30話 行く末(前編)
最終話なのですが、長くなったので前後編にしました。後編は10分後、10時10分に投稿します。
マサムネが戻り次第、アイリとトーヤは海の王国籍を取得し、身内だけでカリンと挙式の予定だった。準備は全て済ませてある。
だが、マサムネの予想外のお連れの影響で予定変更になりそうだった。
お連れは上品な老婦人とお付きの壮年の男性だ。アイリとトーヤが驚いたように男性を見やった。
老婦人はそんな二人に親しみのこもった笑顔を向ける。
「まあまあ、愛里も桐也も立派になったこと。元気そうで何よりだわ」
「紫苑様、お久しぶりでございます」
「紫苑様もご壮健で何よりです」
シオンは挨拶を交わした二人の背後で目を丸くしているカリンにも微笑みかける。
「ああ、本当に紫蘭によく似ているわ。嫁入り前のあの子を見ているようよ」
おばあさま? とカリンの口元が動いた。
幼い頃に亡くなった祖母とそっくりの姿にうるっと涙腺が潤んでいた。ジルベルタことカリンは祖母に教育されたおばあちゃんっ子だ。
「ええ、貴女のおばあ様よ。花鈴、と言ったわね。顔をよく見せてちょうだい。
せっかく孫娘ができたのに、すぐに嫁がせるなんて残念だけど、外野が騒がしくなる前に縁づいたほうがいいものね」
トーヤがその言葉にぴくりと反応する。
カンナギ国では女性にも継承権があるので、女性当主は珍しくない。
カリンは離縁後に生まれたため、お家争いを避けるために父方の家系には隠されて育てられた設定だ。この度のマサムネの帰国でカリンの存在が公になり、七峯家の次男と婚約したと十二家に正式にお披露目されたはずだ。
婚約後なのに横槍を入れようとする無粋な輩がいるのだとシオンの目が物語っている。トーヤには面白くなかった。絶対にカンナギ国には戻らないと心密かに決意する。
「愛里も王弟殿下とご縁を結ぶそうね。うふふっ、一ノ瀬の坊やが悔しがる姿を見せたかったわ」
「え?」
アイリは首を傾げた。
十二家筆頭一ノ瀬家は純血主義者だ。もはや、十二家内だけの婚姻は無理だとわかっているのに、十二家に他国の血筋を入れるのをよしとしていない。一ノ瀬家だって東方諸島と婚姻しているくせに、だ。
そのため、他国でも東方諸島内ならばまだ許容できるが、西方大陸の国は認めないとか自分たちに都合の良いことをほざいている。
十二家同士の交流会にアイリが初参加した時など、彼女の銀髪を老婆の白髪のようで気持ち悪いとか抜かしやがったのが、一ノ瀬家嫡男だ。アイリが西方大陸の海の王国と縁づくからと悔しがる理由が思い当たらない。
「愛里は気づいていなかったのね、あの坊やは貴女に一目惚れしたのよ。でも、無駄にプライドが高いし、一ノ瀬家の方針に逆らう度胸もない小物だから貴女を貶めることで周囲を牽制しているつもりだったのよ。
本当に、狭量でお間抜けなお子様だこと」
穏やかに微笑むシオンだが、目だけは嘲笑の色が強い。
お気に入りのアイリに対する扱いをよく思っていなかったのだ。元王族のシオンの庇護があったから物理的な被害はなかったものの、精神的には守れなかったとずっと悔やんでいた。
ルフィーノとの縁で一ノ瀬家との関わりは絶縁するだろうと思うと、ざまあご覧あそばせと高笑いしたくなる。
マサムネはトーヤとカリンの正式な婚姻の件だけでなく、ルフィーノとアイリの婚約も確定するだろうと根回ししていた。友人で弟子のルフィーノがアイリを諦めるつもりがないと読んでいたので、予め手を打ったのだ。
「あの嫡男には婚約者がいたはずだが?」
トーヤが不快そうに吐き捨てた。
カンナギ国は一夫一妻制で帝王も例外ではない。婚約者がいるのに懸想するとか、公になれば問題視される。
シオンが優雅に扇を仰いだ。
「ええ、そうよ。愛里が自分のものにならないからかしら? 余計に固執していたようね。愛里の婚約者決めが難航したのは坊やのせいらしいわ。
だから、播磨殿は愛里を正妃候補に推したのよ。あなたたちが冒険者として穏便に国外へ出られるように後押ししたの。国内では一ノ瀬家からの圧をかけられて、あなたたちが平穏無事には過ごせないからと」
