【閑話】 俺はシスコンじゃない
「健太ってシスコンなの?」
「そうだよ、昔から何かって~と『姉ちゃんが』ってうるさい」
「マジで~!?」
「休みに遊びに誘っても、俺らより姉ちゃんを取るくらいだもんな」
「しかも西田先輩と姉ちゃんのデートを邪魔しに行ったんだろ?」
「健太、それ西田先輩だから許してくれんだぞ。普通デート邪魔されたら怒り狂うって」
「つーかさ、よく姉貴とかと出掛けようと思えるよな。俺は絶対無理」
「俺も~。あいつらって弟のことを下僕と思ってるよな」
「お前らうるさい」
夏休みの部活帰りに、一年のメンバーでファミレスに寄る事にした。ドリンクバーとフライドポテトを摘んで涼んでいたら、こいつらに昨日のドタキャンを責められる。
昨日姉ちゃんや亜美さんたちとプールに遊びに行ったけど、もともとはこいつらと約束をしていたから。ちゃんと謝ったのに、まったくしつこい奴らだ。
前は「次はちゃんと来いよ~」と笑っていたくせに、今日になって俺がシスコンだからドタキャンしたって騒いでくる。
俺は別にシスコンじゃない。
そう言ってるのに、こいつらは人の話も聞かずにマジでうるさい。
俺はシスコンじゃない。家族で一番大事なのは? って聞かれたら、迷わず「姉ちゃん」と答えるだけだ。
家は両親と姉ちゃん、父さんの方の祖母ちゃんとの五人家族だ。
でもそれはここ数年の話で、小学校のころの祖母ちゃんは、もういない祖父ちゃんと田舎で暮らしていた。
両親は共働きで、どっちも仕事人間。世の中には家事と仕事を両立している母親もいるんだろうけど、家の母さんは家事より仕事を頑張っていたんだろう。
正直、俺は最近まで親が好きじゃなかった。母さんのことはむしろ嫌いだったと思う。
参観日に音楽会、運動会も仕事だからって見に来た事がない。父さんは運動会とかは来ていたけど、参観日は来なかった。
そういう行事には、いつも祖母ちゃん達が来てくれた。祖父ちゃんがいた時は二人で撮影係を、祖父ちゃんがいなくなってからは祖母ちゃん一人で。
俺は参観日や運動会のお知らせを母さんに見せるのが嫌で仕方なかった。自分は行きたいんだよという顔をして、仕事でいけないと話すんだ。
もっと小さい頃に、どうしても観に来て欲しいとねだった事がある。その時に母さんは目をつり上げて怒鳴り散らした。我儘を言うなと叫んだあの顔は、今でも忘れられない。
そして最後には、自分が仕事をしているのは俺たちのためだから仕方ないんだと、毎回同じことばかり。今思い出すと、もう少しレパートリーはないのかと呆れる。
それが本当に俺たちのためだったのかって思うから余計に。
俺ん家が別に母さんが働かなくても問題ないんだって事は、両親の喧嘩で知っていた。あのころの二人は、俺たちの前では仲良くしていたけど、俺たちが二階に行ってからよく言い合いをしていた。
その声が怖くて、頭から布団を被ったって聞こえてきていた。
なんで僕の両親は喧嘩ばっかりするんだろう。
母さんはどうして僕たちよりお仕事が大事なんだろう。
何度考えても、答えなんて分からない疑問がずっと頭の中をグルグルする。そんな時はいつも姉ちゃんが一緒にいてくれた。
両親の声が大きくなってくる前に、姉ちゃんはゲームを手に俺の部屋にやってくる。
「健太、あそぼぉ」
姉ちゃんがニコニコしながら俺のベッドに入り込み、二人で最大音量でゲームをするんだ。我慢できずに俺が寝落ちするまで、姉ちゃんはいつも付き合ってくれた。
一緒にいて欲しいと言えば我儘を言うなと怒られ、話しかければ疲れているんだと返される。どこかに遊びに連れてってと言えば、代わりにゲームを買って渡された。
父さんがあまり帰って来なくなってから、母さんは常にイライラしていて、更に俺達を見なくなっていった。その頃には俺たちの前でも喧嘩を隠さなくなった母さんは、俺達がいるから父さんと別れられないんだと呪いの様に口ずさむ。
ある日、どうしても我慢できなかった俺は、姉ちゃんの前で泣いた。ハンバーグが食べたいって泣いたんだ。
