23話 依頼
少々立て付けの悪いドアがキィと音を立てた。
一瞬だけ、室内の全員の視線が新しく入ってきたローブ姿の人物に集まる。すぐに興味をなくしたようで、元通りダラダラと酒を飲み、カードゲームに興じ始めた。
ローブの人物がカウンターに向かうと、店主が顎をしゃくって奥を示した。顔を見せずともすでに常連と認知されている。それほど、足繁く通ったのかと思うと、いささか苦い気分になる。
カウンター奥は個室になっていて、一人の男がカード占いをしていた。男は顔をあげもせずに、ため息をつく。
「なんだ、またかよ。まだ、あの薬は手に入ってないぞ。つうか、飲み過ぎだってこの前言っただろう?」
「薬じゃないわよ」
「じゃあ、新情報が入ったのか」
男は期待するように顔をあげた。顔立ちは悪くないのに、無精髭のせいで粗野で野暮ったく見える。
ビビアナはフードを外して首を横に振った。
「いいえ、まだ警戒体制に変わりはないわ。あんたたち、さっさと国外へ脱出すればよかったのに」
「あ〜、それなあ。まさか、あんな底辺の男爵家如きに押し入ったからって、ここまで厳重になるとは思わなかったんだよ」
男は苦い顔をして安物の葉巻に火をつけようとした。ビビアナがイヤそうに顔を歪める。
「ちょっと、やめてよ。匂いがついたら、お屋敷に戻った時に叱責されるじゃない」
「はあっ、めんど〜。んじゃあ、何しにきたんだよ、ビビ」
ビビアナを親しげに呼ぶのは同じ孤児院で育ったカルロだ。
「仕事を依頼したいの。巫女姫様の口封じよ」
「え、口封じって・・・。巫女姫様って、まさか大神殿の?」
「そのまさかよ」
「うわあ、マジかよ・・・」
カルロはげんなりとしてテーブルに突っ伏した。ビビアナは面倒くさげなカルロを睨みつけた。
「男爵家の皆殺しより楽な仕事でしょう。相手はたった一人よ」
「たった一人でも、大神殿の警備が問題なんだろーが」
愚痴るカルロはこの間、ある男爵家へ押し入った。
現在、大陸中で高騰中のお宝、東方諸島産の装飾品がこの国に大量にあると情報を得たからだ。しかも所有者は男爵家を始めに子爵家と伯爵家。いずれも、名家とは言えない。警備体制だってザルのような名ばかりの貴族だ。
手始めに男爵家へ押し入り、全員皆殺しにしてしばらくは男爵家を乗っ取る予定だった。子爵家と伯爵家とは縁つづきなので、訪問の約束を取り付けて乗り込んでしまえば後は本業に専念できる。
主人からの使いと偽って訪問し、具合の悪いフリで使用人部屋ででも休ませてもらう。夜中に仲間を家内に引き込めばもう目的は達成だった。お目当てのお宝はもちろんのこと、その他の金目の物もいただいて目撃者は始末し、国外へとんずらする計画だった。
それが最初の男爵家で躓き、あっという間に指名手配された。見張り役の下っ端だけが捕まったが、顔割れした面々は変装してスラム街に近いこの酒場で潜伏していた。
カルロが髭を伸ばしているのも変装のためで、警備体制が緩んだ頃合いを見計らって国外脱出するつもりだ。偽の身分証明書や旅券だって準備中だった。
カルロは顔をあげると頬杖をついてビビアナを見上げてきた。
「なあ、またあのおじょーサマのワガママ? 巫女姫を始末って、何やらかしたんだ」
「始末とは言ってないわ。口封じよ」
「おんなじだろ。侯爵家の御威光が通じないからこその口封じなんだろ? 脅しや賄賂も通じないってことだ。始末するしかないじゃん」
カルロは気怠げにため息をついた。
ビビアナもカルロも親の顔は知らない。二人とも赤ん坊の時に孤児院前に捨てられて兄妹のように育った。妹分のビビアナの頼みなら、多少無理があろうと叶えてやりたいが相手が悪すぎた。
「いくらなんでも大神殿に忍び込むのは無理だ、諦めろ」
「それはわかっているわよ。そこまで無茶な依頼はしないわ。
明日は王立学園の卒業式で、夕方からの卒業記念パーティーまでに巫女姫と会う機会があるのよ。そこを狙って、暗殺未遂のフリをして欲しいの」
「暗殺未遂のフリ? どういうことだ」
カルロはわけがわからないとしかめ面だ。ビビアナはふっと昏い笑みを浮かべた。
「ドナート家を地獄に叩き落とすためよ。ようやく、先生たちの仇がとれるわ」
カルロたちがいた孤児院は先代領主が税金逃れで乱立したうちの一つだ。領主指導で孤児院を建てて援助金を支払うと国から税金が免除される。先代は多数の孤児院を建てては援助金を誤魔化して払わず、中途半端に放置していた。