「正妃レースに跡取り以外の兄弟が参加するのは認められているし、指導役がつくのも然りだ。私は播磨の打診を受けて、お前たちの指導者になった」
マサムネの言葉にトーヤとアイリはお互いの顔を見合わせてから、シオンの背後に従者のように付き添う男性を見やった。濃い鳶色の髪に紫紺の瞳でどことなく姉弟と面差しが似ている。
カリンはもしかして二人の父親ではないかと思った。そっとマサムネに視線をやると、そうだと頷かれる。
「・・・私は紫苑様の命でお供しているだけのただの引退者だ。気にするな」
「引退?」
トーヤが訝しげに顔をしかめると、シオンが朗らかに微笑んだ。
「播磨殿が長男に家督を譲られて隠遁生活に入ると聞いたから、わたくしのお供に拉致してきたの。
ちょうど西方大陸に諸国漫遊の旅に出たいと思っていたのよねえ。優秀で頼もしい同行者を確保できてよかったわ」
拉致とか不穏な言葉にカリンが目を丸くするが、ルフィーノ以外は誰も驚いていない。きっとこれがシオンの通常なのだろう。
おばあ様はちょっと過激なお人かもしれない、とカリンは心のメモにこっそりと記しておく。
「まあ、それではお兄様が当主となられましたのね、おめでとうございます」
「できれば、このまま私たちのことは捨て置いてほしいものだ」
「・・・其方たちは海の王国籍を得ると聞いた。必要書類などは用意してある、手続きはすぐに済むだろう。
七峯家とはこれで絶縁するのだ、心配することはない。さすがに当主ともなれば、他国籍の人間にケンカはふっかけないだろう」
「ついでに、一ノ瀬のボンクラが愛里の婚姻に無駄なちょっかいをかけないように手を打ってきた。案ずることはないさ」
マサムネがハリマの肩をポンと気安く叩いた。彼は無表情で頷く。
「・・・もしや、お父様はそのために家督を譲られたのですか?」
「それで、これまでのことは帳消しにできるとお思いなのか?」
アイリが信じられないと掠れた声をあげて、トーヤは懐疑心いっぱいで睨んでくる。ハリマはふっとかすかに顔を曇らせた。
「前妻の影響を排除できなかったのは私の責任だ。そのせいでお前たちにもルイーザにも辛い思いをさせた。許せとは言わない。私はただ父親の責務を果たしただけだ」
「父親らしいことなど」
トーヤが怒りのあまりに声を詰まらせた。
長兄は身体が弱く、跡取りとして問題視されていた。そのせいで跡目争いでトーヤたち親子は何度も刺客に襲われた。トーヤたちの身が無事だったのは周囲が守ってくれたからだ。実家から母ルイーザに付き添ってきた乳母や侍女が庇ってくれて犠牲になっている。
「播磨が表立って庇うと余計に被害がひどくなる。播磨は使用人に信頼できる者を雇うしかできなかった。苦渋の決断だったのだ」
マサムネがわかってやれと目で訴えてくるが、だからと言って幼い頃に忠実な乳母や侍女を失った悲しみが癒やされるものではない。母が病にかかってすぐに弱ってしまったのだって、心労が祟ってのことだ。前妻の実家、一ノ瀬家のせいで母は亡くなったと言えるし、父はそれを見過ごしたと思える。
カリンがつんつんとトーヤの服の裾をひっぱった。
『許すな、と言われているから、許さなくてもいいと思うの。父親の責務を果たしてくださるのだから、遠慮なくわたくしたちの移籍と婚姻にご助力してもらいましょう。後ろ盾はいくつあっても邪魔にはならないわ』
「いや、しかし・・・」
『それとも、トーヤはわたくしとの婚姻が長引いても構わないの? わたくしはイヤよ』
「それは私も嫌だ。できるだけ早く式を挙げたい」
トーヤがしっかりと頷くと、カリンも嬉しそうに微笑む。
シオンがあらあらまあまあと顔を綻ばせた。
「しっかりとした貴婦人らしい考えね、花鈴。素晴らしいわ。そうよ、無理して和解しなくてもいいのよ。責務を果たしてもらってから、心ゆくまで親子喧嘩しなさいな」
「それは、利用できるものは親でも使え、手段は選ぶな、ということですね?」
アイリがシオンの教えを貴婦人の心得と受け止めて、なるほどと頷いている。マサムネは遠い目になる友人の背中をそっと叩いた。
「まあ、完全に絶縁よりはまだ望みがある・・・、はずだ。めげるな」