その日、クラスの友達が親と一緒にハンバーグを作ったと自慢していた。それに張り合うようにみんなが親と何を作った事があるとか、ここに遊びに連れて行ってくれたと言い合った。それを聞きながら、俺はみんなの親とうちの親が入れ替わってくれればいいのにって思った。そして我慢できなくなった。俺だって家族と一緒に作ったご飯が食べたかったから。
姉ちゃんは、俺がどんなハンバーグが食べたいのか分かってくれた。きっと、俺には言わなくても姉ちゃんだって辛かったんだろう。
何かあったらここのお金を使いなさいと母さんに言われていた。電話の下の引き出しからお財布を手に取ると、姉ちゃんと手を繋ぎ、二人でスーパーに走った。
「お姉ちゃんハンバーグの作り方知ってるの?」
「あたしは健太のお姉ちゃんなんだよ。もう家庭科で調理実習だってやってるんだから」
「そっかぁ。お姉ちゃん、僕、目玉焼きハンバーグがいい」
「じゃあ目玉焼きハンバーグとサラダ! いっぱい作ってお父さんたちをビックリさせよう!」
「うん!」
スーパーで買った食材を台所で広げて、二人ではじめて夕飯を作った。
そうして出来上がったのは、水の分量を間違えてデロデロにふやけたご飯と、温いお湯に大量に味噌を溶かした味噌汁。ひき肉を捏ねずにただ丸めたせいでそぼろのようになったハンバーグもどき。唯一成功したのは少しだけ焦げた目玉焼きと、レタスを手でちぎったサラダだけだった。
出来上がったものを前に泣きそうになっている俺に、姉ちゃんはごめんねと謝った。
姉ちゃんは、まだ調理実習で目玉焼きしか教えてもらってなかったんだ。
「でも、きっと食べれば美味しいよ! お父さんたちが帰ってきたら一緒に食べよう!」
そう言って笑う姉ちゃんに、俺も頷いた。
それから暫くして、母さんが先に帰ってきた。あの人は部屋に入って、食卓に並ぶ皿を見た瞬間に叫んだ。
「ちょっと! あんたたち一体何をしたの!?」
イライラしたように目を吊り上げる母さんに、俺は何も言えずに俯く。姉ちゃんは母さんに夕飯を作ったと話した。
「あのね、健太と一緒にハンバーグを作ったんだよ。二人で――」
「食べ物で遊んじゃダメっていつも言ってるでしょう!?」
「遊んでないよ。ご飯を作ったんだよ」
「ああっ、こんなにちらかして! お母さんは疲れてるの。頼むから良い子にしてて!」
「…………ごめんなさい」
唇を噛み謝る姉ちゃんに、更に母さんは何かを言っていた。
それを見ていた俺は我慢できなくて。
必死に作った物をちゃんと見てくれないことに我慢できなくて。
俺たちのことなんてほったらかしのくせに、それを俺たちのせいにする鬼婆に我慢できなくて……力の限り泣き喚いた。
どれだけ泣いていたかは憶えてない。
憶えているのは、俺と大して変わらない体で俺を抱きしめている姉ちゃんと、姉ちゃんごと俺を抱きしめていた父さん。俺たちの傍で両手で顔を覆って泣いている母さんの姿だ。
両親は俺と姉ちゃんに謝った。俺と同じように涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら謝っていた。悲しいのは俺なのに、なんで両親が泣いているのか分からなくて、よく分からないせいでまた泣いて。
そんな時に姉ちゃんが言ったんだ。
「ご飯食べようよ。あのね、目玉焼きはちゃんとできたんだよ」
姉ちゃんは笑っていた。
一人だけ泣かずに、笑って俺たちの手を引っ張って食卓に座らせた。
目玉焼きとサラダ以外はものすっごく不味くて。うえってなるくらい不味いのに、みんなで全部食べたんだ。食べ終わって、今度は一緒に美味しいハンバーグを作ろうと、母さんと姉ちゃんは約束していた。
でも俺は、素直に頷けなかった。
それから両親は少しだけ変わった。
母さんは仕事をセーブしたのか帰ってくる時間が早くなったし、父さんは毎日帰ってきて、休みの日は遊んでくれるようになった。
そして、変わっていく中で一番嬉しかったのが、祖母ちゃんが一緒に住むようになったこと。祖父ちゃんが死んじゃったあとも、二人の家に暮らしていた祖母ちゃんが、「一人はやっぱり寂しくてねえ」と引っ越してきてくれた。
