プロローグ 悪女のその後
※本作は『私が公爵夫人になるまでの紆余曲折はわかるんだけど、どうしてこうなったかはわからない。』のスピンオフです。
前作未読でも読めますが、ターシャやエレーナ周辺の事情は前作を読むとより分かりやすいです。
むかし、むかし。
ある公爵家に、たいそう傲慢な令嬢がおりました。
彼女は美しく、誇り高く、思い通りにならぬことなど何ひとつないと思っておりました。
母に似た美しさと、父に与えられた公爵令嬢という地位を誇り、社交界でも好き放題に振る舞っていたのです。
その令嬢には、二人の妹がおりました。
どちらも、令嬢より四つ年下の、同い年の妹たちでした。
ひとりは、同じ母から生まれた妹。
ひとりは、父の不義によって生まれた異母の妹。
同い年の二人でしたが、令嬢の目にはまるで違って映っておりました。
同じ母から生まれた妹のことも、決して大切にはしませんでした。
見下し、軽んじ、ろくに心を向けることもなく――
けれど、その視線の奥にあるものを、正しく見ようとしたことは一度もありませんでした。
けれど、父の不義によって生まれた異母の妹のことは、それ以上でした。
その妹が何をしたわけでもないのに、
ただ父の罪の証であるというだけで、
それはまるで、父の裏切りが形を持って目の前に立っているようで――
見るたびに腹立たしく、ひどく汚らわしいもののように思っていたのです。
その子がそこにいるだけで、母は苦しみ、家の空気は濁る。
父の裏切りを、何度でも目の前へ突きつけられる。
令嬢には、それが我慢なりませんでした。
だから、その異母の妹を嫌いました。
遠ざけました。
疎ましく思いました。
できることなら、目の届かぬ場所へ追いやってしまいたいとさえ思っていたのです。
ほんとうは、その妹には何の罪もありませんでした。
生まれてきたことに、罪などあるはずもありませんでした。
けれど令嬢は、その当たり前のことを認めようとはしませんでした。
泣いても、怯えても、縋るように見上げてきても、優しい姉にはなれませんでした。
そればかりか、母が異母の妹を厳しく打ち据えても、止めようとはしませんでした。
母の怒りは、時に常軌を逸しておりました。
その母の怒りを宥めることもなく、
ただそれを当然のことのように眺め、
ときには自分もまた冷たい言葉で、その妹をさらに傷つけたのです。
そうして彼女は、自分の手を汚さぬまま、
異母の妹を傷つける側に立ち続けておりました。
同じ母から生まれた妹に対しても、姉として庇うことはありませんでした。
母とともに、自分たちだけが正しいのだと思い込んでいたのです。
けれど、その栄華は長くは続きませんでした。
見下していた妹は第二王子に見初められ、
汚らわしいとまで思っていた異母の妹は、やがて王太子に望まれました。
そうして傲慢な長女だけが、母とともに辺境の修道院へ送られてしまったのです。
自業自得。
悪女。
毒婦。
傲慢な女。
誰もがそう言って頷き、安心して物語を閉じました。
悪い娘は罰を受け、
善い娘たちは幸せになった。
めでたし、めでたし――と。
けれど、本当は。
物語から追い出されたあとも、人は生きております。
冷たい石床の上で朝を迎え、
固い黒パンを噛み、
冬の訪れに怯えながら、
それでも祈って、働いて、息をするのです。
辺境の修道院の朝は、とても寒うございました。
指先の感覚がなくなるほどの冷たさの中で、
オリバー・オクレールはようやく、自分がどれほど愚かであったかを知ったのです。
父の罪を、何の罪もない異母の妹へ押しつけたこと。
憎むべき相手を違え、
弱いものへ平然と石を投げていたこと。
泣いているその子を守る側に立たなかったこと。
母の怒りを止めもせず、
ただ当然のように受け入れ、傷つける側にいたこと。
同じ家に生きながら、同じようにはならなかった者がおりました。
ならば、自分はただ弱く、愚かだったのでしょう。
その事実だけは、どれほど祈っても消えませんでした。
だからオリバーは思ったのです。
自分にはもう何も残っていないのだと。
公爵令嬢の名も。
社交界での居場所も。
誰かに愛される資格も。
ここで慎ましく働き、祈り、寒さに耐え、
そうして静かに朽ちていくのが、自分には相応しい末路なのだと。
そう信じて疑いませんでした。
それでも、ほんのわずかにだけ――
誰かに手を取ってほしいと、そう思ってしまった自分を、オリバーは強く否定しました。
けれど神様は、ときどき少しだけ意地が悪いのです。
罰を受けるだけで終わるはずだった娘に、
思いがけず、もう一度手を差し伸べてしまうのですから。
これは、悪女と呼ばれた女のその後の物語。
誰もが知っている物語の、誰も振り返らなかった側の話。
そして――
誰よりも自分を赦せなかった女が、それでもなお、誰かに愛されてしまった物語でございます。




