28話 回想
おや? 今回もというか、これまでで一番長いですが、キリがよくないので一気にいきます。
何もかもどうでもよかった。
優秀な彼に相応しくあるために懸命に努力して頑張って、その願いは叶っていたのに。
彼の害にしかならない母のことは諦めた。得られない愛情よりも与えてくれる愛情を選んだ。母は親族ごと切り捨てる覚悟を決めていたのに。
共に支え合っていくはずだった人は彼女とは別の方向を見ていたらしい。貶められて躓いた彼女を彼は支えてはくれなかった。
『君は彼女たちに嫉妬したのではないか?』
ジルベルタが絶望するには十分な言葉だった。恋心にヒビが入った瞬間だった。
「・・・てくれ」
「頼む、から・・・」
ジルベルタが切なげな懇願にふっと目を覚ますと、潤んだ紫紺の瞳がすぐに目に映った。
弟のエドアルドだと思った。他に紫紺の瞳の持ち主に心当たりはなかったから。
ああ、どうでもよくなんかなかった。弟を悲しませてしまったと思うと、ジルベルタは深い後悔に襲われる。
ごめんなさい、心配させて、と声をかけようとしたが、掠れ声さえでなかった。
ジルベルタは弟の母譲りの金の髪を撫でようとしたが、彼女の手はすぐにガッチリと掴まれた。目の前の見知らぬ人に。
瞬きすると、光の加減で金に見えたのはいささかボサボサの銀髪だった。目の下にすごい隈ができている男性だ。
だ、れ?
呟きはまたもや声にはならなかった。
「生きてくれ、頼むから」
ものすごく哀切のこもった涙交じりの懇願に頷いた気がするが、ジルベルタはすぐに深い眠りに落ちた。
次にジルベルタが目を覚ますと、討伐時の侍女を引き受けてくれたメイリンがいた。海の王国の南方の国、夕凪の国出身の彼女は黒髪黒目とこちらの大陸では珍しく濃い色の容姿をしている。
「ジルベルタさまあ、よかったあ〜。もう三日も昏睡状態だったんですよお」
豪雨のようにだあっと泣き出したメイリンに申し訳ない気持ちが湧きあがる。メイリンはえぐえぐしながらお医者様を呼んできて診察された。
ジルベルタは老医師から薬湯を勧められて少しずつすすった。その間に老医師が容体と今の状況説明をしてくれる。
一角竜の最後の攻撃で重傷を負ったジルベルタはメイリンと兄のサイフォンに助けられた。彼らはフランカが推薦してくれた一流の冒険者で、討伐時の侍女と護衛としてジルベルタに支えてくれていた。
彼らはアルフレードの采配で配置替えになったジルベルタをとても心配した。護衛にはつけなかったから、冒険者家業で扱っている守りの玉を渡してくれた。魔力を込めて割ると周囲に結界が生じるという優れ物だ。
彼らの故郷の呪い師謹製で作成に一年もかかるとかいうアイテムだった。当然売り物ではなく、簡単には手に入らない、彼らの隠し玉だ。
それを攻撃手段を持たないジルベルタが前線配置と聞いて渡してくれた。討伐直前の慌ただしい出発時に駆け寄ってきて、「王子様に気をつけたほうがいいですよ」というセリフと共に。
どういう意味かと聞き返す暇はなかった。ただ、アルフレードとジルベルタを心配してくれたのだと思っていた。
ジルベルタは守りの玉の使い方を聞いたが、慣れていなかったせいか、はたまた慌てたせいか、うまく発動できなかったようだ。
アルフレードが危ないと思った瞬間に守りの玉を割ったものの、咄嗟に庇った身体は一角竜の攻撃で重傷を負った。
守りの玉が正常に働いたのは地割れに飲み込まれる瞬間で、少しタイムラグが生じたようだ。
ジルベルタは無意識に弱い光魔法を発動させたようで、救出されるまでの間にずっと癒し続けていたらしい。それでも、瀕死状態に変わりはなかったが、救出時の光魔法の重ねがけで助かったと聞かされた。
