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7 フォーカス27の残響

リングライトを消した瞬間、首の肉がずるりと自分の重みで垂れ下がった。息を吸うたびに皮膚が微かに波打ち、左手の骨の奥で細い針が熱を帯びてゆっくり回転を始めた。疼きは指の関節から腕の内側へ、ねばつくように這い上がってくる。

 モニターの残光だけが、還暦を過ぎた男の干からびた輪郭を青白く浮かび上がらせていた。白髪の目立つ頭頂部、落ちくぼんだ頰、十四年間「超越アンチエイジング」などと名付けてきた虚飾の跡。リングライトの下で笑顔を貼り付け、コメントの嘲笑を飲み込んでいた時間は、もう終わっていた。

 綺麗なアル中。

 その言葉が胸の奥に落ちた瞬間、十四年前の鏡の前が重なった。酒をやめた夜、俺は自分の頰を撫でていた。指先が震え、失った穴を埋めようとする浅ましい手つきだった。あのとき、七十を過ぎた老人が薄暗い断酒会の部屋で言った声が、今も耳の奥にこびりついている。

「酒をやめても、酒をやめた自分に酔ってる。綺麗なアル中だな、お前は」

 あの老人は正しかった。俺はただ、依存の対象を替えただけだった。

 ヘッドホンを当て、目を閉じた。低く太い音と、高く細い音が左右の耳から入り、脳の奥で絡み合う。ねっとりとした響きが、頭蓋骨の内側をゆっくり掻き回す。フォーカス10。体が重く沈み込み、指先が遠のいていく。肉体は深い眠りに落ち、意識だけがぽっかりと浮かんでいる。まるで温かい海に体を預けたような、浮遊感。

 フォーカス12。意識が広がっていく。視界の闇に、ゆっくりと色が浮かび上がる。紫と青の渦が渦巻き、星のような小さな光が瞬く。体はもう自分のものではない。円山のマンションの床に横たわっているはずの肉体が、遠く下の方にあるような気がする。頭のてっぺんから銀色の糸が伸び、宙に浮かんでいるような感覚。景色が切り替わる。雪の残る北海道の森、円山の裏参道の朝の冷たい空気、そして見知らぬ湖のほとり。すべてが鮮やかで、匂いまで感じられる。

 フォーカス27。突然、世界が開けた。そこは巨大な、柔らかな光に包まれた空間だった。足元に地面はないのに、立っている。体は透明で軽く、風のように流れていく。遠くに、淡い光の塔のようなものがいくつも立っている。「すべて大丈夫」という、言葉にならない確信が、胸の中心から全身に広がっていく。温かく、ねっとりとした安心。痛みも老いも、家族の笑顔が胸を締め付けることも、首の肉の重さも、左手の疼きも、すべてが溶けていく。

 大きな存在が、すぐそばにいる気がした。言葉はないのに、「お前は一人じゃない」と伝わってくる。十年前の血の記憶が、淡い光の粒になって浮かび上がり、ゆっくりと消えていく。俺は泣いていた。意識の中で、静かに、静かに。

 ……だがヘッドホンを外した瞬間、すべてが倍になって返ってきた。

 現実の部屋は冷え切っていた。首の肉がより重く垂れ下がり、左手の疼きが骨の髄まで刺さる。フォーカス27の「大丈夫」が、かえってこの腐った残骸を鮮明に浮かび上がらせる。巨大な安心が、俺の惨めさを嘲笑うように胸に残る。

 俺は手帳を取り出した。指が震えながらペンを走らせる。

『二〇二六年五月某日

 フォーカス27で「すべて大丈夫」と感じた。

 だが現実に戻れば、俺はより干からびた器になっていた。

 綺麗なヘミシンク中である。』

 ペンを置いた。

 廊下の奥から妻の寝息が微かに聞こえた。その音を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。サトシの笑顔が脳裏に浮かび、息が一瞬止まる。この広い4LDKで、俺だけがまだ起きている。家族の存在が、かえって俺を孤立させる。

 窓辺に寄った。ガラスに映る円山の夜景がぼんやりとしている。桜の蕾はまだ固く閉じていた。

 首の肉が重い。息をするたびに皮膚が震える。それでも俺は、明日もリングライトの白い光の下に座るだろう。

 ヘミシンクの温かな波は、かえってこの腐った輪郭を鮮明に浮かび上がらせた。

 俺は手帳の最後に書き加えた。

『それでも、息をするだけの残骸は、今日も息をしている。

 ——胸の奥で、何かがまだ名を持たないまま、わずかに、しかし確かに軋み続け、決して止まろうとしない。』

 部屋は静かだった。左手が、再び疼いた。俺はそれを、静かに、しかし確かに受け止めた。

 窓の外、夜の冷たい空気がガラスを叩いている。俺はただ立っていた。家族の気配すら遠く、俺だけがこの重さに耐えている。

 ただ、息をしている。

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