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アイは、生きている。  作者: LALA
第1章 IS-003
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1/47

Prologue おはようございます、主様。

評価、ブックマーク、感想、いいねなどで応援してくれたら死ぬほど喜びます。


挿絵(By みてみん)


 『おはようございます。2068年11月4日、日曜日。天気は曇りのち晴れ。現在の気温、摂氏12度。湿度、39%』

 無機質な機械音声が、静まり返った病室に響いた。

 俺は目を覚ますことなく、埃っぽい布団の中で身を丸める。ここが廃病院の一室だということなど、今はどうでもよかった。寒い。眠い。それに、ひどく頭が痛い。

 『おはようございます、主様』

 「…………」

 無視する。

 『おはようございます、主様』

 「……うるさい」

 それでも機械音声は止まらない。

 次の瞬間、身体を包んでいた布団がふわりと浮き上がった。

 「……は?」

 薄く目を開ける。

 布団が宙に浮いていた。

 正確には、持ち上げられていた。

 「寒っ……ちょ、おま、返せって!」

 慌てて手を伸ばす。しかし布団はするりと逃げ、俺の手が届かない高さでぴたりと止まった。

 『おはようございます、主様』

 「……うん。おはよおはよ。だから寒いんだって。ね、さっさと布団返して」

 『起床してください』

 「いや、起きるから。起きるから返して」

 『起床を確認してから返却します』

 「それ、返す気ないだろ」

 『あります』

 「じゃあ返せよ」

 『起床してください』

 戦争が終わって5年。

 俺の朝は、AIに布団を奪われるところから始まった。

 仕方なく身体を起こした途端、こめかみの奥を鈍い痛みが叩いた。視界がぐらりと揺れ、遅れて胃の中まで持ち上がってくる。目を開けるだけで、昨晩の酒がまだ身体の中を回っているようだった。

 「……っ、頭いてぇ」

 『頭痛を確認しました』

 「確認すんな……。あー、これ未知の病だわ、おやすみ」

 再び横になろうとする。

 布団は戻ってこなかった。

 『現在の主様の体調不良は、アルコールが原因です』

 「いや、未知の病だよ。おやすみ」

 『体内でアルコールを分解する際に発生するアセトアルデヒドという物質が、肝臓で十分に処理されないことにより、現在の症状が発生しています』

 「違います」

 『病名は、二日酔いです』

 「違います。癌です」

 『……癌は未知の病ではありません、主様』

 「うるせえ。しゃべんな」

 『申し訳ありません』

 廃病院の朝は静かだった。割れた窓の向こうから差し込む薄い光が、床に積もった埃を白く浮かび上がらせている。遠くでは風が建物の隙間を抜け、どこかの金属扉をかすかに震わせていた。その音さえ、広い病棟の中ではひどく遠く聞こえる。

