わたしの永遠の故郷をさがして 第二部 第七十八章
ダレル、リリカ(本体=アンナ)、そうしてブル博士は、建築ほやほやの建物の内部に吸い込まれていった。
なんだか、不思議な香りがする。
これは、これまで火星のどこでも感じたことがない種類の香りだった。
とても、穏やかで、神秘的で、体がもったりとして、心が鎮まるような香り。
おそらく、未来の地球人、特にアジア系の人ならば、こうした香りは普段からあたりまえに経験する香りだ。
けれども、火星人たちにとっては、初体験の香りだった。
「これは、もしかして、麻薬系のものかの?」
リリカ(本体=アンナ)が言った。
「いや、ぼくの計器では、人体に危険性はないと出ている。」
「まあ、用意のいいこと。」
「ただし、精神面には多少影響があるようだな。」
「それはつまり、やはり催眠系の麻薬という事か?」
「あえて分類すれば、そうかもしれないが、あくまで危険性はない。中毒性もない。安全レベルの中での話だ。まあ、香水の延長線上にあると思っていい。」
「ふうん・・・。」
「ここは、きわめて、がらんとしていて、何もない。中身はまだこれからという事か。」
博士がつぶやいた。
三人は、恐ろしく高い天井の下を歩いていた。
照明器具は見えないが、ほのかに明るい。
天窓もない。
周囲の壁にも窓はない。
まったく閉鎖された世界だ。
けれども、その壁には、なにか非常に神秘的な模様が配置されている。
削ったと言うよりも、あとから張り付けたような感じもするが、よくわからない。
大きな壺がひとつ、台の上に乗っかっていた。
しかし、不思議な事に床の部分は、均一な黒い砂のような物質でおおわれている。
けれども、ほこりっぽくはない。
空気は全く動いていない感じだ。
ダレルがしゃがみ込んで、地面を撫で、表面を少し削った。
「ううん。土だね。表面はやわからくて、すこし湿っている。粒子は大きいな。なんで床を作らないんだろう。」
両手をパンパンと振り払いながら、ダレルが言った。
「それが、基本だからです。」
ふっと、声がした。
「ビュリアさん!」
リリカ(本体=アンナ)が声を上げた。
ビュリアが向こう側に立っている。
いつものように、黒いドレスを身に付けていて、スカーフを頭に巻いているが、足元は素足のままだった。
「ようこそ。タル・レジャ教会へ。」
「タル・レジャ教会?」
三人が同時に、その言葉を繰り返した。
「そうです。『タル・レジャ』は、滅んでしまった古代火星の言葉。『懺悔と真実』という意味。でも、それは、ほとんどもう意味はない。いまは、その言葉そのもの。ここは、わたくしがこの先、精霊たちの声を聴く場所よ。さあ、いらっしゃい。」
ビュリアは、その天井の高い部屋から、奥の方に、三人を案内していった。
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四人は、タワーの頂上部にあるホテル部分から、半分くらい下に降りた『地球の温泉』に到着した。
「うわー。ここもすごいー。」
マヤコが叫んだ。
「もう、温泉!って感じだなあ。」
「豪華よね。この壁、なんで出来てるのかなあ。石のような、金属のような、でも板を張り付けたような感じはしない。重厚だね。」
ヨウコが感心したように「述べた」。
「うんうん。重い感じがする。まあ、でもあの白いタワーの中なんだからなあ。でも、なにはともあれ、『温泉温泉』っと。」
ウナは相変わらずにこにこしたままだ。
この階は、全体が女性専用ということで、男は一つ下の階となる。
何かに付けて、金星は女性上位社会だ。
火星も、まあ、そうだ。
これは、女王が長年、直接支配してきた、当然の帰結と言える。
温泉行のエレベーターも、男女分離されているので、途中で相乗りになることもない。
男性側からすると、「あまり情緒がない」と言う人もいたが、金星や火星の「豪華観光施設」は、どこもだいたいこんな感じなのだ。
しかし、この施設は、まずとにかく美しい。古びていたり、塗装が剥げていたり、とか、そう言うところが全くない。どこもかしこも、出来立てのままを維持している。
四人にはわからないが、もし同時に見たら、火星にできたばかりの、新しい「教会」と、どこか非常に似通っていることに気が付いただろう。王宮もそうだ。