孤児院を任された修道士や修道女は王都で何か失敗して修道院に入ったが、神に祈りを捧げて懺悔するよりも困っている人を助ける道を選んだ人たちだった。貧民街の孤児院では治療院の役割も手掛けていて、地域になくてはならない施設になっていた。
それを代替りした新領主は国の査察が入る前に証拠隠滅で潰した。ちょうど、貧民街の孤児院は孤児を売買していたから大義名分があった。
修道士たちは先生と呼ばれて孤児や地域住民に慕われていたが、全員鞭打ちの上、無一文で領外追放となった。
だが、孤児たちは全員納得して売られていた。
先生たちは領主からの援助がなくて経営難の中、苦渋の末の決断だった。孤児院が立ち行かなくなれば、行き場のない孤児が浮浪児になるだけでなく、貧民街の死者だって一気に増える。
先生たちは孤児にできるだけの教育を施してくれて、売られてもできるだけ高待遇になるように計らってくれた。
それまでは貧民街の孤児なんて、行き着く先は労働階級最下層で実入りも少なく死傷率も高い仕事に就くしかなかった。貧民街の孤児を引き取ろうなんて物好きな篤志家などいない。養子先を頼る選択肢は端からなかった。
売られた孤児たちは生存率が高く、中堅どころ以上の仕事につけて人並みの生活を送れる者だっていた。そうした出世人が寄付してくれて、孤児の売買をしなくて済むようになってきたところだったのに。
その後、貧民街がどうなったのかは領地から離れたカルロにはわからない。ただ、噂で治安が悪化して死者も増え、以前よりも酷い場所になったと聞いている。
貧民街であの孤児院は唯一の救いの場だったのだ。
それを知ることもなく、取り潰してなかったことにした領主ーードナート侯爵は貧民街の住人や元孤児院関係者にものすごく恨まれていた。
孤児院が取り潰されてビビアナは侯爵家に引き取られ、カルロは別の孤児院に移動になったが、そこでの待遇がひどくて逃げだしていた。カルロは行き倒れたところを拾ってくれた恩人が裏社会の人間で、そのまま恩人の後を継ぐように生きていくことになった。
カルロは闇マーケットに薬を求めてきたビビアナを見つけて驚いた。
闇マーケットに流れてくるような薬は違法な物が多い。安価だが、安全性が低く効果も乏しいのだ。それでも、使用しなければならないほど追い詰められているなんて。
十年ぶりくらいに会う妹分は顔色が悪く、危険な薬の常用者になっていた。しかも、侯爵家の侍女の給金は一般庶民よりも高額なはずなのに、薬代で借金まであった。
ビビアナは希少な闇魔法を使えるが、魔力量は少なく、扱える術は微々たるものだ。クラーラのワガママに振り回されて、望みを叶えるためには魔力が足りなかった。
そのため、一時的に魔力量が上がる薬を服用していた。かなり高価な薬で使用回数が増えるほど身体に負担がかかる代物だ。緊急非常事態にのみ使用されるような薬だった。
その薬をビビアナは常用せざるを得なかった。すでに表社会で手に入れるのは困難になるほど使用しており、裏社会で流用されている薬を探しにきて、カルロと再会した。
カルロはビビアナから有益な情報を得る代わりに薬を手に入れる取引をした。しかし、これ以上の薬の濫用は彼女の身体が持たない。
薬がなかなか手に入らないから、もう闇魔法の行使は無理だと、お嬢様付きから外れるようにビビアナを説得していたところだ。
カルロはガシガシと頭を掻いた。
「ビビ、先生たちの仇をとりたい気持ちはわかるが、主家が没落したらどうするんだ。お前、路頭に迷うぞ」
「構わないわ。どうせ、借金があるのだもの。今と大して変わりはないわよ」
ビビアナは苦い顔で肩をすくめた。もう少し魔力量が多かったら、神殿で神官になれたかもしれないが、ない物ねだりしても仕方がない。
「それより仇をとるのに協力してくれるの、しないの?」
「もちろん、するさ。先生たちのことはオレだってハラワタが煮えくり返ってる」
カルロが貴族家相手でも皆殺しを画策するほど苛烈なのはドナート侯爵への恨み、ひいては貴族への怨嗟があるからだ。
「だが、協力するのはオレだけだ。手下たちにはメリットがないと指図できないからな」
「あら、それなら大丈夫よ。手下たちを満足させられる実入りもあるから」
ビビアナは凄みのある笑みを浮かべて、計画を説明し始めた。