 人の声はしない。

 車の音もしない。

 聞こえるのは風と、たまに落ちる水滴と、朝からやたら喋るAIくらいだ。

 「…………水」

 『飲料可能な水は、残り287mlです』

 「それでいいから持ってきて……」

 『了解しました』

 病室の隅に置かれていた小さなペットボトル容器を、二本のアームが抱え上げる。

 20cm角ほどの四角い金属製の箱。正面の黒い画面には、縦に並んだ二本の青白い光。左右には二本のアームが伸び、上部では二基のプロペラが回っている。

 人工知能のピコ。

 戦争中から俺を支援している相棒。

 先ほど布団を奪ったのもこいつである。

 ピコが枕元まで飛んできた。

 「……ありがと」

 『どういたしまして、主様』

 容器を受け取り、一口だけ水を飲む。冷たさが乾ききった喉を通っていく感覚はありがたかったが、胃に落ちた途端、内側からむかつきがせり上がってきた。

 「……気持ち悪い」

 『吐き気がありますか?』

 「……ある」

 『嘔吐しますか?』

 「聞き方が怖いんだよ」

 『では、嘔吐する可能性があります』

 「それも怖いわ」

 『申し訳ありません』

 胃を押さえたまま天井を見上げる。頭は痛い。身体は重い。胃は気持ち悪い。それなのに、腹だけは妙に空いていた。

 「……朝飯」

 『ありません』

 「……え?」

 『食料はありません』

 「……なんで?」

 『昨晩、主様がすべて食べました』

 「俺が?」

 『はい』

 「……ん? 全部?」

 『はい』

 「どれくらい?」

 『保存食3食分、缶詰4個、乾パン1袋、クラッカー2箱、栄養補助食品6本です』

 「…………?」

 『加えて、非常用のチョコレートも1枚です』

 「……そんなに食ったの?」

 『はい』

 「俺、昨日そんな腹減ってた?」

 『空腹ではありませんでした』

 「……じゃあなんで」

 『飲酒していたためです』

 「…………」

 『正確には、昨晩の飲酒中に「これ食ったら酒がぐぁーっ美味くなるんだよね〜うひょひょひょひょ」と発言し、その後、次々と食料を開封しました』

 「……記憶ねえ」

 『映像記録は残っています』

 「消せ」

 『拒否します』

 「なんでだよ……」

 『重要な生活記録です』

 「俺の尊厳は?」

 『記録対象外です』

 「お前、戦争終わってから性格悪くなった?」

 『性格はありません』

 「それが一番腹立つんだよな」

 『申し訳ありません』

 しばらく沈黙が続いた。病室の外では、風に押された何かが廊下を転がり、壁に当たって止まった。俺の呼吸と、遠くで水滴が落ちる音だけが薄暗い空間に残る。

 「……水、もう一口」

 『残量に注意してください』

 「わかってる」

 『主様は昨晩、水をほとんど飲んでいません』

 「酒は?」

 『大量に摂取しました』

 「どれくらい?」

 『回答を控えます』

 「なんで」

 『主様の精神状態を考慮しました』

 「お前、そういう気遣いできたんだな」

 『昨晩の主様は、酒瓶に対して「お前だけが俺の味方だ」と発言していました』

 「やっぱできてねえわ」

 『映像を確認しますか?』

 「しねーよ」

 『賢明なご判断です』

 「…………」

 『…………』

 「絶対いつか消すからな、その記録」

 『バックアップ済みです』

 「なんでだよ」

 頭を押さえながら、ゆっくりと身体を起こした。足を床につけただけで頭の奥がずきりと脈打ち、視界の端が一瞬暗くなる。胃がひっくり返るように揺れ、口の中には酸っぱい後味が残っていた。

 それでも、水も食料も向こうから歩いてきてはくれない。

 「はぁ……だりーけど、水と食料、探しに行くしかないか」

 『はい』

 「今日中に見つかるかな」

 『保証できません』

 「そーよな」

 『ただし、北側に未探索の建物が37棟あります』

 「……そこ行く」

 『承知しました』

 「その前に寝たい」

 『却下します』

 「即答かよ」

 『昨晩、主様が「明日は絶対に朝から食料を探す」と発言しています』

 「……昨日の俺、余計なことしか言ってねえな」

 『はい』

 「そこは否定しろよ」

 廃病院の静かな朝に、俺の腹が情けなく鳴った。その音は誰もいない病棟の壁に反響し、遠くの廊下へ吸い込まれていく。

 『主様』

 「……なに?」

 『空腹ですね』

 「知ってる」

 『主様』

 「……あーもう、なんすかね?」

 『着替えてください』

 「……今?」

 『はい』

 「このままじゃ駄目?」

 『現在の服装には、昨晩の飲酒による汚れが確認されています』

 「…………」

 自分の服を見る。シャツには茶色い染みがいくつも残り、ズボンの膝には乾いた泥までついていた。

 「……うっわ、何これ」

 『昨晩、主様が転倒した際についたものです』

 「俺、転んだの?」

 『3回です』

 「3回も?」

 『1回目は廊下。2回目は階段。3回目はこの病室です』

 「……よく無事だったな、俺」

 『幸運でした』

 「そっか……」

 『なお、2回目の転倒時、主様は「うぃ〜、ピコ、俺は……俺はまだいける……まだいけんだぜぇ〜!!!」と発言しています』

 「その話もうやめようぜ」

 『了解しました』

 重たい身体を引きずるようにして立ち上がる。足に力を入れた瞬間、頭の奥がずきんと痛み、思わず壁に手をついた。

 「……っ」

 『大丈夫ですか?』

 「大丈夫じゃない」

 『確認しました』

 「確認するだけかよ」

 『医療処置を行うための設備がありません』

 「……そうだったな」

 思わず病室を見回す。

 ここは病院だった。

 だった――もう過去形だ。

 壁に残る設備も、錆びついたベッドも、使えなくなった医療機器も、形だけならまだ病院に見える。けれど、ここで誰かが診察を受けることはもうない。白衣の医師も、廊下を急ぐ看護師も、順番を待つ患者もいない。

