23.スパイ
カルロッタは部屋を一通り掃除して、一息ついた。
(うん、一応綺麗になったわね)
腰に手を当てて部屋を見渡していると、足音が聞こえてきた。
(誰か来るわ)
カルロッタは扉の方向をじっと見つめた。
「やっと会えましたね、癒しの魔女様」
その男には見覚えがあった。
執事服を着た痩せた男、あの日、家まで押しかけてきた二人組の片割れだった。
部屋に入ってきた男は薄く笑い、カルロッタを見下ろしている。
カルロッタはエレナを庇うように一歩前に出た。
「伯爵様がお待ちです。あなたには癒しの力を使っていただかなくてはなりません」
(やっぱりここは伯爵家で間違いないのね)
「この前も言ったけれどね、私には癒しの力なんてものはないわよ」
鼻で笑う男はカルロッタの言うことを信じていないようだった。
「とぼけても無駄ですよ。明日はいい返事を期待していますよ。失礼します」
「ちょいと待っておくれ」
「なんでしょう?」
カルロッタには一つ確認しておきたいことがあった。
「一緒に連れてこられた彼女は関係ないでしょう? 体調もあまり良くないのよ。この子だけでも帰してやってくれないかい?」
男は膨らんだベッドに視線を向けて、首を横に振った。
「顔も割れていますからね、無関係とは言え帰せません。それでは失礼」
男が去ったのを確認し、カルロッタはエレナの様子を注意深く観察した。
(顔色もいいし、ぐっすり眠っているわね。あの男、一緒に誘拐したのが公爵夫人と気づいてないようだったわ。正体を明かした方が安全なのか、隠しておいた方がいいのか判断できないわね)
「ふぅ……どうしたものかしらね」
カルロッタは部屋に置いてあった椅子を、ベッドサイドに移動した。そうしてポケットに入れておいたりんごを取り出す。掃除中に、机の引き出しを確認してみたけれど、ナイフなどの刃物は見つからなかった。
(りんごなら丸かじりできるし、エレナも食べられるはずよ。起きたら食べさせましょう)
ベッドサイドのテーブルにりんごを置いて、少し休もうとそっと瞳を閉じた。ウトウトと舟をこいでいたカルロッタだが、ガチャンという大きな音で目が覚めた。
パチッと目を開けて音の正体を探すと、扉が開いていた。
(誰か来たんだわ)
カルロッタが警戒して、椅子から腰を浮かした瞬間だった。
カルロッタは中に入ってきた人物に目を丸くした。
「……サラちゃん?」
そこにいたのは公爵家のメイドであるサラだった。
サラはいつもと変わらないメイド服姿で、手には食事ののったトレイを持っていた。扉を閉めたサラは伏し目がちのまま静かにトレイを机に置いた。
カルロッタは、その一挙一動から目が離せなかった。
(サラちゃんのそっくりさんじゃないわよね?)
じっと見つめていると、サラはカルロッタと目を合わせて、大きく頭を下げた。
「カルロッタ様、申し訳ございません」
「……サラちゃん、顔を上げておくれよ」
顔を上げたサラの瞳には、涙がじわりと浮かんでいた。唇をきつく噛んだサラの表情は、後悔していると言わんばかりの表情だった。
「わ、私は、伯爵家の……スパイです」
「スパイ?」
驚きと戸惑いが混ざった顔をしたカルロッタだが、震える指先でエプロンを握りしめるサラを責める気にはならなかった。
「サラちゃん、スパイっていうのはどういうことだい?」
「私が、侵入者を手引きしたのです」
(確かに、警備が厳重な公爵家で誘拐なんて普通は無理だわ。サラちゃんがスパイだなんて信じられないけれど、本当のようね)
それでも、手を額に当ててうつむくサラの姿を見ていたら、やっぱり責める言葉は出てこなかった。
「本当にごめんなさい」
(こんなに震えて……自分の意思で動いているようには見えないわね)
「事情がありそうだね」
小さく頷いたサラは、小さな声でぽつりぽつりと今まで何があったのかを聞かせてくれた。
「幼いころに孤児院にいた私を、引き取ってくださったのは伯爵様だったのです」
伯爵家では毎日くたくたになるまで雑用をこなし、食事はわずかで寝床も粗末だった。給金も支払わらず、伯爵家での生活は孤児院にいた頃とほとんど変わらなかった。
それでも、路上で生活するよりましだと、ずっとそう思い込んでいた。けれど、公爵家にメイドとして潜入して、自分がいかにひどい環境に置かれていたのかを知ったそうだ。
「公爵家では、ご主人様は怒らないし、仕事を押しつけてくるメイドはおらず、食事もお腹がいっぱいになるまで食べることができて、エレナ様はいつも気にかけてくれました」
淡い笑みを浮かべ幸せそうなサラに、カルロッタは言葉に詰まった。
「……サラちゃん……」
「カルロッタ様、ここは危険です。逃げてください。あの窓の方角に真っすぐ行くと塀の一部に穴が開いています。その先は川があるのですが、つり橋があります。そこからなら逃げることができるはずです」
「逃げるって言っても……無理よ」
「大丈夫です。見張りの交代の時間は鐘がなったあと」
「違うのよ。私一人じゃないの」
「え?」
カルロッタは、後ろで寝ているエレナに視線を向ける。
その視線に気づいたサラは、ベッドを覗き込んだ。
「エ、エレナ様?」
両手で口元を隠して、目を丸くしたサラは、エレナを見て驚いているようだった。
「エレナと一緒にいた時に、誘拐されたのよ」
「そんな! 絶対にイルーザ様にはエレナ様がここにいることを悟られないで下さい。なぜなら」
サラが続けて何かを言いかけた時、扉が開く音がして、サラは口を閉じた。
「おい、サラ。さっさと終わらせろ」
扉から顔を出したのは鍵の束を持った騎士の男で、サラを迎えに来たようだ。
「……かしこまりました。もう終わります」
「早くしろ」
扉が閉まったのを確認したサラは、カルロッタに一歩近寄った。
「エレナ様だと気づかれてはいけません」
「わかったわ。一つお願いあるの」
「なんでしょうか?」
「包丁を持ってきてほしいの」
「……包丁、ですか?」
理解が追い付かず小さく眉を寄せるサラをカルロッタは真っすぐ見据えた。
「お願いよ」
「……窓を開けておいてください」
早口でそう言ったサラが出て行き、カルロッタは天井を仰ぎ見た。
(まさか、サラちゃんが伯爵家のスパイだったなんて……)




