四国平定
このまま攻め続ければ、あと一か月で長曾我部は滅ぼせる。
小生意気な長曾我部はこのまま滅ぼしたい。
だが、これから先難敵上杉との決戦が控えている。
しかも、相手が籠るのは難攻不落の名城として有名な春日山城。
本来であれば、包囲し相手の兵糧が尽きるのを待ちたいところだが、越後には長い冬があり、それができない。
つまり、どこかの時点で力攻めをおこなうしかない。
そうなれば、多くの兵が必要となる。
当然、光秀、秀吉はその数に入れている。
そうなると、ここで小競り合いなどやって光秀と秀吉を四国に張りつけておくのは得策ではない。
さらに降伏を認めれば、毛利だけではなく長曾我部の兵力も対上杉戦に利用できる。
すでに頭の中で計算が終了していた信長の回答はこのようなものとなる。
領国は土佐半国のみとする。
人質として長子を差し出す。
今後は信長及び信孝の指示に従い、いかなる場合でも要求された数の軍役を提供する。
この内容での元親との交渉をおこなう取次役に指名されたのは秀吉ではなく光秀。
光秀は早速白地城へ向かい長曾我部と交渉へ当たる。
むろん光秀から示された勧告の扱いを白地城内で協議がおこなわれる。
土佐一国だけでも不満であるところにさらに領国が減ることは納得できない。
だが、圧倒的不利なこの状況で勧告を拒否すれば待っているのは死。
簡単には結論が出そうもない。
だが、四国西部でもついに西園寺氏が本国の様子が不安になった長曾我部軍の後退をつけ込み戦局を好転させる。
領地安堵を証しているものの、それをいいことに積極的に攻勢に出ていないと信長が不満の言葉を口にしていると信長へ送ったご機嫌伺いの使者が信長の様子を当主西園寺公広に伝えていた。
このまま目に見えぬ功績がなければ約束は反故にされる可能性は十分にある。
そう考えた公広はここぞとばかり攻勢に転じ、長曾我部軍を伊予と土佐の国境まで一気に押し込み、さらに土佐に入るところまで進んでいた。
その情報を手に入れていた光秀は、交渉三日目には翌日まで返事がない場合は受け入れる意思なしと報告すると言葉を加える。
むろんこれで万事休す。
白地城での話し合いは一気に進み、決定される。
長曾我部元親は選択は生き残る道。
八月六日。
光秀に伴われ麻城を訪れた長曾我部元親は信長に対し示されたすべての条件を受け入れ正式に臣従を誓っった。