きっと、両親に頼まれたんだろうと分かっていたけど、俺は嬉しかった。
姉ちゃんは料理は下手だけど、菓子作りは得意だ。
姉ちゃんが最初に作ったのはホットケーキ。牛乳が多かったのかあまり膨らんでいなかったけど、俺は姉ちゃんが俺に作ってくれたことが嬉しくてペロリと食べた。
昔は失敗作ばっかりだったけど、最近はどれも旨い。それが少しだけつまらない。
俺は姉ちゃんが失敗した時の、あの情けない顔が好きだったから。
「おい、何ニヤついてんだ? 健太」
「別に。姉ちゃんが今日ケーキ焼くって言ってたから、俺もう帰るわ。また明日な」
「はあ!?」
目を丸くして見上げてくる奴らに軽く手を振ってから店を出た。
最近姉ちゃんに彼氏が出来た。
彼氏は俺の部活の先輩で、俺はあの人がいるからこの高校を選んだ。
プレー中も練習中も、西田先輩はかっこいい。三年なのにちっとも威張っていないし、後輩に無茶振りもしない。そりゃ怖い時もあるけど、尊敬してるし、俺もあんな人になりたいと目標にしてる。
顔だって悪くないし、みんなに優しい人だから、実は数少ない女子達にも人気があるらしい。
憧れの先輩が俺に相談したい事があると言ってくれた時は、マジで嬉しかった。……今では家に呼ばずに、外で話せばよかったって後悔しているけど。
俺以外に聞かれたくないならと、先輩を家に招待したあの日の俺。戻れるもんなら今すぐ胸元を揺すって考え直させるのに。
嬉しそうに俺ん家に来た西田先輩が、姉ちゃんが留守だと知って肩を落とした時に、すぐに追い返すべきだったんだ。
西田先輩の相談事は、俺の姉ちゃんが好きだから紹介して欲しいという、なんともふざけた話だった。
この人も、彼女が欲しいのに学校に女子が少ないとぼやいている奴らと同じなのかと思った。そんな話かと多少がっかりしたけど、気持ちは分からないでもない。
だからちゃんと、先輩は学校の女子に人気があると教えた。彼女が欲しいならそっちをあたってくれって。
だって、小学校も中学も高校も違う姉ちゃんと先輩が知り合いだと思えないだろ?
実際に西田先輩は姉ちゃんと話したことはないって言ってたし。
そんな俺に西田先輩は何度も頼むって頭をさげた。絶対嫌だと先輩を追い返そうとして、俺達は揉み合いになったんだけど……そのせいで姉ちゃんにあんなバカな誤解をされるとは……
俺の部屋で暴れていると、いつの間にか帰ってきていた姉ちゃんが壁越しに話を聞いていて、腹の立つことに先輩と付き合うなんてほざいた。いや、付き合ってもいいかなと言ったのだ。
今まで姉ちゃんに彼氏はいなかった。亜美さんもそう言ってたから間違いない。
それは俺と同じように、誰かと付き合うのが怖いからだと思っていた。
今はどんなに好きな人でも、いつかはあんな喧嘩をするようになるのかもしれない。
それなら付き合ったりしなければ、いつまでもその人を好きでいられるんじゃないか。
そんな俺と同じことを考えていると思ってた。
だから、もしかしたら姉ちゃんはそれでも付き合いたいほど西田先輩が好きなのか? って思った。二人は俺が知らないとこで出逢ってたんだって。
学校が違う姉ちゃんと先輩が、一体いつ会っていたのかとか疑問はあるけど……姉ちゃんが決めたのなら、弟して応援するべきなんだろう。
西田先輩が反対できるような嫌な人なら、絶対に認めるつもりはなかった。姉ちゃんは昔から俺に甘いから、きっと俺が反対すれば先輩はふられていたはずだ。
でも凄く残念だけど、西田先輩は文句をつけられる人じゃない。悔しいけど、姉ちゃんの彼氏としてこの人以上はいないかもしれない。だから俺は姉ちゃん達を見守ることにした。
姉ちゃんたちのアホな勘違いには参ったけど、あの時の先輩の必死さを見て、俺はもう一度この人ならって思った。
俺だって昔から気になっている人がいる。
だから俺はシスコンじゃない。
でも先輩。反対しない代わりに、これからもすこ~し二人の時間を邪魔するのはしょうがないと思うんですよ。
先輩は俺の大事な人を選んだんです。
多少の試練は乗り越えてもらわないとね。