「ただ、治癒までに時間がかかりましたせいか、魔力攻撃時に傷ついた喉の状態はよくありません。残念なことですが、お嬢様のお声は二度と戻らないでしょう」
老医師は気の毒そうに告げた。ジルベルタは曖昧に頷いた。
死を覚悟したのに比べれば、声を失っても命があっただけで御の字だと思う。ただ、これで本当にもうアルフレードとの縁は切れたな、と思った。
だって、声がでない王妃なんて外交の場で差し支える。密約も交わすこともあるのに、筆談で証拠を残しそうな王妃なんて問題外だろう。
ジルベルタは救出されてから三日間も昏睡状態だったという。
外傷は光魔法で癒やされたが、血を失いすぎていたし、魔力攻撃で体力も消耗していた。最悪、そのまま儚くなる可能性もあって、ずいぶんとメイリンたちを心配させたようだ。
メイリンたちには光魔法で助けてくれた相手も入っていた。
老医師がさがると現れたのは海の王国の王弟ルフィーノだ。アルフレードを弟分のように可愛がっていて、ジルベルタも何度か話をしたことがある。
「やあ、気分はどうかな? 本当はもう少し安静にしていなければならないのだが、君の意見を至急確認しなければならないことがあってね」
そう前置きしたルフィーノがここは海の王国で彼の所有する山荘だと告げた。
この辺りには山の王国の山脈地帯から小型魔獣が迷い込んでくることがあった。放っておくと繁殖してしまうので、冒険者ギルドに開放した狩場にしていた。冒険者の腕試しの場所でもある。
ルフィーノは沖合に出現した大海蛇退治のため、よくパーティーを組む青い火の鳥と魔獣狩りに訪れていた。たまたま一角竜の討伐日に山荘を訪れたので、山を下って様子を見に行ったのだという。
偶然、メイリンとサイフォンがジルベルタを救出する場面に出会した。
力を貸して光魔法で癒したのはいいが、山の王国の拠点に行くのをメイリンたちがためらった。詳しく話を聞けば、ジルベルタの待遇がよくないから、万が一のことがあるかもしれないと危惧していた。
それで、ルフィーノの山荘に匿うことにした。昏睡状態のジルベルタを山の王国に渡せば暗殺されるかもしれない可能性があったという。
「・・・・・・」
ジルベルタは驚いたものの、否定はできなかった。確かに婚約解消後の彼女を侮る様子からありそうなことだと納得してしまったのだ。
討伐の拠点にした街の治療院は王都ほど厳重な警備ではないし、避難民も使用していて混雑していた。ジルベルタがアルフレードの婚約者のままであったならば手厚い看護が期待できたが、婚約解消した現状では難しいだろう。
アルフレードの婚約者の座を狙う野心家にはジルベルタを亡き者にするいい機会だ。
「そこで私の山荘に匿うことにした。そのことは君の父上、フェデーレ公爵にだけは知らせてある。公爵はもし君が目覚めなければ王宮には知らせないでほしいと言っていた」
現在、一角竜を討伐した涸れ谷付近は立入禁止区域になっている。昨日まではジルベルタの遺体の捜索や失せ物探しをしていたという。
ジルベルタの生存は絶望視されているのだから、ルフィーノらが助けたとわざわざ知らせる必要はない。希望を持たせた後に、目覚めずに永眠したと知らされたら残酷だろう。
「だが、君は目覚めて一命を取り留めたからね。
公爵からは今後君がどうしたいか、尋ねてほしいと頼まれた。君が望むならば、このまま死亡したことにして我が国で別人になっても構わないそうだ」
「?」
ジルベルタは首を傾げた。
目覚めない場合の対処は納得できたが、目覚めたら何故に別人という話になるのだ?
