九州攻めの陣立て 前提
史実でも九州攻めはあった。
もちろん天正十四年の秀吉のよるものである。
そして、ここで述べておかねばならないのでは信長と秀吉の戦い方の違いである。
秀吉が九州攻めをおこなったとき、すでに畿内を中心とした地域だけではなく、中国、四国も秀吉の支配下にあり、東北や関東にも敵対勢力はいない。
その気になれば、兵力を集中できた。
数の暴力が可能だったのであり、実際にもそうなった。
それに対し、史実での信長は敵だらけ。
この物語での信長も毛利と長曾我部を降ろし九州までの足掛かりは手に入れているとはいえ、状況はそう変わらない。
領地が広がり前線が本拠地である畿内から遠くなっているのはいいことなのだが、補給という観点からいえば実は由々しきこと。
もう少しはっきり言えば食料。
現地調達は考えているほど簡単ではなく、九州における協力者である大友家は大軍に米を供するほど余裕はない。
そうなると、安定している畿内や中部から運搬するしかない。
そもそも、この時代は自軍が消費する食糧は基本的に自前で用意するもの。
では、仕立てた遠征軍に食糧を持たせればいいだろうということになるわけなのだが、ことはそう簡単ではない。
運搬方法はむろん船であるのだから十分可能であるのだが、現支配地での消費量を無視するようなことはできない。
つまり、兵は動員できても、用意できる食料が動員兵数の枷になり、長期間の遠征は簡単にはおこなえないのだ。
一応、現地調達、すなわち略奪をおこなうことが食料調達の通常手段としていた中世ヨーロッパの例をいえば、遠征は年一回。
これは大軍による略奪が起これば、その地域の食料がなくなる。
略奪をおこないたくても、略奪できるものがない状況に陥るのだから当然の帰結。
基本的に米も収穫は年一回なのだから日本も過程はともかく。同じ理由で年に何度も大遠征はおこなえないという結果になる。
そして、一応、史実でその例を挙げれば、信長による講習討伐。
補給の枷があるので兵の数を絞ることを余儀なくされている。
もっとも、相手は裏切り者が続出し半壊状態の武田軍。
たいした兵数を減らしても問題にはならなかったのだが。
そういうことで、ここでは、ゲームや夢物語風物語風には進まず信長は畿内から大軍を遠征させることなど叶わない。
できるのはせいぜい後詰め程度。
そうなると、その主力はやはり、前線に近い中国、四国勢がその中心にならざるを得ない。




