19話 願い
アルフレードとルフィーノはフランカお手製のクッキーとハーブティーの詰め合わせをもらって退出した。
アルフレードが考え込んでいると、ぽんぽんと肩を叩かれてはっとする。
「あまり、思い詰めるのはよくないぞ。
フェデーレ嬢は君に嫌われたくないから黙っていたのだろう。彼女の気持ちを尊重して気にしないほうがいい」
アルフレードはルフィーノの気遣いに気まずい顔になった。
「いえ、そのう、ジルのことではなくて・・・。
ミツフジ嬢がジルと同い年と聞いて少し気になったのです。彼女は婚約解消されて故国を出て冒険者になったと言っていたので、カンナギ国では冒険者ならば未成年でも国外へ移住が認められているのか、と。
私は恥ずかしながら、あまり東方諸島の文化や慣習には詳しくないのですが」
「へえ、カリンが君に話したのかい?」
ルフィーノが意外そうに目を丸くする。アルフレードが頷くと、彼はぽりぽりと頬を掻いた。
「あー、いくらカンナギでも、さすがに未成年のうちは国外に出られないよ。カリンはマサムネの身内だから、叔父を頼って許可されたのさ」
世界各国の共通認識で未成年者が他国へ移動や移住するのには保護者か後見人の許可がいる。子供が人身売買の被害に遭わないための措置で、冒険者家業の盛んなカンナギ国でも同様だった。
15歳以上から冒険者登録ができるようになるが、他国へ渡って活躍するのは成人以降だ。
アイリが正妃候補に内定したのは15歳だが、冒険者となったのはその二年後だ。トーヤが当主の父から姉の補佐を命じられていたから、弟と一緒に活動するために彼が15歳になるまで待ったのだ。
正妃候補の家では跡取り以外の兄弟が付き添って正妃レースに参戦するのは認められている。
「そして、正妃候補と付き添いの兄弟にはお守りとして、御神木から作られた懐剣が贈られる。御神木には不死鳥と同じ性質があるからね、候補者たちの安全のためなんだ」
「そうなのですか」
不死鳥と同じ性質とは、浄化作用に再生能力だ。
御神木の懐剣を身につけていると、魔獣の瘴気に侵されることはないし、怪我を負ってもすぐに癒しの術がかかる。正妃レースで死者をださないための用心だ。
その懐剣をトーヤはわざわざ笛に作り直してカリンに贈り、彼女の声代わりにしたのだ。
「トーヤの本気度がよくわかるだろう?
あいつは無愛想で口下手で女性受けする男ではないのだが、無骨なりにカリンを気遣っている。カリンも不器用だけど優しい人だと受け入れてくれた。
ラウロには可哀想だが、端から勝負にはなっていないのだよ」
ルフィーノが苦笑紛れの憐れみを顔に浮かべている。アルフレードはつい非難する目になった。
「そうとわかっていて甥をけしかけるとは、いささかお人が悪いのでは?」
「ラウロには早々に諦めてもらわないと、次のお相手を探すのに支障がでるからねえ。何しろ、あいつは公爵家の跡取りなのだから、政略も視野に入れてもらわないと困る」
「そうかもしれませんが・・・」
アルフレードは簡単には同意できなかった。
婚約者を見つけねばならないのはアルフレードも同じだ。釣り合う身分と年齢で想いを寄せている相手がいるならば、婚約者に望みたい気持ちはよくわかる。だが、彼女にはすでにお相手がいた。諦めさせるためとはいえ、ずいぶんと荒療治だ。
「ラウロが友人として贈った横笛をカリンは気に入ってくれたから、わずかでも期待を抱いてしまっているんだよ」
カリンが鎮魂歌を奏でたときに使用した横笛がラウロからの贈り物だった。美しく深みのある音色で、見た目も一流の職人の手による物だとわかる高級品だ。
トーヤから贈られた木笛は素朴で質素な物だったが、彼を慕っているカリンが他の異性からアプローチされての贈り物を喜ぶとは考えられない。
「えーと、それは本当に友人と思っているからでは?」
「うん、私もそう思う。音楽を嗜むカリンには最適の贈り物だったが、どんな高級品を用意しようともトーヤの二番煎じでは特別感がないしねえ。まあ、今日のアプローチで成果がでなければ諦める約束でこの国に呼んだから、あいつも覚悟はできているさ」
「そうだったのですか」
頷いたアルフレードは木笛の素朴な音色を思い出して、かすかに顔を強張らせた。
鎮魂祭を行う地方都市に向かう船上で聞いた音色と似ていた気がする。
「ルフィーノ様、海の王国で定番の子守唄にはどのような曲がありますか?」
「子守唄かい? そうだなあ、『愛し子よ』や『お眠り、お眠りよ』とか、かなあ」
「それは『お休みなさい、愛おしき我が子よ』という歌詞ですか?」
アルフレードがメロディを口ずさむと、ルフィーノが首を傾げた。
「ああ、その曲は『愛し子よ』のほうだな。でも、少しメロディが違う」
「・・・そうなのですか」
「どうしたんだい? 何かあったのかな」
「その、ルフィーノ様。申し訳ないのですが、先に戻ってもらえますか?