「君は一角竜討伐に多大な貢献をした英雄だ。この功績でもって、アルフレードとの縁は復活するだろう。庶民からは大歓迎されるだろうけど、貴族社会では微妙だ。
おそらく、王太子妃となっても慣例を破って君の婚姻後に・・・、そうだなあ、長くても一年くらいかな。きっと、側妃を娶ることになる。声のでない王太子妃補佐という名目でね」
ジルベルタはひゅっと鋭く息を吸った。
婚姻後五年間で子供ができない場合のみ、側妃を娶るのだ。法で決まっているのだから、五年の間に側妃を受け入れる覚悟を決められるはずだった。それが、一年でだなんて短すぎる。
理屈ではそうなるのは仕方ないと思うものの、感情ではとても受け入れられるものではない。
政略結婚でもジルベルタはアルフレードを慕っていたのだ。
「公爵は君の婚約解消にお怒りでね。ああ、君にじゃなくて、王家に、というか、アルフレードにだな。
『気鬱の病だと悪評が流れたくらいで解消するとは不甲斐ない。貴族社会では謀略なんて珍しくもないのだから、容疑をかけられたくらいで手放すなんて周囲につけ込む隙を与えるだけだ。夫婦ともなればお互いに助け合って対処しなければならないのに、どちらか片方のみの献身なんてうまくいくわけがない』と激怒しておられた。
公爵もまあ、奥方が色々とやらかされる方で苦労したと言っていたからねえ」
ルフィーノは遠くを見る目になった。
フェデーレ公爵夫人の噂は社交界ではあまりよくない。病弱で引きこもっていると噂されているが、高位貴族夫人の振る舞いができないせいだと聡い相手には察せられている。
「側妃候補は今回の功績で巫女姫に昇格する異世界人の少女か、婚約破棄か解消かで揉めているドナート家の令嬢だろう。
君はそれをよしとするか否か。
もしも、少しでも嫌だと思うならば帰国はしないほうがいい。英雄同士の婚姻でメリットが大きいから、王家としては君が断っても逃すつもりはないと思うよ」
ジルベルタはぎゅっと両手を握りしめた。
忠実な臣下としてはアルフレードの婚約者に返り咲いて民を安心させたほうがいいとわかっている。でも、感情的にはすぐに側妃を娶るなんて嫌だと強く思う。
慣例を破り法を曲げるなんて、英雄と煽てながら、ジルベルタを蔑ろにする行為ではないか。
それに、側妃候補がサクラとクラーラの二人というのも問題大アリだ。彼女たちは事件の被害者かもしれないが、もしかしたらジルベルタを貶めるために共謀した可能性もある。
ジルベルタは容疑者扱いされていたので、自分の意見を述べることはできなかった。下手をすれば、彼女たちに濡れ衣を着せようとしていると邪推されるかもしれなかったからだ。
その二人が側妃候補だなんて、復縁は茨の道にしか思えない。
「まだ目覚めたばかりで申し訳ないが、明日には決断してもらいたい。明日、公爵に君が目覚めたと使者を出して伝えるから。
公爵は君の決断を尊重すると言っていたよ、今晩だけしか時間がないがよく考えてみるといい」
ルフィーノは退出しようとしたが、ジルベルタが口パクで何かを訴えてくるからそばに寄った。サイドテーブルからメモ用紙を手にとって渡す。
「これに書いてくれるかい?」
『ルフィーノ様はどうしてそんなに親身になってくださるのですか? わたくしの味方をしても海の王国にはメリットはないでしょう?』
「海の王国にはないかもしれないが、私にはあるからね」
ジルベルタが書いたメモを見て、ルフィーノが苦笑する。
「君に何かあれば、将来の私の義弟が暴走する。君の幸せのためならば、トーヤは鬼にでもなるよ」
『その、トーヤ、様?はどなたなのでしょう。心当たりがない方なのですが?』
「そうだな、今の君にとっては見知らぬ相手だなあ。でも、トーヤは目の前で君を失って自暴自棄になった前科があるから、絶対にやらかすと思うんだよねえ」
「?」
ジルベルタは目を瞬かせた。さっぱり、意味がわからない。
ルフィーノが少々虚な目をして、ははっと笑った。
