16話 恋路
アイリはご機嫌でフェデーレ家から運んだ額縁の絵を眺めていた。
シオンが持つ物と続き絵らしい墨絵を発見したのだ。エドアルドがすぐに遺品として渡してくれた。これで、装飾品の回収が進まなくても、シオンへの面目が立つ。
顔合わせが済んだルフィーノたちが様子を見に来ると、カリンが持参した故郷の茶器で緑茶を淹れてくれることになった。
フェデーレ家での顛末を聞いたルフィーノは湯呑み片手に呆れ顔だ。
「聞きしに勝るというヤツだな。公爵夫人は高位貴族の奥方には向いてないんじゃないか?
ホントのほんと〜うに、必要最低限の社交しか任されていないのだし、もう領地へ幽閉でいいだろう。なんだって、公爵は野放しにしておくんだ?」
「それはそれで厄介だと思うわよ。領地で幽閉されても夫人が大人しくしているかしら?
却って、フェデーレ家の親類を名乗る輩が押しかけて好き勝手やらかしそうではない?
それに、エドアルド様はまだ未成年で、ご当主はまだまだ領地から離れられないらしいし。問題ありな夫人でもご子息の矢面に立たせるくらいの役に立つのではないかしら?」
アイリが小首を傾げて、夫人を盾代わりだと非情な発言をする。
フェデーレ家は嫡子一人きりが続いていて分家はない。現在、フェデーレ家の親類と名乗っているのは公爵夫人の縁者で、フェデーレ家の血筋ではなかった。彼らにはフェデーレ家の恩恵に関わる権利は一切ない。
「厚顔無恥なヤツらばかりだった。あんなのが領地へ押しかけたら、領民が気の毒だろう」
トーヤがいつもの無愛想に輪をかけて不機嫌そうに告げた。
歓迎会で話しかけてきたフェデーレ家の親類はカリンを値踏みするような目つきで眺めてきたから、彼が全員追い払っていた。それも、挨拶に毒をまぶしたかのような侮蔑を感じさせるものがあって、後で全員闇討ちしてやると心密かに決意したものだが。
トーヤはジロリと姉を睨んだ。
「それよりも姉上、どういうつもりだ?
国王が第一王子の婚約者候補の打診をしたのだぞ? それなのに、第一王子と花鈴を二人きりにするなんて」
「あら、ルフィーノ様がきちんと断ってくださったじゃないの。それに、侍女や護衛の方もいらしたから、二人きりではないわよ?
桐也、あまりにも嫉妬深い男は嫌われてよ?」
トーヤははあっと深いため息をついて銀の前髪をかきあげた。
「心配するのは当然だろう。どこの世界に自分の許嫁が他家の嫁候補に見られて不快にならない男がいる?」
「まあまあ、落ちついて。陛下は君たちの仲をご存知なかったのだから、仕方ないよ。
あの後、王妃様がしっかりとお灸を据えてくださったから大丈夫。もう、何も問題はないよ」
ルフィーノが二人の間に割って入り、姉弟ゲンカをストップさせる。
「アルフレードにはいい刺激になったと思うよ。フェデーレ嬢への想いを断つのに、カリンから言祝がれるというのは。
カリンに未練を持たれるのは困るだろう?
今のカリンはミツフジ家の姫君だ。もし、正式に王太子妃にと請われたら国際問題が絡んで面倒なことになるところだった。何しろ、シオン様の賛同が得られるならば、彼女がカリン・ミツフジとして生きるのに憂いは何もないのだから。
だがまあ、これでようやく君たちの婚約も話を進められるな。
おめでとう、トーヤ。君の想いが叶って私も感無量だよ」
トーヤはむすっとしつつも、ルフィーノの祝福に頷く。アイリが呆れた顔を向けた。
「まあ、桐也ってば、本当に無愛想なのだから。花鈴に愛想をつかされても知らないわよ?
ねえ、花鈴もこんな弟で本当にいいのかしら? わたくしは貴女が義妹になってくれるのは嬉しいけれど、貴女はラウロ様からもアプローチされていたでしょう?」
「姉上! いい加減にしてくれっ!」
かっとなって姉を怒鳴りつけたトーヤの服の裾がツンツンとひっぱられた。カリンが困った顔をしてトーヤの腕をひいた。彼の手をとると、手のひらに指で文字を綴っていく。
『トーヤ、落ちついて。わたくしがアイリに殿下とお話しする機会を得たいと言ったのよ。だって、わたくしが殿下と接するのを貴方が阻止しまくっていたから。
わたくしは自分の目で直接殿下の様子を確かめておきたかったの』
「え、そ、それは・・・」
『もし、殿下が罪悪感を抱いていたら、申し訳ないもの。彼が自分を責めていたら、わたくしは貴方と幸せになるのが後ろめたくなるわ。
心配させてごめんなさい。もしかして、わたくし、貴方が不安になるような真似をしてしまった?』
トーヤが紫紺の瞳を微かに見開いて顔をしかめた。
「いや、君の気持ちを疑っているわけではない。ただ・・・、すまない。狭量な男で。
私が勝手に不愉快になっているだけだ」
『自惚れでなければ、もしかしてやきもちかしら? 貴方の想いを向けてもらって、わたくしは嬉しいけれど』
「え、あ、そ、そうか・・・」
トーヤは無表情のまま狼狽えて、片手で顔を覆ってしまった。銀の髪からわずかにのぞく耳が赤くなっている。
アイリがジト目で弟と義妹(予定)を見やった。カリンの言葉はトーヤ以外には通じていないが、彼の様子からなんとなく察せられる。
「ああ、もう会話の内容がラブラブだと予想できてしまうわねえ。相思相愛のくせに、なんだってこんなに自信がないのかしら?
