第九話 王都の知事
圭介がヴィンスの訃報を受けた次の日の午後。
アーヴィング国立騎士団学校の高等部に属する生徒達は、一同揃って体育館に集合していた。
遠方訪問を翌日に控えたこの日は実質的な一学期最後の登校日だった。
更に通常授業はなく、午前中の集会を終えれば本日のカリキュラムは終了する。
これには遠方訪問に向けた事前準備、あるいは忙しい時期を目前に英気を養う時間を設けるという意味があった。
「気温も段々と上昇していますので、遠方先での水分補給はかかさないこと。また、体調不良の際には遠慮せず現場の管理者に報告を――」
体育館の奥、舞台上に立つレイチェルの話も文章量を抑え気味に展開されている。
あれから結局圭介はヴィンスの死を誰にも伝えていない。
特に口止めもされていないが、率先して広めるべき情報でもないだろうと考えたのである。
特にパーティメンバーは圭介以上に彼と接してきた時間が長い分、より大きなストレスを負ってしまう可能性が非常に高い。
遠方訪問を控えたこのタイミングで、そのような事実を伝える事は心情的に憚られた。
「皆さん、くれぐれも騎士団を志す者としての自覚を損なわないように。では次いで遠方訪問クエストを控えた学生の皆さんに向けてエールを送ろうと、マシュー・モーガンズ都知事がお越し下さいました。どうぞ、舞台上へ」
合図を受けて焦げ茶色のスーツに身を包んだ大柄な壮年の男性が舞台へ続く階段を登り始める。
額から伸びる一本の短い角が、彼が魔族である事を示していた。
今回の集会において多くの高等部学生が意外に思ったのが王都メティスの都知事、マシュー・モーガンズの来訪である。
客人である圭介もその名前は嘗て元の世界に帰還する方法を模索していく中、漁り続けた新聞記事で知っていた。
アガルタ王国の王都であるメティスにて都知事を務める彼は元は事業家であり、つい三年ほど前に政界へと進出したという。
立場上多忙であるはずの彼が学校行事に率先して参加したことはこれまでなかったはずなのだ。
舞台上に立つ男が持つ大きな体は、現在のビーレフェルトにおいて既に絶滅してしまった種族である巨人族の血を引いているが故であるとも噂されていた。
しかし専門家曰くそれは根も葉もない噂であり、全体の平均身長が低いクラインを除けば通常の種族においても充分にあり得る体格であるとも言われる。
単なる客人である圭介が思うのは、
(よくあんな図体に合うサイズのスーツを用意できたな。流石その辺は異世界だ)
程度のものだった。
二メートルを超えようという長身は縦と横の両方に伸びていて、確かに巨人の末裔と噂されるのも頷ける。
女のように長く滑らかなブロンドの髪を結ばず遊ばせた髪型は精悍な顔立ちや体格と合わせて見ると奇妙な調和を見せている。
出自の高貴さ、確かな手腕、冷徹にして厳格な人格、それら全てをまとめて見る者に叩き込む。
第一印象という点においてビーレフェルトでこれほどまでのインパクトを圭介に与えた人物はこの都知事以外にいない。
とはいえ、結果的に得た苦手意識の度合いで言うならフィオナに勝る者もいなかったが。
「皆さん、おはようございます」
身長や立場から無数の不躾な視線を向けられる中、マシューは極めて落ち着いた様子で挨拶した。
一拍遅れて生徒達も挨拶を返す。不揃いな返事を最後の一人が終えたのを確認した彼は、変わらない表情のまま話し始めた。
「ご紹介に与かりましたメティス都知事のマシュー・モーガンズです。本日は寧ろ前途有望なる皆さんの、ある意味で最初の旅立ちとなるであろう遠方訪問クエスト出立へのエールを送らせていただけることに幸運と光栄を感じております」
丁寧な口調と声色は厳かな印象を裏切らない。
恐らく相応の教育と人生経験を積んできたのだろう。伝わってくる人物としての密度の高さが尋常ではなかった。
同時に、日本人として都知事が繰り出す絶妙な言葉選びに率直な疑問を抱いた。
(こないだのロボットおじさんと普通に話せたことで異世界の言葉が全ての客人にもわかるように翻訳されてるのはわかったけど、敬語とか類義語とかってどうなってるんだ?)
