19
つまるところ救急隊員にどういった説明をするのかということだ、だから篤史は笑みを作って、
「大丈夫、この怪我を見せるから」
と言った。
「正当防衛だったって言うよ」
自分に言い聞かせる、または奮い立たせる、か。兄に破かれたこの服もその証拠だ、そうだ、証拠がいくらでもあるのだ、正当防衛の。
「逃げたから罪に問われる」
そこに染み込んでくるのは崢の言葉である。まぎれもない事実か。耳を塞ぎたくなる、もしくは崢の口に手のひらを押し当てたくなる、しかしながらそれができない。手がガタガタと震えるだけで言うことを聞かない。
「軽く済んだとしても停学は免れない。その後も一生ついて回る。人生を棒に振る」
崢の言葉は続く。事実をなぞる言葉だ、あまりにも冷静だった。
「じゃあどうすればいいんだよ」
声に笑いが乗ったのがまた不思議な現象であった。この状況で笑えたわけだ。乖離というやつか、やはり。
「どっかに捨てに行けばいい? おまえを共犯に?」
目から涙が散った。勝手にそうなっていた。
視界が潤んで崢の表情はより分からなくなった。腕で涙を拭うと篤史は笑みを作って、
「自分の蒔いた種だから」
と言った。宣言だ、これから救急車を呼ぶ。
ひとつ願いがあるとすれば、ほんの少しの間だけでも時計の針が止まってくれること、それだけだった。しばらく崢に会えなくなる、確定された事実がこの先に広がるのだから、そうなる前に別れの言葉だとか、これまでの感謝だとか、おまえに会えて良かった、そんな言葉だとかを口にしたかった。崢さえ良ければしばしその体温を感じたかった。だがそんな時間もないのだ、刻一刻と時は過ぎていって、兄は死へ向かうのかもしれない、だからそうなる前に兄の身を救急隊員に引き渡さねばならなかった。
一言だけは口にしようと思った。どうしても崢に伝えたい言葉。
「おまえに会えて良かった」
言えた。笑ってそう言えた。もうそれだけで良かった。暗闇の中に溶け込んだ崢は何も言わない、だがそれで良かった。
鼻を吸い上げる。腕で涙を拭いて、それから篤史は今一度笑った。今からやることは一つだけだ、しかし自分のスマートフォンは兄の手に渡ったままどこへ行ったのか分からないから崢から借りるべく口を開こうとした。その時であった。
確かに空気が動いたのである。動いた、とも少し違う。うごめいたのだ、
「篤史」
その声は確かに兄のものであった。
ああ、万事休す。仰向けになったままの兄、その目元へ視線を刺したまま篤史の全身はガタガタと震えた。確かに意識を取り戻していた。暗闇の中に沈み込みながらもその目は確かに光を宿し、明らかに篤史の目を見ているのである。
反射か。篤史は瞬時に兄のもとにかがみ込んだ。そうして両手で兄の首を掴んだ。そのまま両の手に力を込め――つまり兄の首を絞めようとしていた。