「そのうち、話すよ。君が完全に回復したらね。メイリンが心配するから、今日はもう休んだほうがいい」
ルフィーノの背後の扉が少し開いているのだが、そこからそおっとメイリンがのぞいていた。心配して様子を伺っているようだ。
ルフィーノが退出すると、メイリンがワゴンを押して入ってきた。消化のよい食事を運んできてくれたのだ。
メイリンに世話を焼かれながら、ジルベルタはどっと疲れが押し寄せた。
翌朝、ジルベルタはメイリンにお礼を告げた。
助けてくれたのはもちろん、親身になって世話を焼いてくれている。寝台脇のサイドテーブルに黄色いバラも飾ってくれた。ジルベルタの好きな花なので、嬉しいとメモを見せたら、変な顔をされた。
「そうだったんですか・・・。実はこの花、わたしが用意したものではなくて。
トーヤからのお見舞いなんですけど、花言葉がちょっとアレだからどうかなあって思ったんですけど。ジルベルタ様がお好きでよかったです」
『その、トーヤ様って、わたくしには面識がないのだけれど?』
「ああ、様なんかつけなくてもいいですよ。冒険者仲間なんですけど、無愛想なヤツで。乙女心とかわかんなそうな朴念仁です。ルフィーノ様が時折参加する青い火の鳥のメンバーなんですけどね」
メイリンの話によると、トーヤはカンナギ国出身で実家は十二家だが、後継者争いから外れて冒険者になったという。
話を聞いてもジルベルタは謎が深まるばかりだ。全然、知らない相手なのだ。ただ、銀の髪に紫紺の瞳だと説明されて、もしかしてと思った。
最初に目覚めた時に付き添っていた男性では、と。
「トーヤとアイリが光魔法でジルベルタ様を治癒してくれたんです。わたしや兄じゃ、応急処置が精一杯だったから助かりましたよ」
メイリンがアイリはトーヤの姉で、姉弟で冒険者をしていると教えてくれた。メイリンたちも兄妹で冒険者をしているから、何かと接点があるようで元々知り合いだった。
「でも、光魔法をかけまくったから、ジルベルタ様は光魔法の効き目が悪くなったみたいです。今後、大怪我とかには要注意ですからね」
メイリンの注意事項にジルベルタがこくこくと頷いていると、ルフィーノが訪れた。
「やあ、体調はどうかな? どうするか、覚悟は決まったかい?」
メイリンが気を利かせて下がる。ジルベルタは一瞬だけ目を伏せてからペンを走らせた。
『別人になったら、家族とはもう会えなくなりますか? 家族との縁はなくなるのでしょう?』
「そうだね、公爵は奥方やその親族に知られたら厄介なことになるから、縁は切ったほうがいいと判断されている。弟君にも知らせないおつもりだ。弟君に腹芸はまだムリだから」
ジルベルタは顔を曇らせた。
アルフレードとの婚姻は避けたいが、別人になるには何もかも手放さなければならない。名前も身分も家族さえも、交友関係などこれまで築いてきたもの全てだ。そして、父以外の親しい者を悲しませてしまう。特にアルフレードは罪悪感に駆られるだろう。
「別人になるのは不安だろうけど、心配することはないよ。私の友人は十二家の人間でね、君の親戚にあたるんだ。彼の姪という身分を保証しよう。君はカンナギ国十二家の姫君になるんだ。
君の弟君が成人する頃には新たな身分で交流もできるようになるだろう。その時にでも事情を打ち明ければ弟君もわかってくれるのではないかな」
ジルベルタがためらっていると、ルフィーノが目を眇めた。
「それとも、アルフレードと婚姻して側妃を受け入れるかい? その場合、君が幸せにならないと血の雨が降りそうなんだが・・・」
ジルベルタがぎょっとして慌てて走り書きした。『冗談ですよね?』という問いかけにルフィーノはさっと目を逸らす。
ルフィーノに釣られて視線を彷徨わせると黄色のバラが目に入った。「頼むから、生きてくれ」と懇願の声が脳裏に思い浮かぶ。ジルベルタの逡巡はすっとおさまった。