考えてみればこの異世界において成立している共通語での会話以外にも、元の世界と大陸との時間のズレや客人が強力な魔術を使える事実への具体的な説明は今までされていない。
帰ってしまえば意味のない疑問となるのだろうが、上手く調べられれば小説のネタとして非常に有用であると圭介は考えていた。
(ま、深く考えてもしょうがないことか)
とはいえ知った顔が殺された上に自分自身も殺されかけて、犯人が未だ逮捕されていない状況下で知らない土地に行かなければならないというのは中々に辛い。
今は小説のネタ探しに没頭できるだけの元気もなかった。
「――大人だから、というものはありません。皆様にとって尊敬に足る同級生がいるように、訪問先で出会う年上の方々とも合う合わないは必ず発生します。しかし私は、その出会いをこそ大切にして欲しいと思っています」
圭介の精神的疲労を知ってか知らずか、都知事の話も早い段階で収束しつつあるようだった。
内容自体はありふれたもので、要するに『嫌な相手ともビジネスライクな関係を築くべき』というものである。
「言ってしまえば気の合う相手、仲のよい相手との交流はプライベートの時間を上手く使えばいくらでも深められるのです。反してどうにも気の合わない相手とコミュニケーションを取る機会というものは、自主的に獲得しようとしない分だけ貴重なものとなります。皆さんがそれを大切に思えるか否かを問わず、です」
まだ仲間内の空気を優先しがちな若者にとって理解はできても飲み下しにくい話である。
だが、遠方訪問は遊びでもなければ学校行事ですらない。将来的に自身の能力を十全に活かすためのコネクション作りを前提とした仕事なのだ。
そういう意味で彼の発言はこの場に適したものと言えよう。
「騎士を目指す皆さんにとって、我が国の広さと住まう人々への理解に繋がることを祈っています。私からは以上です」
大男の会釈と共に体育館内を拍手の音が満たす。
壇上から降りるマシューの表情は相変わらず無表情だった。
「……ん?」
ふと、彼の視線が自分の方を向いたように思えた。
真正面から見つめるのではなく、ちらりと横目で見られた程度のものだったが。
(気のせい、かな? 別に気のせいじゃなくても念動力使いって珍しいみたいだし、不思議じゃないけど)
まあいいか、と流しながら締めの挨拶を聞き、遠方訪問前の集会は幕を閉じたのだった。
* * * * * *
集会を終えた圭介達は一度ホームに集合して、ミアの提案による遠方訪問前の大掃除に勤しんでいた。
普段から使っている場所は綺麗な方が今後のモチベーション向上に繋がるというのはカサルティリオを習った教室での受け売りだそうだ。
「ふわぁ、メンドくせぇ。おいユーちゃん何か食いに行こうぜ」
「お掃除終わったらね」
「おいケースケちょっと遊びに行こうぜ」
「掃除終わってからね」
「おいミアちゃん……わかったよ睨むなよやりゃいいんだろクソッタレ」
悪態を吐きつつ新聞紙をぬるま湯に濡れた手で丸め、湿った状態にしてから窓ガラスを拭く。湿った新聞紙で拭いたら乾いた新聞紙で乾拭きする。
ホーム全体の窓ガラスを一気に拭くのではなく、この手順を一枚一枚丁寧にこなすのが窓ガラスを拭く上での常套手段だ。
ガラスの表面が完全に乾燥する前に手早く乾拭きする事で、新聞紙が有するインクの艶出し効果が発揮されるのである。
「ミアって本当に家事全般強いよね。訪問先でもそういう能力が活かせる現場に割り当てられたりするのかな」
「魔術も補助系が多いしねぇ。色々助けてもらってるよ」
トイレ掃除を終えて出てきた圭介と戸棚の埃を払い終えたユーが一休みしながら語らう。二人の目は液晶テレビ画面を専用クリーナーで拭くミアに向けられていた。