花鈴が選んだのは貴方よ、桐也。もっと堂々と余裕かましてなさいな」
「アイリは手厳しいねえ。もし、私がトーヤの立場だったらと思うと、何も身構えないでいるのは難しいと思うよ」
「まあ、いずれの花もより取りみどり選び放題の王弟殿下のお言葉とは思えませんわねえ? 色恋沙汰で殿下でも弱気になることがありますの?」
アイリがころころと笑うと、ルフィーノが彼女の銀の髪を一房手にとって、そっと口付けた。
「ひどいなあ、アイリ。私の求婚はなかったことにされているのかい?
君が私に落ちてくれるのを待ちわびているのに」
水色の瞳が熱を帯びて見つめてくるが、アイリは苦笑して髪を取り戻した。
「殿下の華やかな恋愛遍歴は政宗様からよく伺っておりましたわよ?
わたくしがお相手ではご不満に思われるのではないかしら?」
「まさか、そんなことはない。君が正妃候補から外れてから、遠慮なく想いを告げてきたのになあ。そんなふうに思っていたのかい?」
ルフィーノはしょぼくれた。
青い火の鳥は五年前にナナミネ姉弟の渡航に伴い、結成された。リーダーは十二家の一つ、四条家の政宗だ。ルフィーノの冒険者の師匠で友人でもある。
マサムネは長年ソロ活動をしていたが、金剛クラスに上がってからは後進を導き鍛える指導者となった。ナナミネ家の依頼で姉弟の護衛を兼ねた指導役だったが、大海蛇退治で航路が再開されると、初孫の顔を拝みに一時帰国していた。
マサムネは帝王の正妃候補の一人であったアイリの後見人でもある。
二年前に正妃が正式に決まり、マサムネから「愛里が頷けば、嫁にくれてやる」と口説く許可をもらった。
アイリの好みは年上の包容力のある男性で一回りくらい離れているのが望ましく、ついでに程よい財力と自分よりも強い相手、つまり冒険者クラス上位者がいいのだ。
ルフィーノはアイリとは5歳差で概ね理想通りなのだが、面倒事の予感が大きく、返事は保留にされていた。
ナナミネ家は前妻の子供の長兄が跡継ぎで、アイリとトーヤは後妻の子供だった。彼らの母は海の王国の伯爵令嬢だ。
前妻は十二家筆頭の一ノ瀬家の出で後継者争いは熾烈だった。
暗殺未遂騒ぎが起こったこともあり、アイリたちは後継者候補を辞退して除籍を狙っていた。母の故郷で冒険者になるつもりだったのに、アイリが帝王の正妃候補になって予定が狂ってしまった。
適度に手を抜いた冒険者家業でようやく候補から外れたが、ルフィーノの申し込みにアイリは頷くわけにはいかなかった。
ルフィーノの母も十二家の出だ。
九堂家の姫君でアイリと同じく正妃候補だった。最有力候補だったが、冒険者の活動中に大怪我を負い、片手が不自由になる後遺症がでて正妃レースから脱落した。彼女は療養中に海の王国の王妃と知り合った。
王妃も療養で保養地を訪れたのだが、王妃は不治の病で完治の見込みはなかった。王妃は亡き後のことを憂いていたが、九堂家の姫君ならば自分の後を任せられると国王との再婚をガンガンに押した。断りきれなくて九堂家の姫君は国王へ嫁ぐことになった。王妃の死後三年目のことで、外堀埋めまくった王妃の子飼いの臣下からも猛烈に押しに押されてのことだった。
九堂家の血筋のルフィーノとの婚姻は長兄に脅威に思われるかもしれないから、アイリには乗り気ではなかった。しばらくは様子見して、と思っていたら、トーヤがカリンを望んで、三ツ藤家との縁が必要になった。このまま、実家が黙っているとは思えなかった。
「三ツ藤家には花鈴の身元保証だけしてもらえればよかったのだけど。あちらは素直にそれを信じてくれるかしら?」
アイリが頬に手を添えておっとりと首を傾げると、ルフィーノが自信満々に微笑んだ。
「だからこそ、私との縁組はちょうどいいだろう。私が後ろ盾になるのだから、イチノセ家もナナミネ家もそうあからさまに手出しはできないだろう?」
「わたくしたちの代は大丈夫かもしれませんが、次代を考えますと・・・」
アイリが不安げに言葉を濁した。
アイリもトーヤも十二家内の権力闘争に巻き込まれるのはゴメンだが、全属性持ちで完全制御可能な彼らの子供が実家から狙われる可能性大なのだ。
ルフィーノがふっと口角をあげて悪い笑みを浮かべた。
「トーヤもアイリも婚姻と同時に我が国の国籍を得てしまえばいいのさ。金剛クラスが永久滞在するとなれば大歓迎されるよ。
君たちの功績から爵位授与も当然だし。母君の実家と同じ伯爵位くらいになるだろう。
祝典を行なって公式にお披露目すれば、周辺諸国にも認知される。我が国の英雄を狙うとか阿呆の所業になるだろうさ」
その言葉にカリンが片手をあげて自分の顔を指差した。彼女の自己アピールにルフィーノが心得たと頷く。
「カリンはまだ金クラスだが、光と闇魔法はこちらの大陸では希少で東方諸島よりも厚遇されているのは承知しているだろう?