今ではアルフレードと婚姻しても幸せになれると思えない。どちらにしても誰かを悲しませてしまうならば・・・。
ジルベルタの好きなお日様色のバラをくれた人を悲しませたくないな、と思ったのだ。
決断したジルベルタはすぐに事情を知る者たちと顔合わせになった。まだ体力は戻ってないので車椅子姿だ。サイフォンが車椅子を押してくれてメイリンが付き添ってくれる。
光魔法の重ねがけをしてくれた命の恩人はアイリ・ナナミネとトーヤ・ナナミネで、メイリンが教えてくれた姉弟の冒険者だ。彼らのパーティーリーダーはマサムネ・シジョーという壮年の男性で、ジルベルタの身分保証をしてくれるという。
「君の祖母君、紫蘭様に双子の姉君がおられたのは知っているかい? 紫苑様と言って、三ツ藤家に降嫁している。
紫苑様の長女が我が四条家に嫁いだのだが、子供ができないのを理由に離縁しているんだ。
君は離縁後に生まれて隠されるように育てられたという設定さ。紫苑様の孫娘で、私の姪になるんだ、よろしくね」
マサムネはルフィーノよりも一回り年上だが、早くも紺色の髪に白髪がちらほらと見え隠れしている。微笑むと目尻に笑い皺ができる穏やかな老紳士という印象だ。
『わたくしのためにご尽力してくださり、ありがとうございます。ですが、わたくしを血縁者にしてしまってよろしいのでしょうか? ご実家にご迷惑ではありませんか?』
「君は紫蘭様にそっくりで、君を孫娘に迎えられて紫苑様がお喜びになると思う。紫苑様の口添えがあれば、父も兄も認めてくれるよ。父は紫苑様とは幼馴染で今でも親しい友人なんだ」
「マサムネの姪となれば初心者をパーティーに招き入れてもおかしくはないしね」
ルフィーノの発言にトーヤが思いきり顔を歪めた。
「ルフィーノ様、素人を入れるなんて何をお考えですか。足手纏いになるだけでしょう」
素っ気ないどころか、無愛想で冷ややかだった。ジルベルタは何の話かと首を傾げた。
「我が国の沖合に大海蛇が出現したのは知っているだろう?
我々で退治するつもりなのだが、今一つ戦力が足りない。できれば、大海蛇を海底から誘きだせる力の持ち主に協力を仰ごうと思っていたところでね。
フェデーレ嬢は闇魔法を極めているだろう? 君の力を貸してもらえるとありがたいのだが」
「強制ではないわ。身分保証と交換条件でもないから、協力しないといけないと思い込まないで。
ただ、カンナギ国出身者が他国に渡ったのなら、冒険者として生きるのが自然でしょう。わたくしたちならその手助けができるし、貴女が加わってくれたら嬉しいわ」
ルフィーノの説明にアイリも加わった。ジルベルタが思いがけない申し出に戸惑っていると、トーヤが嫌悪感いっぱいの声をあげた。
「深窓のご令嬢に無理を言うな。冒険者なんてできるわけないだろ」
「・・・」
ジルベルタは確かに彼の言う通りだと思ったものの、ちょっとだけ落ち込んだ。トーヤには助けてもらった礼を告げた時にも無言で頷かれたのみで、目も合わせてくれなかった。どうやら、彼には嫌われているようだ。
もしかして、あれは夢だったのかな、とジルベルタはしょげた。
「桐也、心配しているなら素直にそう言いなさいな。きつい言葉ばかりでは嫌っているようだわ」
「・・・別に嫌ってない。常識的な意見だろ」
トーヤが嗜める姉からそっぽを向いた。アイリがやれやれと肩をすくめてジルベルタを見やる。
「ジルベルタ様、ごめんなさいねえ。弟は貴女が目覚めるまで不眠不休で付き添っていて、ものすっごおおく心配していたのよ。その反動のせいかしら、素直になれないのよねえ」
「あ、姉上! 余計なことを言うなっ」
「だって、事実だもの。嘘は言ってないでしょう?」
アイリはしれっとしている。トーヤが忌々しそうに睨みつけるが、全くお構いなしだ。
ジルベルタは目をぱちくりさせて、首を傾げた。
彼らとは今日が初対面(目覚めた時のトーヤはノーカウント)だ。そこまで心配してもらう間柄ではない、ハズ?
