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もとよりそうであったが電話口では崢の声はなんとなく暗く、電波を通すことでさらにこもって聞こえるわけだが、耳に届くこの声が確かに崢のものであると認識し篤史はふっと息を吐いた。
「篤史か」
顔には笑みが広がる。崢が篤史の名を呼んだのである。
「なんで分かった?」
「なんとなくな」
いつものように電話機の向こうでその声は心なしか暗いが魚の楽園にてスマートフォンを耳に当て、夕焼けに染まっている崢のさまがまざまざと浮かんだ。
「公衆電話があって良かった」
「おまえ今どこにいるんだ」
「分からない」
「自分の居場所も分からねえのか」
笑いの含んだ声が来る。崢が笑った、何でもないその事実が篤史の頬を綻ばせるのである。
「近くになんかないのか」
「何もない」
篤史は手のひらの中で生あたたかくなった十円玉を電話機に追加した。電話機の中でそれはチャリンと音を立てた。
「海しかないな」
「用件を言え」
しばし息を吸い込む。それからゆっくりと吐き出すと、
「うん」と篤史は言った。「人を殺したかもしれない」
「かもしれない、ね」
実にのんびりとした相槌が来る。いかにも崢らしい。




