関東の暮らし
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関東の暮らし
関東平野は、大きな川が流れ、湿地帯が広がる、山のない平らな所であった。
縄文は、山の民であり、ここには住みにくいと思われていた。
しかも、日本国内の仕組みを考えると、関東の平野には外界から入るのも、難しい環境が、あったであろうと思われた。
それでも、人は入り込み、平野を囲む山々に暮らすようになっていた。
一万年前ぐらいには、火山帯地域の山に暮らす人々が土を焼いて器を作る技術が生まれ、平地に徐々に降りてくるようになった。
平野には、湿地帯が広がっていたが、周りに野生の小動物、キツネやタヌキの他、イノシシやオオジカ等も生息していた。
そこに川が暴れ流れると砂を運び微高地が生れる。
微高地に小屋を作り、その周りの獣たちを狩る者が現れる。
川は、淡水魚も多く運び、平野での暮らしは工夫次第で十分豊かだと言えた。
利根川は、関東のド真ん中を流れる。
そこに大きな微高地があった。
そこは、北川辺と呼ばれ、そこに、平野の大巫女、北川辺の大巫女がいた。
大巫女は、川の流れ、風の香り、雨の有無などの観察に敏感だった。
彼女は、鷹を使い、大きな視野も持っていた。
外では、海の向こうから新たな技術が入り込み、縄文の頃とは違う暮らしが生まれていたが、関東には、生活に対する要求もなく、外からの外圧ともいえる技術が入りにくかった。
それでも、便利なものは徐々に侵食するように、米作が関東でも始まったが、大巫女たちは、新たな技術を受け入れるようになった。
弥生化が進み、中央で大きな政権が生まれ始めると、統一の機運が進むが、関東には、中央からの姫が入植することで子が生まれ、中央との形だけの同盟が生まれた。
北川辺で、暮らしの差配をしていた族長たちは、中央で行われている墳墓づくりをまねして、権力を誇示するようになっていたが、大巫女達は、縄文の心を失わず、中央の騒ぎには関わらぬような沈黙を続けていた。
中央に新たに出来た政権は、海の向こうからの新たな技術に夢中であり、東北にあるであろう蝦夷に関心が向いていて、関東には無関心であった。
中央のマネごとに夢中な北川辺の族長に呆れた大巫女は、本拠地を移し、沈黙を続けていた。
関東には、大きなケヤキの木があった。
この木の年輪は、1500年であった。
とても古く、人々の暮らしを見つめている木であった。
その木には巫女がいた。
ケヤキの巫女であった。
中央が揺れるいま、ケヤキの巫女も沈黙していた。