『あの、もしかして、以前お会いしたことがありましたでしょうか? 申し訳ありません、わたくしは覚えていないのですけれども』
「・・・会ったことはない。覚えていなくて当然だ」
「トーヤ、痩せ我慢は無駄だぞ? 彼女には全てを話すから」
「ルフィーノ様! その必要はないでしょう?」
「話しておいたほうがいい。前回のような目に遭わせたくないだろう?」
「それは! ・・・ならば、先にあの女を排除しておけば済むことでしょう」
「あの〜、ジルベルタ様が蚊帳の外に置かれてお気の毒なんですけどお?」
戸惑うジルベルタを気遣ってメイリンが会話に割り込んできた。サイフォンも同感と呟いた。
サイフォンは故郷の訛りが抜けないせいで会話は苦手だ。単語のみの片言か、無言のまま身振り手振りで通すことが多い。
「わたしたちも詳しいことは説明されてないし、きっちりはっきりきっぱりと教えてもらいたいのですけどお?」
メイリンの半眼に気圧されるようにして、ルフィーノたちは顔を見合わせた。トーヤの険しい顔に変わりはなかったが、マサムネが口を開くと観念したように目を閉じた。
「信じがたい話かもしれないが、これから話すことは全て真実だ。
私たちは一度大海蛇に敗れている。トドメを刺されそうになった瞬間に強烈な光を浴びて気づいたら、一年前の時間に戻っていた。
どうやら、私たちは時を遡ったらしい」
マサムネは至極真面目な顔をして語りだした。
マサムネたちの乗った小型艇は大海蛇の攻撃で大破した。海に投げだされた船員やマサムネたちには打つ手がなかった。大海蛇が口から魔力弾を放とうとした瞬間に海底からすごい光源が湧きあがって大海蛇やマサムネたちを包み込んだ。
彼らがはっと正気に戻ると、ルフィーノの山荘にいた。大海蛇退治前に訪れたことがあるが、一年ほど前だ。
慌ただしく情報交換したマサムネたちはあの光を浴びた人間だけが時を遡ったと判断した。退治に同行した船員にはルフィーノの配下もいて、その者にも退治の時の記憶があったのだ。
大海蛇が繰り出した大技で一瞬だけ海が割れた。その攻撃が海底の古代遺跡にぶつかったのを見た者がいた。どうやら、滅びの元となった時空装置が作動したようだ。そのせいで、一年前の身体に一年後の精神が宿ったらしい。
状況を把握すると、ルフィーノが焦りだした。山の王国で一角竜を討伐する前日だと思い出したのだ。
ルフィーノは大急ぎで冒険者ギルドに連絡をとり、知り合いの冒険者の兄妹に繋ぎをとってもらった。
冒険者は銀クラス以降になると、急な討伐依頼や重要な指名依頼に対応するためにギルドと連絡を取れる手段を得ている。
兄妹の冒険者、サイフォンとメイリンに何とか連絡が取れたのは討伐当日の朝で慌ただしい中だ。
アルフレード宛に『最後の攻撃に気をつけろ』と伝言を託したが、メイリンたちも急な配置転換になったジルベルタの安全最優先でうまく伝えられなかった。
そう、本来ならば、最後の攻撃を受けるのはアルフレードだった。サクラの光魔法も魔力が尽きてしまい、アルフレードは命を落とした。
アルフレードの葬儀にはルフィーノが出席し、青い火の鳥は城下で待機していた。一角竜の討伐時の様子やこれまでの魔獣退治の記録を調べて大海蛇退治の参考にするためだ。そこで、葬儀中に起こった騒動が耳に入った。
クラーラの非難は的外れなものだと万人が思っていたが、ジルベルタにとっては違った。未だに血を流す傷口をさらに抉られたようなものだった。
ジルベルタの光魔法は弱いもので軽い切り傷を治すくらいの力だ。ジルベルタにとって光魔法は祖母の勧めで封印しなかったくらいの認識だった。
それを重傷のアルフレードを見ていられなくて必死に使ったが、元々希望はなかったのだ。足掻いても奇跡は起こらず、力不足にどれほど絶望したことか。
