ノンレム
召使いの横を通り過ぎて、カンナの姿を発見しても、脳裏に不気味な笑みが焼きついて離れない。
嫌な予感がする。初めから召使いの罠にかかってしまったような、そんな気がしてならない。
「おい、カンナ、大丈夫か?」
カンナを抱え、頬を軽く叩きながら声をかける。
「大丈夫、だけど、召使い、は?」
よかった、意識はある。
「水面に向かって行ったよ。あいつ、あんな姿になっても笑って泳いでやがったぜ」
「笑って?」
「そう、片方の口角だけあげて、気味が悪かったわ」
嫌な予感がするものの、それがなんなのか推測することは難しい。それがわかっていたら、こんな予感はしないはずだからだ。
気のせいだと思いながら、俺はカンナを抱えて水面を目指す。
「あいつに戦う意思がないのなら、学校の世界も脅威だと認識しないはずだから、校門は開いてるかもな」
おかしくはなったものの、召使いは命を落としていない。当初の目的である生きたままの捕獲と、学校の世界からの脱出はもうすぐ遂行できそうだ。
「それで、召使いはどこ?」
水面まで上がって来たものの、召使いの姿を見ることはなかった。
垂直に潜り、同じ場所を泳いできたのだから、すれ違ってもおかしくないのに、どこにも召使いはいない。
「地上に出ちゃったかも」
そうなったら、トウカやコトリたちがなんとかしてくれるだろうし、今の召使いならそこまで対処に困らないはずだ。
「でも、おかしいね」
カンナがそう呟いて気づいた。
水面にいたはずの生徒たちが、いなくなっている。それに、水中から地上の光景を見ることができていたのに、今はそれができない状況にある。
背筋に寒気がゾッと走る。
「緊急事態みたいだ」
水面だと思って、地上に出ようとしたところ、右手が触れたのはコンクリートだった。
「ど、どうするんだ……」
学校の世界は、脅威が消え去ったことにより、抵抗するのをやめたのだ。
結果として、校門は開いているだろう。しかし、それと同時にコンクリートの海は、地上から干渉できなくなっている。
そして、俺たちは出ることのできない海中に、閉ざされてしまったのだ。
「焦らずに考えよう」
「焦らずにいられるかよっ!!」
調子を取り戻したカンナは焦りを体で表現するように、そこら中を泳いで回っている。
「まぁまぁ。学校の世界は脅威が訪れれば抵抗を開始するんだし。それまで待つしかないんじゃないのか?」
「そんなの、召使いの思うツボだっ!!!」
カンナの言う通りなんだが、俺は学校の世界について詳しく知らない。それ以外でここから出られる方法があるのなら聞きたいところなんだけどな。
「外に出られる方法って他にないのか?」
「……あったら、こんなに焦ってないだろ」
確かに。
──ドクン、ドクン
まただ。
さっき感じた胸の痛みにさらに重さが加わり、深くまで抉り取られるように痛めつけてくる。
「……?どうかしたか?」
表情に出てしまっていたらしく、カンナから心配の声が飛んでくる。
「いや、何にもないけど」
今の痛みが来てから、心臓の周りがくすぐったいように感じる。虫が這いずり回っているような感覚に襲われている。
とても気持ちが悪い。じっとしていられない。
胸の辺りをとにかく掻きまくる。掻いて掻いて、それでも気持ち悪さがいなくなることはなかった。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫だって!!!」
気持ち悪さが転じてイライラしてきた。カンナの心配に怒号で答えてしまって後悔しているが、今の俺はそれどころではない。
この状況をなんとかするために考えるための頭も働かない。
段々と呼吸もしづらくなってきたし、体温が上がっていくのを感じる。
──風邪?
症状としては風邪に近い。心臓辺りに感じる感触以外は、風邪以外の何ものでもない。
水温の低い海中に身を置きすぎたために発症したのかもしれない。でも、それじゃこの胸の痛みはなんなのだろうか。
「ごめん、カンナ、ちょっと寝かせて」
言った後で何を言い出すんだと自分でも思ってしまったけど、それほどまでに俺の体は限界を感じていた。
今すぐ眠りたい。目を瞑りたい。布団の中に入りたい。夢を見たい。
俺が思っていないようなことが、次から次へと脳に入ってくる。
誰だか知らないけど、あとはお願いします……
「ちょっと!なんで寝るのっ!!!」
眠った、と思っていたけど、なぜか意識の一割くらいはあった。ぼんやりと消えていきそうな意識の中で、カンナに声をかけられながら、引き上げられていくのがわかった。
それから、俺の口が勝手に動いている。声を発しているのかどうかはわからないけど、俺の意思では動かしていない。
これ、もしかして、アイツが起きたのかな。
じゃあ、このまま夢を見に行ってていいかな。起きたらまた頑張るからさ。少しの間だけ、夢に溺れて、いた、い。
「先輩起きてくださーい」
トウカの声が聞こえてくる。
「先輩起きてくださーい」
これはコトリの声。
「どうしたら起きてくれるのよ」
この声はあつみんのだ。
「腕を二本とも切り落としたら起きるんじゃない?」
とんでもないことを言いよったのはユキノさんだ。
「僕はこいつの腕なんか食いたくないぞ!」
頑なに俺の腕を拒むのはカンナだ。
「そんな可哀想なことしちゃダメだよ?」
「だよねっ!そうだよねっ!さすがは天使みりあんだよ!」
目を覚ますと、みりあん以外のみんなは目を点にさせて、時間でも止まってしまったのかと思わされるほどに微動だにしないで固まっていた。
「お、おはよう、ございます」
みりあんだけが俺の目覚めを喜んでくれており、他のみんなは口をポカンと開けたままだ。
傍には四肢を失った召使いが唸り声を上げたまま空を見つめている。
──ドクン
鼓動は落ち着いており、呼吸もできるし、体温も平熱に戻っている。
周囲の状況を確認するにつれ、後悔が込み上げてくる。
また、無意識だった。何をしでかしたのかもわからない。ただ、みんなが無事でいてくれたのが救いだった。
「今は、どっちなんですか?」
トウカが尋ねてくる。
「どっちって……」
俺なのか、俺ではないのか。俺にはその質問の意味が理解できた。
ソウルターミナルで一度、意識を失ったことがあった。あの時、俺の中で目覚めたのは間違いなくアイツだ。
「今は、俺だよ。ヤイチだよ」
俺の中に眠るアレガが、体を乗っ取ろうとして来ている。