何も心配ないよ。まあ、君がいなければ、トーヤが居着かないからねえ」
苦笑するルフィーノにカリンがこくんと頷いた。二年前に冒険者を始めた彼女は大海蛇退治で昇格してもまだ金クラスだ。
アイリとトーヤはルフィーノの提案に眉根を寄せて考え込んでいた。
故国では近年他国との縁組が重要視されるようになってきている。他国籍を得ても、二世三世に政略結婚の声がかかることがあった。
カンナギ国では十二家と帝王でバランスをとった政略結婚を代々続けてきたが、さすがに建国から千年も経つと十二家だけで血統を保つのは難しくなってきた。出生率が下がり、ようやく授かった御子も虚弱で夭逝率が高くなり、方針転換を余儀なくされた。他国の優秀な王族の血統を取り入れることで血筋を強化することにしたのだ。
目論見は当たり、出生率と生存率があがったものの、長年排他的な婚姻を続けてきた十二家で他国の血を引く容姿は忌避された。
アイリの銀髪は老婆の白髪のようで気持ち悪いと他家の子息に面と向かって言われたこともある。
それでも、全属性持ちで完全制御可能だし、十二家内の政治駆け引きとか面倒くさい裏があって数合わせで候補に選ばれた、らしい。
最初から、アイリにはまったくやる気のない正妃レースだったし、有力候補でもない。父は体裁を整えるためなのか、友人に掛け合ってベテランのマサムネを師匠につけてくれた。トーヤには姉を補佐するように命じて家から放逐した。
アイリが候補から外れた後は姉弟とも冒険者として生きていくように言われたから、父も数合わせの娘に期待はしていなかったようだ。
実家はともかく、父とは完全に絶縁したわけではない。このまま、疎遠になって自然消滅を狙っていたのだが、弟の恋路で父の思惑がどう転ぶか読めなくなってきた。
これで、弟に続いてアイリまで他国の王族の血筋と縁づいたら、当主の父が姉弟を簡単に諦めるはずがない。実家に利益のある婚姻だと姉弟に何かしらの接触がありそうだ。
アイリは弟の気難しい顔をちらっと横目で見やった。
アイリはルフィーノに好意を抱いているが、それよりも実家との確執や十二家内の権力闘争など面倒事を忌避する気持ちのほうが強い。一方、弟はそんな危機感を承知の上でカリンを望んでいる。
弟の気持ちの重さを思うと、アイリは身を引きたいところだった。
カリンがトーヤを心配そうに見つめていると、ルフィーノが急須を手にとった。自らお茶のお代わりを注ぎながら、何気なく爆弾発言だ。
「なあに、そう心配することはないよ。過干渉する相手さえいなくなれば、何も問題はないだろう?」
「・・・殿下、それは・・・」
トーヤが恐る恐る声をかけた。カリンは息を呑んで目をぱちくりとさせている。
「いやあ、人間なんて、いつどこで何が起こるかわからないからねえ。
病気や事故に事件、火事や水難などの自然災害もある。そんな不遇な目に絶対に自分だけは遭わないなんて、誰にも言えないのだから」
ルフィーノはのほほんとお茶飲みしてにこにこ笑顔だ。なぜか、その笑みに黒いオーラを感じて、金剛クラスと金クラスの冒険者たちは身震いした。
さすがは海の王国の王弟殿下だった。
アイリは『ああ、これ、もしかして逃げられないかも?』と、どこか遠くを見る目で現実逃避することにした。