ルフィーノがジルベルタを心配して慰めるのに青い火の鳥も加わった。ジルベルタに胸の内を吐き出させて宥めるついでに討伐時の様子を聞き取れると一石二鳥だった。
最初は打算絡みの同情でジルベルタと接していたが、交流するうちに紫蘭の孫娘という縁もあり、彼女とはずいぶんと親しくなっていった。
一月ほど経って帰国することになり、王城の庭園でジルベルタと別れの挨拶を交わした。その直後に、謹慎を解かれて国王夫妻に謝罪に来たクラーラがジルベルタを襲って--
「傷は心の臓にまで達していたの。光魔法を全力でかけたけど間に合わなくて・・・。
わたくしとトーヤが貴女を看取ったのよ」
アイリが涙目で語り、ルフィーノがそっとハンカチを差し出した。マサムネも沈痛な面差しで目を伏せている。
トーヤは目を閉じたままで、眉間にものすごいシワを刻んでいた。
ジルベルタは口元を震える手で押さえた。予想外どころではない情報を何とか呑み込んで処理するのに精一杯だ。
「その女って、異世界人の少女に護衛と侍女をつけてましたよねえ? ものすっごおく横柄で不遜で傲慢で不愉快な奴らで、絶対に後で闇討ちしてやるう♡って思ったんですけどお」
メイリンがすごいドスの効いた声をあげると、サイフォンが無表情で答えた。
「呪う」
「うん。お兄ちゃん、呪詛かけようねえ♡ もちろん、あの女にも」
「いや、落ちつけ。これは時を遡る前の話だ。今回はまだ何も起きていない」
「ヤツの腐った性根が変わるとは思えない。排除しておくに越したことはない」
マサムネの理性ある発言をトーヤが無愛想にぶったぎる。
「一気に排除まで行くかあ。まあ、それが一番安全策だが」
ルフィーノが思案げに頷いて、ジルベルタはぎょっとなった。
クラーラは自分を貶めたかもしれない相手だが、やってもいないこと(まだなだけで、絶対にやらかすとトーヤは断言したが)で私刑にかけるとかはマズい、というか、大問題になるのでは? と大焦りだ。
『皆様、落ちついてください。わたくしが彼女と関わることはありません。もうジルベルタではなくなるのですから』
「ああ、そうだわあ。ジルベルタ様の新しいお名前を決めておりませんでしたわねえ」
アイリが不愉快な話は終わりだとばかりにポンと手を打った。
「ジルベルタ様には花の名前が合うと思いますの。花咲くような可憐なお声でしたもの」
「はあい、清楚系なお花が似合うと思います♪」
メイリンがノってきて挙手した。
「・・・鈴の鳴るような軽やかな声だったぞ」
「じゃあ、鈴蘭はどうかしら?」
「却下、毒があるから相応しくない」
「まあ、どうして桐也が決定権を握るのかしら?」
「独占欲が強い男は嫌われるよお?」
「姉上たちのセンスは微妙だからだ」
「同感」
「お兄ちゃんまでひどくない? 乙女心がわからない朴念仁同士のくせに〜」
「ぐ、誰が朴念仁だ」
「妹よ、泣くぞ」
「あー、お前たち、ご本人そっちのけで何をしてるんだ。彼女の意見が一番だろう?」
ジルベルタはいきなり話を振られてびっくりした。全員の視線を浴びてオロオロとする。
『あの、わたくし、カンナギ国の言葉はわかりますが、十二家に相応しい名前か判断するのは難しいのですが』
「それなら、カリンはいかがかな? 花の鈴と書く。君に相応しいと思うよ」
マサムネが提案してきてジルベルタは頷いた。
「まあ、後から出てきていいとこ取りなんて、ずるいわ」
「・・・彼女がいいなら、構わない」
アイリは不満そうで、了承したトーヤも面白くない顔をしているが、マサムネだけがドヤ顔だ。
こうして、ジルベルタ・フェデーレはカリン・ミツフジとなった。
ようやく、ヒロインのお話〜と張り切りすぎて長くなりました。
カリンはジルベルタで、アルフレードを心配して様子を見にきました。恋心はなくなっても幼馴染の情はあるので、アルフレードに幸せになって欲しいのは本心からです。だから、ジルベルタだとは明かさない。未練を持つと幸せになれないと思うから。