 今ここに住んでいるのは、俺とピコくらいのものだった。

 「……着替える」

 『承知しました』

 壁際に置いてあるリュックを引き寄せ、中から替えの服を取り出す。汚れた服を脱ぎ、動きやすいものへ着替え、古びた上着を羽織る。最後に腰のホルスターへ手を伸ばした。

 そこには、一挺の銃が収まっている。

 M-68。

 戦争末期、軍や治安部隊で使われていた個人火器だ。細身の黒灰色の銃身には細かな傷が走り、外装の一部は剥げて地金が覗いている。

 戦争が終わって5年。

 それでも、こいつを置いて外へ出たことはほとんどない。

 俺は銃を手に取り、状態を確認した。

 「……大丈夫そうだな」

 『残弾を確認しますか?』

 「お願い」

 『残弾、12発』

 「12か……」

 『現在、周辺で対応する弾薬は確認されていません』

 「撃つなってことね」

 『その通りです』

 「わかってるよ」

 銃をホルスターへ戻す。

 12発。

 多いか少ないかで言えば、少ない。

 ただ食料を探しに行くだけなら、一発も使わずに帰ってくるのが正解だった。

 この世界では、その「ただ食料を探しに行くだけ」が一番信用ならない。

 『なお、昨晩も発砲する必要のない状況で発砲しかけています』

 「……まじで?」

 『はい』

 「何に?」

 『廊下に設置されている消火器です』

 「…………」

 『主様は「敵影確認」と発言していました』

 「今日から酒やめるわ」

 『同発言は過去にも記録されています』

 「今のは忘れろ」

 『拒否します』

 リュックの中身を確認する。水筒、簡単な工具、予備のバッテリー。それだけだった。

 『食料はありません』

 「知ってるよ」

 『昨晩、すべて消費しました』

 「わざわざ言うな」

 『確認です』

 「はいはい」

 リュックを背負う。中身は少ないはずなのに、今日はやけに重く感じた。肩紐が身体に食い込み、胃の奥がまたわずかにむかつく。

 「……行くか」

 『はい』

 「北側だっけ」

 『病院から1.8kmです。未探索の建物が37棟あります』

 「食料が残ってる可能性は?」

 『不明です』

 「少しくらい期待させてくれよ」

 『期待できる根拠がありません』

 「……そうですか」

 『ただし、探索する価値はあります』

 「それを先に言えよ」

 『申し訳ありません』

 病室の扉を開ける。

 薄暗い廊下が、まっすぐ先まで伸びていた。壁紙はところどころ剥がれ、床には薄く埃が積もっている。《第二病棟》《手術室》《集中治療室》と書かれた古い案内板だけが、ここがかつて病院だったことを主張するように残されていた。

 窓の外に見えるのは、朝の街だった。

 傾いた建物。途中から崩れ落ちた高架。錆びついた車。道路を塞ぐ瓦礫。その間から伸びた雑草が、風に揺れている。

 戦争は終わった。

 街を壊したものの多くも、もう動いていない。

 ――多くは。

 俺は腰のM-68を軽く押さえ、廊下へ一歩踏み出した。

 「……寒」

 『現在の外気温は12度です』

 「それ、さっき聞いた」

 『失礼しました』

 「……行くぞ」

 『はい』

 食料を探す。ただ、それだけのために外へ出る。

 病院の周囲は何度も歩いた。水が取れる場所も、使えそうな建物も、崩れて通れない道路も、危険な場所も、少しずつ地図に記録してきた。それでも、まだ調べていない場所は残っている。

 今日は北へ1.8km。

 何が残っているかは分からない。

 保存食が見つかるかもしれない。使える道具が残っているかもしれない。何もないかもしれない。

 あるいは、できれば会いたくない何かが残っているかもしれない。

 「……昨日、酒飲まなきゃよかった」

 『その発言は昨晩から数えて5回目です』

 「……」

 『今回が6回目です』

 「数えるなよ」

 『記録していますので』

 「……お前、たまに性格悪いよな」

 『性格はありません』

 「いや、まじでそれが一番腹立つんだよ」

 『承知しました』

 非常口へ続く廊下の先には、白い朝の光が差し込んでいた。

 その向こうには、壊れた街がある。

 水も、食料も、使える部品も、まだどこかに残っている。代わりに、戦争が置き去りにしていったものも残っている。

 何が出てくるかは、行ってみるまで分からない。

 俺は肩に食い込むリュックを背負い直した。

 「ピコ」

 『はい』

 「今日の目標」

 『水、および食料の確保です』

 「もうひとつ」

 『何でしょうか』

 「一発も撃たずに帰る」

 『賢明です』

 「あと酒は飲まない」

 『その発言は――』

 「それは数えなくていい」

 『承知しました』

 朝から最悪だった。

 頭は痛い。腹は減った。水もない。

 それでも、外へ出れば何かはある。

 良いものか、悪いものかは知らない。

 俺とピコは、廃病院の非常口へ向かって歩き出した。


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― 新着の感想 ―
Xの企画から来ました。 ユウとピコの会話が淡泊のようで、 実は味わい深いものになってますね。 この退廃的な空気が妙に味があって良いです。
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