忘れ物
途中でユキノさんたちと合流しないといけないな。さっきは校舎裏に隠れてたのを見たけど、まだそこにいてくれるのかな。
「ん?今何か声がしなかったか?」
コトリに尋ねると首を横に振る。
「だよな。気のせいか」
後ろで歩いている生徒たちの足音が声のように聞こえただけかもしれない。
空耳というのは様々な音が反響し合って、自分の頭の辞書に載っている言葉の中から近いものとして聞こえてくるものだ。
どの言葉にも聞こえなかったということは、それがどれにも該当しなかったということ。つまり、雑音が混ざって生まれた声のような音ということになる。
「先輩に任せちゃっていいんですよね?」
コトリが下から覗き込ませがら尋ねてくる。
「もちろん。策はある」
ない。策なんてない。でも、ないからと言って放っておくわけにもいかない。
「どんな策か聞いてもいいです?」
ダメ。聞いちゃダメ。だって、答えられないもの。
「生徒たちに聞かれちゃまずいことだからな」
「いかがわしいことするんですか!?」
「しないわ、んなこと!」
怒鳴った俺を見てコトリがクスクスと笑う。
「冗談ですよ」
そして、顔を急接近させてくる。
「これくらいの距離なら、聞かれずに済みますよ」
至近距離から放たれる甘い言葉は、吐息とともに耳を襲ってきた。
形はないのにずっしりと重く、少しだけ緩い空気が肌に触れたと同時に、全身が喜び始めた。
全身に行き渡って、ある部分に喜びが集中する。
良くない。とても良くない状況だ。
「コトリ、俺の方を見ないでくれ」
辛辣だと受け取ってもらって構わない。今はコトリの視線ですら体が喜んでしまう。
「さ、策は?」
そんなのどうでもいい。もういっそのこと素直に策なんてないと言ってやろうか。マジで今はそれどころじゃない。
「そんなの今じゃなくていいだろ」
とにかくコトリの視線を俺から別のものに移したいのだが、俺と話しているうちはなかなか難しい。俺以外の話し相手なんてどこにもいないし。
「先輩、どこ抑えてるんですか?」
コトリが異変に気づきやがった。
「こっち見んなよ!」
「え!もしかしてもしかしちゃったんですか!?」
くっそ!屈辱的すぎる!そんな眼で見てきやがって!
「手、どけてくれません?」
「元に戻してくれんのか?」
「うわ、サイテーですよ先輩」
よくあるシチュだと思ってたのに。まぁ、してくれようとしても俺は断るけどね。本当だよ、本当だからね?
「ん?やっぱり声聞こえないか?」
どこからかはわからないけれど、さっきと同じような音が耳に入ってきた。
「話題逸らそうとしてます?」
「そんなこと考えてなかったわ」
言われてみればそのために言い出したと思われても仕方ない。でも、本当に聞こえたんだ。さっきと同じような音が。
「俺のことはもういいから、耳済ましてみてよ」
「恥ずかしいことじゃないですって」
なんでそんなに興味津々なんだよ。
「じゃあ、見るか?」
「うわ、サイテーですよ、先輩」
なんなんだこいつは。
「……なーっ!」
ほら、また聞こえた。
「今のは聞こえたろ?」
「全く?」
本当に気のせいなのか?いや、そんなはずはないよな。俺だけに聞こえてるだけの可能性もなくはないけど。
「……置いてくなーっ!」
置いてくな……?
「コトリ、誰か置いてったりしてないか?」
「置いてく人なんていないですよ。これからユキノさんたちと合流するんですから」
だよな、そうだよな。コトリの言う通りだ。俺たちの背後には無数の生徒たちがいるだけで、他には誰もいないはず。
じゃあ、この声の主は一体……?
「ぼ、僕を置いてくなーっ!!!」
僕、僕、僕、僕!!?
「はぁはぁはぁはぁ、こらっ!どうして僕を置いてけぼりにしたんだ!」
鮫田カンナさんでした。めっちゃ普通に忘れてました。というより、コトリが抱えてるもんだと思ってました。危ないですね、怖いですね。
「おすわり」
コトリが命令すると、鮫田カンナはその場にしゃがんだ。
「お手、おかわり」
鮫田カンナはコトリの手に右手、左手の順に手を乗せる。
「よし、いい子だ」
「僕は犬なんかじゃないっ!!!」
鮫田カンナはガルルルル……と喉を鳴らしている。完全に犬じゃないか。
「何が合ったか分からないけど、和解に持ち運べたんだ──」
「なわけあるか!!こいつが!この女があんなこと言いやがって……!!!くそっくそっくそっ!!」
「私がなんて言ったんだっけ?」
「んんんーーーーああああーーーーー!!!!!思い出そうとするだけで胸が張り裂けそうになるわ!!」
鮫田カンナがここまで乱されてるのを見ると、コトリは一体何をしたのか気になる。でも、それを知ると俺まで犬にされそうだから自ら聞こうとはしないでおこう。
「カンナちゃん?お口チャックできる?」
「んんんんんん!!!!」
本当に飼い慣らしたんだな、この鮫を。
「さて、次は先輩の番ですよ?」
コトリの瞳に怪しい光が宿っている。怯えた俺の体は恐怖に包まれ、喜びが体から逃げてしまった。
「な、何をされるんでしょう……」
鮫田カンナと体をくっつかせて、恐怖を半分こに……できるはずもなく、二人分の恐怖を感じることになってしまった。
「俺たち、どうなるんですか?」
「僕に聞くなよ、僕に……聞かないでよ」
コトリが耳元に口を寄せ、リップ音を響かせてから呟いてくる。
「私、女の子しか好きになれないんで」
そう言って、コトリが離れていく。
「と、言うことなので、先輩は恋愛対象外なんです。ごめんなさいね。だから、私の犬にはなれませーん」
鮫田カンナと顔を合わせる。恐怖のあまり手を繋いでいたのだが、眉間に皺を寄せた鮫田カンナに思いっきり手を投げられた。
「……裏切り者」
犬になることはなかったという安心感とともに、鮫田カンナの俺に対する信頼はゼロからのスタートとなった。
鮫田カンナは敵側の人間だよな?どうしてこんなに馴れ馴れしいんだ?それもこれもあれか、コトリのあの薄暗い瞳のせいなのか?




