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「バットで殴った」
「後頭部をか」
「頭のてっぺん。死んだかな」
「打ちどころによるな」
生きているとしたらそれこそ逃げ場はない。口元だけでも笑えることが我ながら不思議だった。
「で、なんだ」しばしの沈黙ののちに崢が言う。「逃亡したわけか」
「電車に乗ったんだ。降りたら海だった」
「そうか」
「夕日が綺麗だ」
誰の頭をバットで殴ったのか崢は聞いてこないわけだがそれはもう勘づいているからか。だから聞くまでもない、そういうことか。
「家の人は」
やはりすでに察しているのだ。そう聞いた。
「兄ちゃんと俺以外はみんな旅行に行った。今日は帰らない」
「そうか」
「逃げたから罪が重くなる?」
少しの間が空いたのちに、
「たぶんな」崢は言った。「正当防衛だとでも言えよ」
ああ、このまま電話は切れるのか。声が遠いのだ。じゃあな、との言葉が来るのを恐れた。その後に流れるプープーとの電子音を恐れた。だから受話器を握りしめた。どれだけ握力を込めたところで何も変わらないというのに。汗だけが滲んでいた。受話器も、もう片方の手の中にある十円玉も湿った。大量にあった十円玉は残りわずか数枚になっていた。
汗が冷えていく。電話ボックスの中に冷たい風が入り込んでいた。ふと気づくと海の向こうに日は落ち、西の空いっぱいに深い紫色が広がっていた。
「どっかに住所が書いてあるだろ」
しばらくの沈黙ののちに崢の言葉が来て、そこに篤史は救いを見る。
だから急いで文字を探した。電話ボックスの中に住所の記載はなかったが唐突に目に入り込んだ自販機にそれらしき文字を見た。だから急いでボックスから飛び出し自販機に記載された住所をしっかりと脳に刻み込んだのちに崢にそれを伝えた。
「分かった」崢は言った。「待ってろ」
電話が切れた。プー、プー、とそれはあまりにも無機質な音であったが、その向こうにあるものは篤史のもとへ向かう為にスマートフォンの画面に地図を広げ、バイクのキーを掴んで魚の楽園を飛び出す崢の姿であり、それは篤史の頬を綻ばせ、目を充血させた。
待ってろ。
崢の短い言葉が残像のように残った。