神殿長にこの前もらったブレンドティーをもう少し分けてもらいたいと伝えるのを忘れていて。
すぐに戻りますので」
「ああ、わかった。先に大広間に行っているよ」
ルフィーノが頷くと、アルフレードがすぐに踵を返した。その後ろ姿を見送って、ルフィーノが苦い顔でぼやく。
「ヤボな男だと言っただろ?
世の中には秘密にしたままのほうがいいこともあるんだぞ」
フランカは戻ってきたアルフレードに首を傾げた。先ほど、ルフィーノと一緒に退出したばかりだ。
「まあ、殿下。どうなさいました? 何か忘れ物でもしましたか?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあって。そのう、神殿長はミツフジ嬢と話を、というか、筆談を交わしたことはあるか?」
「ええ、ご挨拶の時に。シラン様の遺品の件で骨折りしたことのお礼も言われた、いえ、書いてもらった、が正しいかしら」
フランカはふふっと微笑んだ。シランの遺品回収にはフランカも協力していた。
『一家皆殺しも辞さない強盗団に狙われるなんて、なんて恐ろしいのでしょう!』と大袈裟に怖がって見せたことで、アイリの情報に信憑性を持たせたのだ。
「ミツフジ嬢は筆跡もジルに似ていて驚いてしまったわ。でも、シラン様もお姉様とは字も似ていたと言うし、不思議ねえ。
そうそう、彼女にジルが好きだったお茶をお勧めしたら気に入ってくださったのよ。今日のお礼はそのお茶にしたの」
「・・・神殿長も似ていると思ったのか」
アルフレードは逡巡しながらも、意を決したかのように口を開いた。
「彼女は二年前に婚約解消している。その後、大怪我を負ったというのだが・・・」
「ええ、わたくしもそうお聞きしましたわ。その時の後遺症で声を失われたとか。お気の毒なことです」
「奇妙なことにジルと一致すると思わないか?
私がジルと婚約解消したのは二年前の討伐直前だ。そして、ジルは討伐で私を庇って重傷を負った。
ミツフジ嬢はジルと容姿もそっくりな上に年も同じ19歳。しかも、同様の経験をしているとか、あまりにも出来過ぎだと思うのだが」
「・・・偶然だと思いますわ。絶対にあり得ないなんて言えませんでしょう?」
「しかし、彼女はこちらの言葉にも慣習や文化にも随分と馴染んでいる。彼女との筆談では略字が使われることもあった。まるで元々こちらの住人のように慣れていた」
フランカは真剣な顔のアルフレードに困ったように首を傾げた。
「まあ、殿下。一体、何を仰りたいのでしょう?」
「もしかしたら・・・、と思うのだ」
フランカは一瞬だけ大きく目を見開いてから、労わるような眼差しになった。侍女に合図して人払いする。
神殿長としてではなく、私人のフランおばあちゃまとして接するつもりだ。
「・・・アル、貴方がミツフジ嬢にジルの面影を重ねる気持ちはよくわかるわ。わたくしもだもの。でもね、混同してはいけないわ。
大体、ジルと彼女の筆跡が似ていると言っても、瓜二つではないわ。ジルのほうがもっと綺麗ではっきりとした文字だったわ。ミツフジ嬢は崩れた字体でしょう?
