高野山
史実でも高野山攻めはあった。
ただし、信長と高野山の攻防は小競り合い程度で終わり、本格的な戦いは秀吉のよるものであった。
もちろん、このときは高野山が従属するという形で和議が成立し、その結果高野山は現在も残っているわけである。
そして、実際の戦闘は西紀州が主なものとなり、わずかなうちに秀吉側の勝利で終わる。
では、もし、本能寺の変が起きなかったら、高野山はどうなっていたのか?
もちろん、文字資料などない。
だから、推測、いや妄想するしかない。
畿内に自身に抗する勢力を残しておくことなどありえない。
さらに、長年その枷となっていた雑賀衆の大部分を味方に引き入れることができた。
そうなれば、時期がやってくれば、信長が目障りな高野山に対し本格的な攻撃を開始したのは間違いないと思われる。
ちなみに、秀吉による高野山攻めの際に抵抗したのは根来寺であるが、信長時代は根来衆と信長は比較的良好な関係を結んでいた。
そして、前述したように、本能寺の変直前に雑賀衆の有力者鈴木孫六を引き入れることに成功している。
このため、信長による紀州攻めがおこなわれた場合、根来寺の焼き討ちは起きない。
あるとすれば、南紀州の国衆であるが、それもそれほど時間をおくことなく駆逐されたか、軍門に下ったことであろう。
そうなると、やはり問題は高野山ということになる。
信長が高野山をどのようにするつもりだったのか。
世間に広がる信長のイメージでいけば、高野山全山焼き討ちということになる。
信長には各地の一向一揆を徹底的に弾圧した前科がある。
さらに比叡山焼き討ち。
そして、周辺に他の敵対勢力がない。
つまり、それをおこなうだけの条件が揃っている。
だが、それでもそのようなことになったのかは疑うべきと考える。
比叡山焼き討ちはその規模はイメージとは程遠いものだったことは多くの証拠から確認されている。
しかも、中途半端な仕置きだったにもかかわらず、その後の追加措置なし。
当時の比叡山延暦寺はそこにいるのは腐れ坊主ばかりであっても寺そのものは由緒正しく、皇室や公家都のつながりもある。
完全に消し去ることは難しい。
それがその理由であろう。
そして、それは高野山も同じ。
そうなれば、比叡山と同じく高野山についても全山を灰にするのではなく無力化し、従順になることで手を打った可能性が高い。
もちろんここでもそのような方針で語る。