最近になって知った話だが、ミアとルームメイトにならなければエリカとコリンによって彼女らの部屋は散らかり放題になっていた可能性が極めて高かったという。
一応は片付けのできるユーも他人の行動を完全に制御するには至らず、最悪刃物で二人を脅迫するという強硬手段に出ていたかもしれないのでその有難さたるや相当なものだろう。主にエリカとコリンにとって。
「ミア、トイレ掃除終わったよ」
「お、ケースケ君お疲れー。そうだね、もう全体的にやる事やったっぽいしこことエリカの窓ガラス拭きが終わったらお昼にしよっか」
「わーい!」
「急に元気になったねエリカちゃん」
「強く拭くな! 傷になるでしょーが!」
女子達がはしゃいでいるのを圭介が眺めていると、出入り口をノックする音が響く。
見ると掃除の賜物か以前より透き通ったように見える窓ガラスの向こうに、レイチェルとマシュー都知事の姿があった。
「……どういう組み合わせだ?」
エリカの疑念も尤もだが、待たせるわけにもいかない。
とりあえず一ヵ所に集まっていた三人娘よりも出入り口に近い圭介が応対する為にドアを開く。
「あ、どーも。校長先生と、マシュー都知事……ですよね?」
圭介が白々しい確認をとったのは、立場が上の人間が突如来訪した事に動揺してというわけではない。
つい先ほどまで堂々と大物の風格を漂わせていた都知事が、心なし気まずそうな表情をしているが故である。
「ど、どうも……君がトーゴー・ケースケ君だね? レイチェルちゃんから話は……」
更に口から飛び出すセリフの頼りなさが圭介の混乱を加速させる。
確かこの大柄な男はもう少しはきはきと話すことができていたはずなのだが、今や見る影もない。
言葉を続けようとする途中で隣りに立つレイチェルが彼の腕をパンと叩いた。
「ちょっと“ちゃん”つけるのやめてってば。いくつだと思ってんのよ私ら」
「いたっ、ごめん、ごめんねレイチェルちゃ……」
「やめろ」
「はい」
彼女の一喝によって縮こまったマシューが、目を丸くしている圭介に微笑みかける。
「えぇと、驚かせてしまったてごめんね。僕、人前だとああいう態度で接するようにしているんだけど正直そこまでしっかり者でもないんだ」
「やっぱり」
どうやら舞台上で彼が見せた姿はあくまでも余所行きの顔に過ぎなかったようだ。
だからといってハイエナ程度なら素手で殺せそうな巨漢がおどおどとしている姿には違和感しか感じないが。
「ギャヒャヒャヒャヒャ! んだよおっさん伯母ちゃん相手にビビり過ぎだろぉんなもんただの行き遅れだぜェ!?」
圭介の背後から相変わらず女をかなぐり捨てている笑い声が聞こえた。どうやら失礼の権化が窓掃除を終えてきたらしい。
その非常識な態度に不快感を示すこともせず、マシューはしばらく怪訝そうにエリカの顔を見てからはっと気づいたように口を開いた。
「ああ、エリカちゃんか! 昔の写真と見た目が変わってないから外見が似てるだけの小学生かと思ったよ」
「おうこのおっさんカウンターの切れ味ハンパねぇな。ってかあたしのこと知ってんのか?」
「もちろん。レイチェル……さんから色々聞いてるよ」
親しげにエリカに話しかける表情は朗らかだ。どうにも第一印象のインパクトとの相違に見ている側が戸惑う。
同時に彼とレイチェルの関係もそこはかとなく見えてきた。
「えーっと、それでお二人はどのようなご用件で?」
目をぱちくりとさせながら圭介が問う。応じたのはマシューだった。
「置いてけぼりみたいにしちゃったみたいでごめんね。実は今日、ケースケ君に話があって来たんだ」
彼は心底申し訳なさそうにはにかみながら。
「でもその前にお昼ご飯にしようか。ゆっくりしながらの方がいいだろうし」
可愛らしい言い回しで、またぞろ面倒事の臭いを漂わせていた。




