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「救急車を」
やっとのことで篤史は喉から声を絞り出し、そうしてすぐに自分の言葉を否定する。
「違う。だめだ。切断して山に捨てに行こう。そうだ、あれがあるから、あれが。あれで、風呂場ででも」
ふっ、と崢が笑う。バットをことりと、床に置いた。
「おまえの兄ちゃんだ、このままにしといてやろう」
兄ちゃん、その単語を耳に受けて篤史は足元の兄に視線をやる。
首のあたりが斜めに大きく割れていて、そこから血が溢れ出しているのが薄ぼんやりとした明かりのもとで分かった。鍛え上げられてきた身体だ、それなのに今やただの物体であるわけか。畳に投げ出された手はもう篤史を押さえつけることはないし、少し開いた唇はもう何も言わない、閉じられた目は二度と開くことはなく、そこに篤史を映し込むこともないのである。
腰が抜けたのか。へなへなと篤史はその場にへたり込んだ。動いてもいないのに心臓が暴れ、それにより肩が上下するほどに呼吸が荒れた。ふっと目の前で空気が揺れたかと思えば崢が篤史の前に腰をおろし、あぐらをかいて、
「篤史」
そう呼んだ。だから篤史はその目を見た。
兄の血の飛び散った頬、それがゆるく笑っていた。ほんの少し前にカッターナイフで兄の首のあたりを切りつけたとはとても思えぬ笑みだった。
「おまえは兄ちゃんに暴力を振るわれて家を飛び出した。俺がバイクで迎えに行ってここに戻り俺は兄ちゃんに抗議した。口論になって俺がバットで兄ちゃんの頭を殴った。止めようとしたおまえを俺が殴って動けなくして、その間に俺が兄ちゃんを切った。俺が全部ひとりでやった。いいな」
念を押すように崢がそう言うもその言葉は篤史の耳に入っては通り抜けてゆく。
「巻き込んだ、巻き込んだ」
「巻き込んだのは俺だ。おまえじゃない」
そう言って崢は静かに笑っている。