実際、この地球のタワーも、作ったのは女王の命を受けた、アーニーだったのだ。
維持管理も、アーニーが行っている。
表向きは、ビューナスが命じて建設されたことになっていたし、そこを疑う人などいなかったが。
つまり、女王とビューナスと言うのは、人間たちが、まだ知らない関係に、もともとあったということなのだが・・・。
この『温泉』の入口には、未来の、ある国の地球人ならば、当たり前の事なのだが、「のれん」がかかっている。『女湯』という意味の火星語が表示されていた。少しお湯で伸びてしまったような感じの文字になっている。
四人は、脱衣場で、着ていた薄い纏いを脱いで、裸になって内部に入った。
水着は着用しないのが礼儀である。
「うわー、広いー。すごいー。」
マヤコが感激して言った。
実際、あまりに広かったのだ。
全体が緩やかに弓状に弧を描いている浴室だが、外側は全面巨大な一枚ガラス。
特殊な加工で、外から中は見えないようにできている。
「アーケオプリテクス」などの始祖鳥が活躍するのは、もう少し先のジュラ紀になってから。
この時代は、三畳紀に入ってまだすぐという時期である。
ペルム紀末には、全生物種の90%から95%が絶滅したとされる大量絶滅があった。
この時は、海の中の生物が大打撃を受けたが、陸上生物はそれほど大きな打撃は受けなかったようだ。三葉虫、方解石サンゴ等は絶滅した。
一方大地には、超大陸「パンゲア」が誕生した時代である。
鳥類が進化するのは、もう少し先の事になる。
温泉を覗き込む行為を楽しむような「人類」らしきものは、まだいない。
というわけで、この空中温泉は安全なように見えるが、なかなかそうも言えないのだった。
火星人も金星人も宇宙船を持っていたし、このタワーに接近しようと思えば難しい事ではない。
軍事施設ではないから、すぐ攻撃されるようなことはまずない。
用心には用心が大切だった。
まして、「光の人間」ならば、簡単に外からやって来ることができる。
しかし、これは極秘事項で、一般人は何も知らされていなかった。
非常に例外的に、その現場を見てしまったのが、この四人だったのである。
それに、本人たちは気にしないように努めていたし、当局からもそのような話を聞かされていたものの、実際のところ、みな「光人間」への「変態候補者」になっていたのだ。もう少し言えば、変態作業は進められていたのであり、彼女たちの体には、その種が、すでに植え付けられていた。
マヤコは、巨大な窓から地球を眺めていた。
「むむむ。この光景はすごいな。もう暗いし、遠くてよく見えないけど、植物の形も火星とは違う。ずっと古代っぽいなあ。」
四人はそれぞれが別々に、好き勝手に動いていた。
今他の三人は、マヤコの後ろ側にいて、体を洗ったり、髪を流したり、色々なことを、一生けん命していた。
入った時には、他のお客さんも数人いたが、いまは、たまたま四人だけになっている。
幸せな時間・・・。
「きゃーーーーーーーーーーーあ!!!」
突然悲鳴が上がった。
マヤコは温泉から飛び上がった。
それから、あわてて湯船を出て、胸を押さえながら声の方向に向かった。
ウナが立ち尽くしている。ババルオナが後ろからウナを抱きしめている。
ヨウコがいない。
「どうしたの? ヨウコはどこ?」
「・・・・・あの・・・き、き、消えた。消えた。あの時みたいに・・・。」
ウナが初めてしゃべった。
「消えた・・・・。光が飛んだ?」
ウナは、あの時以来かなりのショックを受けていた。口数も、それ以来ほとんどなくなっていた。
そうして、またここで、大きな衝撃に見舞われていたのだ。
彼女は体も小さかった。
ババルオナの大きな、ふくよかな体に包まれながら、小さくうなずいた。
「あたしには、光は見えなかった。でも、消えたんだ。となりにいた。うそだろう・・・。」
ババルオナが小声で解説した。
「あ、あ、あ、どうしよう。警報・・・鳴らすわ。」
マヤコは、壁にある赤い『非常警報』のケースを開けて、ボタンを押した。
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