦しい沈黙が流れていた。
誰も言葉を発しない。
そんな空気を破るように、年配の神官が静かに口を開く。
「……続いて、リア様。お願いいたします」
突然名前を呼ばれ、リアは小さく肩を震わせた。
心配そうにルナを見つめる。
「お姉様……」
「大丈夫だから」
ルナは精一杯笑みを作った。その笑顔を見て、リアはゆっくりと水晶の前に歩いていく。
リアが水晶に手を置く直前、ルナには妹の緊張が自分のことのように伝わってきた。
リアが震える手を、水晶にそっと重ねた。
次の瞬間——。
まばゆい光が神殿いっぱいに広がった。
「——っ!」
あまりの眩しさに、思わず目を細める。
純白の光は天井近くまで伸び、神殿全体を神々しく照らしていた。
誰もが息を呑む。
しばらくの静寂の後、一人の神官が震える声を漏らした。
「……光属性」
その一言で、神殿中がざわめいた。
「まさか……」
「四十年ぶりではないか」
神官たちが一斉にざわめく。
奥に控えていた神官までもが祭壇に駆け寄ってきた。
「間違いありません!」
別の神官が声を上げる。
「光属性です!」
「聖女候補……!」
その言葉が響いた瞬間、空気が一変した。
「おめでとうございます!」
「女神の祝福がありますように」
「これは国にご報告しなければ」
次々と祝福の言葉が飛び交う。
リアは何が起こったのか分からないまま、戸惑うように周囲を見回した。
「わ、私が……?」
神官たちは次々にリアを囲み、その場は祝福と歓喜に包まれていく。
父も母も、信じられないという表情でリアを見ていた。
「リア!」
「本当に……光属性なのね」
二人は興奮を隠しきれない様子だった。
ルナだけが、その輪の外に取り残されていた。
気が付けば、父と母はルナから手を離し、リアのもとに駆け寄っていた。
「あ……」
支えを失った体がゆっくりと傾く。
踏ん張ろうとしても、足に力が入らない。
視界がぐらりと揺れ、そのまま後ろへ倒れ込んだ。
鈍い衝撃が後頭部を襲う。
世界が白く弾けた。
(痛い)
そう思ったはずなのに。
その痛みをかき消すように、見たこともない景色が頭の中に流れ込んでくる。
高くそびえる建物。
舗装された広い道路。
見たこともない乗り物。
知らないはずなのに、どこか懐かしい人たちの笑顔。
(違う)
知っている。
これは、私の記憶だ。
優しく笑う父。
仕事で忙しくても、休日には一緒に料理をしてくれた母。
大学の講義。
友人との何気ない会話。
栄養学の教科書。
国家試験まであと少しだと笑い合った日々。
そして——。
眩しい光。
耳をつんざくようなブレーキ音。
体に走る衝撃。
そこで記憶は途切れた。
——鈴木陽奈。
二十二歳。
管理栄養士を目指していた大学生。
(……私?)
それは確かに、自分の人生だった。
なのに、ルナ・フィールズとして生きてきた十五年の記憶も消えてはいない。
二つの人生が混ざり合い、頭の中を激しく揺さぶる。
意識が遠のいていく。
ぼやける視界の先では、まだ神官たちがリアを囲んでいた。祝福の声に包まれ、戸惑いながらも笑みを浮かべるリア。眩しいほどの光に包まれ、その姿はまるで本当に聖女のようだった。
(……よかったね、リア)
ずっと一緒に努力してきた妹。
光属性と判定され、多くの人に祝福されている。
本当なら、隣に行って一緒に喜んであげたかった。
けれど、もう体は動かなかった。
(おめでとう……)
その想いだけを胸に、ルナの意識は静かに闇へと沈んでいった。
祝福の声だけが、いつまでも遠く響いていた。