略字だって、筆談だから必然的に習得したのでしょう。そもそも、ジルが略字を用いることはなかったわよ?」
「急いで筆記しているから、字体が崩れたのではないか? 略字もジルには必要なかったが、筆談の彼女には用いる理由がある。
それに、彼女とジルを結びつけるものはまだ他にもあるんだ。
彼女の笛の音がジルの演奏と似ている気がして・・・」
アルフレードは鎮魂祭の行きに聞いた子守唄の話をした。
同乗したフルート奏者に尋ねたが、彼女たちではなかった。素朴な音色はカリンが声代わりにしている木笛の音と似ていた。もし、カリンが奏でたならば、どこで子守唄を知ったのか、疑問が残る。
子守唄は山の王国で一般的なものだった。先ほどルフィーノが教えてくれた海の王国の子守唄は少々アレンジされていた。海の王国で冒険者活動しているカリンが演奏するならば海の王国バージョンのはずだ。
「奉納祭の前後は街中が賑わっていたもの。彼女がどこかで耳にしたのかもしれないし、彼女の笛だと決まったわけではないでしょう? 早計すぎるわよ。
ねえ、アル。ミツフジ嬢がジルだと言うなら、どうして身元を偽っているの?
本当にそうなら、ルフィーノ様やナナミネご姉弟も加担していることになるのよ。冷静に考えれば、おかしいことではなくて?」
「そ、れは、何か事情があるのかもしれない」
「事情があるにしても、ジルの実家にも何も知らせないのは変だわ。
夫人とジルの折り合いが悪くても、公爵や弟君とは仲がよかったのよ? 彼らを悲しませてまで、ジルに別人のフリをする理由があるのかしら?」
冷静なフランカの指摘にアルフレードは唇を強く噛み締めた。
ジルベルタの遺体は回収できなかった。
一角竜を追い詰めた場所は涸れ谷で戦闘の余波で激しく崩落していた。ジェレミアの弾き飛ばされた神剣が岩肌に深く突き刺さっていて回収できたのは聖剣だけだ。探索魔法で地中深くに一角竜の遺骸らしきモノが確認できたが、それ以外には何も見つからなかった。アルフレードの剣やイレネオの杖、ダリオの盾に肩当てなど戦闘中に破損して手放した武器や防具もだ。
ジルベルタの葬儀は遺体の損傷が酷いと理由をつけて棺の蓋を閉めた状態で行われた。遺体回収ができなかったことは公にはしていない。墓荒らしのように戦闘跡を発掘しようなどと不心得者が現れないための用心だ。
だからこそ、もしかしたら・・・と万が一の奇跡を願ってしまう。
フランカは悲しそうにアルフレードを見つめた。
「貴方の気持ちはよくわかるわ。でもね、冷静になってちょうだい。
ジルは重傷を負った後に魔力攻撃を仕掛けたのでしょう? どれほど、体力を消耗したことか。
もし、運よく崩落から逃れたにしても、瀕死状態でとても助かったとは思えない。
ミツフジ嬢があまりにもそっくりだから、わたくしもつい夢を見てしまったわ。でもね、ミツフジ嬢はジルとは別人なのよ。ジルの面影を重ねるだなんて、失礼な話だったわ。
それに彼女にはナナミネ様という素敵な婚約者もおられるのだし、ここだけの話にするわ。
貴方はこの国の第一王子でもうすぐ王太子となるのよ?
婚約者のいる相手に横恋慕なんてしてはいけません」
「横恋慕などではない! ただ、彼女がジルだったら、私には伝えなければならない言葉があるんだ・・・」
アルフレードは諭すように告げたフランカに大きな声をあげた。それでも、フランカの眼差しには深い慈愛が込められている。彼は顔を泣きだしそうに歪めてうなだれた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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アイリ17歳、トーヤ15歳で冒険者登録。三年間は国内で冒険者活動を行い、トーヤが成人年齢に達したのと同時に海の王国へ渡りました。その時点で彼らは銀クラス。正妃に興味がなかったので、のらりくらりと昇格しない程度に活動してました。