そうだといいのだが、とハリマは心密かに肩を落とした。
メイリンはご馳走に舌鼓を打っていた。隣で兄も堪能して顔を綻ばせている。
トーヤとカリンの挙式にお呼ばれしたのだが、身内だけにはできなかった。
金剛クラスが伯爵位を得ての定住だ、顔繋ぎを望む相手がそれなりにいる。神前の誓いだけを身内で行い、後は披露宴にして招待客と歓談できる場を設けた。
メイリンたちは全ての事情を知っているから身内のようなものだ、と神前の誓いから招かれていて、挨拶は済んでいる。フェデーレ公爵と子息もだ。カリンの血縁者の二人は本当の家族並みの親密さで打ち解けていた。もしかしたら公爵が息子には打ち明けたのかもしれない。
カリンは祖母が用意してくれたカンナギ国の花嫁衣装を身に纏っていた。白無垢という白い絹の着物でトーヤは黒の紋付き袴だ。
珍しさからカンナギ国の衣装について問い合わせる人が多い。筆談のカリンは返答に時間がかかるのだが、トーヤがぴったりとくっついてフォローしている。それを微笑ましく見守る者と苦々しく見る者とで反応が別れていた。後者はどちらかに取り入って媚びようと企む面々だろう。
この場に招かれたからにはトーヤたちの利になるはずの相手だが、ルフィーノが遠くから眺めて密かにチェックしているのに気づかないとか鈍チンすぎる。
ルフィーノ様、結構怖いとこあるからな〜、とメイリンはお肉に齧りついた。
「んー、なんか大変みたいだねえ。報告は後にする? お兄ちゃん」
「手紙」
「形が残る物はまずくない?」
兄妹はもぐもぐしながら、次から次へとご馳走を頬張る。
メイリンたちはトーヤからある人物の調査を依頼されていた。カリンを傷つけたクラーラの処罰後の暮らしぶりだ。
クラーラは元ドナート領にある修道院に入ったが、すぐに体調を崩してあっという間に悪化した。祝いの席で亡くなったと不幸な話題をだすのは気がひける。
「自業自得と、結果だけ」
「まあ、それならバレないかなあ」
メイリンは頷いた。
メイリンたちはトーヤから呪術の依頼を受けていた。故郷の呪い師から教わった術で、呪いと言っても邪悪なものではない。心から反省すれば解けるものだ。
呪われるきっかけとなる出来事を夢で見させて反省を促す。反省するまで夢が止まることはない。善良な相手ならばすぐに解けるが、性悪や過ちを認められない傲慢な人間には悪夢となって衰弱死することもある。
クラーラは没前の様子から後者だったらしい。
クラーラは前回でジルベルタを襲った殺人犯だ。今回もカリンの顔を傷つけて謝りもしていない。
トーヤは前回の罪を夢で見させてほしいと依頼してきた。どうせ、今回の罪ぐらいでは反省なんかしないだろうから、より強烈な罪を突きつけてやると怒り心頭だった。
メイリンたちにしてもジルベルタを貶めた相手に情けをかけるつもりはなかったから、やりすぎたとは思わない。兄の言う通り、自業自得な結果だろう。反省すれば解ける呪いで、救済の道はあるのだから。
メイリンとサイフォンは平民だ。
銀クラス昇格にあたり、ギルドのマナー講座を受けて必要最低限の礼儀は身につけている。それでも、冒険者を侮る相手は平民と知るとさらに居丈高になる。
ドナート家の侍女や護衛がその手合いで、討伐時には随分と舐めた真似をしてくださりやがったものだ。
メイリンたちが被害を受けるとジルベルタが庇ってくれた。気鬱の病のように無気力になっていた彼女は自分のことには無頓着だが、メイリンたちが貶められるのは別だった。たかが、護衛と侍女のために公爵令嬢の権力を用いて蹴散らしてくれた。
守る対象から逆に守られるなんて驚いた。それも、お貴族様が平民を庇うとか、初めての経験だ。
お貴族様はえらぶってて平民を見下すからと苦手だったメイリンがジルベルタに懐いたきっかけだった。カリンとなった彼女にはぜひとも幸せになってもらいたい。
トーヤの依頼を知れば、彼女は報復過剰だと気にするかもしれないが、責めることはしないだろう。
却って、自分のために手を汚させてしまったと落ちこみそうだ。カリンには絶対に秘密にしようとメイリンたちは決めている。
友人の幸福を祈って、兄妹は乾杯を交わした。




